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第88話 完璧な心理戦だった――あの一言までは。

 リルダンの村の外れ。雪に埋もれかけた古びた物置小屋。


 その中に、四人の男女が身動きできぬまま並んでいた。

 魔導公会の刺客たち――マイラ、ゼリオス、ロッシュ、そして冒険者でもあるグレイ。


 四人は後ろ手に拘束され、魔力の回路はライゼの展開した封印術式によって完全に塞がれている。

 術式は魔力波の発振を自動で打ち消す特殊仕様。詠唱どころか、瞬きにすら制限がかかるほどの精密さだ。


 逃げ場もなければ、発動手段もない。

 まさしく、詰みである。


「ふむ、こいつらが、コスい工作を企ててたってわけか」


 低く唸るような声が、小屋の隅に響いた。


 現れたのは、分厚いコートの裾を翻しながら歩く、大柄な男――

 冒険者ギルド本部・統括ギルドマスター、ゼランだった。


 顎を手でさすりながら、四人の顔を順番に見ていく。


 ひとりずつ。ゆっくりと。

 まるで競り落とす前の馬の品定めのように。


 マイラは睨みつけてきた。

 その眼差しには、まだ敗北を認めぬ強情さが残っている。


 ゼリオスは無言。徹底して感情を消している。

 ある意味、それがこの場で最も理性的な反応だったかもしれない。


 ロッシュは、目元に脂汗を浮かべながら唾をゴクリと飲み込んだ。

 その喉仏の動きが、やけに大きく見える。


 そしてグレイ――


 彼はゼランの顔を見るなり、肩が小さく跳ねた。

 そして、すぐに目を逸らす。

 冷や汗が、額からこめかみへと流れ落ちていた。


 どうやら、“彼だけは”ゼランの正体を理解していたようだ。


ゼラン――

 その名を、冒険者ギルドに籍を置く者なら一度は聞いたことがあるはずだ。


 現役時代の最終ランクは銀獅子シルバーライオン、すなわちBクラス。

 ……だが、それはあくまで「公式な等級」に過ぎない。


 実際には、金龍ゴルド・ドラゴン――Sクラスに匹敵すると言われた実力者。

 その戦術眼、判断力、そして「状況を勝ちに持っていく技量」は、下手な猛者の暴れっぷりよりもよほど信頼されていた。


 そんな男が、ある日ふいっと冒険者を辞めてギルド職員に転身。

 あれよあれよという間に頭角を現し、若くして統括ギルドマスターの座に就く。


 戦えて、動けて、喋れて、考えられる――

 いわゆる「全部乗せ」。

 加えて、ギルドの腐敗を根本から叩き直すつもりで動く胆力まで持っていた。


 当然ながら、冒険者たちからの信頼は絶大。

 そして一方で――


 魔導公会からすれば、限りなく面倒くさい存在の一人でもあった。


 ライゼと並んで、“真っ当に正しい奴ほど厄介”なタイプ。

 下手に手を出せば、正面から叩き潰しにくる天敵。

 それがゼランという男だった。


 しかし、どうにも腑に落ちないのは――ゼランの格好だった。


 汚れている。


 いや、とにかく全体的に、なんかこう……ひどく汚れているのである。


 外套の裾はぐっしょりと濡れ、ズボンの膝から下にかけては泥がこびりつき、極めつけは尻のあたり。まるで雪解けの斜面で尻餅をついたような盛大な染みができていた。


(……なんで?)


 マイラが眉をひそめ、隣のゼリオスに視線を送る。


 ゼリオスは気づいていたが、見て見ぬふりをした。


 ロッシュは目をそらした。


 グレイは見た瞬間、顔を引きつらせたが――すぐに、何事もなかったように虚空を見つめ始めた。


 誰も何も言わない。言えなかった。


 なにせ目の前にいるのは、統括ギルドマスターである。下手に突っ込んで、尻の話題からとんでもない方向に発展したらたまったものではない。


 ――こうして、ゼランの泥まみれの衣服は、誰にも触れられないまま、静かに村の空気と一体化していった。


「今回のドラゴン討伐の件――依頼は虚偽だった。しかも、村長のハルベルトはこう証言している。“あの女に金で頼まれた”とな」


 ゼランは腕を組んだまま、ほんのわずかだけ目を細める。その声音は、穏やかでありながら、有無を言わせぬ圧を帯びていた。


 が、マイラは鼻で笑った。


「……覚えがないわね」


 表情ひとつ変えずに言い切ったその様子は、まるで春風のように涼しかった。嘘を吐いている自覚があるのかどうかも怪しい。


 そして続けた。


「そもそも私たちは、ドラゴンの生態調査のためにあの山に入ったのよ。学術調査の一環ってやつ? そこに――」


 マイラの視線が斜め後ろ、ライゼの方へと滑っていく。


「いきなりその魔族が現れて、攻撃してきたの。こっちからすれば、不当な暴力を受けた被害者よ。文句を言いたいのはむしろ私たちの方なんだけど?」


 強気な口調とは裏腹に、隣のグレイが目に見えて肩をすくめ、冷や汗をかいている。ロッシュは脂汗を拭く余裕もなく、ゼリオスだけが黙したまま石像のように沈黙を守っていた。


 ゼランは一拍、ため息混じりに眉をしかめた。


「――ほう」


 短く吐き出したそのひと言が、何より重かった。


「……ドラゴンの“調査”だと?」


 ゼランの声が低く響く。にこやかな表情はそのままなのに、場の空気が一気に引き締まった。


「だったらなおさら――ギルドへの申請と、正規の冒険者の同行が必要になるぞ?」


 マイラは肩をすくめ、澄ました声で返す。


「同行してたわよ。グレイは立派なC級冒険者でしょ? ギルドの登録もあるし、王国からの依頼書も提出済み。あれはアルトリア王国が正式に発行したものよ」


 ゼランの眉がぴくりと動いた。マイラは間を置かず、言葉を重ねる。


「そもそも、ドラゴンが“操られていた”なんて、あの時点で分かるわけがないわ。現地で被害が出ていた。犠牲者も確認された。――だったら、調査と場合によっては討伐に移るのは当然じゃなくて?」


 涼しい顔で言い切るマイラ。だが、ゼランの目は笑っていない。


「その“犠牲”がお前たちの自作自演だとしたら?」


 ぴたり、と空気が止まる。


「村長の証言もある。依頼内容も矛盾だらけ。状況証拠なら山ほどある。いや、それ以前に罪のない人間を殺し、死因を捏造するなぞ人の所業ではない。俺はギルマスとしてではなく、人として貴様らを断罪しなければならん。そうでなければ俺は明日の自分に胸を張れん」


 ゼランが一歩、そしてもう一歩と間合いを詰める。

 その歩みは静かだ。だが、床板が軋むたび、空気がじわりと重くなる。


 マイラの喉が、ひとつ、わずかに鳴った。

 張り詰めた沈黙。逃げ場はどこにもない。


 それでも――彼女は、ふいに小さく鼻で笑った。


 挑発ではない。余裕でもない。

 ただ、追い詰められた者が最後にまとう、薄い仮面のような笑み。


 その奥に潜むのは、恐れか、諦めか、それとも……。


「証拠があるなら見せてみなさいよ。口だけならどうとでも言えるわ。――証拠がないのに断定するのは早計じゃなくて?」


 どこまでも冷静に、どこまでも強気に。だがその余裕が、虚勢でないかを見抜けないほど、ゼランは甘くない。


 そして彼の背後には、魔王ライゼと海老男ロブ。下手な押し問答では、袋叩きにされる未来が待っている。マイラもそれは分かっているのだろう――それでも、引く気はないらしい。


 ロブはゆっくりと立ち上がり、低く言い放った。


「――では、死体を確認するか」


 低く放たれたその一言が、物置小屋の空気を変えた。

 湿った板壁の向こうで風が鳴く。中の沈黙は、それ以上に冷たい。


 マイラの顔から色が抜けた。瞬きすら忘れたように動きを止める。

 その瞳に、わずかな怯えが滲む。


「……は?」


 ひくつく声に応えるように、ゼランが顎に手を添えたまま口を開く。

 その声音には皮肉も情もない。事実だけを突きつける、冷えたナイフのような言葉だ。


「村長ハルベルトの証言だ。最初は“遺体は弔った”と口にしていた。……だが、あれは嘘だった」


 マイラの目が見開かれた。動揺の色が隠せない。


「本当は、遺体は村の氷室に隠されていた。凍結保存だ。腐敗を避け、証拠を残すために。

 奴はな、今回の件が白日のもとに晒されるなら――観念して白状する覚悟だったそうだ。随分、律儀な男だよ」


 ロブの声が続く。そのトーンは変わらない。変わらないのに、ひたひたと追い詰め


「……お前が、死体の処理を指示したんだろ? 火葬にしろと。この国の風習に従えば、それが当然だ。遺体が焼ければ、証拠は残らない。検分もできない。爪痕、火傷、毒傷。どれも“本物のドラゴン”と照合できない。……だがな、今回は運が悪かったな」


 その時、物置の外――分厚い扉の向こうから、重低音の響きが届いた。


『……承知した。濡れ衣を晴らすためなら、一肌脱ごう』


 アウロラグナの声だった。

 威厳と理性を備えた、真なる竜の言葉。


 マイラの肩が、わななき、小さく震えた。

 自らが仕組んだ舞台に、今、真実が歩いて来る。


 だが、そこに―――


「脱皮じゃないぞ?」


 ロブがにやりと笑い、言い添える。


 場の空気が凍りついた。


 外の空気よりも冷え冷えとした風が、室内に吹き抜けた。





【リリアの妄想ノート】


〜心理戦(と余計な一言)〜


あの空気、完全に勝ってたんですっ!


ゼランさんがキリッと追い詰めて、マイラがわなわな震えて、こっちは「くっ、論破された……!」って感じの名勝負を期待してたんですよ。


そしたらロブさんが、急に真顔で――

「脱皮じゃないぞ?」って!!


いや誰も聞いてませんから!?

誰一人そんなこと疑ってませんから!?

今それ言ったら、空気が一瞬ふにゃってなったの、分かりました!?

ゼランさんも咳払いしてたし、ドラゴンさんが「……む、そうなのか?」って真面目に反応してたし!


ロブさん、お願いだから空気読んで……っ!


(でも……なんだかんだ、ちょっと笑っちゃった私も私です)

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