第4話.推しの様子がおかしい
「カメラ! スマホスマホ!」
これも現代人の性なのか。性懲りなくポケットを探ったところで「ないんでした……」と肩を落とす。
王都にあるエーアス魔法学園は、魔法大国カルナシアを代表する名門魔法学園である。
私の前世でいう高校と同じで、入学できるのは十五歳から十六歳の少年少女で、修学年数は三年間。魔法の力で世界を開くという校風で、生徒それぞれの才能を伸ばすことを謳っており、特徴のひとつは平民だろうと貴族だろうと入学できるということ。ただし、たとえ貴族でも入学試験を合格しなければ入学を断るため、完全実力主義の学園ともいえる。
余談だが、現時点で平民の生徒はひとりもいないはずだ。入学試験に合格できても、平民だと高い入学金や授業料を払うのは難しい。とんでもない有望株であれば特待生制度でそれらが免除されるが、数年ぶりに特待生に選ばれるのは来年度入学してくるカレンである。さすがヒロイン。
高所に建つ校舎からは、夕暮れに染まっていく古めかしい街並みを一望することができた。
「本当にここは、『ハナオト』の世界なんだなぁ……」
頬に冷たい風を受けながら、呟きを漏らす。アンリエッタに転生していなければ、もっと心躍っていたことだろう。
ふぅとため息をついて、気を取り直す。いつまでも景色に見惚れているわけにもいかないのだ。
私は胸元に垂れる銀色の髪をかき上げて、目の前の階段を上っていく。
一段を上るたびに、繊細なレースのついたスカートの裾がふわりと広がる。白を基調としたエーアス魔法学園の制服は上品でかわいらしい。コスプレ人気が高かったのも分かるというものだ。
それに自分でいうのもなんだけど、ひとつひとつの動作が淑やかである。どうやら記憶は戻っていなくても、アンリエッタの身体に染みついた貴族らしい歩き方や所作は、私も問題なく駆使することができるらしい。
これは助かる、と素直に思う。一般的な中流家庭の生まれだったはずの私が、貴族の令嬢として振る舞うのは不可能だ。すぐに様子がおかしいと周りから疑念を持たれてしまう。
自分の教室の位置もなんとなく分かっていたので、迷わず一年Aクラスの教室へと辿り着く。ドアに手をかけたところで、胸にもう片方の手を当てて深呼吸をした。
「っ……ふぅ……」
落ち着け。落ち着きなさい、私。
推しを前にして理性を飛ばすのはNGだ。今の私は、エルヴィス様のクラスメイトのアンリエッタなんだから。気持ち悪い言動を取って引かれてしまうのは、ぜったいに避けたい。
それでも、このドアの向こう側に彼がいるのだと思えば思うほど、際限なく胸が高鳴っていく。私は意を決して、がらりと教室のドアを開いた。
「あれ? いない……」
広い教室に人の姿はなかった。
とりあえず自分の席で鞄を手に取った私は、にやりと口の端をつり上げる。
「ふっ、エルヴィス。乙女ゲーマー舐めんなよ……?」
『ハナオト』のシステムでは、放課後になるとプレイヤー独自の自由行動を取ることができる。薬学に傾倒しているエルヴィス様の行き先は、自ずと絞られるのだ。
最も確率が高いのが、実験を行う薬学室。次点で薬学の先生や有志の生徒が管理している薬草園。教室から近いのは薬学室なので、まずそちらから見てみるのが無難だろう。
これぞ統計学の勝利である。ふっふふふ、と私は不気味な笑みを浮かべながらスキップして特別棟へと向かう。放課後の遅い時間だからか、他の生徒とすれ違わなかったのだけが救いだ。
そうして薬学室前に到着した私は確信する。教室のドアには実験中のプレートが下げられていたのだ。こんな遅い時間に実験なんてしているのは、十中八九エルヴィス様。乙女ゲームで学んだ。
焦らされたせいもあってか、私は緊張も忘れて意気揚々とドアを開け放っていた。
「エルヴィス様ぁ~!」
「うわッ」
ドアを開けたとたん、こちらに背を向けていた男性の悲鳴が上がる。顔が見えずとも私の鍛え上げられた鼓膜は、一瞬にしてそれをエルヴィス様(人気上昇中の若手声優)の声だと認識したが……同時に、全身が黒い煙に包まれていた。
「わぶっ。な、何これ?」
目を白黒させつつ、とりあえず口元を押さえる。危険なガスとかではないようで、ちょっと吸い込んでしまっても身体に異変はなかった。
「【コール・アニマ】――払え!」
そこに魔法を詠唱する凜とした声が響いたかと思えば、室内を満たしていた煙が勢いよく廊下へと逃げていく。
しかし初めての魔法に感動している暇はなかった。煙が晴れた向こう側で咳き込んだ人物が、髪をぐしゃりと掻きながら大きく舌打ちしたからだ。
「おいおい。こっちは実験中だったつーのに、おかげで手元がくるっちまったじゃねェか。間違いなく調合失敗したぞ」
「ご、ごめんなさい! 人違いで声をかけてしまっ、」
とっさに謝りかけた私だったが、中途半端なところで唇の動きを止めてしまう。
だって――調合台を背にして立っているのは、正真正銘のエルヴィス様だったのだ。
私が見間違えるはずもない、癖のないさらさらの茶髪も、深い翠の目も……。
「なんだ。お前かよ」
「……」
「そういや怪我は平気、じゃなくてなんか言え。人の実験の邪魔しといてダンマリは――」
「…………じゃない」
「は?」
「私の知ってるエルヴィス様じゃない!」
「あ? 何言って」
「私のエルヴィス様を返せ~!」
号泣しながら駆け寄った私は、背伸びをして偽エルヴィスの胸ぐらを掴む。怒りに任せてぶんぶん揺らしてやるつもりが、体幹がいいのか男の身体はびくともしない。
「意味わかんね。そもそもオレ、お前のじゃねえし」
「やめてそのチンピラみたいな喋り方! ほ、本物のエルヴィス様はねっ、純粋で裏表なんかなくて、清らかで穢れを知らないぽやぽや天使ちゃんで、誰に対しても分け隔てなく優しいんだけど、私にだけはとびきり甘くてぇ――っ!」
キャラ崩壊に苦しむ私は両目から滂沱の涙を流しながら、言葉を尽くして語った。
どれほどエルヴィス様が素敵な人なのか。私にとっての憧れであり、愛すべきキャラクターなのか。息切れをする頃にようやく我に返れば、目の前のエルヴィスはすっかり黙り込んでいる。
し、しまった。勢いに任せてとんでもないことを口走ってしまったような。
私がだらだらと汗をかいていると、ふいにエルヴィスが柔和な笑みを浮かべる。
「すみません。驚かせてしまいましたね、アンリエッタ嬢」
何度も画面越しに見つめた笑顔に、私の呼吸が止まる。胸ぐらを掴んでいた手も思わず離してしまった。
「えっ、嘘。エルヴィス様? ほ、ほほ、本物なの?」
やっぱりさっきまでのエルヴィスは、ただの幻? 高熱のときに見る悪夢?
降って湧いた希望に縋りつくように目を輝かせる私の前で、やおら天井を見やったエルヴィス様が顎に手を当てる。
「なるほど、"エルヴィス様"ってのはこんな感じか」
なにて?
私に視線を戻した美青年は、ぺろっと舌を出して意地悪く笑う。
「――案外簡単だな、お前の"エルヴィス様"」
その顔は、私の知るエルヴィス様とはほど遠いものだった。
「……うぇ……!」
こ、この男、私を騙したんだ!
いろんなショックで絶句する私を置いて、エルヴィスは調合台の鍋を覗き込む。
「オレが作ってたのは、人格反転の魔法薬だ。成功例もほとんどない稀少な魔法薬でな。うまく調合できたら自分で飲んでみるつもりだったのによ」
鍋を掻き交ぜながら残念そうに言うエルヴィスの言葉を、立ち尽くした私は繰り返す。
「人格、反転……?」
まず大前提として、今はゲーム本編が始まる一か月前である。
エルヴィスがアンリエッタを助ける出来事自体は、ゲーム内世界でも起こっていたとする。本来のアンリエッタなら、わざわざお礼を言うためにエルヴィスを捜したりはしなかっただろう。
でもアンリエッタに転生した私は彼に会いに薬学室までやって来て、調合の邪魔をしてしまった。エルヴィスは人格反転の魔法薬を作るのに失敗し、それを飲むことができなかった。
じゃあ『ハナオト』に出てくる朗らかなエルヴィス様は――魔法薬によって作りだされた人格だった、ってことなのでは?








