表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/67

第三十七話 聖職者 羽山詩連の夜明け

「おめでとう、アスハ君。キミに心からの祝福を」


 惜しみない拍手にアスハは気恥ずかしさを見せた。


「退魔師、って言われても実感が湧かないものですね」


「正確には、退魔執行代理人()()()と言ったところか。組織もない今、肩書などどうでも良いけどもね」


「それでも嬉しいですよ。だって、羽山さんから貰える称号ですから」


「世辞が上手いことだ……気に入ってくれたのなら、満足だ」


「……羽山さん?」


「これからは己の信念と正義ため、浸礼魔法を使いなさい。これが最後の教えだ」


 アスハの心臓が縮まる。いつもと変わらない神父の言葉が嫌に重く感じた。


 ――そんなのまるで遺言みたいだ。

 言霊となってしまう気がして、その言葉を飲み下す。


 羽山は笑って誤魔化し、地面の下を見つめる。


「やれやれ、瘴気を浄化しても根元に残っているな。鎮めるとしよう」


 空に手をかざし、羽山は意識を大地の奥深くまで巡らす。

 持ちうる最大の浸礼魔法を神父は詠唱に込めた。


「……人よ、歩みたまえ。足掻きたまえ。その醜態に美を見出したまえ」


 地脈に浸礼魔法が浸透し、光の根は街まで拡張。一帯の地面が白く輝く。


「脆く矮小なあなた。銀貨を持って裏切りしあなた。その口づけを悔いることなかれ」


 大地を巡り、聖光は世界を清める。


「罪は洗い流すことあたわず、業を逃れることかなわず、贖いを尽くすことならず。なればその血と肉を光に投げ入れよ。天の下に痴を晒し、屍さえ橋となりて只人を導かん」


 純白の煌めき。極光と蒼白の星が撃ち出される。


「神あらざるあなたへ。魔ならざるあなたへ。その生を祖に代わって見届けよう――『贖いを想え(メメント・リディン)』」


 光の波動が心拍のように幾度も街へ広がった。

 解き放たれた神秘は闇を裂き、白夜を到来させる。



 ※ ※ ※



 ――私の心の鬼が去ったのは、天空決戦が終結した瞬間だった。


 剣を差し込んだ時、ふと体から重みが消えた。張り詰めた肺に空気が入る感覚だった。


「――これが、解放感か」


 そんな私が踏みつけ、刃を刺していた相手は、その世界の最高神だった。


『にん、げん風情が……神を、殺そうとは……』


 四肢を失い、臓腑を焼かれた最高神は依然傲慢だった。驕った態度を改めるどころか、憤慨を口にしていた。


 だが人間のように苦悶する姿を見て存外、親近感を覚えた。所詮神は人の紛い物という事実を得た。


『創成の神々を殺して、その子たる人間共が……がハッ、生きていけると、思うのか』


「子はいつしか親元から巣立つ。貴様らが説いた教えの一つだろう」


 命の断ち方は人を殺す際と変わらない。首に立てた剣を捻って筋を断ち切るのみ。


『われは、世界の、すべてッ――』


 血の一滴も流さず、神の遺体は光塵として空へ消えた。

 その絶命をもってあの世界の人類は、神の支配から永久に解放された。


「暇につけ、永久とこしえに」


 怒りや憎しみを地上に置いて来てしまったのか、穏やかな安堵だけが胸にあった。

 犠牲と割り切るには多過ぎる痛みを私達は支払った。だのに心は晴れ渡る。


 本当に神殺しは正義だったのか。そう自問自答もした。


「……これは、声?」


 地上から歓喜の声が聞こえてきた。神の死に民は打ち震える。

 オルゴールの音のような歓声が天空の神殿まで届いてきた。

 その声に、私は答えをもらった。


「死んでいった彼らも、笑っているだろうか」


 人々の笑みを見てしまった。歓声を聞いてしまった。その温かさを知ってしまった。

 涙を流し、苦しみながらも、また笑って立ち上がろうとする彼らの姿が、私はどうしようもなく美しいと思ったのだ。


「これが私達が手に入れたもの、か……」


 その光景を、未来を、私は間違いだなんて思いたくなかった。

 天空から拝んだ朝日は、この上なく眩しかった。


「……ようやく日陰から出られたな」


 そして羽山詩蓮は人間に至った。


 その夜明けを私の魂に焼き付けた。朝が来る度に、その想いを懐古するために。


「……さて、戦争も終わったことだ。街の補修作業に取り掛かるか。もしくは医療従事者になるか? それか教師、いや――神父の真似事でもしてみるか」


 あの瞬間から私の人生は始まったのかもしれない。

 世話焼きで罪深い、神父もどきの物語が。



 ※ ※ ※



 浸礼魔法の光が収まった頃、空は朝日を迎えつつあった。

 教会の丘から臨む地平線が明るさを帯びていく。アスハはその光に見惚れる。


「これで終わりましたね、羽山さん。残すあの獣は、決行日に――!」


 夜が終わりを告げ始め、伝説も幕を閉じ始める。

 アスハは網膜に刻んだ。透けていく羽山の体越しに滲む、酷く美しい夜明けを。


「残念だが、私の指導はここまでだ」


「ぅ、そだ……そんな、こんなのって」


「どのみちあと数日の命だった。それが繰り上がっただけのことさ」


 羽山詩連の存在が希釈する。体は光がすり抜けて、彩度を失っていく。


 単なる死ではない。魂そのものが、水泡のように消滅していたのだ。

 浸礼魔法でも『限りなき無秩序(アンリミテッド)』でも止めることのできない魂の終焉だ。


「今宵の戦闘と封印の『帰死廻生フル・リバイブ』で魂のエネルギーは使い果たした。これで私は《《最後》》だ」


 異世界帰還者であるアスハはその意味を理解する。


「魂を維持できる最後の人生だ。もうこの魂は転生することも適わない。本来あるべき終わりの形を迎える」


「っ……」


「そんな顔をするな。これでいいのさ。この生に一切悔いはない」


 今際の際でさえ羽山は穏やかだ。だが涙する愛弟子の前ではいつものように冗談めかせない。


 羽山は震える弟子の頭に手を置き、そっと撫でる。

 手の感触がやけに軽いことを感じ、アスハの涙は更に溢れた。


「まったく、贅沢な生き方をさせてもらったものさ」


 羽山は満たされていた。教え子の成長を僅かな間でも見届けられたことに、心から歓喜していた。

 アスハは神父の肩や祭服を掴もうとするも、手は空を切るばかり。


「友達を助けるための弟子入りだったのに、救われたのはまた俺の方だ。なのに、何も返せないまま……」


「何かを貸したつもりはない。授業料であれば、今の君の姿で充分だ」


 最後にアスハの温度を感じた羽山は目を伏して微笑む。


「全く。救われたのはどっちなんだか……」


 いつになく優しい声音で羽山は呟き、首に掛けた十字架を外す。

 その首へ掛けてやり、粛清兵装を愛弟子へ渡した。


「これを。君に託そう」


「羽山さんの、十字架……」


「遺言やらはアルパージの機構に保存した。形見代わりと思って受け取ってくれ」


 十字架はまだ温かい。羽山の体温が消えゆく蝋燭の火のように、金属に微かに残っていた。


「後生、大切に使わせていただきます。誰かのために」


 真っ赤に腫らした目元を拭い、アスハは師へ誓う。十字架を継承した灰燼の目に白き輝きが灯った。


「神様なんて信じちゃいないが、もし会えたら文句の一つぐらい言ってやらないとな」


「なにをですか?」


 羽山はまたいつも通り神へ文句を垂れる。


「愛弟子にこんな苦労をかけたヤツなんだ。聖職者(わたし)が説教しないで誰がする」


「……神様に説教する神父なんて聞いたことありませんよ」


「ハッハッハ、全くだ」


 黎明の間際、聖職者は弟子の背を押した。


「責務を全うしろ、凛藤明日葉……今度こそ君が、世界を救う時だ」


 灰燼の心は燃え上がる。

 涙を流し切ったアスハは最後に、恩師へ手向けの言葉を告げた。


「……羽山()()ッ!」


 意表を突かれた師を彼は笑みで見送る。


「――お疲れ様です。良い旅を、先生」



「先生、か。ハハッ。その肩書きが、一番しっくりくるかもな……」



 ――夜明けの太陽が羽山の姿を飲み込んだ。


 地平線からの朝日は教会を照らし、陰を消し去る。アスハの前には一人分の空白が生まれていた。

 しかし体温だけはまだ残っている。託した十字架と、青年の心の中に。


 涙でアスハの視界は滲む。

 拝んだその朝日は、今までにないほど黄金に輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ