第36話.イーゼラ救出作戦
「いだッ」
「それだけの余裕があるなら平気そうだな」
ふん、とエルヴィスが鼻を鳴らす。彼の目は、すでに私ではなく《魔喰い》だけを見据えている。
エルヴィスが鋭く息を吸う。私は膝のあたりにぐっと力を入れた。
「じゃあ、本番だ。……三、二、一!」
かけ声に合わせて、同時に立ち上がる。
「こっちよ、《魔喰い》!」
わざと大声を上げながら茂みを出て、《魔喰い》に堂々と姿を見せてやる。身を隠せるような遮蔽物がないので、正面から挑むしかないのだ。
《魔喰い》の不気味なひとつ目が、私たちを捉えた。触手のように波打つ数十本の蔓が、こちらに向かって一斉に伸ばされるが――まだ距離がある。私の影にすら届いていない。
「蔓の射程は五メートル弱、か」
エルヴィスは呟きながら、ちょうど五メートルの距離を取ってその場に片膝をつく。先端の尖った木の枝を握った彼は、地面に向かって一心不乱に何かを描き始める。
作戦は至ってシンプルなものだ。
エルヴィスが《魔喰い》を倒すための強力な魔法を準備する。私は、彼が魔法を発動させるまでの時間を稼ぐ。
魔法の有効範囲は、魔法の種類や術者の力量によって決まる。魔法そのものが届かなければ元も子もないので、エルヴィスはぎりぎりの位置に陣取ったのだ。
「どうしたの《魔喰い》。そんなんじゃ私には届かないわよ!」
《魔喰い》の注意を引きつけるために挑発すれば、蔓がざわざわと波打つ。伸びてくるそれを、後ろに下がって避けた。蔓攻撃は素早いものの、距離があるので見切れそうだ。
これならいけるかも、と私がわずかに気を緩めたときだった。
ラフレシアみたいな花部分がもぞもぞと動き、そこから得体の知れないものが発射された。
「うぎゃーっ!?」
まっすぐ、私の顔面めがけて飛んでくる何かに私は奇声を上げつつ、間一髪で避ける。
恐る恐る後ろを見ると、それが当たった木の幹の表面がどろどろに溶けていた。
「な、なにこれ。消化液?」
もしもこれを喰らっていたら、と背筋がぞっとする。
続けざまに《魔喰い》は消化液を繰りだした。私はどうにか攻撃を避けるが、そこで致命的なことに思い至る。
消化液は十メートル以上飛んでいる。この攻撃、私は動き回れば避けられるけど……!
「エルヴィス、危ない!」
「っ!」
《魔喰い》が放った消化液が、その場から動けないエルヴィスに向かって飛ぶ。その攻撃を、エルヴィスは――左腕で受け止めていた。
「エルヴィス……!」
「平気だ。こっちのことは気にすんな」
そんなの信じられるわけがない。青ざめながら注視すれば、エルヴィスは怪我を負ってはいなかった。脱いだ上着を左腕に巻きつけて、盾のように構えたことで消化液を防いだのだ。
ホッとするが、よく見れば早くも上着の一部が溶けかかっている。これでは、何十回も消化液を凌ぐことはできないだろう。
それなのに、エルヴィスは地面から片時も目を離していない。
私だって知っている。魔法を使うためにはそれだけの集中力が必要になるのだ。集中が乱れて線を歪めてしまえば、魔法陣は効力を失って初めから描かなければならなくなるから。
だけどエルヴィスが自分の身も顧みずに行動できるのは、私が《魔喰い》の注意を引きつけると信じているからだ。
それなら私が、ここで踏ん張らないと!
エルヴィスから《魔喰い》の注意を逸らすため、あえて私は前に出る。
完全に蔓の射程内だ。表情のない《魔喰い》だが、ほくそ笑んだような気配を感じた。
地面をばしんと打ち、一斉に蔓が伸びてくる。そのうち一本の先端が、私の頬を掠めた。
「……っ!」
じゅっ、と焼けるような痛みが頬に走るが、歯を食いしばって声を出すのを堪える。エルヴィスの集中力を妨げたくなかったのだ。
エルヴィスから離れた方向に逃げると、消化液が飛んでくる。距離を少し詰めれば蔓攻撃が来た。それを何度か繰り返すうちに読めてきた。ターン制バトルの『ハナオト』らしく、《魔喰い》にも攻撃のパターンがあるのだ。
敵が近づいてきたときは、蔓を伸ばして迎撃。敵が遠ざかったときは、消化液を飛ばして追撃。《魔喰い》にとって優先すべきは接近してきた敵だから、その場合は蔓攻撃が優先となり、消化液は使わなくなるようだ。
となると、私が選ぶべきはひとつだった。
私は地面を蹴って、《魔喰い》に向かって一心不乱に駆けだす。
「おい、アンリエッタ!?」
地面を蹴る足音で気づいたらしいエルヴィスが叫ぶが、振り返らずに答える。
「心配しないで、私は大丈夫だから!」
叫んでから、さっきのエルヴィスと似たようなことを言っちゃったな、と少しおかしくなった。
こんなときに笑えてしまうのは、大量のアドレナリンが出ているからだろうか。頬だけじゃなく、すでに肩や膝にも何回か蔓を喰らって血が出ている。交通事故とかでも、時間が経ってから痛みを実感するっていうもんね。
果敢というより無茶な突撃を試みる私に、数十本の蔓が襲いかかってくる。一般的な運動能力しか持たない私は呆気なく波状攻撃に捕まり、右腕に蔓が巻きついた。
「うっ」
そのとたん、くらりと身体から力が抜けそうになる。
これが強制的に魔力を吸われる感覚なのか。不快極まりない感触に耐えながら歩を進め、私はさらに《魔喰い》へと近づいていく。
蔓の攻撃力自体は大したものじゃない。その理由は《魔喰い》がその名の通り、相手の魔力を吸うことに特化した魔獣だからだろう。
つまり蔓に捕まってさえしまえば、それ以上の攻撃は加えられないということだ。あとは《魔喰い》の注意が、エルヴィスに向かないようにだけ気をつければいい。
とうとうイーゼラの傍までやって来た私は花畑に膝をつくと、彼女の肩を全力で揺さぶる。
「イーゼラ! イーゼラ、起きて!」
「う、うぅ……」
「ほら、早く起きてってば! 助けに来たよイーゼラ! 起きろー!」
「うううぅ」
ぐったりしていたイーゼラだが、必死に呼びかける私の声に気づいたらしい。その両目が焦点を結んだかと思えば、信じられないものを目にしたように見開かれる。
次の瞬間、私は思いっきり怒鳴られていた。
「アンリエッタ・リージャス!? あなた、こんなところで何をやっていますのっ!?」
う、うるさ!
耳がキーンとするほどの大声に、私はささっと左手で耳を塞ぐ。








