第十七話 人でなくなっても
凛藤明日葉の英雄譚は最後のページを捲られる。
その末路は後味の悪さだけが残っていた。
全てを話し終えた時、リリ達は彼にかけられる言葉を見つけられなかった。
華々しく異世界で生を終えた二人にとって、アスハの過去は想像を絶する地獄そのもの。
その地獄を超え、ここに立つ彼にかける言葉が見つからなかった。
「俺は、何も為せないまま世界を壊した。だからキミたちを同じ末路にあわせるわけにはいかないんだ」
燃え尽きた破壊者として、アスハはこれ以外に友を守る方法を知り得なかった。
その言葉に、ぽつりぽつりとリリは言葉を返す。
「ごめん、あまりにも、あまりにも……言葉が、見つからなくて」
「良いんだ、リリ。それが当然の反応だ。その嫌悪は、その軽蔑は、正常な感情だよ」
「違う、そんなこと思ってないよ。アスハ!」
顔を上げ、アスハは二人が涙していたとようやく気付いた。
唇を噛み締めてもツムギとリリは涙を流し続ける。アスハはそれに困惑した。
「そんな、そんなの……アスハが、報われない。悲し過ぎるよ」
「えっ……なん、で……」
「すまねェ、アスハ。オレさっき、お前のことを『オレと同じだ』って軽々しく言おうとしてた。お前の辛さ、何も知らなかったくせに」
「アタシたちは軽い気持ちでアスハの苦痛を理解しようとした。ごめん」
「なんで、二人が謝って……」
「アタシたちじゃ、アスハの傷を癒すことはできない。アタシたちって、異世界だと恵まれた人生送ったからさ……アスハと同じ苦しみを本当の意味で分かってあげることなんてできない思う」
「けどさ!」
異世界の違い、英雄かどうか。そんなものは関係ない。友を想う気持ちだけが彼らにはあった。
「そばで一緒にいて、キミが苦しんでる時にちょっとでも耐えられるように、並んでることはできないかな?」
「お節介て言われても、オレ達ほっときたくないんだよ。少なくともオレらはアスハのこと、友達だと思ってるからさ」
「友達が苦しんでるのに、見て見ぬふりできないんだ。アタシたち」
二人の言葉に灰燼の胸は震わされる。
「……そんな、そんなこと言ってもらえる資格なんて、俺にはないのに。もうとっくに戻れない」
望んではいけない。許してはいけない。それは奪って来た命への冒涜だ。と、アスハは自分を呪う。
「一度や二度の地獄じゃ清算できないほど、俺の手は汚れてるんだ。もうとっくに、人でいちゃいけないんだ」
その業を知る唯一の存在である自分が、自分で罰を与えるしかない。そうアスハは心を殺す。
「お願いだ、そんな風に、俺のせいで傷つかないでほしい。俺のために泣かないでほしい」
そう思わなくては。そう自ら罰し続けなければ。彼の心は保てなかった。
「キミらは、キミらみたいな人は俺と違って、みんなに愛されて生きるべき人だから」
これほどの優しさを受け取る権利などないと、彼は信じていた。
「俺の罪で二人が泣く必要なんてないんだ。罰は俺一人で充分。これはその贖罪の一部にも、満たない……」
彼の言葉から力が抜ける。
「――でも」
壊れていた英雄未満の心に、人間の心が呼び戻される。
「いやだよ、こわい」
頬を伝う涙が、心の鉄格子を溶かす。閉じ込めていた本音は檻の外へ溢れた。
「アスハ……」
破滅へ進んで生きるなど、アスハに耐えられるわけがない。
「ずっと一人だ。人殺しは、ずっと一人ぼっちなんだ。のうのうと生きてる自分が許せないのに、まだ希望なんて持って生きてる」
これまで見せられなかった弱さを、少年は初めて他人に見せた。
「魔術師の彼を、殺した。学校を襲ってきた彼らを、惨たらしく殺した。他のやり方を、探ろうともしないで……」
己の罪をアスハは見誤らない。奪った四人の命も深く、彼は魂へ記憶させていた。
「やってることが矛盾ばかりで、もうどうしたら良いのか分からない。それが当然の罰なんてわかってても、やっぱり」
戦場に生きるなど、アスハには無理だったのだ。
なぜなら彼は英雄未満。特別な才能もカリスマ性も持たない、力があっただけの平凡な人間なのだから。
「こわい、こわいよ。もうこれ以上、怖い思いなんてしたくない。大切な人が死ぬのも、それで自分が傷つくのも」
異世界から帰ってきてなおも膨らみ続けた悲しみは、涙となって溢れ出る。
「ごめんなさい、ごめんなさい……救われたい。二人にもっと、頼りたい。誰も傷つかないように、俺が傷つけないように、助けてほしい。もう二度と、一人になりたくない……」
その場で膝をついたアスハに二人が駆け寄る。子どものように嗚咽する彼を、消えそうな火を守るようにツムギ達は抱擁した。
「アスハ、がんばったね。がんばったね……」
「ここまでホントに頑張ったな……お前が自分を許せないなら、代わりにオレ達が許すよ」
背負って来た過去、耐えて来た苦しみ、醜く救いを求める自己矛盾。淀んで詰まっていた泥の感情が今、栓を抜かれて解放される。
「リリィ……ツムギ……いなくならないで……」
灰燼となり果てた心に涙が落ちる。その雫は人間の体温を宿し、痛んだ心へ沁み渡っていった。




