1章 26話『蝋板に書かれた文字』
寄付金を盗んだという濡れ衣はすぐに晴れた。裏口の鍵が劣化によって破損していた事が分かり、あの2人は嘘を吐いていた事を素直に認めたという。
「本当に下らない連中だ」
あの部屋は廊下と裏口から入れて両方に鍵が掛かっていた。子供は室内が金の隠し場所だという事は知らず、立ち入り禁止とだけ言いつけられていた。
裏口の鍵の破損を知っていた2人は「入ったらダメな場所」に僕を入れ教会から追い出すつもりだった。窃盗犯に仕立て上げる意図はなかったらしい。
「なあリース。アンニさんとガキ共が濡れ衣を着せた事を謝罪したいと言ってるんだが、どうする?」
「知るか、壁にでも謝らせておけ」
「まあ普通そうなるよな。安心しろ、俺が代わりに教会に行ってしっかり怒っておいてやるからな!」
「あっそ」
僕は豚小屋のテーブルに肘をつきながら、左足を椅子に座ったままブラブラさせみる。まだ痛みこそあるが、この調子ならば完治する日も近いだろう。
そうして怪我をした足を見ていると、ジロジロと不愉快な視線を感じる。顔を上げてその方向を睨むと、ニルスが心配そうな表情でこっちを見ていた。
「お前には本当に嫌な気持ちにさせてしまったな。でも善悪の区別もつかない小さなガキやった事だ」
「だから知るかよ。僕には関係ない話だ」
「人が全員あんな事をするとは思わないで欲しい」
下戯れ言を聞くのも鬱陶しくなってきたので、顔を突っ伏すとニルスはそれ以上話し掛けてこなかった。コイツは黙って僕に食料を献上してればいい。
そう考えていると小屋の扉が控えめに叩かれた。
もしかするとテアかも知れないと思ったが、足が治ってない状況で早く帰ってこられても練習はできない。興味が失せて無視するとニルスが応対した。
「リース、お客さんだ」
何かと思って顔だけを向けると、入り口にはマルタが蝋板を持って立っていた。そう言えばこんな奴も居たが、もう僕に文字を教える気など更々ない。
「身の程をわきまえろ羽虫。この僕がどうしてお前なんぞに、時間を割いてやらないといけないんだ」
「おい、リース……」
だがマルタは気にした様子もなく、手を机代わりにして蝋板にペンみたいな奴で『残念』と書いて見せる。僕が教えた時より文字が綺麗になっていた。
「お前、自分で練習してたのか?」
ウンウンと首肯く彼女に、僕は暇潰しに使ってやってもいいんじゃないかと思った。足が治るまでの間、ここに座っているつもりだったから丁度いい。
だが数日前のように、歩み寄ってやろうなんて気持ちは微塵もない。しっかりと教えてはするが、退屈だから利用してやるだけなので優しくはしない。
「教わりたいなら隣に座れ。ただし僕の足が治るまでに覚えられなかったら、途中でも止めるからな」
マルタはニコニコと小屋に入ってきて、言われた通りに蝋板を持って僕の隣に座った。だがそんな少女の姿を、自分はどこか冷ややかな目で見ていた。
「リース、俺は外に用事があるんだが大丈夫か?」
「勝手に失せろよ」
「分かった、じゃあ行ってくる。あ、そうだ! お前が教会に置いてきた杖を預かっているんだった」
あの女の顔面に叩きつけてきた杖をニルスは僕が座る椅子の横に立て掛ける。こんな棒切れ、教会に捨ててきたつもりだったので手には取らなかった。
「それじゃあ、頑張れよ。リース」
そう言うとムカつく奴は出ていきマルタと2人っきりになる。手話を覚えたから通訳が居なくても、意志疎通が図れるがそれを活用するつもりはない。
「体調が悪かったら勝手に出ていけ」
そうマルタに言ってやると、ただひたすらに読み書きだけを教える。効率が落ちるから休憩はさせてやったけど、それ以外の気遣いは一切しなかった。
数時間が経過して、前回よりも多くの知識を頭に詰め込ませた頃には日が傾いていた。6歳の子供には、少し辛かったかも知れないがどうだっていい。
「このペースだと足の怪我が治っても終わらない。明日もやるなら、今日よりもキツイかも知れない」
暇が潰れたら、人に文字を教えるなんて無駄な事に時間は使わない。だからやるならペースを上げないと、終わらないのだが彼女の負担が大きくなる。
「やりたくなかったら、もうここに来なくていい」
彼女は蝋板に『明日も来ます』と書いて、ペコリとお辞儀をすると小屋から出ていった。まあ下等生物がどうしようが、この僕には知った事ではない。
それからマルタは毎日小屋に来て、着々と文字を覚ていった。しかし筆談など一切せず、こちらの対応を察してか彼女の方も会話を持ちかけてこない。
そんな関係は1週間が過ぎても変わらず、期限にしていた足はほとんど治っていた。だけど習得までは至っておらず、僕は途中で切り上げる事にした。
「足が治ったから今日で授業は終わりだ。まだ教えてない事は沢山あるが、後は自力でなんとかしろ」
自分には簡単に出来た事だが、羽虫には最初から数日で文字を覚えるなんて無理だったのだ。まあ別にいい、暇も潰せた事だしコイツはもう用済みだ。
「もう来るなよ。僕にはやる事があるんだからな」
そう突き放してやると、マルタは『ありがとう。教会の事ごめんなさい』と蝋板に書いて見せる。その拙い文字を読むと胸が少しだけだが痛くなった。
「なんだよ、それ」
この1週間ずっとマルタに冷たく接してたのに、なんで感謝されているんだ。それに教会での事だって、コイツには謝られるどころ何にも関係がない。
『自分の言葉でそれを伝えたかったです』
彼女はそう蝋板に書くと、無理して笑顔を作って見せる。それから僕の表情をみて気分を損ねたと思ったのか、そのまま小走りで小屋から出ていった。
「羽虫の癖に僕の頭を混乱させるなよ……」
自分の言葉で謝る為に、コイツは嫌な思いまでして文字を教わりに来てたのか。陥れようとしたり、それと真逆の事をしたり連中の思考は支離滅裂だ。
僕は立ちあがって散歩に行こうとすると、床にまだ乾いていない涙の跡を見つける。それを無視して外に出ると、治った足で目的地もなく歩いてみた。




