第三十七話 聖職者 羽山詩連の夜明け
「おめでとう、アスハ君。キミに心からの祝福を」
惜しみない拍手にアスハは気恥ずかしさを見せた。
「退魔師、って言われても実感が湧かないものですね」
「正確には、退魔執行代理人見習いと言ったところか。組織もない今、肩書などどうでも良いけどもね」
「それでも嬉しいですよ。だって、羽山さんから貰える称号ですから」
「世辞が上手いことだ……気に入ってくれたのなら、満足だ」
「……羽山さん?」
「これからは己の信念と正義ため、浸礼魔法を使いなさい。これが最後の教えだ」
アスハの心臓が縮まる。いつもと変わらない神父の言葉が嫌に重く感じた。
――そんなのまるで遺言みたいだ。
言霊となってしまう気がして、その言葉を飲み下す。
羽山は笑って誤魔化し、地面の下を見つめる。
「やれやれ、瘴気を浄化しても根元に残っているな。鎮めるとしよう」
空に手をかざし、羽山は意識を大地の奥深くまで巡らす。
持ちうる最大の浸礼魔法を神父は詠唱に込めた。
「……人よ、歩みたまえ。足掻きたまえ。その醜態に美を見出したまえ」
地脈に浸礼魔法が浸透し、光の根は街まで拡張。一帯の地面が白く輝く。
「脆く矮小なあなた。銀貨を持って裏切りしあなた。その口づけを悔いることなかれ」
大地を巡り、聖光は世界を清める。
「罪は洗い流すことあたわず、業を逃れることかなわず、贖いを尽くすことならず。なればその血と肉を光に投げ入れよ。天の下に痴を晒し、屍さえ橋となりて只人を導かん」
純白の煌めき。極光と蒼白の星が撃ち出される。
「神あらざるあなたへ。魔ならざるあなたへ。その生を祖に代わって見届けよう――『贖いを想え』」
光の波動が心拍のように幾度も街へ広がった。
解き放たれた神秘は闇を裂き、白夜を到来させる。
※ ※ ※
――私の心の鬼が去ったのは、天空決戦が終結した瞬間だった。
剣を差し込んだ時、ふと体から重みが消えた。張り詰めた肺に空気が入る感覚だった。
「――これが、解放感か」
そんな私が踏みつけ、刃を刺していた相手は、その世界の最高神だった。
『にん、げん風情が……神を、殺そうとは……』
四肢を失い、臓腑を焼かれた最高神は依然傲慢だった。驕った態度を改めるどころか、憤慨を口にしていた。
だが人間のように苦悶する姿を見て存外、親近感を覚えた。所詮神は人の紛い物という事実を得た。
『創成の神々を殺して、その子たる人間共が……がハッ、生きていけると、思うのか』
「子はいつしか親元から巣立つ。貴様らが説いた教えの一つだろう」
命の断ち方は人を殺す際と変わらない。首に立てた剣を捻って筋を断ち切るのみ。
『われは、世界の、すべてッ――』
血の一滴も流さず、神の遺体は光塵として空へ消えた。
その絶命をもってあの世界の人類は、神の支配から永久に解放された。
「暇につけ、永久に」
怒りや憎しみを地上に置いて来てしまったのか、穏やかな安堵だけが胸にあった。
犠牲と割り切るには多過ぎる痛みを私達は支払った。だのに心は晴れ渡る。
本当に神殺しは正義だったのか。そう自問自答もした。
「……これは、声?」
地上から歓喜の声が聞こえてきた。神の死に民は打ち震える。
オルゴールの音のような歓声が天空の神殿まで届いてきた。
その声に、私は答えをもらった。
「死んでいった彼らも、笑っているだろうか」
人々の笑みを見てしまった。歓声を聞いてしまった。その温かさを知ってしまった。
涙を流し、苦しみながらも、また笑って立ち上がろうとする彼らの姿が、私はどうしようもなく美しいと思ったのだ。
「これが私達が手に入れたもの、か……」
その光景を、未来を、私は間違いだなんて思いたくなかった。
天空から拝んだ朝日は、この上なく眩しかった。
「……ようやく日陰から出られたな」
そして羽山詩蓮は人間に至った。
その夜明けを私の魂に焼き付けた。朝が来る度に、その想いを懐古するために。
「……さて、戦争も終わったことだ。街の補修作業に取り掛かるか。もしくは医療従事者になるか? それか教師、いや――神父の真似事でもしてみるか」
あの瞬間から私の人生は始まったのかもしれない。
世話焼きで罪深い、神父もどきの物語が。
※ ※ ※
浸礼魔法の光が収まった頃、空は朝日を迎えつつあった。
教会の丘から臨む地平線が明るさを帯びていく。アスハはその光に見惚れる。
「これで終わりましたね、羽山さん。残すあの獣は、決行日に――!」
夜が終わりを告げ始め、伝説も幕を閉じ始める。
アスハは網膜に刻んだ。透けていく羽山の体越しに滲む、酷く美しい夜明けを。
「残念だが、私の指導はここまでだ」
「ぅ、そだ……そんな、こんなのって」
「どのみちあと数日の命だった。それが繰り上がっただけのことさ」
羽山詩連の存在が希釈する。体は光がすり抜けて、彩度を失っていく。
単なる死ではない。魂そのものが、水泡のように消滅していたのだ。
浸礼魔法でも『限りなき無秩序』でも止めることのできない魂の終焉だ。
「今宵の戦闘と封印の『帰死廻生』で魂のエネルギーは使い果たした。これで私は《《最後》》だ」
異世界帰還者であるアスハはその意味を理解する。
「魂を維持できる最後の人生だ。もうこの魂は転生することも適わない。本来あるべき終わりの形を迎える」
「っ……」
「そんな顔をするな。これでいいのさ。この生に一切悔いはない」
今際の際でさえ羽山は穏やかだ。だが涙する愛弟子の前ではいつものように冗談めかせない。
羽山は震える弟子の頭に手を置き、そっと撫でる。
手の感触がやけに軽いことを感じ、アスハの涙は更に溢れた。
「まったく、贅沢な生き方をさせてもらったものさ」
羽山は満たされていた。教え子の成長を僅かな間でも見届けられたことに、心から歓喜していた。
アスハは神父の肩や祭服を掴もうとするも、手は空を切るばかり。
「友達を助けるための弟子入りだったのに、救われたのはまた俺の方だ。なのに、何も返せないまま……」
「何かを貸したつもりはない。授業料であれば、今の君の姿で充分だ」
最後にアスハの温度を感じた羽山は目を伏して微笑む。
「全く。救われたのはどっちなんだか……」
いつになく優しい声音で羽山は呟き、首に掛けた十字架を外す。
その首へ掛けてやり、粛清兵装を愛弟子へ渡した。
「これを。君に託そう」
「羽山さんの、十字架……」
「遺言やらはアルパージの機構に保存した。形見代わりと思って受け取ってくれ」
十字架はまだ温かい。羽山の体温が消えゆく蝋燭の火のように、金属に微かに残っていた。
「後生、大切に使わせていただきます。誰かのために」
真っ赤に腫らした目元を拭い、アスハは師へ誓う。十字架を継承した灰燼の目に白き輝きが灯った。
「神様なんて信じちゃいないが、もし会えたら文句の一つぐらい言ってやらないとな」
「なにをですか?」
羽山はまたいつも通り神へ文句を垂れる。
「愛弟子にこんな苦労をかけたヤツなんだ。聖職者が説教しないで誰がする」
「……神様に説教する神父なんて聞いたことありませんよ」
「ハッハッハ、全くだ」
黎明の間際、聖職者は弟子の背を押した。
「責務を全うしろ、凛藤明日葉……今度こそ君が、世界を救う時だ」
灰燼の心は燃え上がる。
涙を流し切ったアスハは最後に、恩師へ手向けの言葉を告げた。
「……羽山先生ッ!」
意表を突かれた師を彼は笑みで見送る。
「――お疲れ様です。良い旅を、先生」
「先生、か。ハハッ。その肩書きが、一番しっくりくるかもな……」
――夜明けの太陽が羽山の姿を飲み込んだ。
地平線からの朝日は教会を照らし、陰を消し去る。アスハの前には一人分の空白が生まれていた。
しかし体温だけはまだ残っている。託した十字架と、青年の心の中に。
涙でアスハの視界は滲む。
拝んだその朝日は、今までにないほど黄金に輝いていた。




