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ある海賊の夜明け 9

■9


 支配とはなにか。


 支配とは実行力だ。


 支配している、支配されている、と相互に思い込むことが支配なのではない。


 実際に効力を持つ力、それを持ち、そして行使するということが支配であり、簡単に言えば「おまえなどいつでも殺せる」と思わせること、そして実際にそのような力を見せつけることで支配は完了する。


 ミシマはそうして兵士たちを支配し、クーデターを成功させていた。


 人間だれしも殺されたくはない。ほんのすこしでも長く生きたいと思っているものだ。生きる理由もなく、むしろ死にたがっているような人間でさえ、死ぬ間際には生きたいと願う。


 死は人間にとって絶対に避けられない最大の恐怖なのだ。


 人間は地球を離れ、遠い宇宙を旅して数々の星へ移住し、都市を築いてきたが、いまだに死は克服できていない。


 人間はいずれ死ぬ。必ず。どれだけ金があり、どれだけ地位があっても、必ず死は訪れる。そして人間は必ず死を恐れる。恐れの根源は「未知」であり、だれも生きながらにして死を経験できない以上、常に未知であり続ける死の体験を恐れるのは当然のことだ。


 生と死。


 力と力。


 支配するのも、されるもの。


 ミシマは支配する力を持っている。それを行使することもできる。ただ力を持っている、ただし使うことはない、などと言っている連中とはちがう。


「──遅かったじゃないか」


 机に向かっていたミシマが顔を上げると、音もなく部屋のなかへ入り込もうとしていた女はぎくりと動きを止めた。


 燃えるような赤い髪。白い肌。その手に握られている銃。


 ミシマは立ち上がり、両手を広げる。


「これはこれは、王女さま。ご旅行からお戻りで? 楽しい旅行でしたかな」


 一瞬呆気に取られたような表情を見せたミルは、しかしすぐ侮辱されていることに気づいたのか、ぐっと唇を噛んだ。そして手に持った銃をミシマに向け、部屋のなかへ入ってくる。


 ミルひとりではない。ほかにふたり、男女があとからついてくる。ミシマは笑った。


「ずいぶん柄の悪い召使をお連れですな」

「うるせーよ」と女。「てめーがミシマだな。そういう顔、してるぜ。クーデターでも起こしそうな、独裁者顔だ」

「偉大な支配者の顔、か。光栄だ」

「褒めてねーっての。ミル、さっさと撃ち殺してやれ。いまならやれる。こいつは丸腰だぞ」

「ミル王女──きみがおれを殺すために戻ってくることはわかっていた。おれはきみの父、母、姉、妹、弟──そう、きみのすべてを殺し、壊したのだから。申し訳なく思っているよ」

「……いまさら命乞い?」

「そう聞こえたかね? おれが言いたいのは、そういうことではない──きみを逃がしてしまって申し訳ない、ということだ。本来ならきみもそこでいっしょに殺すはずだったんだがね。そうすれば悲しみも憎しみも感じることなく、愛する家族とともに死ねたのだ。そうさせてやれなかったのは、おれのミスだった。しかしいまからでも遅くはない。きみが家族を本当に愛していたなら、その銃口を自分に向けるべきではないかね? きみは家族のあとを追うべきだ。まあしかし、そんなことはしないだろう。きみは殺されゆく家族を見捨て、自分ひとりだけ逃げ出したのだから。わが身の安全だけを考え、きみを愛した両親を、きみの名を呼んだ姉や弟を見捨て、たったひとりでこの星を逃げ出したのだからね」


 ミルは引き金を引いた。


 ひゅん、と風を裂くような音が響くと同時に、ミシマの目の前で鉛玉が弾き飛ばされる。透明な防弾シールドがかすかに揺れた。


 二発、三発。ミルは引き金を引く。憎しみを込めて。しかしその憎しみは、ミシマには届かない。


「満足しましたか、王女さま?」


 すべての弾を打ち尽くすまで待ち、ミシマは言った。


「きみならここへくると思っていた。この執務室に。だからおれはここで待っていたんだ。きみは、おまえは、所詮王女だ。浅はかで、世間知らずの箱入り娘だ。本気でおれを殺せると思ったか? 女海賊と、どこのだれとも知らん男を味方につけて、正義の味方を気取った気分はどうだね? 王女のごっこ遊びとしてはがんばったほうだ。しかしもういいだろう。遊びは終わりだ。これはシリアスな問題だ。おまえが出る幕ではない」


 ミシマは指を鳴らした。


 光学迷彩で姿を隠し、合図を待っていた兵士たちが一斉に現れる。


 部屋の外にも兵士たちが待機し、ひとつの合図で部屋へ飛び込むようになっていた。


 ミルはじっとミシマを見つめていた。


 銃口をミシマに向け、すべての弾を撃ち尽くしても引き金を引き続けて。


 血を流すような憎しみ。ミシマは笑う。憎しみではひとは殺せない。力が必要だ。ミルにはその力がない。所詮、非力な王女でしかない。


「地下牢へ繋いでおけ」


 ミルも、そして残りのふたりも抵抗はしなかった。兵士に連れられ、部屋を出ていく。ミシマは椅子に座ったままそれを見送った。


 王宮の地下には牢がある。古い時代に使われていたもので、もう数百年は使われていなかったが、鉄格子の暗い牢はいまの時代でも充分役に立つ。


 待機していた兵士たちがぞろぞろと出ていった。それと入れ替わりに、ひとりの男が執務室に入ってくる。


「ミシマ──ミルさまがきたのか」

「ああ。明日、処刑する。大々的に、だ。これでクーデターは終わる。処刑するのは、おまえだ、シラキ。おまえが殺せ」

「……なぜ私にそんな命令を下す?」

「おまえを信用しているからだ。おまえならやる。そうだろう?」


 シラキはしばらくミシマを見つめたあと、わずかに首を振り、部屋を出ていった。


 あの男もそろそろ用済みだとミシマは思う。役に立つ人間とそうでない人間を振り分けなければならない。シラキは、いつか自分を裏切る。いま殺しておくべき人間だ。その大義名分はある。処刑の命令を拒否した、という大義名分が。


 自分の言いなりにならない人間は必要ない。


 必要ない人間は殺しておけばよい。生かしておいても役に立つことはない。


 処刑は明日だ。


 王女、その協力者、シラキ。ほかにも何人か、命令に従わない者がいる。そうした者を一斉に処刑する。おもしろいショーになるだろう。民衆は喜ぶか、あるいは憤るか。どちらでもかまわない。従うなら許し、従わないなら殺せばいいだけのこと。


 この世界の支配者は自分なのだ。


 すべて自分の思いどおりにする。邪魔をするものは排除するだけだ。



     *



 王宮の地下に牢があるということはミルも知っていた。


 幼いころ、広い王宮のなかを探検するとき、そこにだけは行ってはならないと父親から強く言われていた。


 表向きの理由は、もう何百年も使われていない場所だから天井や壁が崩れたりして危険だ、というものだったが、実際は王宮の地下に牢を置く必要があったという暗い歴史を子どもに知られたくなかったのだろう。


 建国からしばらくはいまのように平和で穏やかな時代ではなかった。


 この王宮が建てられてからも、おそらくいまのようにクーデターや様々な理由で王族に牙をむく人間がいたのだろう。そうした人間はふつうの犯罪者とは分けられ、この地下牢に入れられていた。正式な裁判も行われず。そうした暗い歴史はどんな場所にも潜んでいる。いまではミルもそれくらい理解できたが、しかし自分がこの地下牢に入れられるとは夢にも思っていなかった。


 一度も入ったことがない地下牢は、イメージしていたとおりの場所だった。


 じめじめとして寒く、冷たい。壁や床は石がむき出しになっていて、その表面が湿気でじっとりと濡れているのだ。


 凍りつきそうな冷たい鉄格子で区切られている牢のなかには、当然のようにベッドも椅子も机もない。明かりも通路から差し込むものしかない。人権もなにもあったものではない、罪人を閉じ込めておくという目的しか達成できないような空間。


 ミルはそのなかに入れられ、がちゃりと鉄格子が施錠されるのを見ていた。


 ピルカやアスターも同じように牢のなかに入れられていて、ピルカはとなり、アスターは通路を挟んだ向かいだった。


 兵士は三人を牢に入れると、その場で監視するのではなく、立ち去った。階段を上がっていく足音と、扉が閉まる音。おそらくその外で待機するのだろう。出入口はそこにしかないし、兵士にしてもこのじめじめとした空間に長居したくないにちがいない。


 兵士が立ち去ると、地下牢のなかはしずかになった。


 となりの牢とは石の壁で区切られている。ピルカの様子を確認することはできない。しかし向かいの牢に入っているアスターの様子は見えて、アスターはとくに絶望した様子もなく床にごろんと寝そべっていた。


「せめて毛布の一枚でもほしいとこだな。こんなとこで寝ちゃあ背骨が折れるぜ」

「ゆっくり寝るひまもなさそうだけどな」ととなりの牢からピルカ。「明日か明後日、早けりゃ今日中にも処刑されるぜ、あたしら」

「ま、こんなとこに何年も閉じ込められるよりはマシかもな」

「ちがいねーな」

「……ふたりとも、どうしてそんなのんきでいられるの? わたしたち、殺されるのよ」

「どうせ人間は死ぬさ。殺されようと、寿命まで生きようとな。そんなに気にすることでもない。死ぬのが早いか遅いか、それだけのことさ」

「そんなふうには考えられないわ。わたしは──あの男を、許せない」

「全部読まれてたってわけだ。たぶんあの執務室までだれにも見つからずに移動できたのは、あいつがそうしたからだろう。兵士を隠してたんだ。でもまあ、ありゃ小物だぜ、ミル」

「小物?」

「銃の使い方も知らない王女相手に、兵士を部屋に十何人も隠して、本人は防弾シールドに閉じこもってやがる。それほどびびってるってわけさ。大物とは思えないね」

「同感だぜ」とピルカ。「ああいう男はどうせアレも──いや、やめとくけど。とにかく、あいつは大した男じゃねー」

「大した男じゃなくても、わたしたちを殺せるくらいの男なのは間違いない」

「そりゃそうだ。そういう意味じゃ、おれたちはあの男以下だな」


 アスターは他人事のようにけたけたと笑った。かすかにピルカも笑い声も聞こえる。ミルにはふたりの態度が信じられなかった──今日、明日にも自分が殺されるかもしれないのに、どうしてこんなのんきに笑っていられるのだろう?


 それともふたりは、暗殺の主犯ではないから処刑を免れると思っているのだろうか。


 ミルが殺されることは、どう転んでも間違いない。しかしそれはただあのとき──家族が殺されたときに殺されなかったものが、すこし伸びただけだ。いまさら殺されることへの恐怖は、ミルにもなかった。


 ただ、悔しさだけは消えなかった。


 ミルは手のなかに残された銃を見下ろす。すでに弾は撃ち尽くしていたから、取り上げられることもなかった。


 ミシマを、家族の仇を、殺せなかった。


 自分が死ぬことよりもその事実がなによりも悔しい。


「ま、惜しいとこまではいった」とアスター。「そう悔やんでも仕方ない。なにもかも自分の思いどおりにはいかないさ」


 ここまでがんばったのだから、死んだ家族も許してくれる? そもそもミルは家族に許されるために復讐をしているのではない。個人的な恨み、悔しさだ。あいつを殺してやりたい、と思う気持ち。正義でもなんでもない。正義か悪かでいうなら、これはまさしく悪だろう。


 だからうまくいかなかったのかもしれない。


 神は、ジンライは、手を貸してくれなかった。


 憎しみのためにだれかを殺すなど愚かなことだと神は怒っているのかもしれない。


 ミルはちいさく息をつき、目を閉じた。


 こうなってしまえばもうできることはなにもない。


 処刑されるときまで、ただ祈る以外はなにもできないのだ。

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