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第78話 海老男、人間の闇を語る

「改めて依頼の内容を説明するわ」


 ライゼが依頼書を手にし、低く咳払いをした。頬にはまだ、わずかに赤みが残っている。


 バルハルト支部での騒動は、リリアの予想を超えていた。いや、ほとんどの冒険者の想像すら超えていたに違いない。


 ギルドマスター処女説。


 ライゼはあの絶叫のあと、真っ赤になり、文字どおりロブの袖を掴んで全力で逃走した。


 もちろん、弟子たちも巻き添えである。


 気がつけば、リリアたちは馬車の座席にいた。ギルドホールに残された受付嬢の顔が、妙に忘れられなかった。


「目的地は、アルトリア王国北端――リルダン山脈。近年は雪崩や地滑りで封鎖されていた地域なんだけど、そこに“ドラゴン”の目撃報告が出ているわ」


 咳払いを一つした後、淀みなく依頼書を読み上げる。


 リリアの気が引き締まる。  


 セラフィナ達も、真剣な表情に切り替わっていた。


 ドラゴン。その響きだけで、車内の空気が変わる。


「加えて、近隣の村が襲撃を受け、複数の村人が“喰い殺された”という証言もある。……依頼は王国からのもので、内容は明確に“討伐”よ」


 車輪の回る音がやけに大きく聞こえた。


 ドラゴンによる犠牲者が出ている−−−−。


 その事実がリリアの胸を締め付ける。


 が、沈黙を破るようにロブが口を開く。


「喰い殺された………ね」


 何気ない呟きのようにも聞こえた。  

 しかし、ロブの声には何か探るような響きがあった。


「気になることでも?」


 エドガーが伺うと、ロブは全員を見回す。


 その視線に、リリアは試すものを感じた。


 ライゼは彼の言いたいことが分かっているようで、軽く息を吐くが、何も言わなかった。


「おかしいわね」


 そう言ったのはフィリアだった。


 全員の注目を集め、彼女は続ける。


「ドラゴンは食べる必要がないから、狩りもしない。自己防衛で反撃することはあっても、自分から襲うことは滅多にないの」


 自然に生き、他の魔物とも気持ちを通わせるエルフであるフィリアは、魔物の生態にも詳しいようだ。今、彼女の膝の上にはすっかり彼女になついたハウルが座り欠伸をしている。


「わたくしも同感ですわ」


 セラフィナが同意する。 


「ドラゴンは人間と同程度の知能を持ち、魔法にも長けている上、その体は、城程にも大きい。間違いなく地上最強の種族です。彼らにとってみれば人間はとるに足らない生き物。わざわざ人を襲う道理がありません」


 勤勉なセラフィナは魔物の勉強も怠っていない。


 すらすらと述べる彼女にリリアは考えながら言う。


「でも、討伐依頼が出ているってことは、犠牲者は本当に出ているってことですよね?」


「そうね」


 ライゼが静かに返す。  

 そこには先程の赤い顔は既になかった。


「三人とも正しいわ。ドラゴンは本来、人どころか他の生き物を、襲ったりはしない。だけど、昔からこの手の依頼はあるの」


 紫の瞳が窓から差し込む光を反射する。そこにはどこか悲しげな色があった。


「まさか、依頼がでっちあげってことですか?」


 それまで沈黙していたカイが言う。


 既に彼は何かを察している。


 そして、リリアも思い当たった。


 エドガーが代弁するように言葉を紡ぐ。


「………目撃情報があったから、情報を捏造してギルドに討伐依頼を出した」


 リリアは思わず唾を飲み込んだ。  


 ロブが頷いて息を一つ吐く。


「断定は出来ないが、そんなところだろう。もちろん、ドラゴンが自分の意思で人を襲うことはある。しかしそれは、大体の場合、人間側に原因がある」


 セラフィナがふと目を伏せて口を開く。


「……ドラゴンの体は、良質な素材の宝庫ですわ」


 リリアは小さく瞬きをした。


「素材……ですか?」


「ええ。鱗は最高級の防具の素材となり、翼膜は軽くて丈夫で、空艇の帆にも使われます。牙や爪は魔剣の核に、骨は強化呪術の触媒に、そして――」


「血や心臓は、貴族が不老不死を夢見るための秘薬にされる」


 続けたのはライゼだった。その声には、ほんの僅かに怒りが滲んでいた。


 リリアは息を呑む。


 つまり、ドラゴンは生きているだけで、人間たちにとっては“宝の山”なのだ。


「だから、彼らは人間の目を避けて、姿を隠す」



 ライゼが静かに言う。


「千年前……ドラゴンは人間たちと一定の距離を取りながら共存していた。けれど、技術が進み、魔法と魔道具の需要が高まった結果、人間たちは“理性”より“欲望”を選んだの。結果、ドラゴンたちは姿を消した。最果てへ、地の果てへ」


 リリアは言葉を失った。


 今向かおうとしている“討伐”は、本当に正しいことなのか。


 けれど、それを問うには――まだ、情報が足りない。


「それが本当なら、喰い殺された人達はまさか……」


「欲に駆られた者達が、討伐依頼を通すために罪のない人達を殺した可能性もあるわね」


「そんな……ひどい!」


 リリアの憤りは当然だった。

 私利私欲のために、何の罪もない人を犠牲にする者がいる。そういう現実が、どうしても信じられなかった。


「私が“魔王”でありながら、人間の冒険者達を統べる“ギルマス”になった理由の一つは、そこにあるわ」


 ライゼの声は静かだった。

 その紫の瞳は、まるで過去の記憶を掘り起こすように、どこか遠くを見ていた。


「昔、人間は自分たちの領土にめぼしい資源が少なくなったから、魔族領へと不当な侵略をしたことがあるの。

その時、“魔族が人間を奴隷にしようとしている”なんてデマを流して、民衆の恐怖と怒りを煽ったのよ」


 リリアは思わず唇を噛みしめた。

 そんなことが、かつてあったなんて――想像もしていなかった。


「それを止めたのがロブよ」


 ライゼの表情に、わずかに柔らかな光が差す。


「そして、当時困窮していた私の治める北方地帯と和平を結ぶよう、王国に働きかけてくれた。百五十年前だったかしら」


 リリアたちの視線が、当然のようにロブに集まる。


 リリアは純粋な尊敬のまなざしで。

 セラフィナは感嘆をこめて、

 フィリアは「またか」という顔で。

 カイとエドガーは、もう慣れたとばかりに腕を組む。


 ロブは少し照れたように肩をすくめた。


「……まあ、昔の話だ」


 それは、英雄譚の語り出しにはやや控えめすぎる一言だった。


「個人的に、魔族の一部とは昔から縁があってな。ライゼの側近に頼まれて、ちょっと一肌脱いだってところだ」


 ロブは照れくさそうに視線を逸らしながら、ぽつりと呟いた。


「……脱皮じゃないぞ?」


 ――沈黙。


 車輪の軋む音と、カーテンが風に揺れる音だけが妙に鮮明に聞こえた。


「……え、何がですか?」


 リリアがきょとんとした顔で首をかしげる。


 全員の視線がロブからふっと外れる。


 カイは無表情で天井を見つめ、エドガーは水を飲むふりで口を塞ぎ、フィリアは目を閉じて気配を断ち、セラフィナは「空気っておいしいですわね」と意味不明なことを呟いていた。


「……だからさ、“一肌脱いだ”って言った流れで……いや、もういい……」


 ロブがぼそぼそと呟く。


「……ええと、まあ、昔から人間が魔族や魔物を“食い物”にするいざこざがあったのよ。和平を結んでからも、それは完全には消えなかった」


 話の流れに便乗してきたライゼの声には、どこか疲れた響きが混じっていた。


「で、バルハルトを中立都市として成立させるために、魔族と人間の移住を積極的に進めた。魔族が商業を起こせるように支援もしたし、教育機関も開いた」


 ライゼは視線を窓の外へ投げる。

 白く霞む空が、どこまでも寒々しかった。


「でも、一番の問題は“冒険者”だったわ。あれだけ常に命のやり取りをしてる職業が、旧来の価値観を引きずるのは当然。だからこそ、最前線の象徴として“魔族のギルドマスター”を置こうって流れになって……十年くらい前に、ゼランが私を選んだ。そういう経緯」


 話し終わり、一息吐く。


「……それで、今回の件に関してだけど」


 ライゼが少し真顔になり、馬車の窓から外を見ながら続けた。


「最初に“ドラゴンの討伐依頼”が持ち込まれたのは、北端の村の村長からだったの。内容はこう──『村人が正体不明の魔物に襲われ、喰い殺された。最近、近くでドラゴンのようなものを見かけた。村を守るため、討伐を願いたい』……というものよ」


 リリアが眉をひそめた。


「つまり、それって……目撃情報と犠牲者が出たことで、村人たちが“ドラゴンの仕業”と決めつけたってことですか?」


「ええ。だからギルドとしても調査を進めたのだけれど、どうにもおかしいのよ」


 ライゼは依頼書の束を手にし、何枚かをぱらぱらと捲りながら言葉を続ける。


「目撃情報の出どころも曖昧だし、犠牲者の遺体も、証言と一致しない点が多い。爪痕、咬み跡、焼け跡……それぞれが、別の魔物によるもののように見える。なのに、なぜか“ドラゴンに違いない”って断定されてるのよ。そうこうしている間に、王国からも正式に討伐依頼があった」


 その言葉に、セラフィナが思わず口にする。


「確かにそれは、違和感がありますわね。まるで“ドラゴンありき”で話が進んでいるみたいですわ」


「ええ。だから、私が動くことにしたの。安易に討伐隊を組織するより、信頼できる人間に先に真偽を見てもらったほうがいいと思って。ゼランもそれは了承済み。そもそも私がギルマスになったのはこの類の不正を防ぐためだし」


 リリアが小さく頷く。


「それで……私たちに?」


「そう。あなたたちなら、下手な先入観なしで、冷静に現地を見られると思ったから」


 フィリアが膝のハウルを撫でながら静かに言う。


「つまり……これは“討伐”じゃなく、“調査”が主目的ってことですね」


「ええ。私の中ではそういう認識。もちろん、もし本当にドラゴンが人を襲っているのなら、その時は“対処”してもらうことになる。でも……」


 ライゼの視線が、ロブへと向かう。


「正直、私はそうは思っていない。だからこそ、あなたたちに依頼したのよ。陰謀の匂いがする、ってね」


 ロブは静かに頷いた。


「了解した。まずは現地で何が起きてるか、俺たちで確かめる。討伐するかどうかは、それから決めよう」


 その一言に、馬車の中に重苦しい空気が流れる。


 誰もが、この任務の難しさを理解していた。


 けれど同時に、誰もが腹を括っていた。ロブの弟子であることを、誇りに思っていたからだ。


 リリアがふとロブの横顔を見る。


 彼の目は、すでに遠くリルダン山脈の先を見据えていた。



 




 



【リリアの妄想ノート】


―雪山でロブさんとふたり(+全員)旅―


 今回の依頼は、なんとドラゴン討伐!

 しかも雪山!寒い!師匠の隣があったかい!つまりこれは──


密着チャンス到来です!


 ……いえ、違います。落ち着いてリリア。これは任務です。人命がかかってるんです。


 でも、でもですね?

 ライゼ様まで同行って聞いて、さすがにリリア、内心ざわついてます。

 あの魔王でギルドマスターで美人でスタイルも良くてちょっとツンでクールなライゼ様と、ロブさんが並んで歩くとか――


心が凍死します!!(雪山だけに)


 でも私、がんばります。

 ロブさんの隣に立てるように、実力も成長も見せて、

 ライゼ様にも「やるわね」と思わせてみせます!


 雪山より熱く、ドラゴンより強く、ロブさんへの愛は不滅です!!


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