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第87話 滑って、笑って、それでも前を向いて

 朝。


 白銀の息が吐き出されるような冷気の中、焚き火の跡にまだわずかに香る煤の匂いが残っていた。


 けれど、その空気を塗り替えるように――


「きゃっほーうっ! すっべるぅ〜〜〜っ!」


「つぎつぎっ! ひとりずつだよ! アウロさんの背中壊したら、ロブさんに怒られるってばー!」


 リルダンの広場に、朝から信じられない声が響いていた。


 雪原の真ん中。巨大な蒼翼竜サンダイルアウロラグナの尾――それは今、村の子供たちによって全長20メートル超の滑り台へと華麗に転職を果たしていた。


 ごろりと地面に伏せるアウロラグナは、尻尾の角度をゆるやかに保ちつつ、先端を器用にくいっと曲げて最後にふんわり子供たちを着地させている。まさに“生きた遊具”だった。


「……朝からすごい光景ですね」


 リリアが呆れを通り越して笑っている。


「うむ、子らの歓声が気持ち良いわい」


 アウロラグナがしみじみと頷く。ご満悦である。


「子供とは、実に面白いものよな。我らドラゴンには“幼体”という段階が存在せぬゆえ、こうして幼子たちと触れ合えるのは……うむ、喜ばしい」


「昨日仰った"誇りにかけて汚名を晴らす"方法が遊具になることなのですか?」


 呆れ気味に呟くセラフィナの声が聞こえたらしく、


「何を言う。寒さと飢えに心を凍てつかせた子供の心を笑顔で溶かす。これ以上の誉れはあるまい」


 アウロラグナの反論が聞こえる。

 尻尾ではしっかりと子供たちを滑らせながら。


「これでもかというぐらいの名言をその姿で吐かれても………」


 セラフィナがため息混じりに呟く。隣ではリリアが笑いを堪えて肩を震わせていた。


「――ほう」


 アウロラグナが、その金色の瞳をゆるりと細めた。


「では、お主も滑ってみせい。誇りを持ってな」


「……は?」


 セラフィナが素で聞き返した。


「ちょ、ちょっと待ってくださいませ。わたくしは、もう子供ではありませんのよ? そういった遊びは……その……」


 目が泳ぎ、視線が滑り台ならぬ逃げ道を探している。


 だが、アウロラグナはどっしりと構えたまま、声を低く、けれどどこか愉しげに返す。


「何を言うか。我らからすれば、人の寿命など儚きもの。百まで生きようが赤子と変わらぬ」


 言って、尾をくいっと上げて見せた。


「お主と、そこにいる子らの違いなど誤差よ。わしの目には、どちらも同じ“ひよっこ”じゃ。――海老男以外はな」


「俺は人外認定か」


 半眼で突っ込むロブ。

 しかし、周りの目は冷たいものだった。


 昨日、ドラゴンをたった一人でねじ伏せた男を、もはや人と呼べるであろうか?


 その疑問にYESと答えられるものは弟子の中にはいなかった。


「わ、わたくしは! あの泥だらけの少年とは違いますわ!」


「む? では、お主は尻餅もつかずに滑れると? ならば尚更、やってみせい」


「だからっ、だからそういう問題ではありませんのよ!? わたくしには立場がっ、品位がっ、ああもうっ!」


「よいよい。品位は一度落としてみてこそ、真価がわかるものよ。滑るがよい。誇り高き滑走を見せてみせい」


 その瞬間、子供たちの中から声が上がる。


「お姉ちゃんもやってー!」


「すべってすべってー!」


「キラキラのお姉ちゃん、いっちばんうしろー!」


「……」


 セラフィナは、天を仰いだ。


 冬の朝の空は、青く澄み切っていた。


「……お師匠様、わたくし、誇りを試されている気がしますわ」


 顔だけこちらに向けて、助けを求めるような目をロブに送る。


 が。


 ロブはふっと目を優しく細めると


「期待してるぞ」


 それだけ言って、親指を立ててみせた。


「……お師匠様のご期待とあらば、逃げるわけには参りませんわね」


 セラフィナは口をひくつかせながら言う。


 この人、煽り耐性ないなとリリアは心の中でポツリと呟く。


 セラフィナはすっ、と前を向いた。


 子供たちの間をぬうように滑り台の“スタート地点”へ向かい――  鱗の上で膝を揃えて座った。


 冷たい鱗に、微かに身震い。


 それでも――誇り高く、背筋を伸ばし、深呼吸。


「行きますわよ。ご覧なさいっ!」


 滑った。


 その姿は、まるで雪の天使のように――


「きゃあああああああああああッ!? 止まれませんわ止まれませんわ止まれませんわぁああああああああああッ!!」


 勢いよく滑走し、跳ね上がった尻尾の先端で宙に舞い、そのまま雪の中に突っ込んだ。


 その見事な″着地″にロブもリリアもエドガーもカイもフィリアも、ライゼでさえも盛大に吹き出し大笑いした。


 笑い声に包まれ、雪の中から起き上がったセラフィナは金髪に積もった雪を落としもせずアウロラグナをきっと見上げる。


「ちょっと!なぜ他の子のように受け止めてくださらないんですの!?」


「高貴な飛翔を見せてくれるかと思ってな。思いの外面白かったぞ。あっ晴れ」


「ちっとも嬉しくないんですのよ!」


 怒鳴りながらセラフィナは未だ笑い収まらぬこちらを、正確にはエドガーを睨みつける。


「エドガー!あなたも滑りなさい!」


「ああ、楽しそうだな」


 本人は悪びれもせず、ケロリと返す。


「俺も行こうかな」


「私も」


 カイが手を上げ、フィリアも珍しくニコッと笑って頷いた。


 三人が一斉に駆け出し、蒼き滑り台の背に飛び乗る。


 子供たちの歓声がひときわ高くなった。


 そんな中――一人、リリアだけが残されていた。


 足元の雪を見つめながら、なんとなくその場に立ち尽くしていた。


「……リリア」


 横から声がかかる。ロブだった。


「行って来い。あれこれ考えるのは、大人の仕事だ」


 視線は合わせず、ただ、ぽつりと。


 けれど――その言葉は、まっすぐだった。


「……はいっ」


 リリアは、小さく会釈した。


 そして、くるりと踵を返す。


 迷いは捨てた。笑顔が戻る。


「アウロさん、リリア参ります!」


 そう叫んで、勢いよく駆け出した。


 その背を見送りながら、ロブは寒さに身を震わせた。


「……あの子たちには、ちょっと重すぎたかしらね」


 となりで呟くのはライゼだった。


 白銀の風を払うように、淡い紫の髪が揺れる。


 彼女の瞳は、どこか遠くを見るように細められていた。


「昨日の村長の話。殺人と嘘。金と命の取引。……子供には、厳しい現実だったと思うわ」


「だが、冒険者になるってのは、そういうことだ」


 ロブの声もまた、静かだった。


「人の汚さや、理不尽や、後悔。そういうのを避けては通れない。……今のうちに“現実”の重さに触れておくのは、悪いことじゃない」


 ライゼは、ふと目を細める。


「……優しいのね。あの子たちに」


「そりゃまあ、弟子だからな」


 言って、ふっと笑った。


 その横顔はどこまでも自然体で――

 けれど確かに、“師”としての光を纏っていた。


 広場からは、また一段と大きな笑い声が聞こえてくる。


 リリアが宙を舞い、雪に埋もれ、セラフィナと一緒に喚き声を上げていた。


 子供たちが手を叩いて笑い、アウロラグナがご満悦に尾を揺らす。


 ライゼがふぅ、とため息をついた。


「……それにしても、ちょっと面倒ね」


 紫の瞳が、淡く曇った空を仰ぐ。


「魔導公会は、たぶんあの四人の行動を“独断だった”で片付けてくるわね。自分たちは関与していないと。証拠も書面も絶対に出さない」


「既定路線ってやつだな」


 ロブは、白い息を見つめながら言った。


「口裏さえ合ってれば、事件は沈められる。討伐依頼は“正規のもの”として王国から出てるし、あのグレイってやつも冒険者ギルドに登録済みだった」


「C級だったけどね。一応、“公的な立場”で動いたことになる。だからこそ厄介なのよ」


 ライゼの声は落ち着いていたが、その奥には微かな苛立ちが滲んでいた。


「王国、魔導公会、ギルド。それぞれが少しずつ得をする構図がもう組まれてた。素材、報酬、利権、全部が綺麗に分配されるように」


 少し口をつぐんで、ぽつりと加える。


「……最初から“仕組まれてた”のよ。全部ね」


「……だろうな」


 ロブは短く答えた。


「普通の冒険者だったら、権威に頭を下げて終わってただろう。だが――」


 言って、ロブは横目で彼女を見る。


「よりによって、“目撃者”がギルドマスターで“北の魔王”のお前だ。はいそうですかと、うやむやに流せるわけがない」


「ほんと、我ながら肩書きが重いわね」


 ライゼは肩をすくめた。だが、その目に揺れはない。


「下手をすれば、これはただの地方トラブルじゃ済まない。人間と魔族の信頼関係ごと、綻びかねないわ」


「それだけじゃない」


 ロブの声が、ふっと低くなる。


 焚き火の炎に照らされたその目は、静かで、そして鋭かった。


「――そもそも、アウロラグナを操っていた“何者か”が、まだ残っている」


 ライゼの表情がわずかに硬くなった。


「コマンドワード。あの時代のナノマシン制御……まさか、今の人間が使えるとは思わなかった」


「ああ。魔導公会の四人のうち、あれを使いこなせるような知識の持ち主はいなかった。……つまり、操っていた奴は別にいる」


「……裏に、もっと“深い層”があるってことね」


「それも、かなり古くて、厄介な連中だ。いや、もしかすると逆に………」


 ロブの言葉が止まり思案の間を作る。

 

 ライゼは形の良い眉をひそめた。


「まさか、あんたの言ってた奴らが動き出したってこと?」


 問われ、ロブは虚空を見つめる。


「……どうも偶然が重なりすぎてる。俺たちの行動が、どこかで把握されてるような……そんな気配がある」


 彼の目は、焚き火ではなく、もっと遠く――空の向こう側を見ていた。


「こんな時は、いつも“あいつら”が関わってる」


 淡く、しかし確かに言葉に重みが滲む。

その瞬間――


「……どうも眠くなる話をしてるなあ、お前らは」


 背後から、野太く人懐っこい声が響いた。


 ロブとライゼが同時に振り返る。


 そこに立っていたのは、分厚い上着を肩で揺らす大柄な男――

 冒険者ギルド本部・統括ギルドマスター、ゼランその人だった。


 その隣には、黒髪に金の瞳を持つ魔族の女性――ライゼの秘書、ミルディアが静かに控えている。

 転移魔法でここまで飛んできたのだろう。彼女は一礼し、再び沈黙の中へと身を置いた。


 ゼランはゆったりと歩み寄り、二人の目の前に立つと――


 やけに真面目な顔で、じっとロブとライゼを見据えた。


 その雰囲気に、思わず二人とも背筋を伸ばす。


 次に彼が発した言葉は――


「ところで」


 前置きのように、重く。


 視線は鋭くアウロラグナを捉えていた。


 そして再び口を開く。


「俺も滑っていいか?」


 完璧なまでに真顔だった。




【リリアの妄想ノート】


~おつかれさまの甘いやつ、お願いします~


 今日はいっぱい笑って、いっぱい滑って、いっぱい転がりました。

 背中は痛いし髪はバサバサだし、セラフィナさんの悲鳴が頭から離れません。


 でも、みんなが笑ってて、アウロさんも楽しそうで、ロブさんもなんだか優しい顔してて。

 ――ああ、こういうの、守りたいなって思いました。


 だから、妄想します。

 こういう朝のあとは、ロブさんがみんなのために


 ・あったかいスープとか

 ・焼きたてのパンとか

 ・自家製ジャムとか

 ・あと、あと……あま〜いお菓子とか!


 用意してくれてて、「ほら、冷えただろ。食え」って言ってくれるやつです。


 できればそのあと膝枕も……あっ、いえ、なんでもありません!!


 というわけで、今日の妄想タイトルは――

《師匠の膝と林檎のタルト(ホット)》です。たぶん世界一甘いやつ。


読んでくださってありがとうございます!

感想やブクマ、そっと置いていってくださると……今日一番あったかくなれます☕️

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