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螺旋のきざはし  作者: hake
第一章
71/110

69.森の隠者の見解 ★



 翌日の早朝、日が昇る前の薄暗い中で目を覚ましたソフィアは、しっかりと己の身体に回された頑丈そうな()()()()()()()()両腕を見て、小さく嘆息した。

 この状況に驚かなくなった己自身が恨めしい。そして、あどけなささえ感じる安らかな寝顔を浮かべている、この両腕の持ち主に対してもじわじわと苛立ちを感じ、苦虫を噛み潰しつつジロリと睨む。



(毎度毎度……あたしのこと、抱き枕かぬいぐるみだとでも思っているのかしら? 全く、失礼ね!)


 幸せそうに笑みを浮かべている彼の頬をつねってやろうか、と一瞬思うが、馬鹿馬鹿しくなって止めた。実際にそれを行ったところで、彼はきっと、目を覚まして満面の笑顔で「おはよう」と言ってくるのだろう。そして、それを見て自己嫌悪するのはソフィア自身なのだ。



 彼を起こさない様に腕の中から何とか抜け出し、ソフィアはベッドの脇の床に足を着けた。床板から素足に、ひんやりとした温度が伝わってくる。少し身震いをしてから、ソフィアは自分の長靴ブーツを探して視線を彷徨わせた。そこで初めて、自分が着ている寝間着が、いつものものと異なる事に気付く。肌触りの良い薄橙色の寝間着は胸元には白い糸で小花柄が刺繍されている。少し使用感はあるが、全くくたびれておらず、動きやすいものだった。



(もしかして、アレクの寝間着ものかしら……)


 そっと手で布地に触れてから、続けて小さくため息を吐いた。



(――また迷惑を掛けてしまった……)


 アーレンビー夫妻には、出会った時から迷惑を掛け通しだ。自己嫌悪で項垂れる。――と、丁度目線の先に探していた長靴ブーツを見つけ、ソフィアは音を立てない様に近付いて履いた。それから、チラリとベッドの方へ視線を向ける。どうやらシンはまだぐっすりと眠っている様だった。何だかんだで、疲れていたのだろう。その要因が、少なからず自分に起因すると感じたソフィアは俯いて、もうすっかり冴えてしまった目をぎゅっとつぶる。



(……水汲みがてら少し散歩しようかしら)


 このままこの部屋にいても、自己嫌悪するだけで不毛な時間が過ぎるだけだ。以前、アーレンビー家で寝泊まりしていた時も、早朝に起きては、散歩がてら近くの川まで水を汲みに行っていた。人気のない森は、木々のさざめきや鳥の声、僅かな水の流れる音などがよく聞こえ、そんな中を歩いていると、ソフィアは不思議と安らかな気持ちになれたのだった。

 思えば、ここの所ずっと、気持ちが不安定だ。体調を大きく崩してしまってからは――そして、シンと接する時間が長くなってから、特に。


 しかし、ドアの方へ向かおうとして躊躇する。この後、目覚めたシンが傍らに自分がいなかったとしたら、心配を掛けてしまうかもしれないと思った途端、足が急に鉛の様に重くなり、ソフィアはその場に立ち止まった。

 ――その時、


「……ソフィア?」


 背中から唐突に声が掛かり、ソフィアは小さく肩を震わせる。逡巡してから少しだけ振り返ると、ベッドの上でシンが半身を起こしてこちらを見ていた。何となくバツが悪そうに、ソフィアは視線を少し彷徨わせると、渋々ベッドの方へ踵を返した。


「お……は、よう」

「うん、おはよう」


 傍に来たソフィアの手を引いてベッドに座らせると、シンは彼女の頬をそっと撫でた。


「どこかに行くつもりだった?」

「水汲みがてら、散歩でもしようかと思っただけ」

「……寝間着で?」

「前、ここで過ごしていた時もそうしてたのよ」

「してたんだ」


 呆れ顔でシンはため息を吐いた。その反応にむっとして、ソフィアはシンの手を避ける様に頭を後ろに反らした。それを見て、シンは僅かに苦笑する。


「もう……駄目だよ、寝間着で外を出歩くなんて」

「森の中だから人は来ないし、水汲みって言っても、すぐ近くの川までだわ」

「そういう問題じゃなくて……いや、そういう問題もあるけど」

「何よそれ」


 シンの言わんとすることが分からず、不貞腐れた様な顔をするソフィアの頭を、彼は困ったような顔をして黙って優しく撫でた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 交代で部屋を使って身支度を整えた2人は、アーレンビー家の居間へ向かった。


 そして、そこでシンは信じられないものを目にする。



「?!」


 ――リビングの大きなテーブルに、頭、肩、膝の上に何重にも布を掛けられた……シンが昨日、居間を後にした時と全く同じポーズで固まっている――


「キ、キャロルさん?!」


 キャロルがいた。


「……え、まさか、昨日からずっとこのまま?」


 シンがいささか狼狽した声を上げると、台所から朗らかな声が答えた。


「いやー、石化が解けなくてさー! あはは」


 言わずと知れたアレクが、エプロン姿でひょっこりと顔を出してソフィアとシンに手を振る。


「おっす、2人ともオハヨー! よく眠れた?」

「え、ええ……おはよ、う」

「うん、ありがとう。ぐっすりと!」


 2人の返答に、彼女は満足そうに頷く。そこでシンは気になっていた事を口にした。


「昨日、キャロルさん起こせなかったの?」

「いや、一応、一回気付いたんだけど、もう少し考えたいって言ってすぐに戻っちゃって。だから、こいつの防寒だけはしっかりさせて、私はベッドで眠った」

「ベッドで考えれば」

「あー、駄目駄目。無理無理。こいつ、考え事の時は座ってないと気が済まないんだ。これこれ、このポーズな!」


 笑ってキャロルの姿を指したアレクは、そのままさっさと台所へ戻って行った。そして、再び声だけが飛んでくる。


「なぁ、2人は卵どうする? 焼く? 茹でる??」

「え、いや、あの、アレク、キャロルさん今もこのままで大丈夫? 僕、部屋に運ぼうか?」


 石化状態を初めてみるシンは、躊躇いがちに問う。だが、アレクは「ほっとけほっとけ!」と軽く流しながら卵について再度聞いてくる。結局、シンとソフィアは茹でたものをお願いした。

 朝食の準備を手伝おうとするソフィアを、アレクは笑って「へーきだよ!」と軽くあしらった。すごすごと居間のテーブルに戻ると、シンが昨日と同じ席――キャロルの向かいの椅子に腰を下ろしているところだった。シンは戻って来たソフィアに目を向けると、小首を傾げて問うた。


「ソフィアはあんまり驚いてないね」

「……前に来た時、何度か見かけたから」

「何度かって……そんな頻繁に起こるんだ」

「まぁ……そう、かも?」


 答えながら、ソフィアはチラリとキャロルの方へ目を向ける。伏せられた瞼を縁取る白金の睫毛が、白磁の頬に長く影を落としている。その1本1本すら、ピクリとも動かない。思考の沼に深く沈んでおり、ソフィアやシンの声などは全く届いていないのだろう。


「よーっし、メシ出来たぞ! オラ! 起きろキャロル!」


 両手に朝食を載せたトレイを持ったアレクが台所からずかずかと部屋に入って来ると、そのままキャロルへ一直線に近付き、片手で持っていた朝食のトレイを彼の脳天へ容赦なく打ちおろした。“ゴンッ”と盛大な音が発せられ、ワンテンポ置いてからようやくシンは「えっ」と声を上げた。――しかし、ソフィアは慣れているのか、呆れ顔でアレクのもう片手からトレイを受け取る。

 ぽかんとしたシンの目の前で、頭頂部を擦りながら平素の微笑みを浮かべて、キャロルが動き出した。


「……おや、おはようサンディ。それと、ソフィアさん、シンさん。――どうかなさいましたか?」


 凶器(?)となった食事のトレイはアレクが何事も無かったかのように机の上に置いている。反応に困って、シンは傍らのソフィアへ目を向ける。その珍しく動揺した様子の丸い碧の瞳に、ソフィアは思わず表情を緩めた。


挿絵(By みてみん)


 ――その柔らかな淡い微笑みに、シンは息を呑む。視界の端でキャロルとアレクも目を丸くしているのが分かった。だが、シンはなるべく驚きを表情に乗せないようにして、代わりに自分自身でも持て余している彼女への想いを、出来るだけたくさん込めて微笑みを返した。


「今のも、前に何度か見かけたの?」

「……ええ」


 既にいつもの不機嫌そうな表情に戻り、ソフィアは手に持った朝食のトレイを机の上に置いた。そのやり取りの間に、キャロルとアレクは素早く目配せし、何事も無かったかのように席に着いた。


「結構すごい音がしたけど……大丈夫ですか?」

「はい?」

「え」


 美しい青の瞳を不思議そうにしばたたかせ、キャロルは聞き返す。そのリアクションにシンは思わずアレクを見た。すると、彼女はニヤリと笑って一言。


「メシ、あったかい内に食おうよ」



* * * * * * * * * * * * * * *



 新鮮な野菜と果物に、数種類の薬草ハーブビネガーと塩を混ぜたお手製のドレッシングをかけたサラダに茹で卵、松の実が入った黒パンにチーズ、温かいじゃがいものポタージュ、食後には手作りのプディングが出てきた。

 菜食主義者であるキャロルに配慮した食事だが、相変わらず美味であり、腹持ちも十分にある食事だった。



 食後、アレクが薬草茶ハーブティを淹れ、一息ついた頃。キャロルがやはり常の微笑みを湛えたまま、口を開いた。


「昨日、1つだけ間違いない事が分かりました」

「え!?」

「……?」


 驚きの声を上げるシンと、困惑顔のソフィア。その2人を順に見た後、アレクは隣のキャロルへ視線を向ける。


「私にはさっぱり分からないし、シンとソフィアも、ンな言い方すると不安になるだろ。ハッキリ言えよ」

「そうですね。――ただ、今一つ情報が足りません」


 細面に指を当てながら、キャロルはそっと小首を傾げた。


「シンさん、ソフィアさん。何か気付いた事や、気になる事、違和感がありましたら、私の言葉を遮って頂いて構いませんから仰ってくださいね」


 しっかりとシンが、躊躇いがちにソフィアが――頷いた事を確認してから、彼は再び口を開いた。


「昨日、私は“シンさんやソフィアさん、他の誰もが把握できていない登場人物が、まだ1人いる”とお伝えしましたね」

「はい」


 まだ戸惑いの収まらないソフィアの代わりに、シンが応える。それを確認してか、小さく頷くと穏やかな口調でキャロルが言葉を続けた。


「その事ですが……果たして、それは()()にとっても同じ事なのでしょうか」

「え?」

「どういう事だ?」


 キャロルの言葉に、シンとアレクがほぼ同時に聞き返す。その問いには答えず、キャロルはそのまま持論を述べた。


「――答えは()です。その人物は明確な意図をもってソフィアさんに関わっている。……では、それは()()()()でしょう?」


 顎から手を外し、キャロルは両手の指を机上で組んで微笑んだ。


「……え?」


 やはり上手く飲み込めず、シンは単調なリアクションしか取れない。ソフィアに至っては固まったままだ。


「ソフィアさんが奈落の滝から落ちてきたのを、()()()()()()()()()()何かしらの理由があってクナートへ転移させた、というのはいささか無理があります」

「滝から落ちてきたのを見つけて、滝つぼに落ちる前に助けようとして適当なところに転移させたって事も考えられるんじゃないのか?」


 キャロルの言葉にアレクが疑問を投げかける。しかし、彼は微笑みを浮かべたままゆっくりと首を横に振った。


「奈落の滝の滝つぼがある町フェールズから、ここクナートまでは大分距離があります。適当な場所に転移させるつもりなら、もう少し近い場所にするでしょう。それに、“転移術”は明確な転移先のイメージが必要です。咄嗟に遠い町を転移先として唱えるのはかなりリスキーですね。私でしたら、そんなリスクをおかすよりは、同じ町の地面のある場所、――例えば、滝つぼの近くで目に付いた場所などにします」


 もっともな反論に、アレクは渋い顔で腕を組む。その表情に、キャロルはクスリと小さく笑ってから、表情を改めてシンとソフィアの方へ顔を向けた。


「それに、そもそも“転移術”など、普通の人間は扱いません。この術は古代語魔法の中でも、遺失魔法に分類されるものです。残っている呪文書スクロールは数に限りがありますから、賢者の学院の閉ざされた書庫の中に仕舞われているでしょう」

「キャロルさんはどうやって身につけられたんですか?」


 小さく片手を上げてシンが問うと、キャロルは微笑して小首を傾げた。


「私が若い頃は、まだ遺失魔法に分類される前でしたから」

「え」

「つまり、私の年齢よりも上と思われる妖精エルフであれば、“転移術”を学んで身に着けていていてもおかしくはありません。――ただ、妖精エルフは基本的には精霊魔法しか使いませんから、わざわざ古代語魔法を学ぶ者はごく少数でしょう」

「……」


 キャロルの言葉に、シンは僅かに眉を顰めた。その変化に気付いているのかいないのか、キャロルはそのまま話しを続けた。


「さて、話しを戻しましょう。……つまり、私としてはこう考えているのです。ソフィアさんをフェールズからクナートへ転移させ、尚且つ、エルテナ神殿へ伝言に行った人物は、ソフィアさんがテイルラットに来たタイミングではなく、()()()()()()()()()()()ソフィアさんを知る人物であると」


 両手を組んだまま、キャロルは微笑みを崩さずに言葉を切った。慌ててソフィアは椅子から立ち上がり、キャロルへ向かって首を横に振りながら動揺の滲んだ声を上げる。


「あ、あたし、そんな人、知らない……」


 しかし、隣のシンはハッとして顔色を変えた。


「ソフィアに……文字を教えてくれた、人がいる……!」

「!」


 ギクリと顔を強張らせ、ソフィアは傍らのシンを見た。彼もこちらを見ていた為、2人の視線がぶつかる。緑碧玉の色のシンの双眸には明確な焦燥の色が浮かんでいた。


「あの、……幼いソフィアを――ヴルズィアの村にいた時に、見ていた人……――“奈落の滝”を教えてくれた、人がいた様で……」

「なるほど」


 震えたシンの声に、落ち着き払ったキャロルの声が被さる。シン、ソフィア、アレクの3人の視線がキャロルへと集まる。当の本人は合点がいった様子で小さく頷くと、組んでいた両手に口元を寄せて目を伏せた。


「ヴルズィアの村にいた時に、ソフィアさんに接触をしていた方がいらっしゃった。――その方は、ソフィアさんに“奈落の滝”の事を知識として伝えていた。そうする事で、ソフィアさんは何らかの要因で追い詰められた際に、その事を思い出す可能性が生まれる。――つまり、ソフィアさんの行動をある程度絞り込んで予測する事が出来る訳です」

「でも、いつその時が来るか、なんてのは分からないだろ」


 苦い表情でアレクがキャロルの説に反論するが、ソフィアは立ち竦んだまま表情を凍り付かせた。



(――村に流行り病が蔓延して……()()()()が亡くなったタイミング……それで、女の人や村の人が、あたしのせいだって思って、襲ってきた時……)


 ――否、ソフィアの()()でなくとも、村の誰かが亡くなれば、ソフィアのせいだと思われておかしくない状況だった。そう考えると、前段階を含めてかなり時期を絞り込める。



(……“流行り病が蔓延して、その後に村の人が亡くなった”タイミングだったら……?)


 青い顔をキャロルに向けると、彼はほんの僅かに微笑みを収めた。


「ソフィアさんが“奈落の滝”を落ちた後、その人物は“転移術”を使用してクナートへとソフィアさんを転移させる。事前に準備が出来ていれば遠距離でも転移はさせる事が出来ます。その後、ご本人もクナートへ転移して来たのでしょう」


 言い終えると、キャロルは冷めた薬草茶ハーブティをゆっくりと口元へ運んだ。しばし、重苦しい空気が部屋に漂う。耐えかねた様にアレクが頭を掻きながら口を開いた。


「つまり、キャロルが言いたいのは、ソフィアをフェールズからクナートに移動させたり、エルテナ神殿に仕事休むって伝言したってヤツが、ヴルズィアにいた頃からのソフィアの知り合いって事か?」

「そうですね。知り合い……というと語弊があるかもしれませんが」


 僅かに苦笑いを浮かべつつ、キャロルは妻の顔を見た。


「それから、“転移術”が使えるという事は、古代語魔法を会得し、尚且つ遺失魔法を習得している人物です。賢者の学院や智慧神ティラーダの信徒、またはある程度老成な妖精エルフと考えるのが妥当でしょう」

妖精エルフ……」


 ポツリとソフィアは呟いた。途端に、脳裏に金糸の髪を持つ妖精エルフの男が浮かび上がる。――しかし、自分自身の記憶に対して、ソフィアは全く自信が無い。キャロルの説明を聞いて、記憶の中にある断片と“彼”が、己の都合よく重なってしまった可能性だってある。

 大体、智慧神ティラーダの信徒でヴルズィア出身という事であれば、神殿の面接を務め、現在も仕事先の上司であるルナ・ハーシェルも当てはまる。


 呟いたきり黙り込むソフィアを見つめていたシンは、やはり脳裏に眉目秀麗な妖精エルフの男を思い描いた。確証はないが、彼であればシンが常々抱いていた違和感や、本能的な危機感にも説明がつく。



 各々(おのおの)沈黙し考え込むソフィアとシンの様子に気付き、アレクはキャロルへ意見を目で問うた。しかし、彼は微笑みを浮かべて小さく首を横に振るのみで、明確な返答を返す事はしなかった。




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