第11話.嗤う声
それが三日前の出来事である。
あのあと、さっそく二時間の瞑想をやり、そのあとは生活魔法の練習をした。夜にはまた部屋で瞑想。瞑想、瞑想、瞑想、瞑想。
そんな生活が丸々二日間続いたあと、学園に戻ってきて二日目――早くも私は疲れきっていた。
お、思った以上に、キツいんですけどー!
魔力を回復するには、休息が必須である。この場合の休息に当たるのは人間の三大欲求、つまり食欲と睡眠欲、それに人によっては性欲、とゲーム内ではさらっと語られていた。『ハナオト』はCERO C(十五歳以上推奨)のゲームなので、そこまで過激なシーンはなかったが。
アンリエッタは今まで魔力を使う機会がほとんどなかったので、魔力を消費するのもぎこちなければ、回復にも時間がかかる。そのせいか三日前からとにかく眠いし、ひどくお腹が空く。
だがしかし授業中に居眠りするなど言語道断、とはノアからのお言葉だ。高度な魔法を扱うためには教養も必須となるので、すべての授業を真面目に聞けと言われている。空いた時間は積極的に教科書や魔法書を読んでおけ、とも。
歴史学の先生の話を真剣に聞き、ノートを取りながらも、ときどき私の意識は飛びそうになる。気を抜くと机に突っ伏してしまいそうだ。その原因は眠気だけではなく、授業の内容がまったく理解できないことにもあった。
エーアス魔法学園の授業内容は、もちろん元の世界とは違う。いつメンの国社数理英の姿はない。魔法学に始まり、魔法書学、呪文学、魔法古語学、魔法建築学、魔法薬学などなど……魔法士を育てる学校なので、魔法に関する分野が大半を占める。歴史や地理など、一般教養の授業は最低限のようだ。
当たり前のことではあるが、ゲーム本編で主人公たちの受ける授業内容の詳細が語られることはない。プレイヤーは基本的に、素敵な恋を求めて乙女ゲームをプレイしているのだ。延々と授業について羅列するだけのゲームなんて、レビューサイトでボロボロに殴られることだろう。
となると頼りになるのはアンリエッタの記憶だが、彼女が今まで取ったノートの類いは見つからないし、授業を聞いていて「これ知ってる!」「〇〇ゼミでやったとこだ!」などの閃きが訪れることもない。もしかしなくてもアンリエッタってノアの言う通り、頭空っぽだったのかな?
ちなみに一部の授業以外は、私のいた世界でいう大学のような方式が取られている。共通授業以外に関しては、生徒は自分で興味のある授業を選択して独自のカリキュラムを作っていくのだ。
そして一年冬のアンリエッタのカリキュラムは、かなりひどいものだった。
エーアス魔法学園は言わずと知れた名門校だが、どこにでもやる気のない先生というのはいるものだ。授業を行う教師がサボりがちとか出欠席を取らないとか、アンリエッタが取る授業はそんなものばかりが中心だった。学びの意欲が一切感じられず、ただ楽に毎日をやり過ごすために組まれたカリキュラムである。
それでもアンリエッタは授業には必ず出ていて、休んだ日は一度もないようだ。不良なのか真面目なのか、よくわかんないなぁ。
とか思いながら板書する私の耳に、窓の外からリンゴンと、風に乗って鐘の音が聞こえてきた。授業が終わった合図である。
つまり、待ってましたよ、お昼休み!
「今日はここまで。何か質問のある生徒は……」
まだ先生が何か言っているが、私はほとんど聞いていなかった。机の上に広げた教材をせっせと片づけ、椅子を引いて立ち上がる。
「ご、ごはん……」
たぶん鏡を見たなら、私の目は血走っていたことだろう。
とにかく今はごはんが食べたい。そして残りの時間は睡眠に当てよう。ノアからは昼休みにも魔力を使う練習をしろと言われているが、今の私に必要なのはとにかく休息一択だ。倒れたら元も子もないのだから。
午前の授業が終われば、教室内もにわかに騒がしくなる。
歴史学の授業はクラス単位で行われており、教室には一年Aクラスの二十一人が揃っている。クラスはAからCの三つに分けられており、原則三年間変わらないので、一か月後にはこのメンバーで進級することになる。
ここにカレンが加わって二十二人になるのかぁ……と想像したところで、気がつく。春にアンリエッタが死ぬ予定だから、また二十一人に戻るんだ。キリ悪っ。
願わくば、Aクラスのキリの悪さに製作陣の誰かが思い当たって「やっぱりアンリエッタをチュートリアルで殺すの、やめよう!」と思い直してくれないだろうか。
ほら、二人一組になって授業を受けることとか多いしね。奇数じゃ嫌われ令嬢のアンリエッタが余っちゃうじゃない。って、やかましいわ!
そんなことを考えていたせいだろうか。クラスメイトの間をすり抜けようとした私の肩が、すれ違う男子生徒とぶつかった。
「うぎゃっ!」
大きくよろけた私は、図らずも誰かの胸に飛び込んでしまう。
とさ、と柔らかい衝撃があった。それに遅れて、何かが落ちる音も。
反射的に閉じていた目蓋を、ゆっくりと開けてみると……私の身体を受け止めているのは、エルヴィスだった。
触れ合う身体に一瞬ときめきそうになるが、騙されてはいけない。目の前の顔面偏差値上限突破男は私の愛するエルヴィス様ではないのだから。
私は慌てて彼から距離を取ろうとしたのだが、そんな私の肩にエルヴィスはさりげなく手を置く。
「怪我はありませんか? アンリエッタ嬢」
や、優しい。好きっ。……じゃない!
「ちょ、ちょっと! エルヴィス様の振りするのやめてよ!」
周りに聞こえないように声を潜めて、ぎろりと睨みつける。
「それだけニヤニヤしといて、よく言えるな」
自分でもそう思うけれども。
「あ、そうそう。先週言い忘れてたけど、オレ、しばらくお前を監視することにしたわ」
「はっ? 監視!?」
「オレの本性について、お前が言い触らさない保証がないからな。で、大サービスで普段からエルヴィス様の演技もしてやるよ」
なんということだろう。天使エルヴィス様を失った代償に、悪魔エルヴィスに脅迫されるなんて。
「え、遠慮します。さようなら」
「誰かさんの妄想の話、クラスのやつらにも聞かせてやるかな」
「すみませんエルヴィス様、受け止めていただいて。もう大丈夫ですわ~」
うふふ、と笑う私に、エルヴィスも調子を合わせてくる。
「いえいえ。でも、次から気をつけてくださいね? 重かったんで……」
こ、こいつ腹立つ! でも笑顔かわいい! 腹立つ!
アンリエッタもエルヴィスもクラスでは目立つ生徒なので、周囲からは注目が集まっている。私は何事もなかったかのように微笑んでその場を離れようとしたのだが、今さらになって床に転がるものに気がついた。
制服内側のポケットを確かめてみると、感触がない。男子生徒とぶつかった衝撃で落としてしまったようだ。
「おい、それ……」
私の視線の先を見やったエルヴィスが、素で驚いた様子なのも無理はない。私が落としたのは、銀色の杖だったのだ。
杖を一振りして魔法を使う、というのは魔法使いのイメージとして一般的である。でもそれは私の前世での話なので、この世界の常識は違う。
魔力を持つ子どもは、物心つく頃に親から杖を買い与えられる。なぜなら魔法の込められた杖には、魔法の発動を安定させる効果があるからだ。
幼い頃にアンリエッタも両親から杖を与えられたはずだが、どこを探しても見つからなかった。そこでノアが、自分のお下がりだという杖を渡してきたのである。入浴や睡眠時以外は肌身離さず持ち歩け、とも言われていた。
この杖は装飾が控えめとはいえそれなりに重いし、転ぶと脇とかに刺さりそうで怖いのだが……教官、ならぬお兄様からのお言葉なので、無視するわけにはいかなかった。
しかし杖を拾い上げた私を見て、ぷっ、とクラスメイトの誰かが噴きだす。
「アンリエッタ嬢は、相変わらずユーモアのある方だ」
「そんなふうに言っては悪いんじゃないかしら。今からでも魔法を練習するのは遅くありませんわ、きっとね」
なんともいやな空気に晒されて、私の表情筋はひくりと引きつってしまう。隣のエルヴィスも意外なことに、不快そうに眉根を寄せていた。
クラスメイトたちが笑っている理由はひとつ。杖を持つのは子どもの頃だけというのが、カルナシアにおける常識だ。
杖とは、つまり――それを持つ者の未熟さを意味するアイテムだから。








