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1章 24話『手話と指文字』

 豚小屋に帰ってくると自警団の用事とやらを済ませたのか、ニルスが椅子に座っていた。彼は「おかえり」と言ってきたがムカつくので返事はしない。

 コイツには人をイライラせる才能でもあるのか、顔を合わせるだけで神経が逆撫でされる。6つの大陸を旅したが、こんな奴と出会ったのは初めてだ。


「どうだった、マルタとは上手くやれたか?」


「上手くやるもクソもあるか。本人とあと女にも言ったけど、僕は仲良くしに行った訳じゃないんだ」


 僕の本来の目的はエーリカ共を残酷に殺し、復讐を遂げる事だ。さっさと借りを返す必要があるんだから、下民と仲良くするなんて無駄な事はしない。


「そうか。それで明日からはどうする?」


「別に続けるけど。てか誰かと仲良くするのは大切とかいう、クソウザい説教はしなくていいのかよ」


「口うるさく言っても仕方ないだろ。後はお前の自主性に任せるが、もしかして説教されたかったか」


「そんなわけあるか、クソ野郎」


 そう言ってニルスを睨み付けると、彼はそんな視線は意にも介さず僕をジッと見据える。その目からはどこか感慨深いものを感じているように見えた。


「なんだよ、マジで気色悪いぞ」


「いや実を言うとリースが教会の連中と馴染めるかどうか、少しだけ心配していた。でも問題なく明日の約束を取り付けられたと聞いて安心したんだ」


「心配してたなら間に入れよ」


「まあ、そうだったな」


「ん? おい待てよ……」


 思い返してみるとニルスは女には話を通していたが、子供とのやり取りにはほとんど口を挟んでいない。心配してたなら黙ってたというのは不自然だ。


「もしかしてお前、意図的に黙ってたのか」


「さ、さあな。なんの話だ?」


「おい! 自主性に任せるんじゃなかったのか!」


「すまん、昼間はつい魔がさしたんだ!」


 結局コイツは隙があれば、僕が他人と仲良くしたいと思うような切っ掛けを作りたいんだろう。優れた存在の自分には、そんな馴れ合い必要ないのに。


「はぁ……もういいから手話を教えろ」


 コイツの杞憂に付き合うのも馬鹿らしくなり、本題を切り出す。ニルスとテーブルを挟んで、斜め向かいの椅子に座ると、彼は嬉しそうに笑っていた。


「マルタの手話を理解したいのか! そうか、教えるから明日から彼女との会話に役立てるんだぞ」


「本当にムカつくな、お前って」


「俺も自覚はあるが今は気にするな。じゃあ『ありがとう』の手の動きを教えるから真似てくれ」


 ニルスは左腕を横に寝かせると、その左手の甲に手刀を乗せてから振り上げる。真似すると、目の前の奴にありがとうと言ってるみたいで不快になる。


「なあ『死ね』とか『クソ野郎』は無いのか?」


「そんな手話を真っ先に覚えて何に使うんだ」


「は? お前に使うに決まってるだろ」


「それじゃあ『ごめんなさい』から覚えようか」


「おい、僕の事を舐めてるのか」


 眉間の前で指をつまんで、手を縦にすると頭と一緒に下げるニルス。僕は絶対に真似しないけど、この動作が謝罪を意味している事だけは覚えておく。


「リースもやらないと覚えられないぞ!」


「お前基準で物を考えるな。僕は頭が良いんだよ」


「確かに色んな言語を覚えていたな……」


 何かを覚えるのに努力した事は1度もない。僕は文字なんか簡単に覚えられたし、魔術だって王宮魔術師が驚く位のスピードで高位の術式を習得した。


「もう覚えたんだから早く次のを教えろ」


「じゃあ次は両手を握ったのを胸の辺りまで持っていくんだ。それから2回下げると『元気』だ」


「なんだよ急に?」


 僕は言われた通りに手を動かすが、なぜ急に言葉で説明し始めたのか首をかしげる。別に手本なんてなくても覚えられるけど、あった方が効率がいい。


「言葉だけじゃなくて、お前も手を動かせよ」


「まあ片手が動かないんだよ。ほら、こうだ!」


 今のは心の傷を思い出させるような失言だった。

 ニルスは明るく笑いながら、テーブルから身を乗りだし僕の手の位置を修正する。だが彼の過去の話を思い出すと、無理して笑ってるようにも見えた。


「リース、手話は表情も大切なんだぞ。そんな暗い顔をしていたら『元気』だって事が伝わらない」


「別に暗い顔なんかしてない」


「そうだ、これで元気そうに見える」


 そう言うとニルスは左手の人差し指と中指で、僕の口の端をつり上げてきた。これじゃあ元気じゃなく、無理矢理笑わされているただのマヌケな奴だ。


「ほい。ひるふ、はへろ!」


「ははは、すまん。悪ふざけが過ぎたな」


 文句を浴びせてやりたかったが、自分が無神経な発言をしたのが発端なので言葉が詰まる。そんな様子を見てか、ニルスは僕の頭をポンポンと叩いた。


「前にした昔話は忘れてくれ」


「……」


「俺は終わった話を気にして貰うより、テアやリースがこの先の人生で幸せになってくれたが嬉しい」


「……分かったから、さっさと続きをやれ」


「そうだな」


 この話を続けても仕方ないので、強引に話題を切り替えた。ニルスは柔らかい笑みを浮かべて、僕の手を取ると『元気』という意味になるよう動かす。


「この動きをしたら『元気』だ。覚えたか?」


「ああ……」


 彼との間に流れる穏やかな雰囲気に、気分が悪くなってくる。僕はもう1度話題を変えようと、これを機に気になっている疑問を聞いてみる事にした。


「なあ、人の名前や固有名詞なんかはどうやって手話で表現するんだ? 例えば『マルタ』とか」


「それには指文字を使って対応する。言葉の通り指で人間言語の54文字を1つずつ表現するんだ」


「そういえばあの子供もなんか指を動かしてたな」


「それだ。よし試しに1回やってみるぞ」


 ニルスは左手とその指を動かして、連続して色んな形を作る。だが手話と比べると動きが小さい指文字は、日が落ちかけた暗い部屋ではよく見えない。


「今の5つの動作で『リース』だ」


「それは分かったけど、部屋が暗くて指の形が見えなかった。ニルス、もう1回ゆっくり見せろよ」


「ん? そうか、じゃあよく見ていろよ」


 もう一度ニルスが指を動かすと、今度はさっきより遅くやってくれたお陰で見えはした。だが細かい部分まで真似しろと言われたら難しいものがある。


「おい、部屋が暗いのはどうにかならないのか」


「確かに暗いが、自然現象だからどうしようも出来ないぞ。今日はもう寝て、明日に延期しようか?」


「誰が自然現象をどうにかしろって言ったんだ! 僕は蝋燭とか、明かりがないのか聞いてるんだよ」


 そう言ったがこの小屋では蝋燭も買えなくて、夜の早くから寝ている事を思いだし閉口した。だがニルスは「そういえば」と思案しながら立ち上がる。


「なんだよ、蝋燭でもあるのかよ?」


「ああ、確か棚に何本か入っていた筈だ」


 全く整理されてない棚を開けると、ニルスは手を奥の方まで突っ込む。そうして手探りで蝋燭を探していると、彼はハッとして酒瓶を引っ張り出した。


「それに火をつけて灯りにするのか?」


「いや、そんな事はしない。もうちょっと待っていろ、すぐに蝋燭を見つけてやるからな」


 丁寧に酒瓶をテーブルの上に置くと、ニルスは再び棚の中に手を突っ込んだ。しばらくして何かを引っ張り出すと、今度は蝋燭をちゃんと持っていた。


「よし、これで明るくなるぞ!」


「待て、よく考えたら蝋燭って貴重品だろ」


「まあ滅多な事では使わないな」


 自分で要求しておいて何だが、そんな貴重品を今使っていいのだろうか。そう事を考えているとテーブルに皿が置かれて、その上に蝋燭が立てられる。


「リース、変な気を使わなくていいんだぞ」


「別に気なんか使ってない」


「それじゃあマッチを擦って貰えるか?」


 差し出されたドワーフ製のマッチ棒とその箱を両手に持つと、棒を箱の側面に擦って着火させる。それを黙ってニルスに渡すと蝋燭の芯に火が灯った。


「無駄遣いしやがって」


「まあ良いだろ。じゃあ続きをやろうか」


 暗かった部屋の中は暖かい灯りに照らされて、小さな炎がゆらゆらと揺れている。これならニルスが作る指文字の形も、ハッキリと分かりそうだった。



 そうして蝋燭の長さが半分より短くなる頃には、指文字と日常会話で使う手話の大体は覚えた。多分これでマルタの言ってる事は分かるようになった。


「にしても本当に頭がいいんだな、たった数時間でここまで覚えるなんて。俺は2ヶ月以上かかった」


「お前は誰から教わったんだ?」


「剣の師匠からだ。あの人からは字も教わったが、そっちの方は難しくて1年も覚えられなかったな」


「テアに汚い文字を教えた奴の、更に師匠か」


 恐らく師匠が教えた汚い文字が、この親子二代に渡って受け継がれているんだ。解読不能な文字を手本にして、1年で覚えられたなら誇るべきだろう。


「なあリース、別にテアの文字は普通だぞ」


「テアもニルスも多分、師匠も文字が汚いんだよ。お前、教会の子供に文字を教えようとしただろ?」


「そうだ。アンニさんを含めた4人に教えようとしたが、俺の教え方が下手で誰も覚えられなかった」


「お前はその4人に手話を覚えさせられたんだろ。教え方は関係なくて、単純に文字が汚いだけだ」


 そう言ってやるとニルスは目から鱗が落ちたような顔をした。というか今日まで何故コイツが、字の汚さを誰からも指摘されなかったのか分からない。

 

「そうだ」


 子供の片方が、読み書きが出来ない人は沢山いると言っていたのを思い出す。もしかして指摘されなかったんじゃなくて、指摘できる人が居ないのか。


「……俺とテアの文字は汚かったんだな」


「なあ文字の読み書きができる人間は少ないのか」


「ん? まあ結構少ないんじゃないか。俺も師匠に習うまで文字なんかステータス以外読めなかった」


「そんな奴が本当に居るんだな」


 文字の読み書きが出来ないなんて、僕の常識だとあり得ない。世の中にはそういう人が沢山いて、それでも普通に生きているなんて考えられなかった。


 僕は世界中の人達を救った勇者だ。でも救った彼らが、どんな環境で暮らしているかなんて分からない。まして気持ちなんてものは想像すらできない。


「リースは世間知らずだな。でも知らない事はすぐに挽回できる。なぜなら知ればいいだけだからな」


「なんだ、それ」


「ただの師匠の受け売りだよ」


 偉そうに説教してきて本当にムカつく奴だ。それにコイツは前にも師匠の格言みたいなのを教えてきたし、どんだけそいつの事が好きなんだよと思う。


「もうその師匠と結婚でもしろよ」


「あんな爺さんと結婚はしたくない。それに何か勘違いしてるみたいだが俺は師匠が大嫌いだった」


「なら何でそいつの言葉なんか教えてくるんだ」


「尊敬できる人間だったからな。でもそれに気付いたのは、あの人が死んでからずっーと後の話だ」


 そう言うとニルスは、自分が引っ張り出してきた酒瓶の方向に目を向ける。そして静かに左手で空のコップを掴んで寄せると、次は僕の方を見てきた。


「リース、手話の勉強も一段落ついた事だ。棚から出てきたこの酒を飲ませて貰っても構わないか?」


「は? 知らないし、勝手に飲めよ」


「断っておくが俺は酒に弱いとよく言われる」


「ふーん、なら面白そうだから飲んでみろよ」


 そう言われてみればニルスは手話を教えている最中も、テーブルに置かれた酒瓶に度々視線を向けていた。もしかしたら彼は酒好きなのかも知れない。

 僕はそんな下品な飲み物には口もつけた事はないし、何が良いのかは分からないけど。そう考えていると、彼はコップに酒を注いで一息に飲み干した。


「随分と豪快だな」


「すまん、つい久しぶりでやってしまった。それで俺の師匠の話をしていたんだったな」


「続けなくていい。全く気になってないから」


「まあ聞いておけ。師匠は説教くさくて、色んな事に口を挟んでくる奴だった。俺が軍人になった後も手紙で説教してきて、何度も死んでくれと思った」


「お前は自己紹介でもしてるのか?」


 ニルスはブンブンと首を振ると、本当に酒に弱いようで顔は既に少し赤くなっている。僕は少し視線を下に向けると、左手は酒をコップに注いでいた。


「おい、平気なのか」


「大丈夫。これくらいなら、まだ平気だ」


 こんな酔いが回るのが早い奴は初めて見る。1杯飲んだ段階で全然平気そうじゃないのに、ニルスは並々入ったコップの中身をゴクゴクと飲み干した。


「おい、その飲み方止めろよ」


「大丈夫。それよりテアの話の続きをするぞ」


「テアの話なんかしてなかっただろ!」


「昔はお父さんにベッタリだったのに。最近は親離れが進んでいてな。本当に凄く嬉しいんだ!」


 いつの間にかコップに注いでいた3杯目を、ニルスはまたも飲み干す。コイツが酒に弱いと言った時点で、絶対に飲ませるのは止めて置くべきだった。


「おいニルス、これ以上は飲むな」


「リース、俺は見栄を張った。本当はテアが親離れするのは本当は死ぬほど寂しい。甘やかしたいけど、でもアイツの成長の邪魔をしたらダメなんだ」


「分かったから、もう寝ろよ!」


「分かってない。テアには剣術の師範になるって夢を叶えて欲しいんだ。リースが支えてやってくれ」


 ニルスが懲りずに酒を注ごうとしていたので、コップを取り上げると瓶に直接口をつけラッパ飲みする。これには流石の僕も頭を抱えるしかなかった。


「リース、お前は頭が良いから学者になれる。お前はみんなから好かれるような人間なんだ」


「はいはい、そうだな」


 酒とニルスに気を取られている内に、蝋燭は燃え尽きて灯りが消えた。僕は立ち上がると差し込む月明かりを便りに、杖をついて彼の所に歩いていく。


「お前は俺の大切な息子だ。リースにならテアを任せていいと思っているんだぞ」


「……それは本物のリースに言えよ」


「ん? 何を言ってるんだ?」


「なんでもない。それより立ってベッドまで歩け」


 僕は酒臭いニルスを強引に立たせて、フラフラ歩くを彼の手首を引いて先導する。そうしてベッドの前に連れていくと、両手で思い切り突き飛ばした。


「でも避妊はしっかりするんだぞ」


「死ねよ、お前!」


 そういえば完全に忘れていたが、僕は少し前までコイツの事を殺そうと思っていた。でもこんな奴にわざわざ時間を割いて手を下してやる必要はない。

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