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1章 22話『教会の家庭教師』

「リース、ここが目的地の教会だぞ」


「は?」


 ニルスがそう言うまで、足を進めて目的地を通りすぎようとしていた。彼が立ち止まった錆びた鉄格子の門の先は、ギリギリ教会にも見えなくはない。

 彼は不快な音を立てて門を開けると、草が隙間から生えた石畳の中庭で子供が2人遊んでいた。目が合うと、彼等は好奇の眼差してこちらを見てくる。


「ニルス! その杖の人だれ!?」


「なんだこの暗そうでちっちゃい奴!」


 子供は2人とも男のようで、大人しそうな奴と活発そうな奴が居る。活発の方が僕を指差し容姿を馬鹿にしてきたが、リースの体なので別に構わない。


「ウベ、初対面の人にそんな事を言うんじゃない」


「え、でも本当の事だもん!」


「そんな屁理屈言うんじゃない。例え本当の事でも人が傷付くような事を言うのは――」


「ははっ! ニルス、いい。もっと言わせてやれ」


 別に僕の事を言われてる訳じゃないし、嫌いな奴が馬鹿にされているのは気分がいい。活発の方は見る目があるな、と視線を向けると目を逸らされた。


「ほ、ほらお兄さんが本気で怒ってるよ!」


「嫌な事を言ってごめんなさい……」


「いや別に怒ってないから、もっと言えよ」


「リース、ウベも謝ってるんだから許してやれ」


 なんで僕が子供相手に本気で怒ってるみたいになってるんだよ。そんな勘違いをされるのは癪に障るが、何を言っても状況が悪化しそうな空気だった。


「クソ! 何も怒ってないけど許せばいいんだろ」


「ウベを許してくれてありがとうございます」


「本当にごめんなさい、もう絶対に言いません」


「なんなんだよ……」


 そんなクソみたいなやり取りをしていると、奥にある教会風の廃墟から、修道服を着た若い女が出てきた。多分この子供2人の面倒を見ている人間だ。


「ニルスさん、こんにちは」


「おう、アンニさん! 今日はガキ共に文字を教えてくれる先生を連れてきたんだ」


「そっちの人が先生ですか」


 ニルスはこっちに視線を寄こしてきて、どうやら挨拶をするように促しているみたいだ。けど僕はそんなのは無視して、女とは目すら合わせなかった。


「失せろ。僕は女が嫌いだし、敬語で喋る女なんていうのははらわたが煮えくり返るくらいに嫌いなんだよ」


「はあ? ちょっとなんなの、この人!」


「喋るな、それから早く僕の視界から失せろよ」


「あっ、そうですか。じゃあさようなら!」


 そう言うと女は怒って奥に引っ込んでいく。清々して辺りを見渡すと、苦い顔をしたニルスが立っていたが、教えにきた子供達の姿はなくなっていた。


「リース、逃げられたぞ」


「はぁ!? じゃあどうやって文字を教えるんだよ。というか黙って見てないで捕まえろよ」


「中にもう1人、ガキが居るが会っていくか?」


「当たり前だろ。何にしに来たと思ってるんだ」


 教会の廃墟にニルスと入っていくと、扉の先の聖堂のようでズラリと長椅子が並んでいた。その1つには長い髪をした恐らく少女が後ろ姿を見つける。


「マルタの性別は女だが大丈夫か?」


「頭沸いてるのか。子供を女として見るかよ」


 不安そうな表情のニルスを無視して、聖堂の中にカツン、カツンと石の床を叩く音を響かせながら歩く。すると少女は黙ったままこちらに振り向いた。


「おい、お前に文字を教えにきてやったぞ」


「……」


「聞いてるのか? なんか反応しろよ」


 彼女は何も喋らず、黙ったまま後ろに居るニルスを手招きして呼び寄せた。そして両手を向けて、指を動かしたりして謎のハンドサインをして見せる。


「マルタは初めましてよろしく、と言っているぞ」


「コイツ、何をしてるんだ?」


「彼女は生まれつき声が出ないんだ。だからこうやって手話で言葉を伝えてくれる」


 という事は彼女から何か伝えたい事があっても、僕には何を言ってるのか分からないのか。まあ少し文字さえ教えれば、筆談できるようになるだろう。


「おいニルス、紙とペンを持って来い」


「そんな物で文字の練習をしたら金がいくらあっても足りない。確か教会には蝋板ろうばんがあった筈だが」


「そんなの使うのかよ」


 確か表面を蝋でコーティングした木製の板だったな。ペンみたいなので表面をひっかいて文字を書いて、ヘラで消したい部分を削るケチな筆記用具だ。


「まあ貧乏だから仕方ないか」


 僕が溜め息を吐くと、少女は手話とやらでニルスに何かを伝え始めた。彼は「なるほど」と頷いているが、自分には意味が分からないので黙っていた。

 しばらくすると少女の複雑な手の動きが止まったが、彼は困った表情を浮かべて何も喋らなかった。


「おいニルス、さっさと僕に翻訳しろよ」


「残念だがマルタはお前に教わりたくないらしい」


「何でだよ!」


「怖いのでちょっと嫌、と言っていた」


 なんだよ、そんなの人生で一度も言われた事がないぞ。他の子供には逃げられるし、マルタとかいう奴にも教えられるのは嫌だと拒絶されてしまった。


「じゃあ、僕はどうすればいいんだよ」


「帰ろうか。俺から頼んでおいて言うのもなんだが、リースに子供の教師は向いていなかったんだ」


「そんな訳あるか。まだ教えてすらいないんだぞ」


「大丈夫だ。お前に向いてる事も絶対にある」


 子供に文字を教えてニルスに借りを返すという計画は、さっそく頓挫してしまった。なにか別の手段を考えなくてはいけなくなり、頭を抱えてしまう。

 すると同情のような眼差しをこちらに向けた後、マルタはまた手をせわしなく動かす。それを見たニルスは嬉しそうにポンポンと僕の肩を叩いてきた。


「なんだよ、触るなクソ野郎」 


「マルタがお前に教えさせてくれるってさ!」


「あ? 怖いんじゃなかったのかよ」


「それはほら、マルタの優しさだ」


 意味が分からないが、別の手段を考えなくてよくなったしラッキーだ。たが彼女は妙に僕をニコニコ見ていて、それはどこか子供と接するようだった。


「なんだコイツ……」


 もしかして頭を抱えたのを、教えられなくて悲しんでいると勘違いされたのかも知れない。そう考えていると、マルタはまた手話で何かを伝え始める。


「弱い犬ほど……? ああ、リースはその通りの奴だ。マルタは難しい言葉を知ってるんだな」


「おい、僕にも何を言ってるのか教えろ」


「細かい事は気にするな。それより俺はアンニさんに蝋板の場所を聞いてくるから待っててくれ」


 ニルスが外に出ていくと、静寂に包まれた聖堂の中でマルタと2人っきりになった。通訳が居ないければ手話を使っての会話は出来なくなってしまう。


「お前、僕の事舐めてないよな?」


 だがYesかNoで答えられる簡単な質問なら、手話を介さなくても意志疎通が取れる。彼女は問いに対して首を振ったので、その件は不問としてやろう。


「読み書きぐらいあのシスターに教われないのか」


 今度は首を縦に振ったので、ここでの生活で文字を習得する事は出来ないのだろう。理由も聞きたかったが、今のマルタにはこれ以上は答えられない。


「何歳か教えてくれ」


 今度はYesかNoで答えられない変則的な質問だったが、彼女は開いた手に人差し指を添えて6という文字を作る。簡単なジェスチャーでもいけそうだ。


「あのリースって奴に本当に教えさせるんですか」


「安心してくれ、確かに口は悪いがアイツになら任せられる。その事は俺が保証する」


「まあニルスさんがそこまで言うなら……」


 ニルスは戻ってきたと思ったら、後ろに修道服の女を連れて歩いてきている。僕が視線を向けると、彼女は敵意を込めて睨んでくるが完全に無視する。


「ニルス、蝋板はあったか?」


「おう! ほらリース」


 本のように紐で結びつけられた二組の蝋板と、ペンみたいな奴を掲げるニルス。その後ろではまだ女が睨んでいる気がするが、今度は見てもやらない。


「よし、じゃあ机のある所に移動するぞマルタ。ニルス、この教会モドキのどこにあるのか案内しろ」


「2階の応接室にあったな。よし付いてこい」


 マルタは静かに長椅子から立ち上がると、僕とニルスの後に続いてくる。だがその後ろに女も引っ付いて来たので、いい加減に気分が悪くなってきた。


「なあ、さっき言った言葉が分からなかったのか」


「自分の家のどこに居ようがこっちの勝手ですよね? 嫌ならアナタが出ていったらどうですか?」


「どこが自分の家なんだよ。勝手に住み着いてるだけだろうが。消え失せろよ、このドブネズミ女が」


「ニルスさん、今の聞きましたか!?」


 第三者を味方に付けて数の力で攻撃してこようとするとは卑怯なドブネズミだ。残念ながらニルスはこっち側の人間なので、お前に味方はしないけど。


「リース。さっきのもそうだが女性が怖いって理由があっても、暴言を吐いていい訳じゃないんだぞ」


「ですよね! ニルスさん」


「おい、裏切り者め! ふざけるなよ!」


 怒鳴り声を上げると、マルタは僕に近くに来るよう手招きした。なにかと思い彼女の目の前に立ったが、それでも手を振るのを止めないのでしゃがむ。


「なんだよ、クソガキ」


 同じ視線に目の高さを合わせてやると、彼女は「めっ」とでも言わんばかりに人差し指を僕に向けてきた。その様子を見て女が腹を抱えて笑ってる。


「あははは、6歳の子供に怒られてるっ!」


「マルタ! やっぱり僕の事を舐めてるだろ!」


 首を振るとマルタはニッコリと笑って、僕の頭を撫でてくる。勿論すぐに払い除けたが、女の顔を見ると目に涙まで浮かべながら更に笑い声を強めた。


「マルタ、あの女も僕の事を馬鹿にして酷いと思わないか? そんなに笑われたら傷付くんだが……」


 僕が悲しそうな顔をしてそう言うと、マルタ心を痛めたようだった。彼女は足を優しく叩いて女の注意を自分に向けると、手話で何かを伝え始めた。


「……あ、うん。そうですよね、マルタちゃん」


「ニルス、あの女は何て言われてる?」


「人の失敗をそんなに笑うのは酷いと言ってるな」


「ははっ、お前も6歳の子供に怒られたな!」


 僕が大笑いしてやると、女は顔を真っ赤にしてこっちを睨んでくる。だが悲しそうな顔が演技だとバレたので、マルタの方も頬を膨らませ怒っていた。


「そんな怒るなよ、クソガキ」


「マルタちゃん、アイツをもう一度怒って下さい」


「おい、そしたらこのドブネズミ女はまた笑うぞ」


「2人とも大人げない事は止めてさっさと応接室に行くぞ。マルタ、この中でお前が1番大人だった」


 ニルスに頭を撫でられると、彼女は年相応の笑顔でパッと笑う。女はまだ僕を睨んでいたが、触れるとこっちも火傷するのでもう会話しないと決めた。

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