それは気になる
城に戻るとシシーたちが出迎えてくれた。泣きそうな顔をしている彼女を見て、心配をかけて申し訳なかったという気持ちになる。
シシーが私の手を握ったのは、本来立場的によろしくないことだ。けれどそのようなつまらないことを言う気にはなれない。彼女の手はとても冷たかった。避暑地とはいえ季節は夏。こんなに手が冷たくなるはずはない。気が気ではなかったのだろう。いつもなら冷静に行動する彼女が思わず私の手を握ってしまう程に。
「心配をかけたわね、シシー。無事に戻ったわ」
「ご無事でなによりにございます」
私の肩に手を置き、シュテファン様が頷いた。
「報告などがあるから少し外す。すぐに戻るから先に休んでいてくれ」
「はい。いってらっしゃいませ」
シュテファン様が目配せをし、シシーが頷いた。侍従を連れて城の中に入って行く夫の背中を見送る。
「奥様、お部屋に戻りましょう」
「えぇ、そうね」
部屋に戻りシシーが淹れてくれたお茶を飲む。
カウチの座り心地の良さとお茶の温かさにほっと息を吐く。じわりじわりと気が緩んでいく。
「医師がすぐにお越しになるとのことでした。診察が済みましたらご入浴を」
シシーの言葉に頷く。
何もないことは分かっているけれど、安心させる為にも診察は受けたほうが良いだろう。
医師の診察はすぐに終わった。傍目にも何もないのが分かるだろうし、シュテファン様からも話がいっていたのだろう。髪と服装が乱れたぐらいのものだ。
姉や妹も会いに来てくれて、抱きしめられた。
無事で良かったと言われて、はじめはそんな大袈裟なと苦笑していた。けれど何度も何度も無事で良かったと言われて、私とシュテファン様がどのような状況に陥っているのか分からないのだから、それは心配するに違いないと思い至る。
もし姉妹が同じ目に遭ったならば、私も同じように心配する、きっと。
姉妹の顔を見てほっとしたのと同じように、シシーを見てほっとした自分に気付いて、私の帰る場所は増えたのだと実感する。安らげる場所が増えるのはしあわせなことだ。一つもない人だって世の中にはいる。
馬に乗って枝に刺繍糸を結んでいただけだから、取り立てて疲れていないと思っていたけれど、思う以上に疲れを感じていたらしい。なんだかんだいってあの状況は神経を使っていたのだろう。
まぁ確かに怖かった、それは本当に。
シュテファン様が後ろにいて支えてくれたから何事もなかったものの、私一人なら間違いなく落馬していただろうし、怪我の一つや二つしてもおかしくないし、馬に踏まれでもしていたら……。
今更になって怖くなってきた。
シュテファン様だってあの時、自分が振り落とされないようにするのも大変だったはず。それなのに、私をしっかりと抱き寄せて守ってくれた。
胸の奥がぎゅっとする。
口で愛しているだのなんだのと言うことは難しくないだろう。人は嘘を吐くことが出来るのだから。
けれどあのような緊急事態になったときにこそ、本心が出るものだと思う。
分かっていたことだ。シュテファン様が私を大切に思ってくれていることは。そのことに感謝もしている。
私の理想に近付く為にと身体を鍛えてくれていることも。私が歌劇が好きだからと歌劇場の建設の話を受けたり……。
思わずため息が出る。
……私の努力が足りない気がする。シュテファン様の妻としての努力が。
ますますシュテファン様が高みにのぼっていくというのに、また距離が開いてしまう。
二人に相談しなくては!
入浴をした後、カウチに座ってぼんやりしているうちに眠ってしまったようだ。
目覚めるとシュテファン様がいた。いたというかシュテファン様の膝の上に頭を乗せて寝ていた。
……逆では?
私が目覚めたのに気付いたのか、シュテファン様が笑顔になる。
「目が覚めたか?」
「……何故このような状況になったのか、教えていただけると助かります」
起きあがる私をシュテファン様が支えてくれた。なんとなく気恥ずかしくて軽く睨んでしまう。
「報告を終えて部屋に戻ったらコルネリアがうたた寝をしていてね。その隣で書類を読んでいたら身体が傾いてきてあぁなった」
嬉しいのだろう。にこにこしている。
「以前読んだ恋愛物語に恋人同士が膝枕をしている描写があったのだが、あれはこういうことなのかと軽い感動を覚えた」
「……その場合は立場が逆だと思います」
女主人公の膝で男主人公が眠るのが定石だ。
だからと言って交替だと言う気はない。
「殿下たちに報告をされたのですか?」
「あぁ。ヤコビ男爵が酷く窶れていたよ。人は短時間であれ程窶れるものなのかと驚いた」
そう言って、その時の様子を話してくれた。
私とシュテファン様の側でワインの栓を抜き、馬を驚かせて暴走させたというヤコビ男爵。彼は私とシュテファン様が人の少ない場所に向かうのに気付いて、商談の話をする好機だと思ったらしい。
美味しいワインを飲ませて、私の機嫌を取ろうとしたのだとか。ミューエ子爵は妻を溺愛しているという。その妻の口添えをもらえたなら、商談を受けてもらえるはず──と、そういうことらしい。
「残念な方ですのね」
「そうだな」
場を盛り上げるどころか馬が驚いて暴走し、ミューエ子爵夫妻が行方不明。
王太子の側近。未来の侯爵夫妻。
そんな二人に危害を加えたとして罰を受けたなら、男爵家などひとたまりもない。
「コルネリアはどうしたい?」
どれほどの罰を与えたいかということだろう。
「そうですね……ヤコビ男爵はどのようなことを評価されてガーデンパーティーに招待されたのですか?」
姉ならばきっと相手の弱みを握る機会と言うだろう。
「彼は王都の外れに工房を持つ」
「工房ですか?」
「ヤコビ男爵の工房には優れた職人が多く、宝石を割ることなく穴を開ける技術を持つ」
「まぁ」
宝石は穴を開けるのが難しく、加工のしやすい金、白金などの土台にはめることが普通である。
「素晴らしい技術をお持ちなのね」
「その技術でこれまで見向きもされなかった小さな宝石を糸に通した装飾品を販売し、財を築いた。平民たちも手に入れられる装飾品として人気らしい」
平民に人気だから貴族にはあまり知られていないのね。
「シュテファン様、ヤコビ男爵にお願いしたいことがあるのです」
「コルネリアが男爵に?」
頷く。
「穴を開けた小さな宝石を買い取らせていただきたいの」
「何に使うんだ?」
尋ねた後に気付いたらしく、笑顔になる。
「刺繍だね?」
「えぇ。きちんと買い取ります」
シュテファン様はふむと呟くと何かを考え始める。
「大層萎縮していたから、宝石を譲られてしまいそうだ」
「それで男爵の気が済むのであれば。私は必要以上の罰は求めておりませんし、きっと男爵を罰するのは勿体ない気がいたします」
「そうだな、私もそう思う。上手く話してみる」
「よろしくお願いします」




