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第85話 操られし神話、裁かれし陰謀

 谷を満たしていた緊張が、ようやくほどけていく。


 大地に伏したドラゴンの巨体から、もう闘気は感じられなかった。蒼い鱗は泥にまみれ、翼はぼろぼろ。けれど、その姿に敗者の惨めさはない。まるで、千年を越えてなお“在るべきもの”として立ち続ける、神の像のようだった。


 ロブは、そんなドラゴンを見下ろしたまま動かない。


 その背に、リリアの声が届いた。


「私も、ドライヴを使えるようになりたいです!」


 叫びにも似たその言葉は、弟子としての決意の表れだった。


 ロブはゆっくりと振り向く。


「……頑張れよ」


 それだけ。淡々とした一言だった。


 だが、リリアは気づいてしまう。彼の黒い瞳の奥に、一瞬だけよぎった影を。


 それは、言葉にはならない。けれど確かに、彼の中にある――別れを予感するような、切なげな光だった。


「……これが、ドラゴン。荘厳な姿ですわね」


 セラフィナがぽつりと呟いた。


 その横顔はいつになく真剣だった。


 破れた翼、血に染まった鱗。倒れてなお、そこには神々しさが残っている。


「……あんなのを、素手で……」


 フィリアがかすれた声を漏らす。


 エドガーは拳を握りしめたまま、動けずにいた。


「今のが、ドライヴなんですね……。俺も、いつか……」


 その声は、憧れというには真剣すぎて、祈りというには現実すぎた。


 そこで、ふとカイがなにかに気付いた。


「あれ?ライゼ様は?」


 キョロキョロと見回した。

 先程まで一緒にいたライゼの姿が見当たらなくなっている。


 ロブは見当がついているのか首を上げ視線を上に巡らせる。


 リリア達がそれを追うように首を巡らせるその時だった。


 ごろり、と地響きのような音が谷に鳴る。


 ドラゴンのまぶたが、ゆっくりと開かれた。


 金色の眼が、ふたたび世界を映し出す。


「……うう、こりゃ見事にやられたわい……」


 誰もが息を呑む中、その巨体は微かに首を持ち上げた。そして、ロブを見上げると、重々しい声で言った。


「海老男ではないか!」


「……アウロラグナか。久しぶりだな」


 ロブが名を呼ぶ。その声音は穏やかで、どこか懐かしげだった。


 リリアたちは、固まった。


 いま、何て言った?

 ドラゴンが喋った?

 しかも、ロブのことを“海老男”って――?


 あまりにも突飛な展開に、誰も口を開けなかった。


 ロブとアウロラグナ。人間と竜。互いに名前を知り、対等に言葉を交わすふたり。


 その光景は、まるで神話の一幕のようだった。





 谷に、もう風は吹いていなかった。

 

 凪いだ空気の中で、ただ一人の男が、倒れたドラゴンの前に立ち尽くしている。

 その光景を、遠目から見ていた者たちは――沈黙するしかなかった。


「ば、馬鹿な……」

 

 グレイがうわ言のように呟いた。


「ドラゴンを素手で……しかも数発で倒すとか、ありえねえ……」


 信じがたい現実が目の前で展開されたことで、思考の一部が焼き切れたようだった。


 マイラも一瞬だけ言葉を失っていたが、我に返るやいなや、鋭く叫ぶ。


「ゼリオス、《カタストラ・アークⅣ》!今すぐ撃ちなさい!あの男を確実に仕留めて!」


 ゼリオスは一瞬だけ眉を動かしたが、何も言わず、淡々と操作盤に向き直る。


 任務は最初から決まっている。迷いも、情も、そこにはいらない。


 静かに上昇していくエネルギー値。巨大兵器の砲口が、静かに、しかし確実にロブへと向きを変えていく。


 魔力砲の核心が収束するその瞬間――。


「そこまでよ」


 張り詰めた空気を、まるで硝子細工を割るような声が裂いた。


 ゼリオスの手がピクリと止まる。


 振り返るより早く、そこに“いた”。


 谷の空気が一瞬、凍ったように静まる。


 黒きローブ。流れる銀髪。紫の瞳。


 ライゼが、風のように無音で現れたのだ。


 その瞳が、迷いも容赦もなく、マイラたちを真っ直ぐ射抜いていた。


「その骨董品をを撃つなら、それはあなたたちの命と引き換えになると心得て」


 声は静かで、けれど一分の隙もなかった。


 その瞬間、谷にあったのは――魔王の、静かな殺気だった。


 ライゼの登場で、一瞬だけ張り詰めた空気が静まりかけた。


 だが――火蓋は、切って落とされた。


「やるしかねぇッ!」

 グレイが吠えるように叫び、炎弾を構成。

「下がってろマイラ!こいつ、殺る気だ!」


 同時にロッシュとゼリオスも動いた。氷の刃が空を走り、雷の槍が唸りを上げてライゼを貫かんとする。


 三方向から放たれた中級魔法。その一撃一撃は、いずれも熟練冒険者の域に達していた。


 だが。


 すべて――届かなかった。


 紫の残像がひと閃。次の瞬間、火も氷も雷も、空中で虚しく霧散していた。


「なっ……!?」


 ロッシュが絶句するより早く、視界が一閃で染まった。


 ライゼのレイピアが、ほとんど剣閃すら見せずに《カタストラ・アークⅣ》の砲身を斬り裂いた。


 パリィン、と砕けるような金属音が谷間に響く。


 さらに――


「くッ……!?」


 そのまま風のように動いたライゼが、回し蹴りでグレイを吹き飛ばす。ゼリオスはわずかに腕を上げる暇もなく、肘で鳩尾を打たれて膝から崩れ落ちた。ロッシュも氷の護りを展開しかけたが、次の瞬間には壁に背を打ち付けられ、気を失っていた。


 その場に、マイラ一人だけが残された。


「……っ!」


 背筋が冷たくなるのを感じた。仲間たちがまるで雑草のように片づけられたことに、怒りよりも恐怖が勝った。


 ライゼが静かに近づいてくる。殺気も気迫もない。ただ、目だけが――冴え冴えと冷たかった。


「……あのドラゴン。あなたたちが操っていたのかしら?」


「し、知らないわよ!」


 反射的に叫んでいた。


 だが、ライゼの足は止まらない。


「そう。どちらにしても――あなたたちは拘束させてもらうわ。冒険者の命を狙った疑いでね」


 感情のこもっていない口調だった。まるで、今この場にある出来事すら“書類に記録された事実”のように淡々としていた。


「なっ、なによそれ……!」


 逃げるより早く、右手首が捻られた。

 背中に衝撃、そして重力――気づけば、マイラは地面に押しつけられていた。


「っ……!」


 身動き一つ取れない。

 それでもライゼの体には、まったく力が入っていないように見えた。圧倒的な実力差。それが、これでもかというほど現実を叩きつけていた。


「動かないで。書類仕事が増えるのは御免だわ」


 言いながら、ライゼは小さく溜息を吐いた。

 ――捕縛、完了。





 アウロラグナが、重々しい頭部をひと振りする。


 ただそれだけの動作で、谷に風が走った。土煙が舞い、リリアたちの髪がふわりと宙に浮く。


 生きているだけで威圧感を放つ存在――それが、古の蒼翼竜だった。


「アウロ。お前……俺と戦った記憶はあるか?」


 ロブの問いに、ドラゴンは目を細めて考えるような仕草をした。


「……いや、なにも憶えとらん。巣から外へ気晴らしに出たところ、妙な声が聞こえた気もするが……気づいたら貴様に地べたへ沈められておったわ」


 あっけらかんと答えるその巨体に、リリアは小さく首をかしげる。


「声……って、魔法じゃなかったんですか?」


「違うな。感覚的には……強制的に何かに従わされた、そんな感じじゃ」


 アウロラグナは不満そうに唸った。


「おそらく、コマンドワードを使われたのだろう。ワシのような古き個体には、まだ反応してしまう……情けない話だ」


 ロブが静かに補足する。


「ドラゴンもそうだが、人工生命体には“コアナノマシン”ってものが組み込まれてる。昔の技術だがな。あれは命令系統を司るユニットで、特定の音声信号――コマンドワードを聞かされると、自律行動を一時的に上書きされる仕組みになってる」


 説明を聞きながら、リリアは信じられないといった顔をする。


「……そんなので、操られるんですか?」


「ああ。いまの魔族やエルフは世代交代が進んでてもうそんなもん入ってないが、アウロラグナみたいな“最古”の存在は別だ。古代のプログラムがそのまま残ってる。ドラゴンの唯一の弱点だな」


 ロブはアウロラグナの大きな瞳を見上げる。


「つまり、操られていたという可能性が高い。だが現実として――お前は、人を殺した疑いをかけられてる。自覚がなかろうと、な」


「……むぅ」


 ドラゴンは唸り、地響きのような吐息を漏らした。


「それが事実なら、汚名は晴らさねばなるまい。ワシの誇りにかけてな」


 最古のドラゴンの金色の瞳がにわかにギラついた。


【リリアの妄想ノート】


ロブさん、ドラゴンとお友達なんですか!?

いやいやいや、さっきまでボコボコにしてましたよね!?あれで友情成立するなら、世の中の喧嘩全部平和です!


でも、アウロラグナさん……すごく偉そうなのに、ロブさんに頭上がらない感じ、なんか可愛いです。

あとライゼさん、相変わらず登場の仕方がカッコよすぎてズルいです……あんな登場、憧れちゃいます。


でもやっぱり――

私も、あんな風にドライヴを使えるようになりたい!


精進あるのみ、ですっ。


読んでくださってありがとうございます!

気に入っていただけたら、ブクマや感想をぽちっとしてもらえると、飛び跳ねて喜びますっ!


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