第18話.悪役令嬢の登場
講義に使われる教室の多くは、席が後方に行くにつれ階段式に高くなっている。どこに座っても黒板や教師の姿が見えやすいのが利点だが、逆にいえば居眠りがバレやすい。いや、私は居眠りなんてしないけど!
席は自由なので、好きなところを選んでいい。空いている席を探そうとすると、教室中からいくつか刺々しい視線を感じた。
目が合うと、だいたいの視線が逸らされる。エルヴィスと歩いていたのを見られていたのだろう。
攻略対象に選出されていることからも当然なのだが、家柄・容姿・魔力と三拍子揃ったエルヴィスは周囲からも注目される立場で、端的に言うとものすごくモテるのだ。
付け加えて、最近のエルヴィスは誰相手にもエルヴィス様モードを解禁していた。どうやら味を占めたらしい。
今までは静かで無口、クラスでも不思議と目立たなかった美青年が、話してみれば物腰穏やかで人当たりがいいと判明したのである。知る人ぞ知る魅力的な人物だったのが、一気に人気が出るのもむべなるかな、だ。まぁそれ、みんな騙されてるんだけど!
そしてアンリエッタは、彼とは逆の意味で注目を浴びやすい。
「また暫定・花乙女が、性懲りもなくエルヴィス様につきまとっているようですわね~」
教室中に、その鬱陶しい声が響き渡る。
私はうんざりしながら、こちらを見下ろす彼女に目を向ける。
……そうだ。この授業も、あの子と一緒だったんだっけ。
前述したように、アンリエッタのカリキュラムの基準は授業の気楽さにある。出欠席の取られない授業、提出物のない授業などを優先した彼女のカリキュラムは、一言でいうとごちゃごちゃしている。一貫性なく、あちこちに中途半端に手を伸ばしているような感じだ。
つまり進路や興味のある分野が定まっていないほど、アンリエッタと同じ授業を取る確率が必然的に高くなり――その中でも顔を合わせる機会が多いのが、とあるクラスメイトだった。
「あら、イーゼラ……ごきげんよう」
私は失礼なことを大声で言ってのけたクラスメイトに、形ばかりの挨拶をする。
イーゼラ・マニ。マニ伯爵家の令嬢だ。普段から取り巻き……ならぬ友人たちに囲まれて過ごしていることが多く、この魔法古語学の授業でも二人の友人を連れている。
私はそんなイーゼラに、密かにあだ名をつけていた。
その名も「悪役令嬢」である!
だってイーゼラは縦ロールの金髪、高飛車な喋り方と、いかにも悪役然とした令嬢なのだ。
乙女ゲームには、ちょっと意地悪な女の子がたまに登場するものである。「ちょっと、〇〇様に近づかないでよ」「あのお方に、あんたみたいな女は相応しくないわ」みたいなことを言って主人公を泣かせたり、その場面を攻略対象に見られて退散して、噛ませ犬にされたり……。
今日もそうだが、イーゼラは私がエルヴィスと話したあとによく絡んでくる。深く考えるまでもなく、同じクラスの彼にご執心なのだろう。今や私に話しかけてくるクラスメイトはエルヴィスとイーゼラくらい、というのがなんとも悲しいところだ。
不思議なのは、こんなに目立つ容姿と性格のイーゼラなのに、まったく私の記憶にないこと。エルヴィスルートに進むと登場する悪役令嬢って感じなんだけど……よっぽど小物すぎて、印象に残ってないのかな。
私にそんな不名誉なあだ名をつけられているとは知る由もなく、太い眉を上げたイーゼラは大袈裟に口を開けて驚いてみせる。
「まぁっ。挨拶ができるようになったなんて、ずいぶん成長しましたのね。アンリエッタ・リージャス!」
イーゼラに同調して、彼女の友人たちまで笑い声を上げる。頭数で勝っているからか、やつらの態度は強気だ。
しかしここで気弱に振る舞っては、相手の思うつぼ。私は一歩も引かず、にやりと凶悪に口角を上げてみせた。
イメージはノアの笑顔。あそこまでの迫力はないだろうけど、イーゼラはたじろいだようだった。
「そういうあなたは挨拶ひとつ、まともにできないみたいね。講義を受けるよりも、お家に帰って礼儀作法から学び直したほうがいいんじゃないかしら」
ぴしり、と音を立ててイーゼラの表情が凍りついた。ついでに両脇の二人も。
追撃をしてやっても良かったが、私はイーゼラのような性悪ではない。勝利の余韻に浸りながら、自慢の美しい銀髪をなびかせて手近な席に座る。
背後からは、まだ何か言いたげなイーゼラの気配を感じていた。後頭部に殺人級の視線がびしびしと突き刺さってくるのである。
しかしちょうどそこで、魔法古語学の教師が教室に入ってくる。ナイスタイミングです。
「それでは、本日の授業を始めます。前の授業の復習から入るので、教科書七十八ページを開いて。……イーゼラさん、どこを見ているの? 早く教科書を開きなさい」
「す、すみません」
しかも先生に怒られている。うっふふ、いい気味ねぇ悪役令嬢さん!
ちなみに花舞いの儀をなんとかして生き延びたとしても、私はカレンをいびるつもりはない。むしろ避けて通りたいと思っていた。
だってカレンの周りでは大なり小なり、何かと事件が起きやすいのだ。カレンの能力がチート級に強いので、最終的にはなんとかなることも多いけど、その慈愛が私にまで適用されるかは不明である。用心するに越したことはない。
そもそもアンリエッタはチュートリアルで死ぬ予定なのだから、うっかり巻き込まれて何かの弾みに死んでしまわないとも限らない。カレンにも攻略対象にも、あまり関わらないのが吉だろう。
が、それにも限度がある。何しろ攻略対象のひとりであるノアは私の兄だし、あの調子でエルヴィスにはちょくちょく絡まれるし。
それにしても、と思う。プレイ中も何度か疑問に感じたが、どうして『ハナオト』製作陣は、攻略対象の妹をチュートリアルで殺すことにしたのだろう?
かなり衝撃的な設定なのに、あんまりゲーム本編でも生かされていない。別のゲーム機にリメイクされて移植したときもそのままだった。
死に設定にするくらいなら、設定ごとなくしてほしかったなぁ。それなら、私だってこんなに苦しまずに済んだのにさぁ。
「……リエッタさん。アンリエッタさん?」
「は、はいっ!」
教師に呼ばれているのに気づき、私は慌てて立ち上がる。
白けた顔の女教師が、壇上で軽く肩を竦める。
「立たなくてもけっこう。八十ページの三行目を読んでちょうだい」
「……失礼しました」
顔を赤くしつつ、再び腰を下ろす。
私が小さな声で自信なさげに音読する後ろからは、イーゼラの噴きだす声がする。くっ、調子に乗るなよ、悪役令嬢!
『ハナオト』でカレンがいじめられるような場面を見た覚えはないが、悪役が必要なときはイーゼラが立派にこなしてくれることだろう、と私は古語の読みにつっかえながら心底思う。
「アンリエッタさん。前の授業でもやったけど、この場合の水のしずく、は涙と訳すように。古語の理解は呪文の最適解を導くにも役立つのよ、授業に集中して」
「す、すみません」
「暫定さん、がんばってくださいまし。応援してますわよー。……ぷぷっ」
……くぅっ。調子に乗るなよ、悪役令嬢めえぇ!








