第40話.学園長の正体は
ただのお色気垂れ流し校医かと思いきや、フェオネンにも意外といいところがあるんだな。私が密かな感動を覚えていると、すぐ近くから衣擦れの音がした。
「アンリエッタ……」
「エルヴィス!」
「お前、大丈夫、なのか?」
エルヴィスは眉尻を下げて、瞬きもせず私を見つめている。
フェオネンもいるというのに、エルヴィス様の演技をするのを忘れているエルヴィス。その理由はきっと、私が《魔喰い》によって心まで喰われたと彼も思い込んでいたからだろう。
だから私は茶化すことはしなかった。シーツから出した左拳をぎゅっと握ってみせると、にっこり笑いかける。
「うん。私、すっごく元気!」
エルヴィスはしばらく黙ったままでいたが、安心しきったように口元を綻ばせた。
「そーか。なら、良かった」
「うん。エルヴィスのおかげ。本当にありがとう」
お互い横になったまま、いつになく穏やかな笑みを交わす。迷宮から戻ってこられた幸運を二人で噛み締めるように。
しかしそこに、フェオネンが水を差す。
「いい雰囲気のところ悪いけど、学園長がキミたちをお見舞いに来てるよ」
えっ、学園長?
急に大物の名前が出てきたのに驚きつつ、エルヴィスとそれぞれ上半身を起こす。
いつからそこにいたのだろう。フェオネンが振り返る先には、床に杖をつくその人の姿があった。
「……ええっと。ハム先生?」
古めかしいデザインのローブをまとってそこに立つのは、迷宮学の教師であるハム先生である。
どういうこと? 学園長はいずこに?
私がきょとんとしていると、ハム先生はゆったりとした動作で頷いた。
「うむ。ワシがエーアス魔法学園の学園長、ハムじゃ」
「へっ?」
私は開いた口が塞がらなくなった。
冗談かと思いきや、ハム先生は一向に発言を撤回しないし、フェオネンは珍しく大人しくしている。フェオネンが学園で働けるようになったのは学園長の手回しのおかげ、みたいな話がフェオネンルートであった気がするので、頭の上がらない相手なんだろう。
つまり、本当にハム先生が学園長なのか。そんな重要な設定は『ハナオト』でも明かされてなかったけど、こんなところであっさりネタバレしちゃっていいんだろうか?
私はいろんな意味で困惑していたが、エルヴィスに動揺は見られなかった。もしかしたら意識を失う前に、ハム先生に会っていたのかもしれない。
「ハム学園長。僕は、いかなる処分でも甘んじて受けます」
それは究極的にエルヴィス様らしい、自分だけで責任を取るような言葉だったが――私が異を唱えるより早く、ハム先生が口を開く。
「今回の件で、お前さんたちに何かしらの処分を下すつもりはない。もちろん、そこで眠っとるイーゼラ・マニにもな。お前さんたちは迷宮の書に巣喰う《魔喰い》を討伐してみせた。成果がある以上、処分があってはおかしいじゃろうて」
良かったと胸を撫で下ろしたいところだが、お咎めなしというのも疑問が残る。私たちの顔にそれぞれの疑問を感じ取ったのか、ハム先生が笑みを漏らした。
「よく考えてみるといい。エーアスの教師が、生徒の仕込んだ眠り薬程度で昏々と眠りにつくかどうか」
「……まさか」
「そうじゃ。マニが鍵を取っていくときも、ハントやリージャスが研究室に入ってきたときも、ワシは狸寝入りをしておったよ」
私もエルヴィスも揃って絶句した。
ふぉっふぉ、とハム先生が愉快そうに笑う。明るい笑い声とは裏腹に、深く被ったフードの下から鋭い光を湛えた瞳がこちらを見ていた。
「すべての選択は自己責任。それが、魔法を学ぶ者の鉄則じゃからな」
そうだ。私だって、よく知っていることだった。
『ハナオト』で攻略対象が死んだり、怪我を負うルートはほとんどない。でもそれは、ヒロインのカレンがどんな傷でも治癒魔法で軽々と治してしまうからだ。
だけどカレンに深く関わらない――背景の生徒たちは、何人も命を落としている。アンリエッタやイーゼラが、その中の一部であるように。
「もちろんワシら教師は、生徒に一切の手を貸さないわけではない。授業の最中に魔法の発動に失敗したとか、暴発したとかな。そういう事態が起きたときは別じゃ。今回のマニの行動は、それとは一線を画しておった」
確かに、ハム先生の言う通りだった。言い返せず沈黙する私たちだったが、彼の言葉はゆったりと続いている。
「じゃが、マニは友に恵まれた。そのおかげで迷宮の底に、骨まで沈まずに済んだんじゃ。それがどれほど幸運なことかは、本人が夢の中で噛み締めている最中じゃろうて」
ハム先生の片目が、イーゼラの眠るベッドにちらりと向けられる。
「ワシが言いたいのはそれだけじゃ。ではな」
そこで、ハム先生があっさりと話を切り上げる。
「お送りしますよ、学園長」
フェオネンが付き添って医務室を出ていく。二人の後ろ姿を、私は何も言えずに見送った。
二人の気配が遠ざかる。ベッドに横座りしたエルヴィスが髪を掻き、苦々しい面持ちで呟いた。
「この学園を甘く見てたかもしれねェ。……いや、魔法士というものを、か」
「うん、それは私も同じ」
だけど、これがこの世界の常識なのだ。
成果がある以上、処分があってはおかしいとハム先生は言った。
裏返せば、《魔喰い》を倒したという成果だけに価値があると告げられたも同然だ。私たちの生死は学園にとって些末なことに過ぎなかった。
私はぶるりと身を震わせる。闇が深いよエーアス魔法学園。
『ハナオト』自体は公式HPやレビューでは明るくて楽しいラブファンタジーストーリー、みたいな感じで紹介されがちなのに、ネームドキャラクター以外の死亡率が絶望的に高いとか、バッドエンドやグロエンド特化を謳うゲームより性質が悪い気がする。
自信家のエルヴィスも珍しく暗い顔をしている。この空気を払拭したくて、私はあえて明るい声で話題を変えた。
「そういえば、途中で意識を失ったから何も覚えてないんだけど。《魔喰い》が自壊したあとって、どうなったの?」
「それなら魔喰い花の種子を回収したら、三人とも迷宮の外に出られた。図書館では、ハム先生とフェオネン先生が待機しててよ」
ふむふむ。
「フェオネン先生がイーゼラ嬢を運んでくれたから、オレはお前を抱きかかえて医務室に向かった。そこで意識を失ったから、それ以上はオレにも分かんねェけど」
ふむふ……ん?
「ええっと。抱きかかえて、っていうのは?」
「は? そりゃ横抱きにして、ってことだろ」
衝撃のあまり口をはくはくする私に、エルヴィスは呆れ顔だ。
「何驚いてんだよ。お前が階段から落ちたときも、同じ抱き方で運んでやっただろ」
「う――えええええっ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げる私に、エルヴィスはうるさそうに顔を顰める。
ちょっと待ってよ。私、意識のない間に二度もお姫様抱っこされてたのっ?
しかもアンリエッタが落ちた階段も迷宮図書館も、医務室からはけっこう遠い。運ばれている間、それなりの人数に目撃されていたんじゃなかろうか。
もしかして私がイーゼラ始めとする女子たちから剥きだしの敵意を向けられてた主原因って、これだったりする?
今さらいろいろ合点がいって脱力する。あとなんにも覚えてないのが、ちょっともったいないような。だって身体はエルヴィス様なわけだしね。
あれ、待てよ。『ハナオト』だとカレンがエルヴィス様にお姫様抱っこされる回数って、一回だけだったよね。
つまり私は、ヒロインよりも抱き上げられたで賞受賞ってことだ。私の勇姿に今頃、全米が泣いているかもしれない。
「おい、また気持ち悪いこと考えてるだろ。涎出てるぞ」
「そんなばかな」
やれやれと肩を竦める。さすがの私も、興奮したからといって涎は出さない。
「鏡見るか?」
「そんなばかなー!」
私はごしごしと袖で口元を拭う。恐る恐る確かめると、特に何も付着していなかった。
「エルヴィス!」
ぶわりと頬に熱が上る。まなじりをつり上げてパンチを繰りだすものの、私の拳はエルヴィスの手のひらによってあっさりと受け止められていた。
エルヴィスが楽しげにけらけら笑う。
「アンリエッタ。やっぱお前――」
彼の唇が、何かを紡ぎかけたとき。
「アンリエッタ!」
大音量で名前を呼ばれて、私はびくっと肩を震わせた。
もしかしてドアが壊れたのでは? と心配になるくらいの勢いで医務室に飛び込んできたのは、誰あろうノアである。
「お、お兄様?」
ぽかんとする私と目が合うなり、険しいノアの表情に一瞬の空白が生まれる。








