第62話 海老男は紡ぐ。観測と創造を
「カイ。今からお前の中のナノマシンを、俺が“見せて"やる」
ロブの静かな声が、午前の訓練場に響いた。
弟子たちの中で、カイだけが空気を変えていた。
整った呼吸、鋭い眼差し。彼の視線はまっすぐロブを捉えている。
「前に出ろ」
呼ばれたカイは無言で頷き、一歩前に出た。
「今日やるのは、“観測”だ。お前の中にあるナノマシンを、自分の感覚で“観る”訓練をする」
弟子たちがざわつく中、ロブは人差し指を立てて説明を始める。
「まず深く呼吸を整えろ。そして、胸でも頭でもいい……一点に集中する。“ある”と信じろ。“見える”じゃない。“いる”んだと心で断定しろ」
言葉と同時に、ロブが手をかざすと、宙に微細な光の粒が浮かび上がる。
――クォリスだ。
『補助を開始します。カイ様の神経系に沿って、ナノマシン活動領域を可視化します』
次の瞬間、カイの脳と脊髄を中心に、淡い光の筋がうねるように現れた。
「……これが、ナノマシン……?」
リリアの呟きが漏れる。
ロブはカイの背にそっと手を当てる。
「感じるか?今、お前の中で騒いでいるそれがナノマシンだ。目に頼るな。お前自身の感覚で、確かめろ」
カイの呼吸が、深く静かになる。
瞼を閉じ、内なる何かに耳を澄ませる。
「……動いてる。……あったかい、“何か”が……流れてる……!」
『観測精度38%。初動としては極めて優秀。素晴らしい適応性です』
クォリスの評価に、ロブが微笑を浮かべる。
「上出来だ。あとは、お前が“制御”するだけだ」
拳を握るカイの眼差しが、確信に満ちる。
「これを、制御する………」
「異常を起こしてるといっても、ナノマシンの役割は宿主をサポートすることだからな。ナノマシンへの命令は魔法を現象化するだけじゃない。活動そのものを制止したり活発化させたりも出来る。普通のやつはそんなことする必要ないが、お前は生きるためにナノマシンを意のままに操る術を身に着けなければならない。出来るか?」
ロブは試すようにカイに笑みを送る。
カイはそれに不敵な笑みで返した。
「やります。クォリスの助けなしでも、自分の意思で……ナノマシンを動かしてみせます」
確かな決意を宿した瞳に睨め返され、ロブは破顔した。
「分かってるじゃねえか」
満足げに頷くロブの横で、リリアが勢いよく手を挙げた。
「あ、あのっ! 私たちの番もありますよね? 魔法の講義、楽しみにしてたので!」
「もちろんだ」
ロブは弟子たち全員を見渡し、静かに宣言する。
「カイが“観測”を始めた。次は、お前たち全員が“創る”番だ。午後は、魔法理論の授業に入る」
セラフィナの顔がぱっとかがやき、対照的にエドガーがげんなりした表情を浮かべた。
“魔法”――この世界の理を超える力を、ロブがどう教えるのか。
この午後の講義が、彼らの運命を大きく変える始まりになるとは、まだ誰も知らなかった。
ロブは、クォリスが虚空に投影した透明なスクリーンを指でなぞった。淡く光る文字列が、空中に浮かんでいる。
「セラフィナ。魔法構文とは何だ?」
「はい、魔法構文は思考を精霊に伝達するための命令式です。主語にあたる対象指定、述語にあたる現象操作、目的語としての影響範囲を明示する三要素が基本構成。属性や変数を補助的に付加して精度を高めるものです。わたくしはそう教わりましたけれど、真実は精霊ではなくナノマシンへの命令、ということですわよね?」
スラスラと答えるセラフィナに、リリアとエドガーが目を見張った。
ロブは満足そうに頷いた。
「完璧だ。セラフィナは魔導士の家系らしいが、頭で理解しているだけでは意味がない。今からは、それを“使える知識”にしていくぞ」
「もちろんですわ。わたくし、実戦で使えるように学びたくてここに来ましたもの」
セラフィナの涼やかな声に、ロブは笑みを深めた。
そこでおずおずとリリアが手を挙げた。
「……あの、初歩的な質問でごめんなさい。魔導士と魔法使いの違いって、なんなんですか?」
その素朴な問いに、セラフィナが即座に口を開いた。
「魔導士は、魔法を創る者。魔法使いは、それを使う者ですわ。構文を設計し、理論を組み立てるのが魔導士。完成された魔法を実行するのが魔法使い。そう区別されております」
「えっ、じゃあ……魔導士の方が偉いんですか?」
リリアの言葉に、セラフィナはふっと息をついた。
「確かに、魔導公会では魔導士の方が魔法使いよりも地位は上です。でも、わたくしはそれを正しいとは思いませんわ」
エドガーが小さく首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「魔法というのは、どれほど緻密に設計されても、実戦で使われなければ意味がありません。現場で咄嗟に判断して魔法を唱える魔法使いは、机上の空論では得られない知識と経験を持っておりますの」
セラフィナはリリアの方に目を向けて、やわらかく微笑んだ。
「本来想定された使い方とは異なる状況で、創られた魔法が新しい可能性を見せることもある……魔法使いは、魔導士の想定を超えて“魔法を使いこなす”スペシャリスト。決して劣る存在などではありませんわ」
リリアは目を丸くして、そのままぽつりと呟いた。
「……なんか、ちょっとだけ、救われた気がします」
「ふふ。リリアさんは実に柔軟な発想をお持ちですもの。きっと、驚くような魔法を編み出す方になると信じていますわ」
そのやり取りを聞きながら、ロブは静かに頷いていた。
その会話の余韻が残る中で、カイがふと黙り込んだ。
目を伏せたまま思案しているかと思えば、小さく呟く。
「……なるほどな」
リリアが首を傾げた。
「どうしたの、カイ君?」
カイはひとつ息を吐き、ぽつりと口にする。
「魔導士が“プログラマー”で、魔法使いが“アプリユーザー”みたいなもんか。コード書くやつと、それを使って便利にやるやつ……なんか、しっくりきた」
弟子たちがぽかんとする中、ロブだけがくっと喉を鳴らして笑った。
「その例えは的確だ。だがな、カイ――それ、俺以外に伝わらないぞ」
「……あ」
カイが我に返ったように顔を赤くし、隣のエドガーが小声で「プログラ……?なんだそりゃ」と呟いた。
セラフィナも困ったように笑みを浮かべる。
「カイさんの言いたいことは……なんとなく、分かるような気もしますけれど」
「私はさっぱり……でも、なんかカイ君らしい」
リリアが笑うと、カイは少しだけ肩をすくめた。
「……悪い、ついクセで」
ロブはその様子を満足げに見ながら、手元のスクリーンを指ではじいた。
「なら、次はその“コード”をどう書くか……魔法構文の実例に入るぞ」
ロブはスクリーンに映し出された構文群を一瞥すると、指先でその一部をなぞってから、弟子たちに向き直った。
「いいか、まず最初に押さえておけ。構文と呪文は、似て非なるものだ」
弟子たちは一斉にロブへ視線を向ける。
「“構文”とは魔法を構成するためのプログラム。思考をナノマシンに伝えるための命令式だ。対象、範囲、出力、属性、条件分岐……それらを定義し、実行可能な形に整えたもの。それが構文だ」
スクリーンには簡素な文字列が映し出される。
《Aqua.Target=足元》
《Aqua.Range=半径1m》
《Aqua.Output=小》
「そして“呪文”というのは、この構文を起動するためのパスワード――つまり、“口に出すことでナノマシンに命令を通すためのキー”だ」
リリアが小さく「あ……」と息を漏らした。
「今、お前たちが学校やギルドで教わった魔法のほとんどは、“呪文”として記憶させられた形式だ。言葉に出せば火が出る、水が出る。それは、裏でこの構文が走っているからに過ぎない」
ロブはスクリーンを切り替え、同じ構文に対応する呪文を表示する。
《アクア・スプラッシュ――この足元に、小さき水の奔流を》
「だがな」
ロブは言葉に力を込めた。
「この呪文は“鍵”に過ぎない。構文の中身を理解しなければ、精度も応用もできない。それに――」
スクリーンを消すと、ロブは拳を握ったまま目を閉じた。
次の瞬間、彼の周囲にふわりと小さな風が渦巻き、地面の砂がさざめいた。
「この現象は、構文すら起動していない。言葉も使っていない。“イメージ”だけだ」
弟子たちが息を呑む。
「構文を頭の中で組み、それをナノマシンに直接通すには、圧倒的なイメージ力が必要だ。だからこそ、まず構文を知り、仕組みを理解する必要がある」
ロブはゆっくりと、弟子たちを見渡した。
「お前たちが“本物の魔法使い”になりたいなら、呪文を唱えるだけじゃ足りない。仕組みを理解しろ。魔法を作れる頭を持て。そうすれば、いつか呪文など不要になる」
重みのある静けさが、その場を包み込んだ。
その緊張感をやわらげるように、フィリアが口を開いた。
「でも……カイは、もう“イメージだけ”で魔法を使えるのよね?」
ぽつりと呟いたその言葉に、カイが小さく身じろぎした。
「俺は、まあ、やってみたら出来た」
「カイは有利なんだよ」
ロブが言うと、一斉に注目が集まる。
「例えばリリア。お前は雷が槍になるとか、想像できるか?」
突然振られたリリアは戸惑いながら答える。
「出来ない……です。だって、雷って空でピカって光るやつでしょう?それが自分の手元で光る槍になるなんて思いもしません」
「え、そうなの?」
目を丸くしたカイが驚きの声を上げる。
ロブは苦笑して続けた。
「お前は前世でアニメやら漫画やら見てたから、そういう視覚的なイメージがしやすいんだよ」
「あにめ?まんが?」
セラフィナが首をかしげる。
「絵を使った物語が昔はあったのさ。架空のストーリーを想像するのは三千年前、もっと前から変わらないもんでな」
そう言うロブはどこか懐かしそうな表情をしていた。
「イメージにはそういうのも大事だ。いろんなことを見聞きした体験が無詠唱魔法や魔法の創造に繋がる」
カイに向き直る。
「その感覚は貴重だ。だがな、それは“感覚的な再現”に過ぎない。感覚は曖昧だ。再現性がなければ、戦場では通用しない」
言葉は厳しいが、表情は柔らかい。
「だからこそ、構文を学ぶ。理論と感覚の両輪が揃ってこそ、魔法は自在になる。――才能があるやつこそ、土台を固めろ。でないと、崩れる」
その言葉に、カイは真剣な表情で頷いた。
そして、リリアも自分のことのように強く頷くのであった。




