第二十話 剣と孤独と無限迷宮
緑のヴェールが丘を覆っていた。
敷き詰められた草から花々が顔を出す。花弁と葉は風に流され、日の差す快晴の空の下で輝く。
ここは現世から切り離された剣聖の異界。グリフェルトの庭だ。
この世界に存在する音は剣士の息遣いと、風のざわめきだけだった。そこに草を踏みしめる音が入り込む。
丘を登り、アスハはグリフェルトと向き合った。
「待たせてたみたいだね」
「……デルネウゾが討たれましたか」
「意外だな。あんなのに情があったなんて」
「いつかは彼と剣を交える運命でした。ですが多少の物悲しさはありますとも。一応は同盟関係でしたから」
グリフェルトの声音に揺らぎはない。たまに微笑みの吐息が漏れるだけ。
「襲撃者も残るは私のみ、というわけですね」
「今ならまだ、投降は認めるよ」
「おかしなことを。ここまでしでかしておいて、それはないでしょう」
「確かに、そうかもしれないね」
グリフェルトの微笑みは薄っぺらなものではなかった。
言葉の隙間から良心と罪悪感も覗いている。だがそれを理解した上で、剣聖は意志を曲げない。
「それにしても、よくこのダンジョンを発見できましたね。前回といい、もしや探索系のスキルをお持ちで?」
「お前の魔力を可視化して発見した。あとはこの座標に極端な重力を与えて、空間の歪みから侵入したよ」
「そうですか、無茶苦茶なスキルですね……それに比べて私は、この程度の能力しかありません」
剣を収めたまま剣聖は偽りの蒼穹を眺める。
「私のスキル『無限迷宮』。限りなく緩やかに時間が流れる空間を作り出す。それが私の異能です」
「それだけだって?」
「ええ。魔獣やトラップを仕掛けることも出来ますが、あまり好みではありません。本来ならこんな風景だけを流していたいのです」
これから剣を抜く者とは思えないほど、グリフェルトは穏やかだった。
この仮初の世界のように心は静かで、繊細で、そして暖かだ。
「どうですか。虚像ではありますが、ここはあなたの目にも美しく映っているでしょうか?」
「……たしかにここは綺麗だよ」
ありのままアスハは答える。
偽物であろうと懸命に咲く草花は見事なものだったと、彼は心から感じていた。
「このダンジョンは私の唯一のスキルです。魔術も魔道具も使えません」
「転送魔術を使ってたみたいだけど?」
「あれはデルネウゾの力を借りたまで。ですがそれも含め、これからあなたと戦う際は魔術も、ダンジョン由来の攻撃もしないと誓いましょう」
「どういう風の吹き回しかな」
血塗れ髪の剣聖は鞘から長物を抜く。
掲げた刀身は白銀の輝きを放ち、炎の瞳を反射させた。
「決闘です。私は己の信念に一点の迷いもありません。ゆえに、ここで鍛え続けた剣技のみであなたと相対する」
悪に堕ちた剣聖なりの誠意と敬意だった。
「剣のみでぶつかることが、私なりの正義の証明です」
異世界の生を剣に身を捧げた男。違えどもその道は真っすぐに伸びていた。
剣聖の申し出にアスハは承諾する。
「そうか。なら申し訳ないけど、俺はスキルを使わせてもらうよ。俺も戦いにおいては、これしか使えないからね」
「構いません。全身全霊でかかってきなさいッ!」
瞬間、剣と灰燼が衝突した。
アスハの蹴りは音もなく、グリフェルトの顔目掛けて放たれる。
「目では、追えませんね」
より早く、剣聖の刃はアスハの脚を食い止めた。同時にアスハも刃に脚を切られることはなかった。
「これだけじゃ――」
瞬間、アスハの上下が逆さまになった。
気付けば二人は花畑の空へ落ち始める。天地は返り、グリフェルトを中心に重力が逆転する。
「景色の変化につきましてはご容赦下さい! 私の心象風景が反映されているだけですので!」
蒼空へ落ちる中で景色は急変。快晴の空から突如、果てのないビル群が突き出した。
ビルの中は空洞。窓ガラスと鉄骨だけで構成されたコンクリートジャングル。
アスハはその構造を理解し、恐れず飛び込んでいった。
「良いよ。構わず戦おう、グリフェルト」
無限に落ち続けながら、アスハはビルを駆けた。
側面を滑り、吹き抜けをくぐり、鉄骨に上った先で両者はぶつかる。鉄の森で刃と拳が幾度も交わった。
「大気纏着ッ!」
アスハは体表に高濃度の大気を着た。
空気を圧縮した不可視の鎧。何層もの大気で包んだ拳は剣聖の刃を通さない。
「せやぁ!」
「っ、押し込むね……」
剣聖と灰燼の衝突。グリフェルトは幾度も剣を振り、アスハは太刀を拳で払う。
一進一退の攻防が落下の最中に繰り広げられた。
そして景色は一変。二人は夜の森に放り出される。
蛍が飛び交い、象に近い水の魔物が湖の畔を歩く。妖精の住まう幻想の森だ。
「風切り!」
環境変化に驚いた隙だった。アスハの大気装甲がグリフェルトに破られる。
受け損ねた一太刀をもらい、アスハは腕から流血した。
「剣でこれを破るなんて、原理が分からないよ」
「風を切る剣技があるのです。大気を束ねても同じこと」
腕の傷をスキルで強引に塞ぐ中で、アスハは思い知った。単純な大気のガードで彼の剣が防げないことに。
「連撃はここからです! 無法流ッ……」
グリフェルトは一呼吸の間に、無数の流派の剣をその一本で再現した。
「八岐ノ太刀!」
アスハの目に剣聖の腕が八本、時にそれ以上の数へ増えたように見えた。
一振り一振り、異様な剣筋で襲い掛かる。
攻撃を受け流す中、景色は桜の大樹の上に遷移していた。
「変則的な斬撃だ……」
西洋、東洋、ソード、サーベル、短刀、長刀。あらゆる刃物を想起させる斬撃だった。
刀身そのものに変化はない。ただの剣技で千変万化の刃を実現していたのだ。
「この剣はたしかに、スキルじゃない。地道に積み上げて来た人の業だ」
どれほどの時を費やせば、ここまで自在に剣戟を繰り出せるのか。
どれほどの教えを培えば、これほどの流派を体に刻めるのか。
久遠に等しい途方もない時間が刃に宿る。剣を修めていないアスハでえ伝わってくる。
グリフェルトはここで一心に剣を振ったのだろう。そう確信させる実直な剣にアスハは触れ続けた。
「ところで一点、剣を交えつつ言い訳を」
「えぇ?」
「あなた方の学校は、魔力の吹き出し口になっていたがゆえに襲撃しました。私怨はありません」
「それは、律儀にどうも」
舞い散る桜を巻き上げて、二人は巨大樹から身を投げる。落ちる先は炎の石の敷き詰められた洞窟になっていた。
落ち行く中、剣の連撃を受けるアスハは悟った。
グリフェルトの剣には確かな正義があることを。それが独善でも偽善でも、彼なりに信じた正義があったと知る。
そしてその正義は理解できなくても、否定しなくて良いと知る。
「グリフェルトッ! お前の信念を正義と認めよう。そして異なる正義を持つ俺が、真っ向からキミを破る」
「ええ、ええ! そうでなくてはなりません。正義を倒す者は必ず、もう一つの正義であるべきなのです!」
火花と閃光を放ち、剣聖と無秩序は落下する。
正義の衝突は火炎さえ飲み込む熱を孕んでいた。




