第77話 魔王様の逆襲。海老男、刺される。けど、ブーメランって知ってるか?
冒険者ギルドバルハルト支部。
昨日宴席を楽しんだ場へ、今日もやってきた。
しかし今回は食事ではなく仕事のためだ。
朝の喧噪の中、カウンターの前にはロブと五人の弟子たちが並んでいた。
「ライゼ様直々のご依頼って、どんな内容ですの?」
セラフィナの問いに、ロブは肩をすくめた。
「詳しくは聞いてない。ただーーー」
『ゴブリンスタンピードを止めたあなたたちに相応しい仕事よ。報酬も名誉も、それに見合ったものを用意するわ』
「だそうだ」
ライゼの口調までそのまま伝えられ、リリアを除く弟子たちは揃って唸る。
「それ、めっちゃ怖いですね」
カイが即答した。
「確かに。名誉とか相応しいとか、絶対ろくなもんじゃない気がする」
エドガーが額に手をやる。フィリアはさっきから溜め息しかついてない。
一方、リリアはロブの顔をちらちらと見ては、目を逸らす。
(顔……見れない……)
一昨日の一言が脳内で再生されては、心臓がうるさい。
(“全部、受け止めてやる”って……ずるいでしょ、あんなの……)
思い出すたび顔が赤くなり、また発熱するのではないかと冷や冷やしていた。
その時、受付の奥から事務的な声が響いた。
「お待たせしました。今回の依頼はこちらです」
差し出された紙をロブが受け取り、一瞥。
そしてーーー。
「は?」
ぴしりと固まった。
「…………どうしまして?」
セラフィナ、エドガー、フィリア、カイの順で覗き込む。
そして、同じく石のように硬直した。
リリアもそっとロブの傍らに立ち、依頼書を覗き込む。
そして、そこに書かれた文字に目を疑った。
《特別討伐依頼:C-07 ドラゴン種の撃退》
――発令:ギルド本部認可/依頼者:バルハルトギルドマスター兼北の魔王ライゼ=ヴァル=ネメシア
「……っはあ!?」
リリアの声が裏返る。セラフィナが依頼書を二度見した。
「ド、ドラゴンですの? 私たち、二日前までゴブリンと戦っておりましたわよね!?」
「段階とか配慮って概念、死んだのか……?」
エドガーが呟く。カイが静かに首を振る。
「そもそもロブ師匠に弟子入りした時点で生きてたことがあったのかも疑わしいけどな」
フィリアはすでに目を伏せて現実逃避していた。
「……これは、ライゼ様の冗談……とかじゃないんですか……?」
ロブは依頼書を折りたたんだ。
「………これは間違いなくギルドからの正式な依頼だ。ご丁寧に捺印までしてやがる。そのくせ北の魔王とか記載してるのがおふざけポイントだが」
「まったく笑えませんわ」
セラフィナのやけに冷静な突っ込みが入る。
「とにかくあいつは本気だ。そういう女だ」
ロブがぼやいたその瞬間だった。
「“そういう女”って、聞き捨てならないわね」
冷えた風のような声が後方から届く。
全員が振り向くと、歩いてくるライゼの姿があった。
「リリア。大丈夫?熱出したって聞いたけど」
まず気遣わしげにこちらを伺う。
やはり基本的には優しい人だとリリアは思った。
基本的には。
「もちろん受けるわよね、ロブ」
ロブは短く息を吐いた。
「事前に言っておけ。こんな依頼、こいつらだけに任せられるわけないだろう」
「当たり前じゃない。こんな重大な仕事、金龍(Sクラス)限定のクエストよ。あなたがいるから特別に受諾許可が下りたのよ」
渋面のロブにしれっとライゼは返す。
が、ロブはその台詞に引っかかりを覚えた。
「ギルマスのお前が伺いを立てて許可を出す人物といえば………」
ロブは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
リリアも遠い目をして呆れた。
セラフィナ達の表情も一様に同じ表情をしている。
恐らく同じ人物を想像しているのだろう。
ライゼは悪戯っぽい笑顔で言う。
「もちろんゼランに決まってるじゃない」
「あの野郎………」
ロブが歯をぎりりと噛みしめる。
「今まで受けた恩を仇で返しやがって」
「恨みのほうが多いって言ってたわよ」
ライゼが返すと、セラフィナとエドガーがロブをじっとりした目で睨む。
「統括ギルドマスターに何をしたんですの?」
「こんな仕打ちを受けるなんてよっぽどですよ。あんな器が大きくて優しい人が仕返し目論むなんて」
「いやまて。そこは議論の余地があるぞ!あいつは本当はめちゃくちゃみみっちくて器の小さい奴だからな!」
ロブが慌てて弁解するが、論点はそこではないとリリアは感じた。
もっとも、エドガーの思うゼランのイメージは当の本人とは程遠い気がするのはリリアもロブと同感ではあった。
「ライゼお前、本当は最初から俺にこの依頼を押し付けるつもりだったな?」
「ばれた?ま、当然よね。あなたほどの適任はいないでしょう」
「…………お前俺に恨みでもあるのか?」
「はあ?」
そのロブの問いに、ライゼは形の良い眉をこれでもかと跳ね上げ紫色の瞳を大きく見開いた。
「あんた、一昨日私に何をしたかお・ぼ・え・て・ないのかしら?」
ゆっくりと暗い笑みを作って言葉を紡ぐ。
ライゼの全身から紫色の暗いオーラが立ち上る。
その威圧感はまさに魔族、いや、魔王と呼ぶに相応しいものだった。
リリアはその迫力に震え上がった。
「ちょっと、ロブ!私達が帰った後ライゼ様に何をしたのよ!」
「そうですわよ!リリアさんを再起不能にした挙げ句ライゼ様まで!」
「わたし再起動してますけど!?」
フィリアとセラフィナが猛然と食って掛かるが引き合いに出されたリリアも思わず妙な訴えをする。
「いや誤解だ!やましいことはしてない!」
女子二人に食いつかれ、ロブも必死に弁解する。
どうしたものかと思っていたリリアの視界に、ライゼがまたにやりと邪悪な笑みを浮かべるのが写った。
するとライゼは芝居臭く顔を両手で覆った。
「ひどい!酔った勢いで私の純潔を弄んでおいて!」
「うぉい!!」
珍しくロブが声を荒げた。
しかし、ロブの勢いとは裏腹にギルドホールは静まりかえっていた。
「………………………は?」
リリアの声は、今までにないほど低かった。地を這うような声音に、ギルドホール内の空気が凍りつく。
ロブに向けられた青い瞳は、一切の感情を削ぎ落とし、ただ真っ直ぐに刺さっていた。
「ロブさん」
「………はい」
「どういうことですか」
その問いは明らかに“返答を許さない圧”を孕んでいた。
「リリアさん、落ち着いて……!」
セラフィナが小声で止めようとするも、隣で同じく震える声が重なる。
「ロブ……ほんとに、何したの?」
フィリアの目には、涙とも怒りともつかない感情が浮かんでいる。
「っちょ、ま、待て、待て! 本当に違うんだ!」
ロブは手を振りながら後ずさる。
が、その背後で重なる二つの冷たい視線に気づく。
「……師匠」
「見損ないました」
エドガーとカイの声が重なった。
二人の顔には、言葉よりも強い「失望」が滲んでいる。
全方向からの責めに、ロブはついに叫ぶ。
「違うっ! “純潔”じゃなくて“純情”! “乙女の純情”をだ!」
言った瞬間、自分で「あっ」となった。
その言葉を拾ったのは、当然リリアだった。
「どっちにしても最低ですッ!」
リリアの怒声がギルドホール全体に響いたその直後――空気の密度が変わった。
リリアは、ようやく“それ”に気付いた。
あまりにも静かすぎる。
セラフィナも、フィリアも、一瞬言葉を呑み、なぜか急に背筋を伸ばしていた。
(……あれ?)
リリアが何気なく横目をやった、その瞬間だった。
ギルドホールのあちこちで、椅子を引く音、酒瓶を置く音、誰かがため息をつくような音が、聞こえていたのが一斉に止んだ。
ざわ……っと空気が動いた。
周囲を見渡すと、視線。視線。視線。
見渡す限り、ロブに向けられた敵意の視線である。
ごつい男たち、厳つい女剣士たち、顔に傷のある老練な弓使い、地味に怖い魔導士風の男――
全員が、ロブに視線を向けていた。
「……ギルマスの……?」
「ライゼ様の純潔を……?」
小さく、でも確実に、誰かが呟いた。
その言葉が、油を差したようにホール全体にじわじわと拡がっていく。
「奪った?」
「マジかよ……」
「信じらんねぇ……」
「許せねぇ」
それぞれが勝手に納得し、勝手に怒り始めていた。
その感情は、もはや“呆れ”とか“軽蔑”のレベルではなかった。
ロブの前に、音もなく数人の男が立ちはだかる。
一人は、片手で斧を担いだ大男。
一人は、黒革の鎧に身を包んだ双剣使い。
そして一人は、ローブ姿の魔術士が杖を地面に突いていた。
「ロブって言ったよな?」
「スタンピード止めたとか関係ねえ。俺たちのギルマスを傷物にしてくれた報いを受けてもらうぜ」
「腕の一本は覚悟しろよ」
カウンターの向こうの受付嬢が、口元に手を添えながら止めに入るものの、
「皆様、落ち着いて……ギルド内での武力行使は……あの、えっと……」
完全に腰が引けている。
ロブはというと――
「……違う。誤解だって」
汗一つ見せず、どこか虚ろな目で天井を見ていた。
にじり寄る屈強な男たち。
空気は、確実に“爆発寸前”だった。
ざわり――殺気が、空間を揺らした。
ギルドの冒険者たちが半径数メートルを囲むように立ち位置を変え、誰かが無言で指の骨を鳴らした。
もう少しで、本当に始まる。
しかし、その刹那−−−−
「――ふふっ」
小さな笑い声が響いた。
振り返れば、全ての発端である“北の魔王”が、くすくすと肩を震わせていた。
「ふふ……ああ、もう、みんな本気にしちゃって」
ライゼは、紫の瞳を細め、わざとらしく手をひらひらと振ってみせる。
「冗談よ。そんなわけないでしょう?」
その一言で、ギルドホールの時間が止まった。
言葉ではない。絶対的な温度差だった。
全員の脳内に「え、今の、冗談だったの?」が走る。
だが、ライゼの微笑みは崩れない。
「だってあのロブよ? 酔っていようが、なんだろうが、そんな勇気あるはずないじゃない」
ロブの口元がぴくりと引きつる。
「……俺の男としての評価がめちゃくちゃ落ちた気がするんだが」
「うふふ、冗談よ。ね、みんな?」
ライゼがくるりと踵を返し、背中越しに冒険者たちに視線を送る。
「……はい」
「……冗談ってことにしよう………」
「ライゼ様がそうおっしゃるなら……まあ」
空気が一気に解凍された。
手を下ろす斧使い、杖を肩に背負い直す魔術師、剣をそっと鞘に戻す双剣使い。
各自が何事もなかったかのように元の席へ戻っていく。
その背中が語っていた。
「魔王の言うことは、絶対」
受付嬢もほっと胸を撫で下ろし、何度も首を縦に振っている。
その中央で、ロブがぼそりと呟く。
「……この街の秩序、完全に魔王の信用一択で回ってるな」
「信頼って大事よ? あんたには無さそうだけど」
振り返ったライゼの目が、明らかに「続けたらまた焚きつけるわよ」と言っていた。
ロブは黙って片手を上げる。
「はいはい、俺が悪かったよ」
ギルドの空気は、ようやく通常営業に戻りつつあった――
「――まあ、今回は私も同行するわ」
ライゼが、あくまでさらりと告げた。
「ドラゴンが絡むクエストに、新人だけで行かせるわけにもいかないでしょう?」
その一言に、空気が明確に動いた。
「「えっ」」
セラフィナとフィリアが同時に声を上げたかと思うと、すぐに瞳を輝かせた。
「ご一緒してくださるのですか……!」
「ライゼ様と一緒に冒険なんて……!」
言葉に出してはいないが、顔に「テンション爆上がり」と書いてあった。
そして――
「魔王が仲間に!? RPGの激アツイベントじゃん!」
カイが珍しく声を上げ、拳を握った。水色の瞳がギラついている。
一方で――
リリアは少しだけ複雑そうな表情を浮かべていた。
ライゼの強さは知っている。頼りになるのも、疑いようがない。だけど、それでもどこか、胸の奥がざわつく。
(……ロブさんとライゼ様が一緒に……?)
そんなときだった。
視線に気づいたように、ライゼが片目を閉じて――ウィンクを送ってきた。
「……!」
不意を突かれたリリアは、思わず目を見開いて――そのあと、ふっと微笑みを返してしまった。
どこか、姉のようで、でも対抗心もある、不思議な距離感。
「私も同行する形で処理しておいて」
ライゼが受付嬢に視線を向けて言う。声は落ち着いていたが、どこか誇り高い響きがあった。
「は、はい!かしこまりました……!」
受付嬢はぴしっと敬礼のように応じ――が、その顔が紅潮していた。
首元から耳まで真っ赤である。
「……?」
セラフィナが怪訝そうに眉を寄せる。ロブも不思議そうに視線を向けた。
受付の背後――ギルド内の冒険者たちの席で、ヒソヒソと声が交わされている。
「ギルマス、純潔って言ってたけど……」
「え、そういうこと……?」
「もしかして……処……」
そこまで聞こえた瞬間――
ライゼは、言ってしまった自分の言葉の意味に――その場で気づいたようだった。
瞬間、表情が硬直する。
そして、ぐつぐつと煮え立つように――顔が真っ赤になった。
耳まで染まり、唇が震える。
そのまま、絞り出すように叫んだ。
「ち、違う! あ、いや違わないけど……あ、あああああっ!!」
魔王の悲鳴が、ギルドホールを揺らす。
悲鳴に紛れてロブがぼそりと呟いた。
「……もう少し、考えて発言しような」
【リリアの妄想ノート】
『ロブさんが、魔王様と――!?』
ロブさんが、私たちのいない間に何をしていたのか……ライゼ様と、二人で、なにか、なにかあったのかもって思ったら……。
も、もしかして、あの夜、酔った勢いで……。
だめっ! そんなの絶対に、だめです!
ライゼ様は大人の余裕があって綺麗で、スタイルも良くて強くて魔王で、うう、私なんて……。
――って!ちがうのちがうの!ロブさんが誰と何しようと関係ないんだから!私は弟子だし!教え子だし!立場的にも倫理的にも!
…………でも、もしもロブさんが、あの時、「全部、受け止めてやる」って言ったのが、本心だったなら――。
私にも、ちょっとはチャンス、あるのかな……。
【ライゼの妄想ノート】
『やっちゃった』
なにを、とは聞かないで。わかってるわよ、自分でも。
場の空気とか流れとか勢いとか、それでちょっと、からかったつもりだったの。
「純潔」なんて言葉、冗談で言ったつもりだったのに――
あんなに真顔で受け止められるとは、誰が想像したのよ!
しかも、周囲の殺気。
リリアちゃんの声のトーン。
セラフィナちゃんの冷たい眼差し。
カイくんのショックを受けた表情。
そして、ロブのあの台詞。
……なによ、言い返せないじゃない。
もう少し、考えて発言しような、って。
言われなくてもわかってるわよ……。
ああああ! 一人になったら、絶対枕に顔を埋めて叫ぶわ!
ロブの前では絶対平然とした顔してやるけど! するけど!
ああもう、ロブのバカ!




