第89話 雪に溶けゆく約束
「……おっかしいな。前は大爆笑だったのに」
外に出たロブが、腕を組んで首をひねる。雪の上に立つその後ろ姿は――まあ、いつもどおり格好いい。見た目だけなら。
「……タイミングじゃないですかね」
リリアは静かに呟いた。言葉はやんわりだが、口調には明確な“非難”がある。
いやほんと、あれだけ真剣に場を締めといて、なぜ最後にダジャレを入れてくるのか。
この人、残念イケメンって言葉を作った元祖なんじゃないかと思えてくる。
リリアは溜息を一つ、内心でだけついた。
(……まあ、いっか。私がこの人の魅力、ちゃんとわかってれば)
そんな打算的な安心感を抱いてしまう自分にも、ちょっとだけ反省しながら。
雪を踏みしめる音だけが、しんとした空気に小さく残る。
小屋の中では、ゼランとライゼがマイラたちに対する尋問を続けていた。
ロブは手すりに肘を預け、視線を谷の向こうへと投げていた。
吹雪はすっかり止み、雲の隙間から覗く昼間の月が、寒々しさを伝えていた。
「……よかったんですか? ゼランさんたちに、あとは任せちゃって」
隣にいたリリアが、少し心配そうに声をかける。
「まあな。ここからは“戦い方”が違う。……政治の世界だ」
ロブは、静かに目を細めた。
「ゼランはああ見えて、こういう駆け引きに強い。腕っ節じゃなく、理と信念で場を動かせる男だ。……俺なんかより、よっぽどな」
「……それで、ロブさんたちがギルマスに?」
「そうだ。セレニアと俺で、あいつを推した。あの頃からもう決めてた」
夜風がロブの黒髪を撫でる。
「俺たちは……この国が、間違った道を歩まないようにって、それだけを願って動いてた。でもな、冒険者ってのは、どうしても外からしか吠えられない。届かない声も、通らない理屈も、山ほどあった」
ロブはふっと笑った。自嘲の色も、どこか優しさも含んだような。
「だからこそだ。ゼランのような、言葉と拳の両方を持った奴が――世界を、変えるんだと。俺は、本気でそう信じてる」
その横顔を見て、リリアは言葉を失った。
偉そうにしてない。力を見せつけてもこない。ただ、確かにそこに立っている男。
だからこそ、誰よりも……信じられる人だと思った。
リリアは意を決してロブに聞く。
「アウロさん……誰かに操られてたんですよね?」
ふだんの可憐な響きではない。
慎重に、けれど覚悟を込めた問いだった。
「ロブさん――心当たりが、あるんじゃないですか?」
ロブは少し驚いて返す。
「なんでそう思う?」
「なんとなくです」
そう言いながらも、視線はそらさない。
遊ぶアウロラグナを見やったその目に、揺るがぬ強さがあった。
しばし、風の音が会話の代わりになる。
そして、リリアはふっと笑った。ほんの少しだけ、自嘲気味に。
「ロブさんって、ずっと何かを隠してる気がしてました。……たぶん、私たちに言えないことばっかりなんだろうなって」
ロブは黙って聞いていた。
「でも、三千年も生きてたら、そりゃいろんなことがあると思うんです。忘れたいことも、抱えたままのことも。……言えないことも、あえて言わないことも」
リリアの声はやがて、少しだけ震えていた。
けれど、それを押し殺すように、彼女はまっすぐ言葉を繋げる。
「でも、私たちはロブさんの弟子で、一緒に戦う仲間です」
吐き出すような一息のあと――最後の一言は、優しく、けれど決意に満ちていた。
「だから……ロブさんが一人で戦う必要なんて、ないんです。少しでも、私たちに……あなたの戦いの孤独を、分けてください」
それは祈りだった。
憧れを越え、信頼へと変わっていく少女の覚悟だった。
ロブは、何も言わなかった。
ただその言葉を、受け止めるように静かに立ち尽くしていた。
「……昔、同じことを言われたことがあったな」
ぽつりと呟くロブの声は、遠い記憶の底をすくい上げるようだった。
リリアがふと視線を上げる。
無意識のうちに、声が漏れる。
「……女の人、ですか?」
ロブは笑った。
「よくわかったな」
「……なんとなくです」
答えながら、リリアはむくれてそっぽを向いた。
頬をふくらませたその顔に、ロブは小さく目を細める。
「誰に言われたか、気になるのか?」
「…………別に」
語尾だけが、ほんの少し震えていた。
ロブはその横顔に、どこか愛おしさを感じるようなまなざしを向けた。
そして――静かに、つぶやいた。
「……俺も、覚悟を決めるか」
「え?」
リリアが振り返ったとき、ロブはもう別の表情をしていた。
それは笑顔だった。
けれど、どこかで何かを背負い、赦しと諦めの中に立ち尽くす、聖人のような――そんな笑顔。
「……お前が言ったんだよ」
「え……?」
「セラフィナたちを呼んでくれ。伝えておきたいことがある」
その声は穏やかだったが、空気が変わった。
「俺と、お前たちの“未来”に関わる話だ」
その言葉は、冷えた風のようにリリアの胸を撫でた。
まるで――
世界の終わりを静かに語る預言者の声のように。
【リリアの妄想ノート】
『ロブさんの元カノ、どんな人なんですか!?事件』
○日×月 晴れときどきモヤモヤ
ロブさんが、昔、誰かに「一人で抱え込むな」って言われたって言ってた。
それを聞いた私の胸の中がですね、あの、なんというか、
ぐるぐるモヤモヤし始めて止まりません!!
……だって、だってですよ?
私と同じことを、別の女の人に言われたって!?
つまりその人は、ロブさんの“特別な存在”だったってことで!?
つまりつまり、それってもしかして、初恋とか!?死別とか!?伝説の美少女とか!?
(ぐふぅぅ……! 妄想で胃が痛い!)
というわけで、今日の私の妄想ノートはこうなりました↓
【推測されるロブさんの元カノ像】
1. 銀髪ロングの理知的お姉さま(※今は亡き元恋人)
2. ロブさんの魔法の師匠で、ツンデレ系先輩だった(!)
3. 実はリリアの未来の姿説(←!?)
……もういいです。
とりあえず今日は滑り台で心の澱を洗い流します。
アウロさん、加速してください!!(ドーン)




