第五十一話 痕跡なき隣人
十二時を告げる学校のチャイム。帰宅していく生徒は半数ほどで、残りはそれぞれの部室に向かっていく。
二学期の始業式後は意外にも、いつもと変わらない放課後だった。
物理準備室はキャットフードの匂いで満ちている。
白猫は頭のMの字模様を揺らし、エサの器に顔を埋める。
「ほれほれぇ~っ。まーちゃん美味しいねぇ」
盛りつけたキャットフードはものの十数秒で平らげられた。
「少し太り気味になってきちゃったね。運動もさせようか?」
「いやアスハ、この顔は意地でもダラけるって顔だぜ」
何かを察したのか、愛猫は露骨に嫌そうな顔を浮かべていた。
満腹になった猫を三人は揃って撫でいる。
するとアスハの携帯に通話がかかってきた。『無島』とポップアップ表示されたアイコンを叩く。
「はい、アスハです」
『凛藤、新学期早々悪いな。またお前らに頼みごとがある』
「本当に早々ですね。朝会ったばかりなのに……もちろん大丈夫ですが」
『手が空いたらで良い、石鐘の捜査任務に協力してくれねぇか。その周辺で目撃情報が入った』
「石鐘……この前の異世界帰還者ですね」
――謎の異世界帰還者の少年、石鐘。
戦闘後のリリが偶然遭遇し、『組織』から何故か逃げ続けている噂の少年。
「分かりました。協力させてください」
『足取りが掴めるところまでで良い。何かあれば、山里に連絡を入れろ』
「山里さんに? 無島さんじゃなくてですか?」
『俺は別件でしばらく連絡取れそうになくなった。何かあった時にゃ、山里に増援を要請させる』
「分かりました。無島さんもどうか気を付けて」
「おう、お前らも』
『……だってさ」
仲間たちは猫じゃらしを机に置き、肩を回していた。
「しゃーねェな」
「新学期早々、異世界帰宅部のクエスト開始ってとこね」
やる気に満ちた三人は捜索準備を始めていた。
※
無島の連絡から二時間半が経過した昼下がり。
「目撃情報ってホントかよ」
捜索の成果は皆無。
異世界帰宅部が総力をあげて探し回ったものの、何も特定出来なかった。魔力はおろか足跡や匂い、痕跡の一片さえも。
「無島さんの情報だと、石鐘は千景高校付近に昨日現れたみたいだけど……」
「ぜんっぜんダメ。探索に神獣の子たち喚んだけど、何にも感知しない」
「リリィでも辿れないとか、もう移動してンだろそれー」
「だとしても痕跡がないのは怪しいよ。わざわざ匂いまで消して移動なんて、普通あり得ない」
「そんな変か~?」
捜索状況と感覚から、リリはある推論に至る。
「……多分だけど、彼の能力は概念系スキルかも」
石鐘と相対した当時の状況をリリは思い返す。
「目の前に来るまで気配もなかったし、アタシの顔を見た途端、パッと消えちゃってた。アレは魔法とか、空間転移って雰囲気じゃなかったわ」
「リリィやアスハの気配遮断とかと違ェの?」
「もっと強力。あれは、スキルの域だった」
「そこ気になるか?」
「アスハの『限りなき無秩序』の炎と、アタシの魔術由来の炎。威力も燃費も、スキル由来なアスハの方が強力でしょ? それと同じ」
「つまり俺みたいに強力な概念系スキルで、気配を痕跡レベルで消せる能力……ってことだね?」
「大正解よ。花丸もの」
ツムギは首を傾けながら雰囲気で理解する。
「気配を消す概念……俺のステルス化以上の効果なら、捜索は一筋縄じゃいかなそうだね」
「ええ……だって彼、明らかに人目を避けてるもの。アタシを見た途端に逃げたし……それに何か、怖がってるようにも見えたわ」
リリィの記憶に残る少年は、酷く疲れた姿で刻まれていた。
不衛生な身なり。血色の悪い肌と目元のクマ。六児の母だったリリには、見ていて堪える容姿だった。
リリには喉に刺さった小骨のような感覚が残る。
「ちと惜しいけど、一回部室に戻ろうぜ? 熱中症になっちまう」
「そうだね。俺も暑くなってきた」
「ツムギは氷出せないの~?」
「無理だな。『最適化』で氷作っても、溶けてすぐ解除されちまう」
「じゃあアスハ~」
「俺も周囲の目があるから、冷風ぐらいなら出せるけど……戦闘以外の時は物理演算を控えたい」
「体温を直接下げるとかできねェの?」
「人体に直接スキルは危険だよ。出力ブレたら細胞ごと砕けるか、内臓が壊死する」
「こっわ……」
雑談で石鐘のことを忘れようと、三人は会話に花を咲かせた。
※
「ハァー極楽極楽ゥ……」
部室へ戻って一番、冷房に感謝して三人は椅子で溶けた。火照った体を休ませ、自販機のスポーツドリンクを飲み干す。
「汗かいたらスポドリよねぇ。異世界でも作ったけど地元のが一番……」
ペットボトルを机に置いた時、リリの目に猫じゃらしが映った。
そして部室の違和感に気付く。
「あれっ、まーちゃんがいない!?」
「えぇっ、ちゃんと戸締りしたはずだぜ!?」
「どうしよう。確かに部屋にまーちゃんの反応がない」
魔力でも気配を探っても、猫の反応は周囲になかった。
アスハは床の白い抜け毛を拾い、首元の十字架に触れさせる。
「……アルパージ、起動」
十字架は演算処理を開始した。
毛の特定を終えると突然、レーザーのような光が猫の現在地点まで伸びる。光は窓の外まで伸びていた。
「完全にどこかへ逃げてるね。リリィ、召喚獣も使って追いかけよう」
「分かったわ、行きましょ!」
「おい待てアスハ。その十字架ンなことできたのかよ?」
「説明したいけど後でね。俺も知らない機能ばかりだし」
指し示す光を追いかけ、三人は再び外へ向かった。
※ ※ ※
街角の寂れた公園跡地。雑草も放置され、ゴミも投棄された空き地には誰も寄り付かない。
その沈黙の隠れ家に一匹の子猫が踏み込んだ。
白い毛並みに頭部のMの字模様が茂みの中でも目立つ。
猫は誰もいない朽ちたベンチの前に座す。
その小さな声帯から、中年男性に似た重低音の声を発する。
「……久しぶりだな」
ニヒルな笑みを浮かべ子猫の前を、そよ風が吹いた。風に揺れる草がざわめく。
猫が数度まばたきをすると、薄汚れた少年がベンチに腰かけていた。
「ああ、久しぶり」
クマが染みついた少年は気だるげに、平然と猫の挨拶を返す。猫は苦笑を浮かべる。
「こうして顔を突き合わせるのも久方ぶりか。すっかり忘れられているかと思っていたところだ」
「馬鹿言え。ずっと思念飛ばしてきてただろ」
「フッ、それもそうだったな」
冗談を飛ばす猫に呆れながら、少年は深い溜め息をついた。
「それにしてもどうしたんだ? そっちから足を運んでくるなんて」
「報せだ。異世界帰宅部が、お前を必死になって探しているぞ」
「なッ!?」
「最低限の思念を飛ばしてお前を呼び出したのは、連中からの逆探知を危惧したためだ」
「リリにバレただけで、なんでそこまで……」
「例の『組織』とやらからだ。お前の優先順位はさして高くないようだが、なんせ相手はあのアスハらだからな。悠長にもしてられまい」
「侮る気はないよ。奴らの戦闘を傍から眺めてただけでも、そんなこと分かるっての」
ボサボサ髪をくしゃくしゃに掻き上げ、少年は面倒なことになったと呟く。
猫は「そう慌てるな」と少年を諫めた。
「彼ら……いや、主様共は帰還者の中でも少数精鋭にして最大戦力。お前とて、遭遇すればタダでは逃げられんやもしれんぞ」
「冗談言うな。僕が身を隠すことなら誰にも負けないこと、一番理解してるはずだろ?」
「フン、それもそうだな」
人語を介すネコは不敵な笑みのまま、真の主を見上げて呼んだ。
「――我が主、石鐘リーマよ」




