第34話.決意
「話せよ。歩きながらでいいから」
気がつけば私はエルヴィスと一緒に校舎まで戻りながら、自分の考えについて話していた。
「なるほどな。それでハム先生の研究室に向かってるわけか」
何か考え込んでいたエルヴィスは、素っ気ない口調で言う。
「なら一緒に行く」
「えっ?」
「無関係じゃねーんだろ、オレも」
可能な限りぼかしたのに、エルヴィスは現状を正しく把握したようだった。あれだけイーゼラに好意を露わにされていれば、察せざるを得ないのかもしれないが。
「……ありがとう、エルヴィス」
意図せず巻き込んでしまった形になるが、エルヴィスの申し出はありがたかった。問題児で通る私がひとりで行動するより、優等生のエルヴィスがいてくれたほうが格段に動きやすくなるからだ。
生徒が授業を行う教室棟の隣には、渡り廊下で繋がった特別棟がある。学園の教師は、ここにそれぞれ研究室を持っているのだ。
ハム先生の研究室を訪ねると、室内から返事はなかった。私とエルヴィスは顔を見合わせ、「失礼します」と断りながらドアを開ける。
書架に囲まれた研究室の机には、本の山がいくつもできていた。崩さないように気をつけながら側面を回ってみると、そこでハム先生を発見する。
「あっ」
小柄な老爺は本の山に埋もれているせいで、入り口から見えなかったようだ。
ハム先生は、すやすやと寝息を立てて気持ち良さそうに眠っていた。椅子に反り返るように眠る彼の胸元を確かめて、私は唇を噛む。
「迷宮図書館の鍵がない」
「……この紅茶、かなり強力な眠り薬が煎じられてるな。たぶん、イーゼラ嬢が盛ったんだろ」
湯気のほとんど出ていないお茶のにおいを嗅ぎ、エルヴィスは厳しい面持ちをしている。
「お前の推測通り、イーゼラ嬢は鍵を盗んで迷宮図書館に向かったってことだ」
それは、最悪の事態が進行していることを意味していた。
絶句する私から視線を逸らし、エルヴィスはハム先生の肩を何度か叩いて揺さぶる。先生はむにゃむにゃ言うばかりで、起きそうもない。
「薬が効きすぎてる。こりゃ当分起きねェな、他の教師を呼ぶぞ」
「でも、エルヴィス。それじゃイーゼラは……」
凪のような翠の目に見つめ返されて、私は言葉に詰まる。エルヴィスは淡々と言う。
「オレたちだけじゃ《魔喰い》には敵わねーよ」
「イーゼラを、見殺しにするってこと?」
責めるような口調になってしまったのを、私は悔やむ。それでも言葉は止められなかった。
「だって、あの迷宮の書には一年生しか入れないんでしょ? 先生たちじゃ、本の中には入れない。イーゼラを助けられない……」
『小さな木に初級魔法を当ててみよう』と同じだ。どんな迷宮でも、その世界に入るためのルールが事前に設けられている。
そしてイーゼラの手にしていた本のタイトルは――『一年生のための薬草図鑑』。
つまり、あの本に入るための条件は魔法学園の一年生であることなのだ。それでは、実力のある上級生に助けを求めることもできない。ラインハルト、ノアやシホルでも不可能だ。
それに今から一年生の有志を集めようにも、学年で最も実力のあるエルヴィスが勝てない相手だと断言しているのだ。他に誰を頼ればいいというのだろう。
唇を噛み締めていると、誰かの声がする。しばらくぶりに聞こえるアンリエッタの声だ。
――もう、いいじゃない。
私もそう思う。もう、いいんじゃないかなって。
できる限りのことはやった。エルヴィスの言う通り、あとのことは先生たちに任せるべきだ。
そもそも、ゲームにおけるアンリエッタの役割はチュートリアルで死ぬ令嬢。生き残るには自分のことだけで精いっぱいで、他人にいちいち構う暇なんてない。
イーゼラがどうなろうと知ったこっちゃない。魔力を失おうと、廃人になろうと、学園にいられなくなろうと、どうだっていい。
そもそも私はイーゼラと仲がいいわけじゃない。むしろ嫌われていて、いやみなことだってたくさん言われた。あの子と話すとむかつくことばかりだ。
でも別に、私はイーゼラのことが嫌いじゃなかったりする。
他の生徒とイーゼラは、ちょっとだけ違う。露骨すぎる悪意はいっそ清々しいし、イーゼラから売られる喧嘩は正面切ってのものばかりだ。
だから――。
「エルヴィス。私、行ってくる」
そうはっきり宣言したとたん、心がすっと軽くなった気がした。
「どこに?」
短い問いに、私は即答する。
「迷宮図書館に。イーゼラのところに行ってくる」
そう決めたからには、一分一秒を無駄にできない。歩きだそうとする私の手を、エルヴィスが掴んだ。
「乗りかかった船だ。オレも行く。一年の間に一回くらい、《魔喰い》に挑戦したいと思ってたしな」
付け足された理由が私を気遣ってのものかは分からなかったが、安易に頷くのは憚られる。
「迷宮内では何が起こるか分からないもの。エルヴィスは先生たちに助けを」
「アンリエッタ」
真面目な口調で呼ばれれば、意識的に逸らしていた目が彼に引き寄せられる。
「お前よりオレのほうが魔法の練度が高い」
「!」
悔しいが、エルヴィスの指摘通りである。
「むしろお前は、ここに残っとけ」
「っそんなのむり!」
弾かれたように返せば、エルヴィスが我が意を得たりというように頷く。
「だろ? じゃあ、二人で行くしかねェな」
「エルヴィス……」
それでも私は悩んでいた。
もしもこれでエルヴィスの身に何か起きてしまったら、取り返しがつかない。そう思ったとき、根本的な思い違いに気づく。
だって私は、自分の運命を変えようとしてゲームに抗っている真っ最中じゃないか。
そのためには、エルヴィスを巻き込んで――イーゼラの運命だって一緒に塗り替えるくらいじゃなきゃ、きっと足りない。
私は迷いを振りきるように、自身の胸をどんと叩いてみせた。
「じゃあ、もしエルヴィスに何かあったときは、私が責任を取るから!」
エルヴィスがぽかんとする。
「……あ? それって、お前」
「エルヴィスが心を喰われたときは、私が介護する。朝は顔を洗って髪を梳かすし、ごはんはフーフーして食べさせる。おむつも替える。夜は子守歌を歌って絵本を読む!」
心を喰われる、というのがどんな感じなのかはほぼ想像だったが、それを聞くなりエルヴィスはため息をついて肩を竦めた。
「そりゃお前にとっては単なるご褒美だろ」
「そうとも言う!」
自信満々に認めてから、同時に噴きだす。下らないことで笑い合えれば、張り詰めていた空気が少しだけ緩んでいた。
エルヴィスが掴んでいた私の手を離して、ふっと笑う。
「行くぞ、アンリエッタ」
「うん!」








