最終話 Ich liebe dich
9月のこと。
喫茶・餓狼を貸し切りにして、俺の全国模試1位の祝賀会が行われた。
参加してくれたのは、いつものメンバー。
妹の鞠、クラスメイトの美代とその姉である林先輩、後輩の花子。
そして――俺の恋人のエリス。
ついでに――全国2位の謙吉。
「手強いね、流石は於菟だ」
軽食とケーキが運ばれてくるなか、謙吉が軽い拍手を送ってくる。
「まさかあの状態から僕を追い抜くなんて、予想していなかったよ」
「エリスのことを、勉強ができない要因にしたくなかったからな」
「恋人にかまけて勉強ができなくなるかと読んでいたのに、まさか恋人の存在を勉学への熱中に変えてくるとはね。完全に僕の作戦負けだ」
謙吉は人の良さそうな笑みを浮かべている。
この顔だけ見ていれば、まさかこいつが俺の勉強時間を削るためにエリスと俺とを結びつけようとした、悪辣な恋のキューピットであるとは思えない。
そんな悪辣なキューピットは、2位という結果になってなお、俺を祝福しに来るだけの律義さを持っている。
これは演技ではないはずだ。
俺を1位から蹴落とす工作だけは全力でし続けて、それはそれとして1位になった俺を心から祝福する――こいつはそういう奴なんだ。
「オト、おめでとうございます」
日本語がだいぶ上達してきたエリスが俺を褒める。
それだけで心が温かくなるんだから、本当に不思議だ。
「「「むぅ……」」」
エリスに笑みを向ける俺に、場にいる女性陣たちからの視線が突き刺さる。
今後とも変わらぬご友諠の程を……とは言ってみたものの、林先輩はともかくとして、美代や花子は俺に対するアプローチを強めている気がする。
やめろよ。
俺にはエリスが居るんだ。
それなのに俺の理性を試すような真似をするのは……俺は屈さないぞ……屈さない気構えだけど……本気の色目を使ってこられたら、けっこうダメそうな気も……。
「オト、浮気は駄目ですからね♡」
なにかを察したようなエリスが俺に笑顔で告げてくる。
俺はひきつった笑みを浮かべて、それからタイミングを見計らい、美代に小声で告げる。
「聞いただろ。浮気は駄目なんだってよ」(小声)
「浮気って、『浮ついた気』よね? 於菟があたしに心から本気になるようにしてしまえば、浮ついていないんだから浮気には該当しないわよね」(小声)
「…………」
理屈をパワーでねじ伏せてくる美代に戦慄する。
こいつとの付き合いもまだまだ続きそうだ。
花子にしたって同様だろう。
そんな予感がして、俺は苦笑した。
そして。
会がお開きになり、俺と鞠は自宅に帰った。
するとスマホにメッセージが。
見るとエリスからで、『いつかの場所で待っています』という簡素な一言。
……いつかの場所?
少しだけ考えて、ピンときた。
鞠に留守番を任せ、俺が向かった場所は御息所学園の校門前。
向かってみれば、やはり彼女はいた。
紺を基調に、藍のラインを襟袖に流した制服を着て、在りし日のままに。
近づけば、ふわりと香水が香る。
「ふふっ、やっぱりオトは分かってくれましたね」
彼女はとても満足げだった。
「そうです。ここは、日本で私がオトに最初に出会った場所です」
「思い出の場所だな」
「はい。そしてこれが、思い出の言葉……」
彼女は俺に近づいて、甘く囁く。
【絶対に逃がしません】
かつてこの場所で起きた出来事を再現するエリス。
対して俺は、彼女に囁き返す。
【絶対に放さない】
その言葉に彼女は【ちょっと恥ずかしいです……】と顔を赤くする。
そんな彼女が非常に愛おしく、俺は彼女の右手を掴み、両手でそっと包みこむ。
そのまま彼女の右手の薬指を触る。
指のサイズを確かめるように。
エリスが目を潤ませる。
俺の行動の意味は伝わっているはず。だからこその反応。
ドイツでは、結婚指輪は右手の薬指につけるものなのだ。
【オト、後悔はありませんか?】
【あるものか。必ず君を幸せにするよ】
言葉を結び合わせる俺たちは、やがて唇を結び合わせた。




