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第60話 海老男の講義3 量子の記憶と魔導AI《クォリス》

 静まり返る研究室の空気を切り裂くように、ロブは淡々と語り始めた。


「まず前提として……“転生”という現象自体は、特別なものではない。誰もが死後、いずれ別の肉体に生まれ変わる。魂とはエネルギーであり、消滅しない。ただし——その記憶が“引き継がれる”ことは、極めて稀だ」


 弟子たちが息を呑む中、ロブは石板に円を描き、その中心にこう記した。


 《フォトン(Photon)》=情報を運ぶ最小のエネルギー単位


「この世界のすべては“量子”でできている。お前たちの身体も、魔素も、そして——“記憶”もまた例外ではない。特に、思考や記憶の一部は、フォトンのような微細な粒子の“状態”に保存されていると考えられている」


 セラフィナが驚いたように目を見開く。


「記憶が……光に宿るというのですか?」

「正確には、“光”そのものじゃない。だが、フォトン——つまり光子は、情報の伝達や保持に優れた性質を持つ。量子の世界では、粒子が“状態”として情報を保持することがある。記憶の断片は、そういった粒子の中に痕跡として残る可能性があるということだ」


 ロブは石板にもう一つの式を書き加える。


 《転生》=《量子情報の再構築》


「転生とは、“記憶を含んだ量子情報”が、新たな肉体で再構築される現象に過ぎない。お前が覚えているのは、“記憶を刻んだ量子”——つまり、お前の魂に紐づいたフォトンが、新しい体に取り込まれたからだ」


 ロブは頷き、石板にさらに新たな式を書いた。


 《フォトン干渉》×《ナノマシン制御》=自己増殖異常


「仮説に過ぎんが……カイの肉体が再構築される過程で、“前世の記憶を保持したフォトン”がナノマシンに干渉した可能性がある。記憶という情報は、エネルギー的には極めて繊細で特異な波長を持つ。ナノマシンがそれを“異常な命令”と解釈し、自己増殖制御が狂ったと考えられる」


 リリアがそっと手を挙げる。


「……それ、治るんですか?」


 ロブは頷いた。


「対策は可能だ。次回、そのための訓練を始める。だが、重要なのは“自分の状態を正しく理解し、制御する意志”を持つことだ」


 カイはまっすぐロブを見つめ、拳を握りしめた。


「……わかった。俺、自分の体を……ちゃんと知って、制御できるようになる」


 その言葉に、誰かが小さく頷いた。


 魔法とは、世界の構造を知ること。そして、命もまた例外ではない——その真理を知った少年たちの目に、確かな決意が宿っていた。


 説明を終えたロブが黙り込むと、教室には静寂が戻った。


 その空気を切るように、セラフィナが控えめに手を上げた。


「お師匠様……一つ、よろしいですか?」

「何だ、セラフィナ」

「その……前世の記憶が残ることが“稀にある”と仰いましたが、なぜカイさんには、それが起きたのでしょう?それも……“この時代”に、ですわ」


 真剣な問いに、他の弟子たちもロブに視線を向ける。


 ロブは、ふっと目を細め、意味ありげな笑みを浮かべた。


「さあな……“運命”かもしれん」

「……」


 一瞬、場がしんとした。


 それを破ったのは、フィリアの乾いた笑いだった。


「あんたにしてはずいぶんと曖昧な返しね。あれだけ理屈っぽく説明してきたくせに、最後は“運命”とか言っちゃうなんて」


 皮肉混じりの言葉に、他の弟子たちが小さく笑った。


 だが、ロブの表情は崩れなかった。むしろ、そのまなざしはどこか遠くを見ているようだった。


「……量子力学の世界には、そもそも“時間”という概念が存在しない」


 再び空気が張り詰める。


 ロブは窓の外、沈みかけた夕日を見ながら続けた。


「人は“過去”から“現在”、そして“未来”へと時間が流れていると思っている。だが、量子の領域では、それはただの“幻想”だ。時間は、同時にそこに“在る”。過去も現在も未来も、切り離されず、すべてが並列に存在している」


「そんな……ことって……」


 セラフィナが呟いたが、ロブは頷いた。


「逆に言えば、“未来”から“過去”に影響を与えることすらあり得る。量子の情報は、一方向にしか流れないものではない。“もつれ合い”や“重ね合わせ”によって、未来の出来事が、今のお前たちに何らかの影響を与えている可能性がある」


 そこでロブは、弟子たちを順に見回して、ゆっくりと問いかけた。


「お前たちにも、こんな経験がないか? “初めて会ったはずの誰か”に、どうしようもなく“懐かしさ”や“既視感”を抱いたことが」


 その言葉に、リリアの瞳がわずかに揺れる。


 彼女の脳裏に、冒険者ギルドの新人研修の日の記憶がよみがえる。


 セラフィナ、エドガー、そしてカイと初めて対面したその瞬間。言葉を交わす前から、どこか懐かしいような、ずっと昔から知っていたような、不思議な感覚に囚われた。


 懐かしい。けれど、会った覚えなどない。


 それでも、確かにあの日——“知っている”と感じた。


「……それって……未来で深く関わる誰かを、今の自分が感じ取ってるってこと、ですか?」


 リリアが小さく、震えるように問うと、ロブは微笑んで応じた。


「かもしれんな。“未来の縁”が、今の己に囁く。“この人物は、お前にとって大切になる”と。だから覚えておけ、と。……量子の情報は、そんな風に時間を超えて、記憶や感情を揺らすことがある」


 リリアはセラフィナの横顔をそっと見つめた。


 そして思った。


 ——あの日、感じたのは幻なんかじゃなかったんだ。


「俺が前世の記憶を持っているのは意味があるってこと?」


 カイの疑問にロブは肩を竦めて言った。


「証明も確認も出来ないけどな。どうせなら意味があると思っておけ。そう考えると、俺達と出会ったことも偶然じゃないかもしれん」

「確かに、オーバーマナシンドロームは公会でもはっきりした治療法が確立されていませんわ。それを知っているお師匠様に出会えたのはまさに運命と言えるかもしれません」


 セラフィナが顎に手を当て思慮深げに呟く。


「さて………このへんでお前たちに紹介したいやつがいる」


 ロブが静かに立ち上がり、教室内を見渡してそう言った。


 ロブは指を軽く鳴らした。


 その瞬間——リリアの頭の奥に、直接語りかけるような声が響いた。


『こんにちは、ロブさん。ご用向きはなんですか?』


「——っ!」


 リリアが肩を跳ねさせて振り向く。だが、そこには誰もいない。


 エドガーが眉をひそめ、カイが首を傾げ、セラフィナが不安げに周囲を見渡す。


「い、今……誰かが、声を……?」

「わ、私も……聞こえましたわよ……耳元で話されたような……」


 ロブは微笑を浮かべ、壁際の一角へ歩み寄ると、手のひらを掲げた。


 空中に幾何学模様の魔法陣が展開され、淡い光の粒が浮かび上がる。


 やがて、光は人型を模す輪郭となり、粒子の渦の中から再び声が響いた。


『初期リンク完了。空間投影モード、起動。ユーザー認証完了……改めまして、こんにちは。システム名クォリス。現在、97,842件の魔法構文データを保持。魔導演算モードを待機中です』


 その声は、どこか人間に近い。澄んでいて、機械的すぎず、だが抑揚には理性の硬さがあった。


「なんだこれ……」


 エドガーがたじろぎながら口を開く。


 ロブは振り返り、説明を始めた。


「これは魔導AIクォリス。元はかつての天才、不知火が設計した“魔法開発支援インターフェース”だ。だが不知火はその完成を見ることなく亡くなった。その後、彼の子、そして孫が細々と研究を受け継ぎ……最終的に俺が引き継いで完成させた」


 リリアが目を見開いた。


「前に話してくれたやつですか?」


「そうだ。不知火の情熱は死ななかった。データの大半は失われていたが、残された記録と試作デバイス、それに彼の息子たちが綴った研究日誌をもとに、俺が魔導演算と人格制御の両面から再構築した。それが、今ここにいる《クォリス》だ」


 光の輪郭がわずかに脈打つように揺れ、クォリスが応えた。


『ロブ様の協力により、人格補完アルゴリズムと構文解析機構の融合に成功。現在、魔法解析、生成、応用展開における実用域に到達しています。以降の進化は、使用者の思考と経験に基づいて自己学習中です』


 セラフィナが一歩前に出る。


「魔法の解析まで……なさるのですか?」


『はい。たとえば先日、ロブ様が紅竜団との戦闘中に使用された炎系高密度魔法——影焰業火シャドウフレア。あれは本来、詠唱と詠唱補助式が必要な術式ですが——』


 クォリスは言葉を切り、どこか誇らしげに続けた。


『敵性エネルギー反応を即座に解析し、構文の自動補完を行い、ロブ様の脳波に“イメージ”として送信。結果、ロブ様は無詠唱にて術式を完全発動することができました』


「あれは、クォリスさんの支援で?」


『クォリスで結構ですよ、リリア様。はい。詠唱は不要です。ただし、正確なイメージが不可欠です。私の役割は、そのイメージを“最短で再現する魔法構文”へと翻訳することにあります』


 フィリアが思わず唸った。


「……そりゃずるいっていうか、反則だわ……」


「それだけじゃないぞ」


 ロブが言った。


「紅竜団との戦いで毒を受けた時、俺の体内でナノマシンが正常に機能しなかった。だがクォリスが毒素の分子構造を解析して、即座に調律プランを提示してくれた。……あれがなければ、もっと時間がかかっていた」


 静まり返る教室の中で、クォリスの声が、どこか穏やかに響く。


『私はロブ様の“補助装置”ではなく、“相棒”として存在しています。魔法を補い、命を守り、思考を支える。——それが、私の存在意義です』


 リリアは息を呑み、その光を見つめた。


 機械のはずなのに、なぜだか——とても優しい存在のように思えた。


 ロブは弟子たちを見渡し、ゆっくりと口を開いた。


「これからは、このクォリスが——お前たちの修行の補助を担うことになる」


 言葉に、全員の視線がクォリスに集まる。


「魔法の構文解析、訓練記録、適性診断、精神集中のガイド、時には危険な術式の暴走抑制……多くの場面でお前たちを支えてくれるはずだ。今日からは“もう一人の師匠”だと思って話を聞け」


 クォリスは静かに反応した。


『皆様の成長を、全力で支援いたします。どうぞ、よろしくお願いいたします』


 その言葉に、リリアが小さく一歩前に出た。


 そして、ほんのり頬を染めながら、柔らかな笑顔を浮かべる。


「……よろしくお願いします、クォリスさん」


 クォリスの光が一度、優しく瞬いたように見えた。


『——はい、リリア様。こちらこそ、よろしくお願いいたします』


 こうして、魔導AIクォリスが正式に弟子たちの一員として加わった。


 人と知性体が共に歩む、未来の魔法修行が——ここから始まる。





夜。


 弟子たちの寝息が家の奥から微かに聞こえてくる。


 ロブはそっと玄関を抜け、軒先の柱をよじ登って、屋根の上に腰を下ろした。涼しい風が吹き抜ける。草の香りと、ほんのわずかな潮の気配。


 空には満天の星。


 黒い宇宙のキャンバスに、無数の光が点描のようにまたたいていた。


「……静かだな」


 ロブが呟くと、その声に応えるように、頭の奥にやわらかな音色が響く。


『お疲れ様です、ロブ様。体内データ、異常はありません。脳波も安定しています』


 クォリスの声だった。


 彼女の声は、昼間よりもどこか落ち着いていて、寄り添うような優しさを含んでいた。


「……全員、そろったな」


 ロブはゆっくりと目を細め、星空を見上げる。


「リリア、セラフィナ、エドガー、カイ、そして……フィリア。特にフィリアは予想外だった」


『現在の構成は、想定プランC-04群に類似しています。ただし、精神的な結びつきの強度は想定を上回っています』


「……なら、上出来だ」


 屋根の上で風が鳴る。


 ロブは視線を星から外さず、ぽつりと呟いた。


「さて……俺の命も、あと3年か」


 その声に、クォリスは返さなかった。


 ただその演算光が、一瞬だけ静かに脈打った。


 ロブは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「……それでもいい。俺がいなくなっても、あいつらがいれば未来は繋がる」


 クォリスは、何も言わなかった。ただ、彼の沈黙をそっと包むように、静かに寄り添っていた。


 ロブは最後に、星空の一点を見つめた。


 まるで、どこか遠くにいる誰かへ語りかけるように。


「——それまでに、間に合わせてみせる」


 夜の風が、ひときわ強く吹き抜けた。






【リリアの妄想ノート】


 転生って、ただの運命とか偶然じゃないんだ……

 記憶って、光の粒に宿ってるなんて……量子ってすごすぎる……


 そして、まさかのAI登場! その名もクォリスさん!

 話しかけられた瞬間、びっくりしすぎて変な声出そうになったけど、

 ロブさんの魔法を支えてたなんて、本当にすごい人(?)だったんだ……


 ……ううん、クォリスさんも“師匠”なんだよね。

 ちゃんと、私たちの成長を見守ってくれる……そう思うと、ちょっと安心する。


 よーし、がんばるぞ、私!


【あとがき】


今回の第60話では、「転生」の理屈と、「魔導AIクォリス」の登場という二つの重要な要素を描きました。


量子力学的な視点から転生を論理的に説明し、魂の再構築や記憶の保存を“フォトン”というキーワードで表現することで、ファンタジーでありながらもSF的なリアリティを加えています。


そしてクォリス。

本作の根幹にかかわる存在であり、これから弟子たちの成長や物語の真実に深く関わっていく予定です。

「AIなのに、どこか優しい」そんな印象を読者の皆さんにも感じてもらえたら嬉しいです。


いよいよ修行も新段階へ。

次回からは、クォリスを活用した実践的な訓練がスタートします!


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