第33話.焦燥
善は急げである。その日の放課後、私はさっそくエルヴィスのもとに向かった。
「エルヴィス様、すみません。少しお話ししたいことがあるんですけど……」
「おや、アンリエッタ嬢。どうしたんですか?」
席についていたエルヴィスが穏やかに小首を傾げる。エルヴィス様の演技にどんどん磨きがかかってきていて、感心させられた。次のジェネリック処方にも期待が持てそうである。
ただし彼の周りの女子生徒から私に向けられる視線は、びっくりするほど冷ややかなものだ。人当たりが良くなってからというものの、エルヴィスが女子生徒から話しかけられる姿をよく見かけるようになった。
「えっと、できれば二人で話したくてですね」
「それなら、少し冷えるかもしれないけど中庭に行きましょうか」
他の子たちはついてきたそうにしていたが、そこはエルヴィスが「また明日」と微笑むことで収めてくれた。このあたりの察しの良さというか、人心掌握術は『ハナオト』のエルヴィス様にはなかったけどね。そこがかわいいのだ。
季節柄、少し寂しげな中庭のベンチに並んで座るなり、エルヴィスが口を開いた。
「んで、なんの用だ。オレに告白か?」
「誰がっ!?」
どうしたらそんな発想になるのか。
というか本当に天使から悪魔への落差が激しすぎる。ベンチの背に寄りかかったエルヴィスは、長い脚をこれ見よがしに組んでみせる。
「違ったか。最近はそれで呼びだされることが多いから、てっきり」
モテていると露骨に明かすエルヴィスを、私は鼻で笑う。
「女子に激モテで調子に乗っているみたいね。さっきも鼻の下伸ばしちゃって」
「そりゃ、オレに話しかけたときのお前のことだろ」
「そんなばかな」
はははと笑って返す。さすがの私も、人前でデレデレとだらしない顔はしない。
「触ってみろよ」
「そんなばかなー!」
私は後ろを向いて、鼻の下に指で触れてみた。
あ、本当にちょっと伸び……って、こんな話をしている場合じゃない。姿勢を元に戻すと、私は用件を切りだした。
「ねぇエルヴィス。前に幻の薬草のことを話してたよね」
「ん? あー、魔喰い花のことか」
魔喰い花。どこかで聞いたことがあるような、と思いながら尋ねる。
「それって、迷宮の書以外だとどこで手に入るの?」
意気込む私を前に、頬を掻いたエルヴィスが言う。
「あれはもう絶滅してるから、特定の迷宮以外の場所では入手できねェけど」
「えっ」
「オレが調合に使ったのは運良く手に入ったやつだが、数年かかってようやくひとつだからな。それくらい稀少価値があるっつーこと」
よくよく考えれば、エルヴィスはリージャス伯爵家以上に裕福なハント辺境伯家の生まれである。お金の力だけでどうにかなるなら、とっくに追加で入手しているだろう。
「じゃあ、やっぱり迷宮に入らないとだめなんだ」
「いんや、それもむり」
ん? どういうこと?
首を捻っていると、しかめっ面のエルヴィスが言う。
「むりっつか、今のオレの実力じゃ手が届かねェんだよ」
「でもエルヴィスは、一年生なのに全属性の魔法が使えるんでしょ?」
「それくらいじゃまともに戦えねーよ。魔喰い花ってのは、つまり《魔喰い》のことだからな」
その名前を聞くと、なぜか背筋がぞわっとする。
「《魔喰い》は土と闇の属性を持つ魔獣だ。魔喰い花ってのは、《魔喰い》を倒すことで手に入る種子を使って育つ花のことでな。この花を育てるのも難しいが、それ以上にヤバいのが《魔喰い》だ。最初はあの本の中に、危険な魔獣は出なかったらしいが……調子に乗って薬草を乱獲して売りさばく一年生が続出したらしくてな。いつしか《魔喰い》っつー怪物が生まれちまったらしい」
気楽に薬草を摘む生徒が多かったせいか。あるいは、生徒自体の出入りが激しい迷宮だからこそ新たな魔獣が生まれてしまったのか。
渋い顔のまま、エルヴィスは説明を続ける。
「その名の通り《魔喰い》は相手の魔力を喰らう。魔力ごと心を喰われちまえば、その魔法使いは廃人同然になる」
「魔力と、心を……」
私は、エルヴィスの解説に重ねるようにノアから聞いた話を思いだしていた。
魔力をなくしたいと言う私に、ノアは安全に魔力を失う方法はないと答えた。つまり安全でなければ、この世界には魔力を失う方法があったのだ。
まだエルヴィスは何か話していたが、耳に入ってこない。とんでもなく重大なことに気づいてしまったからだ。
私はイーゼラに、悪役令嬢なんてあだ名をつけていた。
でも彼女が恋するエルヴィスルートにも、他のルートにも、イーゼラなんて名前の女の子は登場しない。あんなにクラスで目立つ生徒であるにもかかわらず、だ。
その理由は――ゲーム本編が始まった時点で、イーゼラが学園にいなかったから?
だってクラスの人数が二十一人と中途半端なのも、それなら説明がつくのだ。イーゼラが学園を去って二十人。アンリエッタが魔に堕ちて十九人。そこにカレンが加われば、Aクラスはちょうど二十人に落ち着くのだから。
頭の中で辻褄合わせを終えたとき、私は全力で走りだしていた。
中庭を横切る形で寮へと向かう。後ろからエルヴィスの声が聞こえた気がしたが、振り返る余裕はなかった。
数時間前、私はイーゼラの企みに気づいていることをほのめかしてしまった。負けん気の強いイーゼラのことだから、あれで諦めるはずがない。むしろ邪魔をされないようにと、作戦の決行を早めてしまうかもしれない。
イーゼラは一時の熱に浮かされているわけではなく、本気でエルヴィスのことを慕っているのだろう。だから彼の力になりたくて、魔喰い花を手に入れようとする。
でもその結果、イーゼラはエーアス魔法学園からいなくなる。
息を切らしながら女子寮に入り、焦る気持ちを抑えて一階の部屋から順番に見ていく。イーゼラと仲の悪い私は、彼女の部屋番号を知らなかった。
寮内を走り回り、二階の突き当たりでようやくイーゼラの名前を発見した。
どんどんとドアを激しく叩きながら、ドア越しに呼びかける。
「イーゼラ、いる? 私よ、アンリエッタ! お願いだから開けて! ねぇ、イーゼラ!」
何度も何度も呼びかけていると、室内で小さな物音がした。
ハッとして身体をどけると、ようやくドアが開く。だが顔を見せたのはイーゼラではなく、煩わしげな顔をした女子生徒だった。
「イーゼラは!?」
イーゼラのルームメイトだろう彼女に尋ねると、口ごもりながら「いないけど」と返事がある。
「いないって、じゃあどこに? 行き先は?」
「そんなの、急に言われても」
「心当たりはないっ?」
詰め寄る私に気圧されたように、女子生徒はドアを閉めてしまう。部屋の中から「なんなのよ、もう」と苛立ったような声がしたときには、私は踵を返していた。
寮に戻っていないなら、イーゼラがいるのはハム先生の研究室だろうか。
たぶんイーゼラはハム先生が持つ迷宮図書館の鍵を奪おうとしている。正面から頼んだところで貸してもらえるはずがないので、何かの手段を用いて先生の隙を突こうとしているはず――!
「アンリエッタ!」
寮から飛びだした私は、そこで立ち止まる。
「エルヴィス……」
「どうした。急に血相変えてよ」
エルヴィスは女子寮には入れないので、建物の外で私が出てくるのを待っていたようだ。
すぐには何も言えずにいると、そんな私の顔を見たエルヴィスが顔を顰める。
「……おい。何があった?」
その一言に、瞳が揺れたのが自分でも分かる。
迷宮図書館で落ち込んでいたときもそうだ。ぶっきらぼうなくせに、意地悪なくせに、エルヴィス様とはぜんぜん違うくせに。
どうして――私がどん底にいるとき、いつもエルヴィスは来てくれるのだろう。








