第69話 海老男――終律なる氷雷風の協奏魔曲《アーク・ゲイル・グレイシャー》と、宣戦の道化
セラフィナが魔法構文を構築し始めた瞬間――
エドガーとリリアは無言で前へと踏み出していた。
「リリア、こっちは俺が押さえる。お前は遠距離で援護してくれ!」
「はいっ!」
リリアは素早く位置を取り、背後の岩を盾に魔素を練る。
手のひらに小さな紅蓮の光が灯ると同時に、迫り来るゴブリンに向けて《フレア・バレット》を連射した。
炸裂音とともに前衛のゴブリンが吹き飛ぶ。
だが次の波が、すぐに間を埋めるように突っ込んでくる。
「速い……!」
息を飲む間もなく、エドガーが前へ跳び出した。
ヴェール――闘気がその身体を包み、彼の動きは人の域を超える。
「通すかよ……!」
一歩踏み込み、斬撃。
振り下ろされた棍棒を篭手で受け止め、その反動を利用して斜めに薙ぐ。
一体の胴を裂き、返す刃で背後のもう一体の首を撥ね飛ばす。
その背中に、リリアの声が飛ぶ。
「左、三体来ます!」
「任せた!」
リリアが詠唱を切り替え、《スパーク・ニードル》を高速で連射。
雷の針がゴブリンたちの脚を貫き、動きを止めたところをエドガーが跳び込んで切り裂く。
(……間に合わせないと。今、あいつらが頑張ってるんだ!)
リリアは叫ぶように詠唱を繰り返し、わずかな間も休まず撃ち続けた。
一発でも撃ち漏らせば、セラフィナたちに届いてしまう――その緊張感が、火傷のように喉を焦がす。
エドガーもまた、呼吸を制しながら体を動かす。
動きの一つ一つが洗練されていき、構えと一閃に無駄がなくなっていた。
(師匠なら、こうする……!)
その意識が、彼の動きをさらに研ぎ澄ませていく。
流れるような剣戟の中、地面に倒れるゴブリンが数を増やしていく。
その背後では、セラフィナの魔法陣が徐々に完成に近づいていた。
エドガーの前に、群れとは異なる異様な気配が立ちはだかった。
他のゴブリンとは違う。
その皮膚は煤けた黒に染まり、腕は人間の二倍はあろうかという太さに肥大化している。
瞳は赤く濁り、口からは泡のように瘴気を垂れ流していた。
変異種だ。
「来やがったな……!」
思わず後退するが、すぐに踏みとどまり、構えを取り直す。
闘気が身体を包み、足元の地を砕くように走る。
「来いよ……!全部、俺が止める!!」
異形のゴブリンが棍棒を振りかぶる。
空気が裂けるような音と共に、鋭く突き出される腕。
エドガーはそれを紙一重でかわし、すぐさま腰を捻りながら剣を振るう。
ガキィン――!
闘気が炸裂し、火花が閃く。
剣が異形種の肩口から胸へ、一直線に走った。
刹那――その巨体が悲鳴を上げる暇もなく、ずるりと崩れ落ちた。
そして、その瞬間だった。
空気が変わる。
熱気、冷気、静電気――三種の属性が交錯し、空が光に染まり始める。
セラフィナが魔法陣の中心に立ち、杖を掲げる。
風が渦を巻き、雷が迸り、氷の粒子が宙に踊った。
セラフィナが、氷の魔力を指先に集中させる。
風と雷、二つの構文が重なり、空間に巨大な陣が浮かび上がった。
そして、彼女は一歩、前に出る。
その声は静かに、だが荘厳に空気を震わせる。
「吹き荒れよ、嵐の刃。穿て、雷の蛇。凍てつけ、静寂の白き吐息」
杖を高く掲げ、魔力が空を染めるように広がっていく。
「今ここに、三界を統べる調律の旋律を紡ぐ。風の奔流、雷の連撃、氷の静寂……そのすべてを以って、敵を討ち果たせ!」
構文が輝きを増し、空間が歪みはじめる。
「氷雷風衝撃!」
空が割れた。
幾千の氷矢が、雷の閃光とともに、風に乗って降り注ぐ。
まるで銀と青の流星群が、地上へと落ちてくるかのようだった。
悲鳴すら上げる間もなく、ゴブリンたちは次々と貫かれ、凍てつき、爆ぜ、吹き飛んだ。
谷に響いたのは、無数の閃光と衝撃の連鎖。
その余波が収まったとき――
立っていたのは、ゴブリンキングだけだった。
リリアが、あっけに取られたように呟いた。
「……すごい……」
セラフィナは胸元で杖を抱き、涼やかに息をついた。
だが、瞳には油断の色はない。
「さて……残るは大将だけですわね」
ゴブリンキングが吠えた。
その咆哮は瘴気を震わせ、谷底の空気ごと圧力に変わって襲いかかる。
だが、誰も怯まなかった。
ロブが一歩、前に出る。
「仕留めるぞ。全員、かかれ!」
「はいっ!」
リリアが魔素を収束し、赤い魔法陣を描く。
「紅蓮弾!」
火球が轟音と共にゴブリンキングの胸を叩く。
だが、表皮を焼くだけで致命打にはならない。
「次ッ!私が行きますわ!」
セラフィナが杖を掲げた。
「凍てつきなさい――氷牙裂嵐!」
大地を這う氷牙が唸りを上げて走り、ゴブリンキングの両脚を凍てつかせる。
バキバキと砕けるような音とともに、巨体の動きが鈍る。
「カイ君、お願い!」
「了解――雷蛇乱舞!」
上空に放たれた雷の魔陣が砕け、無数の雷蛇が放射状に降り注いだ。
その中から一条の雷がゴブリンキングの肩を撃ち抜く。
「風に乗って、貫け――烈風三連星!」
フィリアの放った矢が、追撃のように喉元、肩、腹部へと突き刺さる。
「ハウル!」
フィリアの指示に、ハウル・キャットが咆哮し、地を砕く大地の魔法を放つ。
岩の柱がゴブリンキングの足元から突き出し、その身体を後方へ傾かせた。
「エドガー!」
「おうっ!」
闘気を纏ったエドガーが地を蹴った。
炎のごとき疾走で接近し、反応できぬ巨体の腹に一閃。
血飛沫が舞う。
だがそれでも、ゴブリンキングは呻きながら剣を振り上げ――
「通すかよッ!!」
ロブが一足早く、その剣を受け止めた。
鈍く、重い衝撃が走る。
それをそのまま受け流すように、ロブの剣が閃いた。
同時に、エドガーの第二撃が斜めに走り、
ゴブリンキングの胸を十字に裂いた。
「今度こそ、終わりですわよ!」
セラフィナの再詠唱が響いた。
「終氷絶華!」
その言葉とともに放たれた氷の花弁が、爆ぜるように広がり――
動けぬ巨体を完全に包み、そして貫いた。
――ズン、と。
谷全体が震えた気がした。
瘴気が霧散し、ゴブリンキングがゆっくりと、崩れ落ちた。
静寂が訪れた。
誰もが黙ったまま、その巨体が完全に倒れるのを見届けていた。
瘴気をまとう風がすうっと静まり返った。
氷片が空に舞う中、ロブがゆっくりと剣を収める。
「……よくやった」
その一言に、誰からともなく安堵の息が漏れた。
リリアがその場にへたり込むように座り込み、カイが背中を預けるように岩にもたれた。
「終わった……んですよね?」
リリアの問いかけに、ロブは小さく頷く。
「ああ、これでスタンピードは防げた」
セラフィナは杖を支えに立ちながらも、髪を整える余裕を見せる。
「当然の結果ですわ」
「ほんと、強がる元気はあるのね……」
フィリアがくすっと笑い、ハウル・キャットはその足元に寄り添うように座り込んだ。
エドガーは剣を収め、ロブに向かって静かに言う。
「……ありがとうございました。師匠のおかげで……胸を張れそうです」
ロブはそれに言葉を返さず、満足げに目を細めた。
空が少しずつ晴れていく。
谷の瘴気が薄れ、ほんのりと陽の光が差し始めていた。
「……いるんだろ、ベレフォン」
ロブの低い声が、静けさを取り戻したラクタの谷に落ちた。
誰もいないはずの空間。
しかし次の瞬間、その空気がにわかにねじれ、音もなく“それ”は姿を現した。
くるくると道化のように旋回しながら、ベレフォンが現れる。
仮面の下に広がる歪な笑み――まぎれもなく、先ほど倒したはずの敵だった。
「やあ、また会えたね。ボクの用意した舞台、楽しんでもらえたかな?」
「ベ、ベレフォン……!?」
リリアが目を見開き、声を漏らす。
「ありえませんわ、確かに……お師匠様が」
セラフィナも警戒を強め、杖を構える。
「あのカルヴァリウスみたいに本体じゃなかったとか……」
カイが剣に手をかけたまま、鋭く睨みつける。
だが、ロブだけは落ち着き払っていた。
「カルヴァリウスとは違う」
表情も変えず、静かに告げる。
「こいつはさっきの奴とは違う個体だ。べレフォンは遺伝子技術とナノマシンの情報伝達機能を利用して、記憶を共有している」
言いながら、ゆっくりとベレフォンへ歩みを進める。
「つまり、同一の記憶と思考を持つクローン体だ。全員が偽物であり、同時に“本物”でもある」
「記憶の共有……って……そんなことまでできるの……?」
リリアの声がかすれる。
そのとき、ハウル・キャットが低く唸り声を上げた。
毛を逆立て、唇を引き、喉の奥で唸りながらゼレフォンを睨みつける。
フィリアがそれを見て、静かに言った。
「……こいつが、あなたの主人を……?」
ゼレフォンはそれに、まるで芝居がかったように肩をすくめ、仮面の奥で嗤った。
「そう。僕が殺したのさ。その子のご主人を――ね」
その声には、悪びれた様子など一切なかった。
「…………っ!」
フィリアの肩が小さく震えた。
ハウル・キャットが悲痛な声を上げる。喉の奥から絞り出すような、苦しみに似た唸り声だった。
「許さない……!」
風が巻く。魔素がざわめき、彼女の足元に渦を作った。
だが、ロブがその横をすっと手で制した。
「やめろ、フィリア」
「でも……!」
「挑発に乗るな。こいつはそれが目的だ」
その言葉に、フィリアは悔しそうに唇を噛み、背負った弓を握りしめたまま、じりと後退した。
ロブは前へ一歩、静かに進み出る。
仮面の道化をまっすぐに見据え、低く冷ややかに言い放った。
「ずいぶんと楽しげな舞台だったが、悪趣味が過ぎるな。……これは、魔王ライゼへの宣戦布告と受け取っていいんだな?」
魔王、の響きにリリアが思わずロブを見る。
ロブは魔族にも知己があるらしい。
ベレフォンは仮面の奥で舌打ちのように笑い、肩をすくめて応じる。
「そう取ってくれて構わないよ。むしろ、そうしてもらわないと困るかな」
ロブは無言で睨むように見据え続ける。
ベレフォンは愉快そうに続けた。
「これはヴァルゼル様の意志だ。人間と手を取り合って生きるだなんて、虫酸が走る。
君たち人間に尻尾を振るような魔族……たとえばライゼみたいな奴を粛清すると、ね」
リリアの顔色が曇り、セラフィナの眉が吊り上がる。
「魔族は人間に従う種ではない。ヴァルゼル様は、ずっとそう言っていた。
“正しいかたち”に戻すだけさ。歪な平和より、混沌の秩序のほうが、よほど自然だと思わない?」
ロブは静かに返す。
「……この行為は、魔王ライゼと人間への明確な敵意と受け取る。和平を壊したのは、そちらだ」
「その通り。ちゃんと分かってるなら助かるよ。今さら君たちと“話し合い”なんてつまらない真似する気はない。破壊が必要だと、ヴァルゼル様は判断された。ただ、それだけのこと」
ベレフォンはわざとらしく頭を垂れ、仮面の下でにやりと笑った。
「次はもう少し、君たちにとって“大切な舞台”を用意するよ。楽しみにしてて、ロブ」
ひゅう、と風が吹き抜ける。
ベレフォンの身体が霧のように崩れ、かき消える。
その場には、冷たい空気と、踏みにじられた和平の残滓だけが残された。
【リリアの妄想ノート】
~お姉ちゃんが見てたらたぶん笑ってた~
今回の戦い、マジで映画だった。
セラフィナさんの大魔法、カイ君とフィリアさんとエドガーさんの連携、そしてロブさんの「通すかよッ!!」って決め台詞――かっこよすぎて目が潤むレベル。
あと、エドガーさんの技名!雷迅裂閃!すごく厨二で良き!!
……って思ってたら、最後に現れたベレフォンが、まさかの「魔王ライゼへの宣戦布告」とか言い出して!?
え、なにそれ急に政治劇!?魔族、こわっ!
でも、ロブさんが静かに言い返したの、超痺れた……「和平を壊したのは、そちらだ」って……惚れる。うん、惚れる。
というわけで、今日の教訓。
【技名はカッコよく叫んでこそ輝く!あと、魔王ってほんとにいたんだ……!】
【あとがき】
今回の第69話は、前半はエドガー&リリア、そしてセラフィナたちの総力戦、
後半は“敵の真の狙い”が露わになる静かな緊張の転換――という構成になっています。
エドガーの成長、セラフィナの本領発揮、そしてチームとしての連携がひとつの到達点に達する展開。
その一方で、ベレフォンの再登場によって明かされる「魔王バルゼル」の存在と、その思想。
「平和を壊す者」と「守ろうとする者」――次の章では、いよいよ魔族との全面対決の布石が整います。
次回もぜひお楽しみに!




