13:アシュはだれのもの(1)
九月になった。少しは涼しくなるかと思っていたが、変わらず暑い日が続いている。
空は快晴。太陽の光はじりじりと地面を熱し、日陰に避難をしていても汗が止まらないほどである。魔術師団の建物の傍にある小さな庭園は、あまりの暑さに地獄のようになっていた。心なしか、植物たちも元気がない。
「さて、今日は魔法で水を出す練習だよ!」
ディオはまだ四歳。できるだけ楽しく魔法を教えてあげたいとメリッサは考え、今日は魔法で水遊びをすることにした。暑いのでちょうど良い。
ディオの師匠になってから、毎日が充実していると思う。魔術師としての仕事をしている時もそこそこ充実していたと思うが、押しつけられた仕事と自ら考えてやる仕事では天と地ほどの差があった。今の方が断然楽しい。
「みずをだすって、どうやるの?」
「こうやって、手のひらを上に向けて……こう!」
メリッサはディオの目の前で、手のひらからシャワーのように水を生み出した。ディオは次から次へと出てくる水に目を丸くして、そっと手を伸ばしてくる。指先が水に触れるとぽかんと口を開けて、「ほわあ」と声を漏らした。
「めりっさ、このみず、つめたくてきもちいい!」
「ふふ、ディオもこんな風に上手に水を出せるかな?」
「がんばる!」
ディオはうんうん唸りながら、手のひらへと意識を集中させる。すると、小さな手のひらからぴゅうっと水が飛び出した。
「あれ? めりっさと、おなじようにしたはずなのに……」
何度やっても、水鉄砲のような勢いの水がぴゅうぴゅう出るばかりである。ディオは情けない顔をして、べそをかきはじめた。
「めりっさみたいに、しゃわーってできない……」
ディオがぽろぽろと大粒の涙を零す。メリッサは慌ててディオの涙を拭ってやり、必死で慰める。
「大丈夫! ディオならできるよ! こう、ゆっくりと、柔らかくやってごらん?」
できるだけ分かりやすく、丁寧に水の出し方を説明する。しかし、ディオはよく分からなかったようで、「できない」と弱音を吐いた。
せっかく楽しい魔法の授業にしようと思ったのに。メリッサもディオと一緒に泣きたくなった。人に何かを教えるというのは、本当に難しい。
ディオは拗ねてしまったらしく、日陰で蹲ってしまった。この子はやる気がある時とない時の差が激しい。やる気がある時は扱いやすいのだが、ここまで拗ねてしまうとしばらくは動かないだろう。メリッサはため息をついた。
そこに、呑気な顔をしたアシュードがやって来た。
「なんだ、二人とも。そんな暗い顔をして」
「アシュード……」
メリッサは簡単に成り行きを話す。アシュードは真剣にそれを聞いた後、縮こまっているディオの頭をぽんと撫でた。
「悔しかったんだな、ディオ」
「あしゅーど、おれ、できそこないなんだ……」
「出来損ない?」
ディオが小さく呟いた声を拾って、アシュードが片眉を上げた。
「おれ、これくらいしか、できないんだ……」
そう言ってディオは、小さな手のひらからぴゅうっと水を出した。アシュードはその魔法を見て、うんとひとつ頷いた。
「ディオ、お前すごいな」
「え?」
アシュードの褒め言葉に、ディオが首を傾げた。メリッサも訳が分からなくて、目を瞬かせてしまう。頭の上に疑問符が浮かぶ二人に、アシュードはやれやれと肩を竦めた。
「自分のすごさを分かっていないと損をするぞ。いいか、ディオは天才だ」
「おれ、てんさいなの?」
「そうだ。そもそも魔法が使えるというだけですごい。魔力があっても、上手に魔法が使えない人間も多いんだぞ? 水を出してみろと言われても、何も出せないのが普通だ。それなのに、ディオはすぐに出せたんだろう? 天才以外の何ものでもないじゃないか」
メリッサはぽかんとして、アシュードの話を聞いていた。そうか、普通の人は魔法を思い通りになんて使えないのか。幼い頃からずっと魔術師に囲まれて生きてきたので、気付かなかった。それなら、確かにディオは天才といえる。
「おれ、すごいの?」
「ああ、すごい。とてもすごい。この僕が褒めてやろう!」
「わあい! ほめてほめてー!」
ディオがふにゃりと笑って、アシュードに抱き着いた。アシュードはディオの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。紫色の髪の毛がぴょんぴょん跳ね、面白い髪型になってしまったが、ディオは満足そうな笑顔を浮かべた。
「おれ、もっとみず、だせそうなきがしてきた!」
「お、さすがだな、ディオ。この僕に見せてみろ」
「うん!」
ディオはすっかり機嫌を直して、手のひらを高く掲げた。そして、きらきらした青の瞳で空を見上げる。すると、ディオの手からは大雨かというほどの水がざあざあと噴き出してきた。
これにはメリッサも驚いた。ディオの生み出した水は庭園じゅうに降り注ぎ、空には小さな虹がかかる。太陽の光は濡れた芝生をきらめかせ、植物たちは生き生きと元気を取り戻していく。
「ディオ! やっぱりお前は天才だ! こんなにすごい魔法、見たことないぞ!」
「うん! おれ、てんさいー!」
ディオはくるくる回って喜ぶ。すると、水があちこちに飛び散っていった。メリッサたちのいるところにも、水は遠慮なしに降ってきて、三人は一瞬でびしょ濡れになってしまった。
「ちょっと、ディオ! 水止めて!」
メリッサが慌てて叫ぶ。ディオははっとした顔をして、魔法を止めた。
「おれ、しっぱいした……?」
「……ううん、とっても上手に、魔法が使えてたよ」
メリッサはびしょ濡れになったディオの髪を整えるように撫で付けた。
正直なところ、ディオにここまでの魔法が使えるとは思っていなかった。まだ子どもだからと、少し見くびりすぎていたのかもしれない。師匠として失格だ。
アシュードが来てくれて良かった。ディオも元気になってくれたし、魔法で笑顔になってくれた。メリッサひとりでその笑顔を引き出せなかったのは悔しいが、それはひとまず飲み込んでおくことにする。
「ありがとね、アシュード」
なんとなく気恥ずかしくなって、頬が熱くなる。アシュードをおずおずと見上げてみると、アシュードは「うわっ」と小さく悲鳴をあげた。
そう、悲鳴である。
メリッサの機嫌が一気に悪くなる。確かに、いつもは意地を張ってなかなか素直にお礼なんて言っていないかもしれないが、ここぞという時には頑張って言うようにしている。今日に限って、なぜそんな反応をするのか。
失礼な悲鳴をあげたアシュードは、メリッサの方を見ないようにそっぽを向いている。
本当に失礼な男だ。メリッサはぷくっと頬を膨らませた。
何か文句を言ってやろうと口を開きかけた時、後方から誰かが来る気配がした。数人の男たちの声が近付いてくる。仕事中の魔術師たちだろうか。メリッサはなんとなく振り返ろうとする。
「きゃあ!」
急に腕を引かれ、メリッサはバランスを崩して転びかけた。しかし、すぐに抱き留められ、ほっと息をつく。一体何だと見上げてみれば、アシュードが真っ赤な顔で見下ろしてきた。




