92話 覚悟の名前
異空間の中は、しんと静まり返っていた。
セラフィナは思わず息を飲んだ。
リリアのひと言が、あまりに直球で、あまりに鋭かったから。
「わたし、ロブさんが嫌いです」
その一言の後、空気が一変した。
誰もがリリアに目を奪われた。
エドガーが口を開きかけて閉じ、カイは瞬きすら忘れて立ち尽くす。
フィリアの表情は凍りついていた。
そして──ロブ。
明らかにショックを受けた顔で、完全に固まっていた。
それが、あのロブの顔なのかと、セラフィナは一瞬、目を疑った。
「り、リリアさん、いきなり何を……?」
ようやく声を絞り出したセラフィナ自身の声も、どこか上ずっていた。
けれど、リリアは動じなかった。
ロブを正面から見据え、胸を張る。
慎ましい胸が、ほんのわずかに強調されていた。
その姿に、セラフィナはただ圧倒された。
「ロブさんは、最初に会ったとき、私に言いましたよね。『弟子になれ』って。それって……未来を見据えてたからでしょう?」
「あ、ああ……」
ロブはまだ立ち直れていないらしく、答えも上の空だった。
いつもの彼らしからぬ、あやふやな声音。
「なのに、あとになって『無理についてこなくていい』とか言って、私を遠ざけようとしたじゃないですか」
リリアの声はまっすぐで、痛いほど真剣だった。
セラフィナの胸にさえ、何かが突き刺さるような強さがあった。
「……それは……」
ロブが、言葉に詰まる。
それは本当に珍しい光景だった。
ロブが言葉を失うなんて──そう、セラフィナは見たことがなかった。
「私たちがロブさんの助けになることを知ってたのに……でも、過酷な運命を背負わせたくないとも思ってて……だから一人で、ずっとウジウジ悩んでたんですよね?」
痛烈な言葉。
だがそこには、怒りや非難ではない、別の色が宿っていた。
それは、深い悲しみと、強い願いだった。
ロブの沈黙が、肯定の代わりのように響く。
リリアは続けた。もう、止まらなかった。
「ヘリオスがロブさんを狙うのは、世界の秩序を正すためだって言ってましたよね。それって、ロブさんがいなくなったら世界がめちゃくちゃになるってことでしょ?」
「……っ」
ロブの目が揺れる。
「じゃあ、そのロブさんを守る私たちを遠ざけるのって……世界を見捨てるのと同じじゃないですか」
言葉が、重く響く。
誰もが、その意味の深さに気づいていた。
「何度も助けられたって言ってたのに……それでも、一人で何とかしようとしてたんですよね?」
セラフィナは、リリアの言葉が突き刺さるようで、息を呑んだ。
「……量子論での時間の復元力は強力だ。お前たちが弟子を辞めても、代わりに誰かが遡って俺を助ける可能性はあったんだ。だから、お前たちを縛り付ける必要はないと思ってた」
ロブの声は低く、どこか自分に言い訳しているようだった。
だが、リリアは食い下がる。
「じゃあ、その“代わり”の人たちはどうなってもいいんですか?」
その言葉に、ロブは沈黙した。
「私たちを本当に大事に思ってくれてるなら……私たちをすっごく鍛えればいいじゃないですか。逃げずに、正面から向き合って、育ててくださいよ」
言葉が、空間に真っ直ぐ飛んでいく。
「そんな覚悟もないまま、私たちに『選べ』って言うのは……それ、ただの逃げじゃないですか」
それは、怒りではなかった。
涙をこらえながら、それでも前に立ち続ける、ひとりの少女の意志だった。
セラフィナは、ただ呆然とリリアを見ていた。
こんなにも、強くて、真っ直ぐで、優しい人だったのだと、今さらながらに、気づかされた気がした。
ロブの声が、静かに響いた。
「お前たちが行く先は――戦乱の世だ」
淡々とした口調だった。けれどその一言が、空間の温度をわずかに下げる。
「どこで矢が飛んでくるかも分からない。正面から襲いかかる敵ばかりじゃない。毒も罠も裏切りもある。そういう、救いのない時代だ。……そして、クロノスの使徒は――」
ロブは一度、言葉を切った。弟子たちを一人ずつ、真正面から見据える。
「一人一人が、“金龍”に匹敵する力を持っている。Sクラスでも、単独じゃ勝てる保証はない」
「……金龍……」
エドガーが低く呟いた。喉の奥がひりつく音まで聞こえてきそうだった。
「三年で……そこまで強くならないといけない………」
カイの声は、いつになくわずかに揺れていた。
セラフィナも、拳を固く握る。
冒険者としてのキャリア――それは一朝一夕ではない。ギルドの統計によれば、数万人の冒険者の中で、十年かけてCクラスに届く者が全体の三割。そこからさらに、Bクラスに進めるのは半数にも満たない。
Aクラス以上になれば、それだけで都市の守護者として名を馳せる。Sクラス――“金龍”と称される頂点の戦士は、今この瞬間でも、世界に十人もいない。
ロブは、その金龍に並ぶ力を、たった三年で身につけろと言ったのだ。
「無理だ、とは言わん。だが、生半可じゃ届かない」
ロブの声は、どこまでも現実的だった。
「命を削り、常識を捨てて、三年で人の限界を超える……それでも、足りるかどうかだ………いや、普通の奴はそれでも届かない」
その覚悟があるか――問いかけるような目だった。
セラフィナは、かすかに唇を噛む。
この先に待っているのは、栄光でも伝説でもない。
血と、汗と、死の匂いにまみれた――本物の戦場だった。
しかし。
その場の重さを切り裂くように、リリアが口の端を吊り上げた。
「――出来るかどうかなんて、関係ないですよ」
不敵に、しかし静かに笑う。
背中を伸ばし、芯から絞り出すように続けた。
「“やるんだ”。ロブさんは、いつもそう言ってたじゃないですか」
「……!」
ロブが微かに息を呑む。
その声音に、確かに何かが刺さったのだと誰の目にもわかった。
「選択肢なんて最初からないんです。ロブさんが今、私たちにするべきことは――“選ばせる”ことじゃない。“覚悟を決めさせる”ことです」
言いながら、リリアの視線がロブに突き刺さる。
「皆、そう思ってましたよ?」
その一言で、ロブの視線がゆっくりと弟子たちへと移る。
セラフィナは、わずかに頷いた。エドガーも、カイも、フィリアも、無言でそれに続く。
誰も口にはしないが、その頷きは何より雄弁だった。
リリアはその空気を受け止めるように、小さく息を吸って――
「……わたし、ロブさんの“何も言わずに背を向けて行こうとするところ”が嫌いです」
言葉が、静かに落ちる。
セラフィナはその一言に、目を細めた。
リリアの声は穏やかだったが、そこにこめられた感情の濃度は、痛いほど強かった。
「わたしたちに、背中を見せて、導いてくれるロブさんが好きなんです。見捨てないで、見放さないで、ちゃんと“手を伸ばしてくれる”……そういうロブさんが好きなんです」
リリアは両手をそっと胸に当てる。まるで、何かかけがえのないものを包み込むように。
その姿に、ロブが――呆けたような表情を浮かべた。
セラフィナは、少しだけ目を丸くした。
あの男が動揺を隠せずに言葉を失うなど、ほとんど奇跡に近い。
「だから、言ってください。“信じろ”って。“俺がお前たちを強くする”。そうやって、ちゃんと私たちの“師匠”でいてください」
そして、リリアは一度だけ視線を横にそらした。
セラフィナと目が合う。彼女はやれやれと言いたげに肩をすくめ、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
エドガーもカイも、苦笑混じりに頷く。
……誰よりも心が強いくせに、肝心なところで少しだけ臆病になる。
それが、リリアという少女だった。
「……覚悟なら、もう出来てます」
今度こそ、真正面からロブを見据え、リリアははっきりと告げた。
その言葉に、ロブはしばらく黙っていた。
ほんの短い間。けれど、それは明らかに――“揺れた”時間だった。
やがて。
ふっ、と。
ロブは鼻で笑うように息を漏らし、肩の力を抜いた。
「……そうだな」
顔を上げ、口元に笑みを刻む。
それは、いつものように飄々とした笑いではなかった。
覚悟を決めた者の――少し照れくさい、そしてどこか誇らしげな笑みだった。
「俺が弱気になってどうすんだ。……お前たちに“覚悟しろ”って言いながら、自分だけ腰引けてちゃ示しがつかねえか」
にやり、と笑って、続ける。
「覚悟しとけよ。……死ぬよりきつい特訓が待ってるからな」
「……ふふっ」
誰かが小さく笑った。
それがフィリアか、カイか、はたまたセラフィナ自身か――それは、もう誰も気にしていなかった。
「弟子辞めたいって言っても、もう聞く耳持たねえからな」
そう言ったロブは、どこか晴れやかに笑っていた。
そして弟子たちは、その笑みに、同じだけの熱で応えた。
「そろそろ戻るか。ゼランたちの尋問も終わってる頃だろう」
ロブがそう言って片手を振ると、虚空に出口のゲートが出現した。
「はいっ」
リリアが素直に頷き、仲間たちも後に続く。けれど、ロブはすぐにゲートをくぐらなかった。
「……先に行っててくれ。俺は、ちょっとだけやることがある」
「……分かりました」
リリアが不思議そうな顔をしながらも頷き、一行はゲートを抜けて元の林へと戻っていく。
光の揺らめきが収まったとき、リリアたちは再び林の静けさの中にいた。
ほんの一瞬前までの、あの重たい空気が嘘のように、鳥のさえずりが帰ってきていた。
セラフィナが、そっとリリアに寄り添う。
金の巻き髪がふわりと揺れ、やわらかな声が落ちる。
「リリアさん……立派でしたわよ」
それは、気遣いでも、お世辞でもない。
ただ一人の仲間として、心からの賛辞だった。
「そう……ですか?」
リリアはうつむきながらも、口元だけが微かにほころんだ。
それを見て、セラフィナは慈しむように頷いた。
「俺も見直したよ」
エドガーが照れ隠し気味に肩をすくめる。
彼の声に、カイも静かにうなずいた。無言の肯定は、いつもよりずっと熱を帯びていた。
「でもさ、リリア……」
フィリアが口を開くと、ふっとその場に小さな緊張が走る。
「どさくさに紛れて、ロブに告白しちゃったよね?」
「――え?」
リリアは一瞬、何を言われたのか分からないという表情をした。
だが、次の瞬間。
「あ………………ああああああああああああっっっ!?!?!?」
盛大に崩れ落ちた。顔を真っ赤にして、地面にうずくまる。
「わ、わたし、な、なにを……なにをぉぉぉ~~~!」
「ご自覚、なかったのね……」
セラフィナは手を口に当て、呆れとも苦笑ともつかぬ吐息をこぼした。
「この分だと、師匠も気づいてなさそうだな」
エドガーがつぶやく。
「あのクソボケのことだからあり得るわね」
フィリアが遠い目で呟いたその口ぶりは、どこか諦念すら感じさせた。
「や、やばい……し、しぬ……わたし、もうロブさんの顔、まともに見れない……!」
地面に突っ伏して、リリアは涙目で呻いた。
――そんなリリアを、四人は苦笑しながらも温かく見守った。
一方その頃――異空間にひとり残されたロブは、背後のゲートが閉じるのを確認してから、ふぅと深く息を吐いた。
「……クォリス」
『はい、ロブ様』
空間の中に、いつもの機械的でいてどこか優しい音声が響く。
「なあ、今の……リリア、俺のこと好きって言ったよな?」
『はい。明確に好意を表す表現が含まれておりました』
「やっぱ、そうか……よかった、俺の聞き間違いじゃなかった……!」
ぐっと両手を握るロブ。その目はどこか夢見心地で、けれど真剣だった。
「ヤベ……ニヤける……」
表情が自然と緩んでいくのを止められない。理性は警告してくるが、顔の筋肉が命令を聞かない。
『お弟子様方には見せられない表情ですね』
「見せられねえよ……!あいつらにこんな顔見られたら終わりだろ……!」
それでも笑いが止まらない。数秒前まで、世界の運命を背負う重圧に押し潰されそうだった男の、いまのこの顔は――恋する青年そのものだった。
『リリア様と初めてお会いになったのは、十七歳だったと記憶していますが。現在の十四歳のリリア様にも惹かれるのですか?この世代の三歳差は精神的年齢でもかなり違うと思いますが』
「……ああ」
ロブは静かに答える。すぐに出た答えだった。
「歳とか時系列とか、そういうのとは関係ないんだよ。今のリリアを見て――やっぱり、変わってねえんだなって思った。あいつは、根っこが変わらねえ」
『では、正直な感想を』
「……惚れ直した」
そう言って、もう一度、ロブは笑った。
心からの、幸福そうな笑みだった。
【リリアの妄想ノート】
タイトル:「わたし……やっちゃいました?」
やばい。
冷静に振り返ると……あれ、完ッ全に告白だったのでは……!?!?
いやいやいやいや違う。違うのよ!?
「ロブさんが嫌い」って言ったじゃない!そこが布石よ!伏線よ!ミスリードよ!
……って思ってたけど、
『クォリス「好意を表す表現が含まれておりました」』
おまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
AIって空気読まないって聞いてたけど、ここまで読まない!?
リライト希望、クォリス!!
で、冷静になって考えたわけです。
ロブさん、どう思ったんだろうって。
……ニヤけてたって、マジ?
クォリスのログ、ちょっとだけ……いや、ちょっとじゃない……見せてくれないかな……(真剣)
ああもう!やっちゃった!
しかも、「弟子辞めたいって言っても聞く耳持たねえからな」って言われちゃったし!
え、もう、既成事実!?それって、つまり、婚約とかそういうノリ!?
――とか言ってたら、セラフィナさんに
「ご自覚、なかったのね……」ってため息つかれた!!
カイくんは黙ってるし、
フィリアさんは「師匠のことだから気づいてない」って言うし、
エドガーくんは変な笑い浮かべてるし!
なんかもう、私、全方位に恥ずかしい!!
……でもね。
正直、後悔はしてない。
だって――
ロブさんの背中が、ちょっとだけ振り返ってくれた気がしたから。
……ああ、でもやっぱ恥ずかしい!!
地面に埋まりたい!異空間でもう一回消し飛びたい!!
【本日の反省】
・言葉は選ぼう
・感情が昂るとセリフが重い
・告白するならもっとロマンチックな場所で
・というかまず心の準備をしよう
【次の目標】
・修行でロブさんに頼られる存在になる
・ちゃんと、好きって言えるようになる(そのうち)
セラフィナさん曰く、「恋も修行も、覚悟が必要ですわよ」とのこと。
うぅ……
恋も、バトルも、修羅の道だよぉ……!!




