第四十四話 悪逆の異世界転生者
静寂の夜を割って介入する烈火の空間。世界から隔絶された地は、内側から虚空を焦がす。
「逃げ場なんてないわよ。炙られるぐらいならさっさと焼け死んだ方が世話ないわよ?」
不敵に笑う悪姫は戦場のイロハを心得ていない。ただ粗雑に炎を回す。
戦局を見据えているのは、杖を握る乙女だけであった。
「霊獣召喚、『迷える獣たち』同時使役」
アザラシ、イルカ、クジラの召喚獣が水を口から噴き、火の手を鎮める。鎮火した道を優雅に、一歩づつリリは進む。熱さえ彼女には届かない。
「降霊麗装、起動」
光の羽衣に身を包み、乙女はにじり寄る。
かと思えば瞬く間に高速移動し、またゆっくりと歩き始めた。
姫君の視線を右往左往させ、リリは戦いの主導権を奪い取る。
獲物を前にした捕食者と同じく、首元へ噛みつくタイミングを計っていた。
「ちょこざいわね!」
「アンタがノロっちいだけでしょ。運動不足のデブ予備軍」
苛烈に咲く百合の花は毒を帯びる。加減ない罵倒は姫君のプライドを簡単に刺激する。
「なんて無礼な……! この下民女、骨の一欠片も残してあげないから!」
物を投げつけるようなモーションで姫君は火焔を繰り出す。
大雑把な攻撃は火武装したリリに傷一つ付けられない。
「何が下民よイキり箱娘。異世界での身分はこっちで関係ないでしょうが」
「ハァ!?」
「アタシもアンタもこっちじゃ一般人で、こんな街中で襲って来るアンタは正真正銘のイカれ女。お分かり?」
「なにを、訳わかんないことを……!」
姫の口調から余裕が消え始める。余程口論の経験がないのか、リリに捲くし立てられ翻弄される。
「異世界帰還者は嫌でもその過去を、こっちじゃ捨てなきゃいけないのよ。その異世界で歩んだ人生が、どれだけ華々しいものだったとしても」
「誰に向かって口を利いてると思って……私はッ!」
「見るに堪えないってのクソアマ。いつまでもお姫様気分でいんじゃないわよ」
怒りで悪姫の気を逸らす。そこまでがリリの戦略だった。
姫の口から、その言葉が飛び出すまでは。
「――さっきからその異世界帰還者っての、何なのよそれ?」
「……は?」
予想もしていなかった返答に、リリの思考が一時切断される。
瞬間、薄気味悪いものを感じた。
すぐさま詰めていた距離を離し、断ち切られた思考の再接続に努める。
悪姫は怪訝な顔で話を続けた。
「さっき頭の中に降ってきた単語だけど、意味がよく分からないわ。それに異世界ってどういうこと? たしかにこの国は見たことも聞いたこともない場所だけど」
「なに、言ってんの?」
「それに建物も衣服もよく分からないものばかり。アンタのその服もなによ。庶民にしては良い生地を使っているし、貴族にしては貧相な飾りだわ。有力商人の娘ってところ?」
不可解な認識齟齬、異世界での振る舞いを変えようともしない態度。
姫君の発言を一つづつ思い返し、リリは思い至る。
「そうか、この娘は違うんだ。アタシ達とは根本から違う……なんでこの可能性を今まで考えなかったんだろう。アナタは」
常識が新たに更新される――異世界転生、その構造を。
「――異世界からこっちの世界に渡ってきた、純粋な異世界転生者。現代帰還じゃない、向こうで生まれ育った異世界人の異世界転移」
前例なき、この世界への異世界転生。
それだけで多くの混乱を招く事象だが、真に危惧すべき点はそこではない。
リリの頭にある懸念が浮上する。
「アタシ達は異世界転生で、スキルも魔術も持ってない状態から力を手に入れた。だからもし、元から魔術に長けた異世界人が転生したら……」
最悪なパズルはハマっていく。
「なに言ってるのかよく分からないけど、終わらせてあげる。平民には勿体ないフィナーレを送ってあげるわ」
「なッ!」
「これは《《さっき》》手に入れた新たな魔法よ。せいぜい味わいなさいな」
腕の一振りにより、火炎の世界は姫君の思うがままに遷移する。
「『我が完全たる城』」
世界が張り替えられる。
覆われた焦土は大理石に、炎の壁は取り払われて空間が拡張。
それは空間の遮断ではなく乗算。
物体、道路、建物の表面にテクスチャを張り付けたような、世界を分割しない亜空間の生成だ。
「高度な空間拡張……魔法だと膨大なリソースを食うこの技術を、まさか単純なスキル発動で……」
現世を侵食した城は安定的に存在していた。
火炎が這い、貴金属の武器が壁面に掛けられ、下品に煌めく宝石の城。玉座の前に佇み、姫君は悪辣に微笑む。
「帝国の冷姫が直々に葬ってあげるわ」




