第六十四話 幻影からの導き
充満するオルガンの音色と錆びた鉄の匂い。毒々しいステンドグラスと逆さの十字架、見下ろす苦悶の巨像。
分断されたアスハは邪教の礼拝堂に立たされていた。
「なんて建築物だ、よくここまでのを作ったね。まあ、趣味は悪いけど」
今のアスハに恐れはない。そんな感情はとうにロストしている。
「全班、配置につけ!」
アスハを包囲する四人の構成員と、五十の『影』の兵隊。一斉に銃口が睨みつける。対獣、対戦車を想定された銃身が、一人へ向けられた。
「やっぱりあるよね、近代兵器」
「――ファイアッ!」
三百六十度、五十二のライフル弾と七のロケットランチャーが発砲される。全方位からの弾丸は隙間なくアスハを囲む。
「――なるほどね」
弾頭はアスハに到達しない。彼が無動作に起こした衝撃波で弾は塵となる。灰となった弾丸は床に散らばった。
「なにか術式でも組み込んだのか。追尾に貫通、威力も上げてるね」
アスハは酷く冷静だった。それはスキルの感情消費のせいではない。
ひとえに、死線をくぐり抜けた経験値が「取るに足らない」と告げていた。
緩やかに歩み出すアスハ。その姿は瞬間、床から兵隊たちの真上へ移動する。
「頭上四メートルに確認! 発砲継続せよ」
「俺に上を取らせた時点で、もう負けてるよ」
アスハの瞳の色が動く。
「『限りなき無秩序』、大気成分変更」
詠唱直後、アスハは天井付近まで浮き上がった。
戦闘員達はスコープ越しにアスハを見上げるも、
「カッ――」
天井を仰いだ彼らは即死を悟った。
赤に染まる視界と膨張する鼓膜。灼熱に犯された彼らは泡を吹き、『影』諸とも地に伏した。
見下ろす破壊神は消えゆく命を目に焼き付けた。
「硫化水素。密度の大きいこの気体は、沈んで君達に襲い掛かる」
酸素と硫化水素の置換。
帰還者、異世界人でも毒ガスを吸っては死に至る。ましてや酸素と同等濃度の空間など無論だ。
大気の比率を修正してアスハは降下した。
「せっかくの異空間だからね。空間の要件変更は多少粗雑でも構わない」
無秩序な破壊神は地へ降り立つ。
「変更終了、と……定義を多少省けても消費代償が割に合わないね。魔力での代用もいい加減ジリ貧だ」
生身の構成員は倒れ、絨毯のように床へ張り付く。灰燼は屍を振り返らない。
しかし骸の狭間から『影』は這い出る。黒き兵士達は奇襲をしかける。
「人間じゃないなら、たしかに効きづらいよね」
黒砂の剣に火炎が奔る。首元を狙った一振り。
アスハは身を翻し、十字架で『影』の黒剣を受け止める。受け流しながら、十字に命じた。
「起きろ、アルパージ」
粛清兵装は槍状に伸び、『影』の頭蓋を貫いた。一突きでその一体は消滅する。
今度こそ確実に葬った。しかし影はあと五十三体も残っている。
「選択肢はない。一か八か、『限りなき無秩序』で全壊させるしか――」
割り込んで機械音声が語りかけた。
『マスター保有者「リンドウ・アスハ」の危機を感知。アルパージ自律機構、解除』
十字架はアスハの命令を待たずに目覚めた。
内部魔力を浸礼魔法へ変換。標的を補足、弾丸の出力演算を開始。
『自動粛清、開始』
白い迅雷が辺りの『影』を薙ぎ払った。白い星の輝きに黒霧は塵も残さず散る。
「なんだ、アルパージが、勝手に……」
『迎撃対象、撃墜完了。メッセージを再生』
女性らしい音声が途絶えるとアルパージも元の十字に戻る。
続けて古ぼけたカセットテープのような音声がアルパージの宝石部分から響く。
『――やあ。久しぶり、と言うべきかな? アスハ君』
「羽山先生ッ!?」
師の声にアスハは大きく動揺した。その様子を見透かしたように機械から軽快な笑い声が響く。
『これは生前の私が録ったメッセージだ。このメッセージを聞いてる頃には……というアレさ』
「先生、俺のために……」
『難しい会話こそ出来ないが、複数の音声データとアルパージの演算機能で簡単な会話は可能としている。不明点は解消したまえ』
悲しみを一時喪失していた彼の瞳に、数滴分の涙が滲む。十字架を持つ手は歓喜に震えた。
『このメッセージは君専用の追加訓練プログラムのアナウンスだ』
「それは、指南書に載っていなかった浸礼魔法の!」
『君は見事に退魔師見習いとなったが、当然一人前とまではいかない。浸礼魔法もアルパージも、マスターにはまだ時間を要するだろう』
幻影は死して尚、後継にその叡智を繋ぐ。
『課外授業の始まりだ。私が傍にいると思って、安心して試練に立ち向かいなさい』
「これ以上に、心強い言葉は知りません」
十字架が放つ恩師の体温に、アスハは凛とした眼差しを返す。
この間にも影の兵隊は聖堂の外から追加された。
「良い練習台だ。付き合ってもらうよ」
地より這い出る烏合の衆に、退魔師がかける慈悲はなし。
獲物を前に、粛清兵装は嘯く。
『マニュアルモードへ移行。粛清モード、活性化』




