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【書籍②発売】最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!【コミカライズ連載スタート】  作者: 榛名丼
第1部

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第29話.変わった温度


 よく通る声がいつになく柔らかく聞こえる。まるでカレンと出会ったあとのラインハルトのようだと、少しだけ思った。


「本編のみならず、ドラマCDを履修してましたから」

「本編? ドラマシー?」

「……ではなく。暗殺者の足首にドロメダ教の刺青が見えたので、私の格好が役立つかもと」


 ほう、とラインハルトが感嘆の吐息を漏らす。


「大した観察眼だな。あの数秒間でそこまで読み取るとは」


 嘘八百だが、カルナシアで捕らえられる暴徒の足首には例外なく刺青があるとゲーム本編で言っていた。この嘘が見抜かれることはないはずだ。


「だがドロメダ教のことも知らないのに、なぜ刺青のことを知っているんだ?」


 あれ? もう見抜かれた?


「わ、私の中に眠っていた知識を呼び起こしただけです。ピンチはチャンスといいますからね。火事場の馬鹿力ともいいます」


 私が苦し紛れの言い訳をすると、ラインハルトは変に突っ込んできたりはしなかった。


「それはまぁいいが、なぜ俺を助けた。今まで、いろいろといやみな態度を取った自覚はある。お前に命がけで助けられる理由が分からないんだ」


 困惑が強い様子のラインハルトだが、私が答えを悩む必要はない。


「あなたが立派な王太子殿下だからです」


 きっぱりと返せば、ラインハルトは意表を突かれたように目を見開く。


「とっさの判断で民を庇うところを見て、強く思いました。あなた様は、こんなところで倒れていい人ではないと。これからたくさんの人の期待を背負って、たくさんの人の未来を守るために生きていく人なのだと」


 ラインハルトルートのエピローグでは、カレンを妃に迎えた彼が、国民の信頼厚い立派な為政者になった姿が描かれている。他のルートで彼がどうなるのかは分からないけど、悪政を敷くということはさすがにないだろう。


「個人的にラインハルト殿下にいろいろ思うところはありますが、それとこれとは話が別ですから」


 それまで固まっていたラインハルトが、眉根を寄せる。


「あるのか、いろいろ」


 まずい。うっかり口が滑った。

 だが両手で口元をさっと隠す私を怒鳴りつけてくることもなく、ラインハルトはどこかばつが悪そうに私を見つめる。燃え上がるように美しい瞳の中心には、私の姿が映しだされていた。


「とにかく、だ。――助けてくれてありがとう、アンリエッタ」

「……!」


 そんなふうにまっすぐ、真摯なお礼を言われるとは思わなくて、私は言葉に詰まる。

 たぶんそのときの私は、自分でもびっくりするくらい嬉しかったのだと思う。

 アンリエッタに転生してから失敗の連続だったけど、そんな私でも――初めて誰かの役に立てた気がしたから。


 私は胸に込み上げてくる嬉しさを形にするように、にっこりと笑みを浮かべていた。


「もったいないお言葉です」


 すると見上げる先で、ラインハルトの頬が徐々に赤くなっている。見ているうちに逆上せたような色になっていたので、私は目を丸くした。

 なんだか林檎みたいだと思う。髪も目も、顔まで赤くしたラインハルト。普段はあんなに偉そうなのに、今だけはやたらと幼げに見える。


「殿下? どうされました?」

「い、いや。なんでもない」

「でも、真っ赤ですよ。まさか毒にやられたのでは」


 ドラマCDではそんな展開はなかったはずだが、暗殺者が毒を隠し持っていたのかもしれない。おろおろする私に、ラインハルトはムキになったように激しく首を横に振る。


「やられてないと言ってるだろう! それより、怪我はしていないのか?」

「え? 怪我?」


 ていうか声でかいな。


「ああ。簡単な傷なら俺にも治せるからな」


 そういえばラインハルトは、炎魔法の次に光魔法を得意としていた。でも別に身体に痛いところはない。


「特に怪我はありませんよ。髪の毛を数本切られただけ……」

「髪の毛だとっ!?」


 鼓膜が破れるくらい大きな声を出したラインハルトが、急に距離を詰めてくる。それに驚いた直後、自分のものではない大きな手が頬に当てられていた。


「このあたりか。確かにここだけ短くなっているな」


 皮膚の分厚い指先が、確かめるように私の髪ごと頬に触れている。その感触にびゃっと私は跳び上がり、赤くなりながら身を引いた。


「へ、平気ですよ! 髪の毛の十本や二十本くらい!」

「何を言っている。女性にとっては大事だろう」


 さらりと返されて言葉に詰まる。確かに、貴族令嬢だったら大騒ぎするべき場面なのかも。自慢の縦ロールを持つイーゼラとかだったら失神してそうだ。


「私は気にしませんので。どうぞお構いなく!」

「そういうわけにいかないだろう!」


 再び迫ってくるラインハルトから逃げていると、背後からノアの声がした。


「アンリエッタ、俺は殿下を王城へお送りする。シホルを護衛につけるから、買い物は切り上げて屋敷に戻れ」


 今日は非番だったノアだが、急遽ラインハルトの護衛につくことになったようだ。他に暗殺者が潜んでいないとも限らないので、【王の盾】を指揮する立場にある彼がそうするのは必然だろう。


 私はといえば返答に迷ってしまう。まだノアへのプレゼント、買えてないんだよね。

 そんな躊躇を、ノアは即座に見抜いたようだった。


「まだ何かあるのか」


 しかしここで「お兄様へのプレゼントを買いたいんです」と答えるのは憚られる。プレゼントってサプライズ感があったほうが喜ばれるものだし、襲撃に巻き込まれたのに自覚が足りないと怒られてしまう可能性もある。好感度を上げるどころか下げる結果になったら大惨事だ。


 どうしたものかと困っていると、それまで放置していたラインハルトに腕をぐいっと引っ張られる。そんなに強い力じゃないので大人しく従うと、ノアたちには背を向けて、少し離れた位置に連れてこられた。


「何か事情があるのか」


 内緒話のつもりなのか、小声で尋ねられる。

 うーん。何かの解決になるわけじゃないけど、ラインハルトになら話してもいいかな。


「実は、お兄様へのプレゼントを買いたくてですね」


 ひそひそ声で明かすと、ラインハルトは少し悩んだあとに頷く。


「そうか。それなら、俺が一緒に行ってやってもいい」

「はい?」


 戸惑う私を尻目に、振り返ったラインハルトはノアに向かって言う。


「ノアさん。少し用事があるので、あともう一店だけアンリエッタと寄ってもいいですか」


 めちゃくちゃなことを言いだすラインハルトに、ノアは訝しげに眉を寄せているし、【王の盾】の面々は一様に困った顔をしている。護衛対象が襲われた帰りに後輩と寄り道したいとか言いだしたのだから、当然だろう。


「だ、だめです殿下」


 思わず袖を引っ張って、また広場の隅っこまで移動する。


「なぜだ。何がいけない?」


 ラインハルトは何がだめなのか分からないという表情で、顔を近づけてきた。

 ちょちょちょ、だから近いんだって。いくらラインハルトでも美形に近づかれると、こっちは弾みで心臓止まりそうになるんだから。

 私は興奮した動物を落ち着けるように両手を前に出しながら、真横に一歩分移動する。


「ラインハルト殿下。お兄様のことが好きすぎるのは分かりますが、【王の盾】の皆さんも困っています」

「……え?」

「お兄様へのプレゼントのことは気がかりでしょうし、殿下のご提案はありがたいです。でも、今日はまっすぐ帰ったほうがいいと思います。ラインハルト殿下は、臣下を困らせる暴君ではないのですから」


 不敬に取られないかと心配になりつつ、そう諫める。

 きっと忌々しげな舌打ちといやみが返ってくるだろうと覚悟していたが、ラインハルトはどこか呆然とした面持ちをしていた。


「で、殿下?」


 呼んでみると、我に返ったように瞬きを繰り返している。かと思えば急速に顔が赤く染まっていった。


「あ、ああ。そうだな。俺は、ノアさんのことが好きだからな!」

「そうですね」


 私は緩やかに頷いた。殿下がノアオタクであらせられるのは、よく知っておりますとも。


「だ、だから、つまり――勘違いするなよアンリエッタ・リージャス。俺はお前のことが気になるとか助けたいとか、そういうことを思ったわけではない! 断じて違うからな!」


 どんなに勘の悪い人でも、そんな勘違いをすることはないので安心してほしい。

 指さされても生温かい目で見上げていた私だったが、それにしてもラインハルトの顔が赤い。煌々と燃えるような目の色に負けないくらい赤い。


 やはり毒か、毒なのかと警戒するが、気分が悪いわけではないらしく、口元を手の甲で覆い隠したラインハルトはごにょごにょと続ける。


「その、そ、そうだ。ノアさんへのプレゼントのことが気になるから、今度、何を贈ったのか詳しく教えてくれ」

「は、はぁ。それはいいですけど」


 本音を言うといやだったが、ここで断ればノアオタクは暴れだすかもしれない。大人しく了承しておいた。

 納得したラインハルトは、ノアを始めとする【王の盾】に周りを固められて去っていった。大通りに馬車を待たせてあるのだろう。


 そういえば今日のラインハルトは、ノアを目の前にしていたのにゲームと比較すると静かめだった気がするな。『ハナオト』のラインハルトだったら、ノアがいるだけで「ノアさんノアさん!」と尻尾を振るように騒ぎ立てていたはずだけど、それだけ襲撃のショックが大きかったのかも。


 私はといえば、しばし立ち尽くして飴色の夕陽を見上げていた。街に遊びに来てから相応の時間が経っていることを実感すれば、今さらのように身体が重くなる。


「あたしたちも行きましょうか、お嬢様」

「うん、そうね」


 キャシーに声をかけられた私は、よし、と頬を叩いて気合いを入れ直す。

 今は疲れている場合じゃない。屋敷までの護衛を務めてくれるシホルに理由を話して、お店に寄ってもらおう!



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