第71話 海老男の黒歴史『蒼穹を裂く絶対なる刃』って誰ですか!?ロブさん、それ反則です!
リリアの脳内で、見えない鐘がカンカン鳴り響いていた。
あの紫の瞳の潤み。
銀髪をかき上げたときに見えた、赤く染まった尖った耳。
そして――
『ば、馬鹿じゃないの? あんたが野垂れ死にしてないか心配してあげてただけよ!』
はい、確定。
ツンデレの模範解答です!
魔王ライゼ様、破壊力が規格外すぎます!!
思わず空に向かって叫びたくなる衝動を押さえつつ、リリアは隣で固まっているセラフィナとフィリアの様子を横目で確認する。 どうやら二人も察している。フィリアは冷静な表情ながら、微妙に口元が引きつっていた。セラフィナは……たぶん、何かメモしてる。こわい。
そんな中、ギルドホール全体に静かな威圧感が広がった。
魔王ライゼが、ギルド内をぐるりと見渡す。
その視線は冷たくはない。けれど、ひとつひとつの目をしっかりと捉えるように、強い確信をもって――言った。
「今回、バルハルトのギルドに緊急通達があった“ゴブリンスタンピード”の兆候。これを未然に防いだのは、彼らです」
その場が、ざわりと揺れた。
「ラクタの谷での異常発生を、いち早く察知し、行動し、被害を最小限に抑えた。これは誰にでもできることではありません。誇るべき功績です」
ライゼは、一人ひとりの顔を見ながら、はっきりと告げる。
「今後、彼らの行動を称えることはあっても、侮辱したり、揶揄するような言動は一切許しません」
その言葉に、ザックがピクリと反応した。
ライゼの視線が、ぴたりと彼に向けられる。
「ザック。あなたも、例外ではないわ」
ピシィ……と、見えない氷がザックの背に張りついたような緊張が走る。
「……っ、了解……しました……」
低く押し殺した声で答えるザックに、ライゼは一度だけ目を閉じると、小さく頷いた。
場の空気が変わった。
ライゼの静かな宣言は、鋼よりも強い重みを持ってギルド全体に響き渡り、冒険者たちは誰一人として逆らう言葉を発せなかった。
そんな中で、彼女は柔らかな口調へと戻す。
「……さて、皆さんは遠方からお越しでしょう。まずは、お疲れさまでした」
その言葉に、リリアたちは一瞬きょとんとするも、遅れて慌てて頭を下げる。
「い、いえ……ありがとうございます……!」
「詳しい経緯と、現場で何が起こったのか……あなたたちから直接、話を聞かせてもらえるかしら?」
ライゼがそう言って、ロブにだけ少し長く視線を向ける。
ロブは無言のまま頷き、軽く右手を上げた。
「もちろんだ。話すべきことは山ほどある」
「じゃあ、こちらへ。執務室で落ち着いて聞かせてもらうわ」
その一言で、ロブたちはギルドホールを後にし、ライゼに先導されて奥の階段を上っていく。
その背中を、ホール中の冒険者たちが無言で見送った。
やがて、彼らの姿が視界から消えると――
ギルドに張り詰めていた空気が、わずかに揺らいだ。
ザックが、ぎり……と奥歯を噛みしめる音を立てながら、睨みつけるように階段の方を見やる。
「……チッ。魔族の分際で……」
吐き捨てるような声。
その言葉は誰にも届かなかったようでいて、数人の冒険者が小さく眉をひそめた。
だが、誰も言葉にはしなかった。
ギルドマスターの言葉は絶対。
そして何より――
あの美しき魔王の静かな威圧感が、彼らの胸に深く残っていたのだった。
バルハルト冒険者ギルドの最上階。
重厚な扉の先、執務室の中には、精緻な木彫りの机と、壁一面の地図、各地からの報告書が丁寧にまとめられている。
それはまさしく、一国を動かす司令室のような空間だった。
中央の円卓に、ロブと弟子たち、そしてギルドマスターであるライゼが向かい合って座っていた。
室内は静まり返り、重苦しい空気が漂っていた。
「……俺たちは“ラクタの谷”で異常な規模のゴブリンの群れと対峙した」
ロブの低い声が、場を切り裂くように響いた。
「ただのスタンピードではなかった。背後には、魔王バルゼルの配下――ベレフォンがいた」
その名を聞いた瞬間、ライゼの指先がわずかに震える。
「……べレフォン」
彼女は眉をひそめ、沈鬱な顔で呟いた。
「奴が……動いているのね」
その表情には、ただの驚きではなく、深い警戒と――どこか諦めにも似た影が差していた。
ロブは頷き、言葉を続ける。
「べレフォンは明確に“宣戦布告”を口にした。人間と魔族の共存を目指すお前を潰す、ともな」
「……やはり、バルゼルは共存派の動きを潰しに来ている」
ライゼが静かに呟く。
その声音は冷静だが、言葉の奥には深い怒りが潜んでいた。
沈黙が一拍置かれた後、ロブは机の上に手を置き、真っ直ぐにライゼを見据えて言った。
「それから――ベレフォンは紅竜団とも繋がりがある」
静かに告げたロブの言葉に、ライゼの紫の瞳が鋭く細められる。
「紅竜団? あなたが討伐した件は把握しているわ」
背筋を正し、静かに応じるライゼ。その声には、ギルドマスターとしての責任感と、個人的な関心の両方が滲んでいた。
「ああ。奴らの背後には、“カルヴァリウス”という魔族がいた。魔導具を与え、魔族の術式を教え、連中を強化していたらしい。ベレフォンはそいつと情報を共有していた」
ロブの語調は淡々としていたが、その内容は重い。部屋の空気が僅かに引き締まる。
「報告書にも、その名は記されていたわね。王都で行われた新人研修中、複数の参加者が襲撃された事件。そこに現れた魔族が、カルヴァリウス……」
ライゼの視線が鋭さを増す。過去に目を通した文書の記憶を辿りながら、言葉を継ぐ。
「……だとしても、彼の名を私は知らない。記録にも存在しないわ」
「そうか………」
ロブは短く返すと、椅子の背に体を預け、視線をライゼに向けたまま言葉を継いだ。
「それと――もう一つ、気になることがある」
「何かしら?」
ライゼが静かに促す。
「俺たちは、セイラン村で紅竜団のヴォルフたちを討伐した。その事実を知っていたのは、現場にいたゼランと数人の関係者だけだったはずだ」
リリアが思わず小さく息を呑む。その襲撃が、どれだけ突然で、どれだけ危険なものだったかは、誰よりも身に染みている。
「けどな。俺たちがテルメリアに向かっている途中で、紅竜団の幹部――ガルドという男が待ち伏せしてきた。あいつは、俺がヴォルフを倒したことを知っていた」
「……つまり、それは……」
ライゼがわずかに目を細める。
「ギルドの中に、情報を流している者がいる可能性がある。俺はそう考えている」
ロブの声に、執務室の空気が一層重たくなる。
弟子たち――リリア、セラフィナ、エドガー、カイ、フィリア――全員が一斉に顔を上げ、緊張の面持ちを浮かべていた。
「内部に、紅竜団や魔族の過激派と繋がってる者がいるってこと……ですか?」
リリアが、おそるおそる口にする。
「ああ。あの襲撃のタイミングと、知り得ないはずの情報。偶然とは思えない」
静かに、だが確信を帯びたロブの言葉に、ライゼはゆっくりと目を閉じた。
「……状況は思ったより深刻ね。情報を精査し直す必要があるわ」
彼女の声は静かだったが、その奥には怒りと警戒の色が滲んでいた。
しばしの沈黙のあと、ライゼはゆっくりと姿勢を正し、ロブたち一行を見回した。
「……ともかく、今回の件であなたたちは間違いなく大きな功績を上げたわ。ラクタの谷でのスタンピード阻止は、王国の安全保障にも関わる重大な働きよ」
ライゼの瞳が紫にきらめく。その眼差しは、厳しさの中に敬意を孕んでいた。
「正式な報酬は、バルハルト支部から支給させてもらう。もちろん、王都ギルド本部にもすぐに報告を上げるわ。英雄として扱うにはまだ早いかもしれないけれど……それに匹敵する扱いになるはずよ」
リリアたちは目を見開いた。フィリアなどは、思わず「えっ、マジで?」と小さくつぶやいてしまう。
「そして、あなたたち五人――リリア、セラフィナ、エドガー、カイ、フィリア」
名前を呼ばれ、全員が背筋を伸ばす。
「今回の任務をもって、正式に冒険者ランクをひとつ引き上げたいと考えているわ」
「昇格……ですか?」
リリアが思わず聞き返す。ライゼは頷いた。
「本来、冒険者ランクの昇格には継続的なクエストの達成か、重大な貢献が必要になる。あなたたちは後者にあたるわね。新人ながら実戦で命を懸け、未然に大災害を防いだ。十分すぎる功績よ」
「やったじゃん!」
フィリアが小さくガッツポーズを取り、エドガーも思わずにやりと笑った。セラフィナは静かに頷き、カイは変わらず無表情だったが、ほんのわずかに頬が緩んでいた。
ライゼは微笑を浮かべると、視線をロブに戻した。
「あなたの弟子たち、なかなか優秀じゃない。……まるで、昔のゼランを見ているようで、少しだけ複雑だけど」
「あいつよりこいつらの方がずっと優秀だよ」
ロブは肩をすくめたが、その目の奥には確かな誇りがあった。
弟子たちの昇格を伝えた後、ライゼは一息つくように背もたれに体を預け、ふと目線をロブに向けた。
「……本当は、あなたの昇格の話も上がっているのよ」
「俺の?」
ロブは小さく眉を動かした。
「ゼランやセレニアからも推挙があったわ。王都の本部に情報が行けば、少なくとも“名誉特階”の推薦がなされるでしょうね。正直、あなたの知名度と実績なら、それでも足りないくらい」
ライゼの口調には、ギルドマスターとしての公的な響きがあったが、その奥にはわずかな感情の揺らぎも感じられた。
だが、ロブはすぐに首を横に振る。
「悪いが、辞退する」
「……やっぱり、そう来るのね」
ライゼは苦笑した。驚きはなかったようだ。
「理由を聞いても?」
「表に立つ器じゃないさ。それに、今は弟子たちを育てることで手一杯だ。俺が表舞台に出ることで、余計な注目を集めても困る」
静かに語るロブの言葉に、リリアたちも黙って耳を傾けていた。
ライゼはしばらくロブを見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「……本当に変わらないわね。あなたはいつも、そうやって名誉よりも責任を選ぶ」
「俺のやり方さ」
ロブはどこか照れたように肩をすくめ、窓の外に視線をやった。
その横顔に、リリアは胸の奥で熱くなる何かを感じていた。
(……やっぱり、ロブさんって……かっこよすぎる……)
ライゼは書類棚から申請用紙を一枚抜き出し、さらさらとサイン欄を指差す。
「……リリアさんは十四歳なのね。15歳以下の昇格には、保証人の冒険者の署名が必要になるわ。特に、Bランク以上の“銀獅子”冒険者が保証人になる場合、“二つ名”の記入が義務づけられているの」
「二つ名……ですか?」
リリアがきょとんと問い返すと、ライゼは頷いた。
「そう。ギルドに正式登録されている異名のこと。あなたの保証人になるのは……もちろん、ロブでしょうけれど」
弟子たちの視線が一斉にロブへと向く。
「……あー……俺の二つ名、な」
ロブは腕を組み、少し考え込んだあと、ぶっきらぼうに言った。
「忘れた」
「は?」
リリアが思わず素の声を漏らし、セラフィナも眉をひそめる。
「お師匠様、そんなこと……ありますの?」
「あるある。脳の容量は有限なんだよ。くだらない情報は削除対象だ」
ロブが平然と言い放つと、ライゼはため息をついて扉の方へ声をかけた。
しばらくして、書類を持った職員が控えめに入室してきた。彼はライゼに促されるまま、資料を確認し、口を開く。
「ロブスウェル・イングラッド殿のギルド登録上の二つ名は――『蒼穹を裂く絶対なる刃』、でございます」
「は?蒼穹を裂く絶対なる刃?」
リリアが意味不明な混乱のまま絶叫し、それに続いて弟子たちが騒然となる。
「はぁーっ!? なにそれ、かっこよすぎるじゃん!?」
フィリアが目を見開き、椅子の上で立ち上がる勢いで叫ぶ。
「正直、“海老男”より、断然こっちの方がイケてるわよ!?」
エドガーが「うわあ……マジかよ……」と呟き、セラフィナは優雅に口元を押さえながら首を傾げた。
「お師匠様が“海老男”などと名乗っていたのは……まさか、その二つ名を忘れてほしかったからですの?」
ロブは一瞬だけ、言葉に詰まる。
その顔は――見事なまでに図星を突かれた顔だった。
「……ぐ……」
横で、無言だったカイがぽつりと呟いた。
「“蒼穹を裂く絶対なる刃”……いいな。俺もいつか、そういう名前を持ちたい……」
その目は、どこか遠くを見つめるように輝いていた。完全に厨二病モードである。
「……だから俺は銀獅子なんかになりたくなかったんだ……」
ロブは椅子に深く座り込み、頭を抱えた。
部屋の空気は、どこか和やかで、ほんのりと笑いの混じるものになっていた――
【リリアの妄想ノート】
ま、待ってください。
蒼穹を裂く!? 絶対なる!? 刃!!?
なにその二つ名、かっこよすぎでしょ!?
完全に味方側の最強剣士枠ですよ!?
セリフはたぶんこうです!
『……風が……鳴いている。切るぞ(蒼穹)』
いやいやいや、黙ってたのズルすぎません!?
ロブさんのこと、私たち“海老男”って呼んでたのに!
※しかもご本人は「忘れた」とか言って逃げてたの、絶対に恥ずかしかったからですよね!?
セラフィナさん、よく突っ込んでくれました!
あと、カイくんの中二病が発症してたのも見逃してませんよ。
ロブさん、弟子たちの厨二魂にも火をつけてどうするんですか!
フィリアさんも「海老男よりこっちのほうが良い」って言ってたし、
もしかして“蒼刃のロブ”って呼び方、流行るんじゃないですか?
いや〜これはまた一つ、ロブさんの伝説が増えましたね……
というわけで今回もお読みいただきありがとうございました!
もし楽しんでいただけたら、ブクマと感想もらえるとリリアが飛び跳ねて喜びますっ!




