第13話.ノアの従魔
話数の整理をさせていただいております。
広げられた翼に、鋭いくちばし。人の頭を一撃で砕いてしまいそうな、立派な鉤爪。
猛鳥――鷹によく似たそれが羽を動かすたびに、チョークの粉がぶわりと舞い上がり、重しをしていない紙が吹き飛ぶ。あちこちで小さな悲鳴が上がるが、鷹には気にした様子もない。
野生の鷹がどこからか迷い込んできたわけではないだろう。ステンドグラスの窓はひとつも開いていない。緑がかった透き通る身体を持つ美しい鷹は、窓をすり抜けて侵入してきたのだ。
元気を取り戻し、喜色満面で叫ぶのはラインハルトだ。
「あれは、ノアさんの従魔じゃないか!」
使い魔と混同されがちだが、一部の魔法士が手懐けて使役する魔獣を使い魔と呼ぶのに対し、従魔は魔法士が生みだす魔法生物のことを指す。
魔力で紡がれた生き物なので休息を必要とせず、術者から分け与えられた魔力が尽きるまで活動する。誰かに倒されて消滅した場合でも、一日が経てば復活する特殊な生物だ。
主人には絶対に忠実で、その意思を言葉にしなくても読み取ることができるので、攻撃や防御、治癒ができたり、他にも様々な特殊能力を持っていたりする。
エーアス魔法学園では、二年の春に従魔を生みだす授業を受ける。私はこれを密かに楽しみにしていた。なんでかって、ゲーム本編のアンリエッタは従魔を生む前に命を落としてしまうからだ。
もし無事に授業を受けられた暁には、かわいい従魔を作ってみたいと思う。
カレンはウサギの従魔だったな。王道だけど、私も小動物系がいいかも。日々に癒やしをくれるような、そんな従魔が理想的だ。
「この校舎には、数々の防御魔法が仕込まれていると聞く。多重結界を突破して教室にまで従魔を侵入させてしまうとは、さすがノアさん! 凡百の人間とはレベルが違う!」
ノアさんノアさん、と盛り上がるラインハルトは無視して頭上を見ていたエルヴィスが、私にしか聞こえない程度の音量で呟く。
「あの従魔、何か持ってるな」
言われてみれば、従魔は両足に巻物のようなものを握っていた。伝書鳩のような感じで、手紙を届けに来たのだろうか。
「ノアさんから、俺への手紙ということか。ご苦労だった、従魔!」
得意満面に言い放ったラインハルトが手を伸ばす。
だが従魔は笑顔のラインハルトに見向きもせず、すいーっと旋回しながら私の頭上に移動してくると、両足からそれを放した。
「わわっ」
反射的に両手を前に出し、筒状に丸められた手紙を受け取る。それを見届けた鷹は、満足げに窓をすり抜けて去っていったのだった。
えっ、なんで?
呆然とする私に、ラインハルトが詰め寄ってくる。
「なぜだ。なぜノアさんの従魔が、お前に手紙を届ける!」
「そ、そんなこと私に言われても……」
こっちが聞きたいくらいなんだけど!
「アンリエッタ嬢。とりあえず、内容を確認したほうがいいと思います。兄君の身に何かあったのかもしれませんから」
「え、ええ。そうですね」
エルヴィスは緊急の連絡だと思っているようだ。それはいいとしてその口調をやめんか。
しかしノアがピンチに陥ったとして、私に連絡を取ることはないだろう。なぜなら私に言ったところでどうにもならないからだ。それが分かっているだけに、私は猛烈にいやな予感を覚えた。
わざわざ従魔に手紙を届けさせるなんて、どういうつもりなのか。あの冷酷無慈悲な兄に限って、特訓で疲れた妹を心配して……なんてことも、あり得ないし。
私は震える手で、手紙を広げていく。
そこにはたった一文が綴られていた。
――今日の授業が終わったら屋敷に戻ってこい。
私の背筋を、ぞぉっと寒気が駆け上る。
なに。なんなのこれは。
もしかして、ノアによる死刑宣告?
なんとか最初の土日を乗りきって、学園に戻ってきたのに。ノアの監視がない中、のびのびと……までは行かないけど、ほんのりと心に余裕が持てていたのに!
いろいろ文句を言いたいが、ノアが目の前にいないのが悔やまれる。すると沈黙する私の後ろから、訝しげな声がした。
「これはどういうことだ?」
私はむっとして、巻物を巻き直しながら背後のラインハルトを振り返る。
「人の手紙を勝手に読まないでください」
「なぜノアさ……ノアが、お前を屋敷に戻したがる?」
「殿下には関係のないことでは?」
あと、今さらノアを呼び捨てにしようとしても誤魔化せないからね。さっきノアさんノアさん連呼してたのしっかり聞いてたし。
私がつっけんどんと返せば、ラインハルトが舌打ちする。
「調子に乗るなよ。家柄と魔力に胡座をかくお前のような人間が、花乙女の名誉を授かることなど万にひとつもあり得ないからな」
私の顔の筋肉が盛大に引きつる。
ラインハルトに言われなくても、私だって分かっている。アンリエッタは褒められたような生徒ではないし、ノアのように優秀でもない。だから彼女は、花乙女にはなれなかったのだ。
でも、こいつは未来のアンリエッタが魔に堕ちることを知らない。知らないから、こんなことを本人に向かって平気で言えるのだ。
暴力的な言葉が人を追い詰めることを、王太子という立場でありながらラインハルトは分かっちゃいない。来月現れるカレンが彼のルートに入れば、それを優しく諭すように教えてくれるのかもしれないけど……。
「てめぇ、ハルトを取ってラインにしてやろうか……」
怒りが頂点に達した私は、低い声でぼそっと呟いていた。
本人に聞かせるつもりはなかったのだが、悪口はどんなに離れていても聞こえるものだという。
それを証明するように、ラインハルトはきょとんとしていた。立場上、面と向かって他人から暴言を吐かれたことがないのだろう。
「アンリエッタ・リージャス。今、なんと言った?」
「『王太子殿下のおっしゃる通りです』と」
「いやぜったい違うだろう!」
ライン、ではなくラインハルトが怒鳴る。
このままラインハルトと向き合っていると、おそらく遠くない未来に鼓膜が破れるだろう。私は視線をエルヴィスへと向けた。
「エルヴィス様にはどう聞こえましたか?」
水を向けられるとは思っていなかったのか、エルヴィスが目を瞠る。
他の生徒が私を嘲笑ったとき、エルヴィスだけは笑ったりしなかった。王太子を前にして私に味方してくれるかは、完全な賭けだったが……。
「僕には、アンリエッタ嬢の言う通りに聞こえました」
期待した通り、エルヴィスはそう言ってくれた。
こうなっては、ラインハルトも立つ瀬がないのだろう。眉間に縦皺を作ると、ぎろりと私を睨みつけてきた。
「いけ好かない女だ、アンリエッタ・リージャス」
「恐れ入ります」
おもしれー女、とか言われなくてホッとした。興味を持たれたらこっちが迷惑だ。
「ふん、まぁいい。俺は寛容だからな!」
寛容とはほど遠い苛立ち混じりの声で捨て台詞を吐くと、ラインハルトが去っていく。
ふぅ、嵐が去った、と私は肩を撫で下ろす。そんな私をエルヴィスが見下ろしている。
「アンリエッタ嬢。不敬と取られかねないから、殿下への発言には気をつけてくださいね」
「……はい」
エルヴィス様の演技を続けるエルヴィスだったが、忠告は大人しく受け取っておく。
即処刑、とかはさすがにないと思うけど、現代人のノリで話し続けていたら確かに危険だろう。相手はあんなんでも一応、一国の王太子なのだ。あんなんでも。
「でも、どうして私の味方をしてくれたんですか?」
それだけは気になって問いかけると、エルヴィスが頬に手を当てて小首を傾げる。
まだまだだな、エルヴィス。かわいいけど、エルヴィス様はそこまであざとい仕草はしないから。か、かわいいけどね!
「君のおかげで、”カルナシアの青嵐”と名高いノア殿の従魔を見ることができましたから。……それに」
それに?
「王太子殿下に向かってあんなことを言う人を、初めて見たので」
耐えきれなくなったのか、エルヴィスがくすっと小さな笑みを漏らす。
すれ違いざま、ひっそりと耳打ちされたのは。
「やっぱおもしろい女だな、お前」
「え……」
楽しげに笑ったエルヴィスが教室を出ていく。そんな彼の背中が見えなくなるまで、私はぼんやりと見送った。
お、おもしれー女認定、なぜかこっちからもらっちゃったんだけど?
立ち尽くしていた私は、ハッとする。
「ご、ごはん!」
ラインハルトやノアのせいで、昼休みはとうに半分近く過ぎてしまっている。
午後の授業を乗りきるためにも、食堂でおいしいものをたくさん食べなくては。私は少しだけ軽くなった足で、前へと踏みだした。








