第二十四話 目指した空は異世界の彼方
「あれ、またツムギは休み?」
「街のパトロールなんだってー。部活には顔出すらしいけど」
「なんだかこういう日が増えたね」
三日連日の休み。夏期講習も差し迫った予定もないはずの異世界帰宅部活動日。
それでも部室にツムギの姿はなかった。
「昨日も結局来なかったね」
「今日は来るって言ってたんだよ~? 別にキッツい運動部じゃないんだし、サボるとしても連絡くれればいいのに」
むくれ顔のリリは愛猫の肉球をぷにぷにと触った。ネコはあまり快い顔はしていないが。
「……ねえリリィ、ツムギってもしかして――」
アスハが言い淀んだ直後、パリンッと甲高い音が響いた。割れた窓ガラスが床一面に散らばる。
「きゃあ!?」
割れる音と同時、窓を突き破った何かがテーブルの上に着地する。
埃舞う室内へ転がり込んできた物体は人間。その顔を見た途端に声を上げた。
「ッ、ツムギ!」
流血したツムギが卓上で転がった。
全身から多量の出血。魔力も枯渇し、手足は打撲や裂傷が酷い。呼吸も浅く危険な状態だ。
「なにこの酷い出血っ、瀕死じゃない!」
「応急処置だけなら俺のスキルで間に合う。リリィ、回復魔法はどの程度まで治せる?」
「ここまでぐちゃぐちゃだと完璧には治せない。下手に傷を回復させても感染症と体力切れが怖いわ」
「一度仮死状態にする。病院へ運ぼう」
アスハは『その身に片時の休みあれ』で応急措置を取り、ツムギの時を停止。そのままリリの魔術で二人は病院へツムギを緊急転送した。
※
ツムギを病院へ送った帰り道は、すっかり日も沈んでいた。
病院を後にしながら、怒涛の対応に疲れたアスハは無島と通話する。
「すいません無島さん。お仕事中にご迷惑をおかけしました」
『ったく。今回は自力で戻ってこれたみてぇだが赤原のやつ、失血死寸前だったぞ』
「とにかく無事で良かったです……今の状態はどうですか?」
『余すとこなく重傷だ。さっき目ぇ覚まして命に別状はないらしいが、医者は絶対安静だと』
通話越しでも分かるほどの深い溜め息が聞こえた。
『今後はどうする?』
「ツムギの世話や家族への連絡等は一度リリが。俺も明日お見舞いに行きます」
『目が覚めたらそのバカに言っとけ。無茶に働き過ぎだってな』
「それってまさか、ツムギが言ってたパトロールのことですか?」
『ああ。最近、赤原が魔獣の七割以上を単独で狩ってやがる。立場的に助かっちゃいるが、これ以上は監督役として看過できん』
「ツムギ、なんでそこまで」
『明日になったらキツイ説教だな。異世界じゃ英雄だったとしても、今はただのガキ。本人が自覚出来てないまま、気持ちだけで体動かしちまってんだよありゃ』
厳しくも的を得た見解が語られている。最中、スマホの向こうからリリの切迫した声が響く。
『無島さん大変!』
『次から次にどうした』
『ツムギが病室にいないの。病院抜け出しちゃったみたい!』
『ハァ!?』
会話を耳にしたアスハは、それが何を意味しているのかを理解する。
「ツムギ……!」
嫌な汗を流したアスハは走り出す。
スキルの最大速度で加速し、街中に意識を巡らす。ツムギの弱まった生命反応と魔獣の魔力を辿った。
※
包帯を垂らし、息を乱す影。今にも倒れそうな少年は夜道を彷徨った。
病院衣のまま、亡者となったツムギは徘徊した。朧げな意識の中、かつての記憶を懐古して。
「ハァ、ハァ、いてぇ……けど、大したことねェな。魔神官の呪いとか、アルベスの霊墓に落ちた時の方が、よっぽど辛かった」
一般人であれば意識も保てない痛みだ。内側から焼かれるような痛みがツムギを襲う。
しかし彼の記憶は、魂は、その痛みを覚えている。そして乗り越えてしまっている。
今の肉体では乗り越えられない傷でも、魂がまだ進めると否定する。代償に傷の一部が開き始めた。
「さぁ、餌が来てやったぞ」
ボロボロのツムギは魔力を垂れ流す。自らを囮にしたのだ。
釣られた魔獣は目論見通り、彼の正面で待ち伏せていた。
「先週からだなァ、魔獣が多い。SS級ダンジョン……いや魔竜山脈を思い出すな」
焦点の定まらない目でも、獣の輪郭は逃さない。
鉄の毛皮を纏う巨狼の魔獣。獣は涎を垂らした口で吠えが、ツムギは怯まない。
「脅してんのか? 無駄だよ。こっちは今更、失うモンなんかねェんだっての」
彼は知覚できるだけの傷に『最適化』を施す。
回復ではない。肉を無理矢理繋ぎ直し、激痛と消耗が織り成す荒業だ。一歩間違えば死に至る。
酷使を強いてきた肉体は悲鳴を上げる。だがそんな叫びなど霞んでしまうほど、ツムギの心は悲痛に喘いでいた。
「もうとっくにねェンだよオレには! この世界に戻ってきた時点で、全部パァなんだよ!」
失った栄光を求める目は、絶えず血を流し続けた。
――日輪。その名で彼は謳われていた。
英雄として名を馳せ、異世界の空を照らした日輪の炎。夢物語のような異世界人生を生きた男。
それが異邦の英雄、赤原績だった。
残り火は今日まで、彼を焼き焦がした。
弱くなった己の身体に幾度も失望した。同じく異世界を生きた友の圧倒的な力に何度も打ちのめされた。
――もうお前は英雄ではない。心の中で響く声は、日輪自身を燻ぶらせていたのだ。
ツムギは再び憧憬する。異世界で手に入れた英雄の称号に。
「奪おうってんなら、かかってこい――ここが次のアルカディアだッ!」
日輪の双眸は鋭さを帯びた。
飢えた瞳の奥は、カラカラに渇いた正義感が燃え盛ってた。




