第23話.ジェネリック処方2
いくばくかの冷静さを取り戻した私は、三ページを消費したところで満足する。ページを破って、エルヴィスにそっと手渡した。
「そこに書いたことを、精いっぱいの思いやりを込めて唱えながら私を励まして。想像を膨らませるために両目を閉じておくから、むりに表情は作らなくていいから!」
「…………」
一ページ目に目を落としたエルヴィスの表情筋は完全に引きつっている。自分がとんでもない事態に巻き込まれていると思い至ったらしい。
「おい、これ。おま」
「一生のお願いだからー!」
私はその場に身を投げだすようにして土下座する。
勝手なことを言っている自覚はあった。普段はエルヴィス様の振りをしているエルヴィスにうんざりしているくせに、調子良く彼を利用しようとしているのだから。
もうエルヴィスはちんぷんかんぷんだろう。呆れて帰ってしまうかもしれない。私の妄想癖をクラスで言い触らすかもしれない。
それでもいいと思う。すると一世一代の覚悟で待ち続ける私の耳に、こほん、と咳払いの音が聞こえた。
それだけで心音が、怖がりの兎のように跳ねる。
両目を閉じたまま居住まいを正す私の耳朶に、さらに響くのは。
「……アンリエッタ嬢。アンリエッタ嬢は、いつもがんばってますね」
「っ」
「がんばりやのアンリエッタ嬢は、とっても偉いです」
エ、エ、エルヴィス様だぁあっっ……!
感激と興奮の声が漏れるのを押さえるために、私は口元に両手を当てる。閉じた目蓋の合間からは涙がにじんでいる。きゅううううん、と胸の真ん中がトキメキの鐘を鳴らし、全細胞が喜びの声を上げているのが分かった。
男性にしては少し高めの声は、耳にしているだけで心地よい。演じるエルヴィス自身の照れがあるのか、やや舌っ足らずな口調もヒロインと出会ったばかりで甘さより羞恥心がにじんでいた時代のエルヴィス様の再現度が高く、非常にポイントが高い。点数をつけるなら控えめに見積もって百億点満点。
「あなたはとても素敵な女性です。まぶしくて、ときどき直視できないほどに」
ヤバい。幸せ三大ホルモンがどばどば放出されている。
「そんなあなたでも、辛くて、めげそうになるときがあるかもしれません。でもそんなときは、僕のことを思いだしてください。僕も、いつだって……あなたのことを、想っていますから」
むしろ麻薬? 麻薬かな?
私はさらにその声をよく聴こうと、やや前傾姿勢になりながら全神経を集中させて意識を研ぎ澄ませる。ここから後半戦が始まるのだ。一字一句聞き逃さず、脳髄に刻まなければ。
そんなことを決意した直後。
「っ……?」
鼻先を森林の香りがくすぐる。なぜか私は、抱きしめられていた。
え? 何事? 驚いて身動ぐが、エルヴィスはびくともしない。
さすがに、抱きしめてほしいなんて紙に書いた覚えはない。混乱のまま心臓が高鳴るが、背に回された腕は優しく、温かかった。
その腕に包まれていると、次第に、自分でも不思議なくらい心が安らいでいく。
そんな私の耳元をくすぐるように落とされるのは、紙に書いた通りの言葉だ。
「きっと大丈夫。あなたなら、どんなことでも乗り越えられます。僕が見ています。あなたの傍に、いますから」
その響きには、演技とは思えないほど強い思いが込められている気がして、また胸がドキドキしてしまう。
そんな私の髪を撫でながら、エルヴィスが続ける。
「あなたは、死んだりなんてしません」
書いた覚えのないことを囁かれれば、私は思わず息を呑む。
もしかして、エルヴィスには私の独り言が聞こえていた?
チュートリアルという言葉の意味は分からなかっただろうけど、何か大きな不安を抱えていることには勘づいたのかもしれない。それで、こんなふうに抱きしめてくれたのだろうか。
だとしたらエルヴィスは、エルヴィス様には負けるけど……私が思っているよりは、優しい人なのかもしれない。
どちらからともなく私たちは身体を離す。目を合わせられないまま、私は声を絞りだした。
「あり、がとう。かなり、元気になったかも」
まさかエルヴィスが、ここまでしてくれるなんて思わなかった。ジェネリック・エルヴィスのリップサービスはあまりに手厚かった。
すると身体を離すなり後ろを向いたエルヴィスは、ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き乱している。不審に思って見つめれば、ひとつの変化に気がつく。
「どうしたのエルヴィス。耳、赤いけど」
乱れた茶髪の間から見える耳が、朱の色に染まっている。
「……なんでもねーよ」
すっくと立ち上がった背中が歩きだしてしまうので、私は焦って声をかける。
「あのっ、今日のお礼。私にできることなら、なんでもするから!」
「いい。弱った女に何か要求するほど、落ちぶれちゃいない」
「遠慮しないで! また頼むと思うから!」
漫画のようにエルヴィスが転けた。
ようやく振り返った彼の顔は、びっくりするくらい真っ赤っかである。
「ッおい。さっき一生のお願いって言ってただろ!」
「だって、ドキドキしたけどすっごく落ち着いたし、幸せだったから。ジェネリックでも効き目十分だった。というか最高だった!」
目の前の問題は何も解決したわけじゃない。それでも推しの温かな言葉の数々が、こんなにも私を元気にしてくれた。
そんな感激を込めて心からの感想を述べれば、エルヴィスは大きな手で自分の顔を覆っていた。
「お前、マジでさぁ……」
「え? なに?」
にこにこしながら首を傾げれば、ジト目をしたエルヴィスが盛大なため息をつく。
「なんでもない。じゃーな、アホ」
「あっ、ちょっと。エルヴィス?」
それ以降は呼んでも振り返らず、エルヴィスは本棚の間をすり抜けて去ってしまう。
今だけは、もうちょっと話したかったのにな。普段は飄々としているが、慣れない真似をしてエルヴィスなりに照れていたのだろうか。
「あいつも、少しはかわいいところがあるじゃない」
その後、しばらくエルヴィス・ジェネリックの記憶を反芻して悶えまくってから、私はクラスメイトのところに戻ろうと立ち上がる。
来たときと同じように変わり映えのない館内を歩いていると、前方をさっと横切る人影があった。
ん? 今のって、イーゼラ?
本棚の影からそぅっと顔だけ出して様子を窺うと、珍しくひとりのイーゼラはこそこそと本棚の間を動き回っている。
どう見ても怪しい。こそ泥のようだ。
私はなんとなく足音を殺して、イーゼラのあとを追う。幸い気づかれることはなく、イーゼラはとある本棚の前で立ち止まった。
本棚に張りつくように背表紙に目を走らせたかと思えば、ひとつの本を手に取る。すると隠しきれない高揚感をにじませて、小さな歓声を上げた。
「ありましたわ、これですわね! この本さえあれば、エルヴィス様もわたくしを――」
「イーゼラ?」
横合いから声をかけてみると、イーゼラが振り返る。
「んまっ。アンリエッタ・リージャス!」
私を視認したとたん、イーゼラの厚い唇の形がンゲェーという感じに歪む。いやがりすぎでしょ。
取り乱しながらも本を戻すイーゼラを見つめて、私は首を傾げた。
「こんなところで何してるの?」
「別に、なんでもありませんわ!」
「いだっ」
わざと私に肩をぶつけて、イーゼラが去っていく。
相変わらず腹立つなぁ、悪役令嬢。私は痛む肩をさすりながら、本棚を見上げた。
ええっと、イーゼラが見ていた本はこれだったかな?
背表紙に書かれた掠れがちのタイトルは、『一年生のための薬草図鑑』。きっといろんな薬草が出てくる迷宮なんだろうな、と簡単に想像がつくものだ。
だが手に取ってみると、タイトルの取っつきやすさとは真逆に――その本は、何十本もの太い紐で縛られて厳重に封印されていた。
表紙を眺めるだけで、背筋がぞわりとする。危険すぎる何かが、この本の奥から私のことをじぃっと見つめている気がした。
私は慌てて本を本棚に戻した。あと一秒でも長く触れていたら、指先さえ本に侵食されてしまう。そんな恐ろしい予感がしたからだ。
そういえば、とそこで私は思いだす。午前中にエルヴィスが話していたことを。
『この前、魔法薬学の先生が言ってたんだけどな。迷宮にある本の中でしか手に入らない、幻の薬草の話』
そして先ほどの、意味深なイーゼラの発言。
『この本さえあれば、エルヴィス様もわたくしを――』
……いやいやいや。まさかね。
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