ある海賊の夜明け 5
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通常、宇宙船で地上へ下りるときにはかなり煩雑な手続きが必要だった。
さらに手続きを終えても順番待ちがあり、惑星の周回軌道上で何週間も待つことは、民間の貨物船としては珍しくもない。
しかし今回は当然のように最優先で宇宙港へ下りた。
当初、滑走路のど真ん中に船を止めろと言われたが、そんなところに止めて集中砲火を食らってはたまらんとアスターが抗議し、結局宇宙港のいちばん隅に船を止めた。
「で、金は?」
エンジンを停止させ、アスターはシラキに手を差し出す。
「約束の金をもらわないと、人質は渡せないぜ」
「いまここで手渡しできるようなものではない──向こうの滑走路を見ろ」
宇宙港は広い。目視だけではよくわからないが、船の望遠レンズを使い、ようやく離れた滑走路の上に一隻の船が止まっているのが見えた。
アスターが所有しているヒナギク号よりはるかに大きく、性能がよさそうな、しかし武装はない商船という雰囲気。
「ふうん。あのなかにちゃんと金はあるんだろうな」
「直接確認してもらってもいい」
「じゃ、まずこの空港内から兵士を追い払ってくれ。のこのこ船から出ていって狙撃、なんてことはされたくない。どうせどっかに隠れてるんだろ?」
「そのような話は聞いていないが──命令するだけ、してみよう。この船の通信機能を借りても?」
「どうぞどうぞ」
シラキはコンソールに近づき、慣れた手つきで空港の管制室を呼び出した。そこで空港内からすべての人間を追い払うように命じる。どのみち空港は封鎖されているから、管制室にも人間は必要ない。
アスターは命令が実行されるまで、しばらく船のなかで待った。
それからそろそろよかろうということにして、船を出る。
「これは取引だ。おれは向こうの船にいく。で、向こうの船で金を確認し、合図をする。このヒナギク号に通信を入れる。あんたはその通信を待ってから人質を引き受ける。それでいいな?」
「いいだろう──しかしもし人質になにかあった場合、きみの安全は保証しない」
「結構。最初からそこには期待してない。じゃ、またあとで」
アスターは、まるで友人にするように軽く手を上げて操縦室を出ていった。
シラキは無人になったその狭い空間で、とくにやることもなく、パイロットシート、操縦席に腰を下ろす──アスターは本気なのだろうか?
本当の人質と金、そして船を交換できると思っているのだろうか?
ふつうに考えれば、そんなことは不可能だ。
人質が本物であれ偽物であれ、それが確認できた時点でアスターはもう用なしになる。しかしアスターには時間が必要だ。向こうの船で宇宙まで逃げ出す時間が。しかも武装もないただの船なのだ。軍の巡洋艦を使えばいつでも攻撃、破壊できる。
人質の真偽を確認し、船を破壊する──軍としてはこれだけでいい。
もちろん船と、そこに実際に積み込んである金銀財宝は失うことになるが、そんなものは軍全体からしてみれば痛くもかゆくもない損害だった。
要するに地上へ下りてきた時点でアスターの生き残る道はなくなったのだ。
あの男はのんきだ。ここへ下りてくるときにも鼻歌を唄っていた。自分がどれほど危ない状況なのかも気づかずに。
そののんきな男が船から離れて歩いていく。シラキはその様子を操縦室のモニタで見ていた。いまにもスキップでもしそうな、浮かれた足取り。自分の思惑どおりにことが運んでいると思い込んでいるのだろう。
アスターが用意された船に近づく。姿が見えなくなり、しばらくしてから予定どおり通信が入った。シラキは応答ボタンを押す。音声だけの通信。
「こちらミスターX、約束のブツを確認した。これで取引成立だ。人質は煮るなり焼くなり好きにしてくれたまえ。では通信終了」
あっさりしたものだった。
シラキは操縦室を出て、人質──王女ミルとその協力者である女が囚われている倉庫に向かった。
倉庫の扉はロックされていない。シラキが近づくと自動で開く。ふたりの女はおとなしく縛られていた。シラキは近づき、まず目隠しを外した。
たしかにミルだ。ミルは目を閉じていた。目隠しがなくなったことを知り、ゆっくりと目を開ける。シラキは、その無垢な少女を哀れに思う。
「宇宙で発見できればそのまま逃がしてやることもできたが……こうして地上に降りてしまった以上、もう私ひとりの力ではどうすることもできない。おまえたちふたりを王宮へ連れていく」
ミルはなにも言わなかった。
ただじっと、その瞳でシラキを見つめている。
シラキはまるで恐ろしい刃を向けられたようにその視線を受け止めた。自分自身が背負うべき罪なのだ、これは。逃げられない、大きな罪。
体を縛りつけていたロープをほどく。
ふたりの女が自由になり、ゆっくりと立ち上がって──シラキは反射的に飛びのいていた。
「ばかな真似はするな。王女、あなたがどれだけ抵抗しても、私から逃れることは──」
シラキに飛びかかったミルはそのまま床に突っ伏したが、むくりと起き上がると、まっすぐシラキを見つめながら言った。
「抱いて──お願い──」
「な、な──?」
ミルは囚人服のような白いワンピースを着ていた。
その裾を持ち上げたかと思うと、なんのためらいも恥じらいもなく、脱ぎ捨てる。
シラキは思わず視線を逸らした。それから、しまった、と思う。
「人形か──!」
ミルの後ろではもうひとりの女がゆらりと立ち上がり、ミルと同じように服を脱いでシラキに詰め寄っていた。
これは、人間ではない。
精工に作られた人形が人間のふりをしているのである。
*
「……これでうまくいったの?」
空港施設の陰に隠れたミルは、なんの動きもない滑走路の様子に半信半疑だった。
アスターはそんなミルの腕を引き、建物の陰を走り抜ける。
「大丈夫、問題ない。あれはよーくできたマネキンだからな。ぱっと見ただけじゃばれないって」
「マネキン、ね」とピルカ。「一般的にはダッチワイフっていうと思うけど」
「だっちわいふ? なに、それ?」
「あー、まあ、とにかくだ、いまのうちに逃げないと。偽物だってことがばれたらこのあたりも兵士でいっぱいになる。それまでに、なるべく一般人のなかに紛れたい」
「こっち。あたしも何回かここにきたことあるんだ。空港を出る裏ルートがある。密輸なんかで使うためのルートが」
空港のロビーがある建物から離れ、機体の格納庫へ。ピルカが先導する。格納庫のすぐ横にはしばらく荷物を置いておくためのスペースがあった。空港施設はそのすべてが巨大で、生身で歩いていると自分が小人になったような気分がする。アスターは地面を手探りし、ピルカが指示した地下通路を見つけた。三人はするりと地下通路に滑り込み、暗闇のなかを進む。
ダッチワイフ作戦は、どうやらうまくいったようだった。
作戦を思いついたのは言うまでもなくアスターだった。
町のマネキン屋──要するに男女問わず性的な用途のための道具を売っている店──に駆け込み、ミルとピルカに似せたマネキンを作ってもらったのだ。
最近のマネキンはよくできている。ホロ写真ひとつで、至近距離で見てもわからないほどそっくりに作れる。もちろん非合法で、値も張るが。最高級ダッチワイフ二体は高かった。これも借金だ。しかしすべてうまくいけば充分にお釣りがくる。
ヒナギク号を出たあと、アスターはすぐ船の倉庫を外から開いた。ミルとピルカはそこでずっと待機していたのだ。それから取引の材料として提示していた船に近づくふりをして逃げてきた、というわけ。
さすがにいまごろはシラキもあれが人形であることに気づいているだろう。
問題は、その情報が軍全体に広まるまでに身を隠せるかどうか、だ。
「ミル、きみは街中には詳しくないのか?」
「まったく知らないわ──王宮からほとんど出たことないし。出ることがあっても空港に直接移動してたから、途中の町は一度も歩いたことがないの。ねえ、ダッチワイフってなに?」
「ダッチワイフってのは」とピルカ。
「つまり! この先はピルカだけが頼りだ。頼むぜ、女海賊さん」
「わかってるよ、言われなくても」
ピルカはけらけらと笑った。
地下通路の出口が近づく。
梯子で地上へ出られるようになっていたが、まずはピルカが顔を出し、だれもいないことを確認してからミルとアスターも続いた。
地下通路の出口は、もう空港の敷地の外だった。
振り返ると有刺鉄線を巡らせたフェンスがある。その向こうが空港。警報などは鳴っていない。が、雰囲気はなんとなく緊張している。アスターはミルの背中を押し、先を急いだ。
ピルカはしかし、もう焦る必要はないとばかりに平然と歩いていた。
空港の外──そこは、たくさんの人間が暮らす町だ。
空港に隣接した通りにはいくつもの店が並んでいる。酒場、ホテル、レストラン。アスターにはどれも高級そうには見えない。行き交うひとびとも、貧しくはないが、裕福ともいえないような、要するに平民だ。そこに馴染むのはピルカとアスターにとってはむずかしくなかったが、ミルのまとっているどことなく浮世離れしたような雰囲気だけが邪魔だった。
ピルカは道端で立ち止まり、くるりとミルを振り返る。そして足のつま先から頭の先まで眺め、言った。
「その服がよくねーな。高級すぎる。そんなもん着て歩いてたら追いはぎしてくれって言ってるようなもんだぜ」
「そんなこと言われても、着替えなんて持ってないもの」
「あそこに店がある。適当に着替えよう」
「お金は?」
「全宇宙共通の金はある」
ピルカは腰に下げている銃を、ガンをちらりと触った。
それからミルの肩を叩き、ふたりで古びたブティックに入っていった。女同士の買い物だ。もちろんアスターは入り口で留守番。長くならないことを祈るのみだった。
スヴェトラの首都、ホルムシティに入るのは、アスターもはじめてだった。
しかし空港周辺の町はだいたいどこも同じだ。下町よりも柄が悪く、活気がある。ここには流れ者が多いし、流れ者相手に商売している人間も多い。何十年もここに暮らす人間もいればたった一度で立ち去る人間もいて、そんなことはだれも気にしない。
店の入り口でぼんやり立っているアスターの前を、若いカップルが通りすぎていく。
男のほうは緑髪、女のほうは青い髪。どちらもボディスーツで、その表面が一瞬も落ち着かず常に色と模様を変えている。おそらく色と模様の変化はランダムなのだろうが、ときおりそこにはっとするような調和が現れたりもする。芸術、というやつだ。ランダムに芸術があるのかどうかはアスターにはわからなかったが。
カップルが過ぎたあとは孤独な年寄りが歩いている。片手には杖。ちらりとアスターのほうを見ている目も義眼だった。しかし死んではいない。生きていて、しかもまだ何十年かは生きそうな雰囲気がある。
いい町だとアスターは思う。
すくなくとも閑静な高級住宅街よりはこの町のほうが落ち着く。
しばらく店の前で待っていると、店内から悲鳴と怒号が聞こえてきた。ピルカとミルが飛び出してくる。ピルカは先ほどと同じだが、ミルはこの町になじむようなファストファッションに身を包み、申し訳なさそうな顔で店のなかを振り返っていた。
「泥棒なんて、申し訳ないわ──」
「泥棒ってより強盗だけどな。さあ、行くぜ。おまえにはやるべきことがある。そうだろ?」
ピルカの言葉にミルはこくりとうなずいた。アスターも合流し、三人はそのまま町に紛れる。そうなるともうこのごみごみとした町からたった三人の人間を見つけ出すことは不可能だった。




