からの―――
拝啓
西日の強さもずいぶんと穏やかになり、爽やかな風が黄金色の田園を吹き抜ける実りの季節となりました。そちらは、いかがお過ごしでしょうか。
早いもので、あなたがいなくなってからもう二月も過ぎてしまいました。
本来であれば、無事に女神の御許へと旅立ったあなたを祝福しなければならないのでしょう。
けれど、最後の別れがあまりにも突然過ぎて、恨み言のひとつでも言わずにいられない器の小さな私をお許しください。(といっても今日は愚痴を吐き出すためではなく、あなたがいなくなってからの出来事を報告するために筆を取っていますのでご安心を。)
まずあの日、セシリア王太子妃が亡くなりました。ルチアとユリシーズ殿下を逃すために凶弾に倒れたそうです。奴らの仲間であった彼女がどうしてそんなことをしたのか―――今となっては誰にもわかりません。国内外への影響を考慮して、彼女の死因は突発的な心臓発作ということになっています。幸か不幸か、その死の真偽を問う声は今のところはありません。もちろん、表立っては、ですが。
妃殿下の葬儀後、エンリケ殿下は正式に継承権を放棄なさいました。ゆくゆくはエルバイト宮から離れ、陛下から賜った直轄領で過ごされるようです。殿下がおっしゃるには、そこは緑豊かな美しい土地で、スカーレットやリリィさまと初めて出会った思い出の場所なのだとか。
それから、多くの人間が捕まりました。ルーファス・メイと名乗っていた男は王子誘拐の首謀者として第一王立刑務所に収監されています。実行犯はもちろんのこと、例の組織に関わりのあった貴族たちも一斉に検挙されました。例のゲオルグ・ガイナもその一人で、中には領地ごとお取り潰しになった家もあるようです。
そして、捜査の過程で十年前のあの事件も白日の下に晒されることになりました。星の数ほどの余罪が次々と明るみになり、連日のように世間を賑わせています。
さて、ここで朗報をひとつ。
スカーレット、あなたの汚名はようやっと晴れました。
もちろん、十年前のすべての事実が公になったわけではありません。(そうするとセシリア妃やカスティエル公のことにも触れなければならないので難しいのです)
なので真実に多少の補正と脚色を加えて―――十年前の事件もすべて例の組織が企てた、ということになっています。殺害されたアイシャ・ハクスリーの生前の証言も含め、一連の経緯をオルダスさんが記事にしてくれたのでここに同封しておきます。
とにかく、今のあなたは『時代に翻弄された悲劇の公爵令嬢』として戯曲や小説の題材になるほど話題になっているのです。
恐ろしく美化されたあなたの物語を耳にする度に、子爵令嬢だった頃のセシリアに赤ワインをぶっかけたり、公衆の面前で往復ビンタをかましたのは真実なのだと教えて上げたくなります。だいたいあなたと来たら―――
―――このままだとうっかり筆が滑ってとまらなくなってしまいそうなので、別の話題に移ることにしましょう。
無事に戴冠式を終えたサンは、相変わらず周囲を―――主にエウラリアさんを―――振り回しながら、政務をこなしているようです。今はファリス国内の復興を最優先にしていますが、いずれはアデルバイドとも良好な関係を築いていくだろうと皆が言っています。同時に今回のファリスの行為を重く受け止め、すぐにでも断交すべきだと主張する声も上がっているようです。政治の世界は難しいですね。でも、きっとそう悪いようにはならないでしょう。時間は、かかるかもしれませんが。
ユリシーズ殿下は、来春から母君さまの祖国であるソルディタ共和国に留学されるそうです。夏にはルチアも遊びに行くと言っていました。船はウォルターさんの商会で手配してくれるようで、せっかくだから私も一緒に行かないかと誘われました。まだ先のお話しなので返事は保留にさせてもらっていたのですが、どこで耳にされたのか、つい先日、カスティエル公からアリエノールさまの遺灰を託されました。
結婚してから一度も故郷に帰してやれなかったから、と。
なので私は今、慣れないソルディタ語を必死に勉強しているところです。
そうそう、あの一件での活躍もあり、ミレーヌはメイフラワー社への就職が決まりました。子供たちに夢と希望を与える女性記者になるのだと寝る間も惜しんで働いています。そして驚くべきことに、ケイトはミス・キンバリーの個人秘書のようなことをしているらしいのです。そのうち焼き菓子の代わりに拳銃を持ち歩くようになるんじゃないかと心配でなりません。
こんな風に、変わらないものもあれば変わっていくものもあります。(ちなみにハームズワース子爵は相変わらずの放蕩三昧で、最近また一回りほど嵩が増えました)
さて、肝心の私はというと、あなたと出会う前とほとんど変わらない日々を送っています。相変わらず地味でパッとしない子爵令嬢ですが、それなりに楽しく過ごせています。
スカーレット・カスティエルのいない毎日は、平和で、穏やかで、落ち着いていて―――
そして、ちょっとだけ退屈です。
だから、最後に一言だけ言わせてください。
スカーレットの、ばか。
◇◇◇
冤罪が認められてすぐ、スカーレットの遺骨はカスティエル家の人間が代々眠る墓地に移されることになった。
白い大理石の中央にはスカーレットの名が彫られ、繊細な飾り彫りが全体に施されている。カスティエル公が手配したというそれは、スカーレット・カスティエルに相応しい美しい墓だった。
コニーはその場にしゃがみ込むと、手にした封筒をそっと墓石の前に置いた。手紙にはコニーの近況はほとんど記していない。書かなければコニーのことが気になってまた会いに来てくれるのではないか―――そんな姑息なことを考えたからだ。
とはいえコニーの生活は以前とさほど変わりがなかった。変わったのは、むしろ周囲の方だ。
今やグレイル家のご令嬢と言えば、二度もその婚約が破談となったばかりか、王立憲兵に身柄を拘束され、挙句の果てには処刑寸前までなった立派な腫れ物である。もはや生きる伝説といってもいい。もちろん、悪い意味で。真っ当な神経の持ち主であればそんな伝説に名を連ねるのは御免被りたいだろう。そのせいか、三番目の婚約者として近づいてくる猛者はまずいなかった。
―――たった一人を、のぞいて。
ゆっくりと立ち上がれば、後ろから気遣うような声がかけられた。
「もう、いいのか?」
振り返った先にいたのは精悍な顔立ちをした長身の男性だった。せっかくの非番だというのに、やはり今日も黒い格好をしている。
「どうした?」
じっと見つめていると、ランドルフがきょとんと首を傾げてきた。不思議なことに、この人は周囲の反応なんてどうだっていいらしい。コニーは思わず笑みをこぼした。
「―――内緒です」
「そうか、内緒か」
「そうです」
ランドルフとの婚約は解消されたままだった。教会を通して破談にしてしまった手前、そう簡単になかったことにはできないのだ。
ハームズワースに頼めばあっさりとなかったことにしてくれそうだが、例の公開処刑の一件以降コニーは社交界の注目の的だし、ランドルフも事件の事後処理に追われている。色々なことが落ち着いてからにしよう、というのが二人で話し合った結論だった。
なので、今はただの親しい知人―――いや、想い合っているのだから、れっきとした恋人である。そう告げれば、ランドルフの同僚であるカイル・ヒューズは何やら頭を抱えていたが。
ちなみに、プロポーズはコニーの方からすると決めている。うっかり先を越されないようにランドルフにもすでに宣言済みだ。(なにやらひどく不満―――否、不安そうだったが)
このことをスカーレットが知ったら、何と言うだろうか。
(きっと、鼻で笑われるわね)
ふと悪戯心が湧いてきて、コニーは口を開いた。
「―――ランドルフさま」
「なんだ?」
名前を呼べば、当たり前のように答えてくれる。たったそれだけのことがひどく嬉しくて、コニーはにっこりと微笑んだ。
「呼んだだけです」
「そうか、呼んだだけか」
「そうです」
沈黙が落ちる。ランドルフは咳払いをひとつすると、わざとらしく視線を逸らして声を落とした。
「コニー」
「はい、なんでしょう」
「……呼んだだけだ」
コニーはぱちくりと瞳を瞬かせると、また笑った。ランドルフが困ったように眉を下げながら、こちらに手を伸ばしてくる。
コニーは笑いながら、その大きな掌に指を絡めた。
◇◇◇
予定よりだいぶ早く墓地から戻ってきたせいか、入口に繋いでおいた馬車には肝心の御者の姿がなかった。おそらく近くの寄合所で休んでいるのだろう。
「声をかけて来るから、ここで少し待っていてくれないか」
すぐ戻る、と言ってランドルフが去って行く。
コニーはぼんやりと空を見上げた。夏に比べれば多少肌寒くなってきたとはいえ、陽射しにはまだ勢いがある。そんな強い光を遮るように、鱗のような雲がうっすらと空一面を覆っていた。
スカーレットへの手紙には書かなかったことがある。
嵐は過ぎ去ったが、すべてが丸く収まったわけではなかった。確かにアデルバイドでの【暁の鶏】の活動は潰えたが、広大な組織ごと壊滅したわけではない。それに、実行犯の何人かは今も逃亡中だ。ユリシーズを攫った兄妹も行方が知れないままだという。
後味の悪い出来事は他にもあった。パメラ・フランシスだ。ブレンダ・ハリスの告発を受け、激しい非難に晒された彼女は再び心身喪失と診断され、長期療養を余儀なくされた。病状は深刻で、もはや社交界どころか日常生活を送ることもままならないらしい。
ざっと草を掻き分ける音がしてコニーは我に返った。もうランドルフが戻ってきたのだろうか。音のした方に視線を向けて―――息を呑んだ。
「……パメ、ラ?」
そこにいたのは、今まさに思い起こしていた少女だったのだ。白金色の髪はぼさぼさで、服装はまるで浮浪者のようだったが、それでもパメラ・フランシスに間違いない。
パメラは瞬きもせず地面を睨みつけながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。「……さえ」
「え?」
聞き返しながら、コニーの肩がぎくりと強張る。パメラの手には鋭く尖ったナイフが握られていた。思わず一歩後退れば、俯いていた彼女の顔が持ち上がる。血走った双眸がコニーを捉えた。コニーが何か言葉を発する前に、パメラが動く。刃物を振りかざしながら、コニーに向かって跳び込んで来る。
「あんたさえ、いなければっ……!」
高く上げられたナイフが、ゆっくりと振り下ろされた。刃の切っ先が陽光を反射してきらりと光る。
(―――だれか)
コニーは、ひゅっと息を呑んだ。
(―――だれか、たすけて)
恐怖で体が凍りつく。昼下がりの往来だというのに、郊外のせいか周囲に人影はない。御者を呼びに行ったランドルフも今だ戻らないままだった。
助けは、来ない。
絶望のままぎゅっと瞼を閉じた―――その時だった。
『―――いいわよ』
その声は、唐突にコニーの耳元に落ちてきた。
『助けてあげる』
ゆっくりと瞳を見開くコニーの前で、稲妻のような火花が散った。ばちばちっという音とともに、パメラが地面に倒れ込む。
呆然と立ち尽くすコニーの頭上から、鈴が鳴るように軽やかな声が降ってきた。
『相変わらず、鈍臭いわねえ』
―――そう言って、口の端を吊り上げたのは。
「どう、して」
ぽつりとコニーの口から言葉が落ちた。何故なら、そこにいたのは、ろくにさよならも言わず、勝手に空へと消えていった薄情な―――
スカーレット・カスティエルは、まるで酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開閉させるコニーを見下ろすと、ふん、と鼻を鳴らしてみせた。
『あら、だってよく考えたら、わたくし、ひとっつも復讐を果たしていないんですもの』
「へ……?」
コニーはぱちくりと目を瞬かせた。
それから、いやいやいや、と首を振る。「ひとつも」ということはないだろう。少なくともカスティエル公はビンタした。思い切りいった。何なら助走までつけた。
『まあお父さまはともかく、他の連中はわたくしの手で生き地獄を見せてないじゃない』
「はい……?」
『そう思ったら腹が立って腹が立って……! 真っ白な光が見えたけど、ちゃんと復讐するために引き返してきたのよ!』
スカーレットは、さも当然だと言わんばかりに腰に手を当て顎を逸らした。
コニーは、思わずぽかんと口を開ける。
「いやだって復讐って言ったって」
相手はほとんど死んでいるではないか。
『ほんっとにね! わたくしの復讐を待てないなんて、どいつもこいつも礼儀がなっていなくってよ!』
さすがにこれはとんだ言いがかりである。
『だからね、考えたの。そして閃いたのよ』
紫水晶の瞳がきらきらと楽しそうに光を弾いた。
『―――わたくしが生きるはずだった残り八十四年を、これから、ここで、悔いなく過ごしていけばいいって』
なんだ、そのへんてこりんな理屈は。コニーはぎゅっと口をへの字に曲げた。しかも、勝手に百歳まで生きることになっているではないか。本当に傲慢で、自分本位で、理不尽で―――けれど、不満は何ひとつ口には出せなかった。
熱いものが胸いっぱいに競り上がってきて、言葉に、ならなかったのだ。
『助けてあげたんだから、嫌とは言わせないわよ』
涙でぼやける視界の中で、スカーレットが少しだけくすぐったそうに、けれど、心の底から楽しそうに晴れやかに笑う。
『いいこと、コンスタンス・グレイル』
雲はいつの間にか姿を消し、抜けるような青さだけが広がっていく。風が歌う。空はどこまでも高く澄み渡っている。鳥のさえずりとともに、うららかな光が差し込んだ。そして、
『―――お前のこれからの人生をかけて、わたくしの復讐を成功させなさい!』
これは、希代の悪女の復讐につき合い続ける羽目になってしまった―――どこにでもいるような、平凡な少女の物語である。
長い間おつき合い下さいまして本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
一休みしたら後日談という名のただの蛇足篇をつけ足す予定でいますので、その時はまたお目を通して頂ければ幸いです。




