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第80話 海老男、ドラゴンの誕生秘話を語る。

 雪が、深く、重く、降り続いていた。


 ロブたちは村を出て、リルダン山脈の登山口へと向かっていた。風は強くない。だが、その静寂が不気味だった。空は鉛色に閉ざされ、太陽の位置すらわからない。


 踏みしめるたび、雪がぎゅっ……ぎゅっと鈍く音を立てる。


 リリアは手袋越しに杖を握りしめながら、何度も周囲を見渡した。魔素の流れが異様だった。澱み、渦を巻き、まるで何かに吸い寄せられているようだった。


「……山が、息してない」


 フィリアの言葉に、誰も返さなかった。


 ライゼが眉をひそめ、真剣な表情で前を見据える。


「ロブ、感じてる?」


 ライゼは確認するようにロブに問いかける。


「ああ」


 ロブは答えた。黒いマントの裾を払うと、足元に一つの印を描いた。クォリスの演算が彼の意識と同調し、周囲の魔力分布を可視化する。


 雪の下から――魔素の異常密度反応。


 明らかに「何か」がいる。


「ドラゴン種で間違いない。この先に、いる」


 雪を踏みしめながら歩いていたカイが、ぽつりと口を開いた。


「師匠、魔物って……動物の遺伝子をいじって作られたって聞きましたけど」


 カイの問いかけに、ロブはゆっくりと歩を進めながら応じた。


「ああ。神話の怪物をなぞって、ライオンとワニの遺伝子を混ぜたり、爬虫類と人間をベースにしてみたり。そうして生まれたのが、いわゆる“魔物”ってやつだ。スライムも、ゴブリンも、基礎構成は動物由来だ」


「じゃあ、ドラゴンも……どっかの巨大生物を元にしたんですか?クジラとか、でかい恐竜とか……」


 ロブは小さく首を振った。


「違う。ドラゴンだけは別だ。やつらは――“エネルギー”から生まれた」


「……エネルギー?」


 足を止めたカイが、目を瞬かせる。


「そうだ。ドラゴンは、俺たちが知る“生物”とは違う。あれは、“現象”を“生命”として定義しなおしたものだ」


「ちょ、ちょっと待ってください。生物じゃないって……じゃあ何なんですか、あれは」


「エネルギーそのものを凝縮して、MANAで制御構造――つまり“生物の骨格”を組み上げる。要は、“中身がないのに動く機構”を外部から作ったようなもんだ」


 ロブの声は静かだったが、言葉の奥には異質な重さがあった。


「理屈としては、量子論に基づいてる。すべての物質は、振動エネルギーの波。ならば逆に、波を整えてやれば物質は“生まれる”」


「それって、もう……魔法っていうより神様の仕事ですよ……」


「だが現実には、“神”のような力も、“燃料”がなきゃ動かせない」


 ロブは再び歩き出す。カイも慌てて追いついた。


「それだけのエネルギーって……いったい、どこから?」


 そこだ、とロブは口角をわずかに上げた。


「カイ。お前も知ってるだろ。かつて人類が創り出し、後の世にまで残されてしまった――“負の遺産”を」


「……まさか……」


 カイが言葉を飲み込む。


 その沈黙を、ロブの低い声が引き継いだ。


「そう。ドラゴンの心核に使われたのは、“核エネルギー”だ」


「………っ!」


 カイの眉が歪む。


「魔法の時代が来た時、核兵器は意味をなくした。抑止力にもならず、兵器としても機能しなくなった。だが、ただ捨てるわけにもいかない。“死の炎”はそう簡単に消えやしない」


「じゃあ、それを――」


「ああ。逆に利用した。封じるのではなく、“生かす”方向でな」


 ロブの足が止まり、ふと空を仰ぐ。


「核融合炉とMANAによる構造転写。理論上、数億年は停止しない心臓がそこに生まれた。誕生したドラゴンは、最初から“最強”として設計された生きたエネルギー体だった」


「……どうしてそんなものを?」


「答えはシンプル。“それしかなかった”んだ。使い道のない負の遺産に、たった一つの救いを与えるとしたら、それは――命にするしかなかった」


 草を踏む音が静かに続いていた。山道はすでに獣道に近く、濃霧と湿気が靴底にまとわりつく。


「……その話、前にも聞いたことあるけど……」


 ライゼがワイングラスを指先でくるりと回すように、言葉を転がす。赤紫の瞳は焔のように揺れていた。


「結局のところ、私にはピンと来ないのよね」


 ロブは答えず、黙ってその声を聞いていた。ライゼは視線をそらさず、むしろ言葉を重ねる。


「わかるのは、古代の人間がとんでもないモノを造ってたってことと……その理由が、身勝手な理屈だったってことくらいかしら」


 そこまで言って、ライゼはふっと笑った。だが、その目は笑っていない。


 怒っているわけでも、冷めているわけでもない。ただ、ほんの少し――哀しみの色が差していた。


「文明を維持するために、死の炎とやらを生き物に変えた? それって、どこまでが倫理で、どこからが傲慢なのかしらね」


 ロブは眉ひとつ動かさずに言う。


「それを判断するのが、今を生きる俺たちの役目だろ」


 乾いた風が吹き抜けた。


 その時だった。


 ロブがわずかに首を傾けたのと同時に、ライゼの瞳が細まった。


 その目は、油断なく警戒を怠らない。

 ロブも同様に気配を感じていた。


 人間だ。


 魔物でも獣でもない。彼らと同じ思考の速度と距離感を持つ誰かがこちらを監視している。


「……気づいてるんですね」


 フィリアが小声で言った。肩越しに視線を向けると、リリアがすでに警戒態勢に入っていた。手は腰の短剣に添えられ、歩きながらも足音を限界まで殺している。


 セラフィナは呼吸を整え、両袖の内側に魔法式を描く準備をしていた。詠唱は使わない。気取られぬよう、感情すら静かに沈めている。


 エドガーは首を回しながら周囲を見ていたが、いつの間にか剣の柄に親指をかけていた。


「……で、どうします?」


 カイが自然な動作でロブの隣に寄る。


「このまま行く」


 ロブの答えは短かった。


 森の奥で誰かが見ている。けれど、敵か味方かはわからない。

 わからないなら――こちらは、“いつでも戦える状態で、歩みを止めない”。


 それが、ロブの選択だった。



 【リリアの妄想ノート】


 山は、静かだった。

 雪がしんしんと降り続けて、風もないのに、空気がずっと冷たい。

 でもそれより、変な感じがした。空気の中に、ずっとピリピリする何かがあって、魔素が渦を巻いて、地面の下に吸い込まれてるような……そんな感覚。


 フィリアさんが言った。「山が、息してない」って。

 ……その通りだった。どこか、死んだ場所みたいな、息苦しさがあった。


 それで、ロブさんが言ったの。「この先にドラゴンがいる」って。

 ドラゴン。昔話に出てくるような、でっかくて強くて、火を吐く魔物。

 でも、ロブさんの話を聞いてたら、なんだか想像と全然違った。


 なんか……動物じゃないって言ってた。

 「エネルギーから作られた」? 「中身がないのに動く仕組み」? え、なにそれ?


 それで、とどめの一言。


 ――「ドラゴンの心臓には、核エネルギーが使われている」


 ……え、核エネルギー? なにそれ?

 魔石のすごいやつ? 火属性の最上級みたいなもの? って思ったけど、たぶん違う。

 ロブさんの顔がすっごく真剣だったし、カイくんも、すごくびっくりしてたし。

 きっと、ものすごく危ないやつなんだ。

 でも……正直、わたしにはよくわかんない。うーん、難しい話だったなぁ。


 でも、そんな中で――わたし、気づいたの。


 誰かに見られてる。

 森の奥に、気配があった。動物でも魔物でもない、人の気配。


 わたし、すぐ動けた。

 短剣に手を添えて、足音を消して、呼吸も整えて……!


 エヘン! わたし、ちょっと成長してるかも!

 昔のわたしなら、怖くて足がすくんでた。でも今は、ちゃんと動けた。

 ロブさんやみんなと一緒に、前に進めてるって、実感できたんだ。


 ……もっと強くなりたいな。

 難しい話はまだよくわからないけど、わたしは、ロブさんのそばで、一緒に歩ける自分でいたい。


 読んでくださってありがとうございます!

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