第52話 海老男の華麗なジョブチェンジ。天敵と魔法AIを語る
2065年。アメリカ・カリフォルニア州。
太陽がギラつく昼下がり、ヘリオス本社の研究棟に設けられた最上階ラボは、今日も人工光に照らされていた。
その中央で、白衣をまとった男が顕微鏡を覗き込み、操作用のホログラムを操作している。
黒い長髪を無造作に後ろで束ねた背筋は伸び、手際は滑らか。
淡々と仕事をこなすその姿には、20歳そこそこの若々しさがあった。
「――海老沢主任!」
背後から日本語が飛んできた。振り返ると、白衣姿の若い男が息を切らしながら駆けてくる。
海老沢修一――通称「ロブ」
ロブスターの遺伝子を持つ男は今、世界最高峰のバイオテック企業ヘリオス社において、主任研究員という立場にあった。
「ああ、斎藤君か。どうした?」
彼はヘリオス本社に抜擢された期待の新人。だが、実際の業務は“あの人の子守役”だ。
「どうした?」
「不知火所長が……また研究室に籠もって出てきません。ロックもかかってて……」
「またか」
修一は小さく息をついた。
あの偏屈な天才は、昔からこうだ。
「えっと、所長が誰も入れるなって言ってたらしくて……主任、入れますか?」
「まあね。あの部屋のロックナンバー、知ってるのは俺だけだから」
それを聞いて、新人は目を見開いた。
「え、マジですか……? なんでまた……?」
「不知火は、ロックコード忘れるからな。スマホに入れてあるけど、研究室に入る時は外に放り投げてるから、用事がある時は俺が開けなきゃならないのさ」
「セキュリティの意味ないですね………」
「君にも教えてやろうか?」
「いや、駄目でしょそれは。それに………」
「それに?」
「番号を知ったら、僕が所長を引っ張り出さなきゃ行けないじゃないですか。説得するのも大変なのに」
口を尖らせる斎藤に、修一は苦笑する。
確かにあの男は素直に人の言うことを聞く奴ではない。
「わかった。後は俺がやるから、君は自分の仕事に戻りな」
「ありがとうございます!」
斎藤の顔がぱっと輝く。
現金なものだとまた苦笑した。
「所長、まさか、また“反倫理的テーマ”をやってるんじゃないでしょうね……」
「どっちにしろ、あの人の暴走は俺が止めないとダメだって、みんな分かってるんだろ?」
肩をすくめながら歩き出す修一に、斎藤が尋ねる。
「あの……失礼ですけど海老沢さんって、元は日本のサラリーマンだったんですよね。その経歴でなんでアメリカ本社で主任まで……?僕なんか何年してやっても無理そうで……」
修一はふと立ち止まり、首をかしげるように振り返った。
彼を見る斎藤の目は軽視するものではなく、尊敬の眼差しだった。
それに答えるように修一はふっと笑う。
「皮が剥けるほど努力したから、かな?」
冗談めかして笑ったその姿に、斎藤は反応に困ったような苦笑いを返す。
修一がロブスターの遺伝子を注入されたことで不老になったことは知っている。
実際、彼はヘリオス社に入社したのは名目上は研究員だったが、ロブスター遺伝子の被験モニターであるためにその経過を直で観察するためだった。
だから、最初は彼に研究職としての技術も知識も求められていなかった。
それを、彼は不断の努力で知識を身につけ、語学も学び、今では様々な言語が飛び交うこのラボで、不自由なく仕事に勤しんでいた。
そして、その彼にロブスター遺伝子を注入したのが、当時一般研究員だった不知火である。
そして、研究棟の一角――不知火の研究室が見えてきた。
【AUTHORIZED PERSONNEL ONLY】
扉は堅牢な金属製で、認証ランプは赤のままだった。
セキュリティは最上級。だが――
修一は迷いなく、パネルに手をかざす。
その指が、端末に数字を打ち込む。
ピピッ――音とともにロックが解除される。
「ホントにセキュリティの意味よ」
修一は独り言を呟きながらドアを開ける。
開いたドアの向こうから、ぼんやりと白い照明と、不気味な静寂が漏れ出していた。
「さて――また変なもん作ってないといいんだけどな」
修一は、ため息をひとつついて、研究室の中へと足を踏み入れた。
ドアが開くと、薄暗い室内に青白いホログラムの光がちらついていた。
整然とした他の研究室とは異なり、この部屋はまるで魔術師の書斎のようだった。
床には配線が這い、壁際には旧式のモニターと最新式の量子演算ユニットが同居している。
空調の低い唸りと、何台ものマシンが吐き出す熱気が、微かな汗のにおいと薬品臭に混ざって漂っていた。
その中心に、不知火がいた。
ぼさついた髪、無精ひげ、着古した白衣。
スクリーンに浮かぶ無数の魔法陣の投影を見つめながら、彼は何かをぶつぶつと呟いていた。
「……また“召喚魔法”のシミュレートか?今度は何を作ろうとしてるんだ?」
修一が問いかけると、不知火はぎらりと目を輝かせた。
久しぶりに栄養のある言葉が聞こえた、という顔だ。
「――魔法を作るAIですよ」
嬉々とした口調で、不知火は椅子をきしませながら立ち上がる。
身振り手振りを交えて、早口で続けた。
「実体を持たず、ユーザーと脳波で直接リンクする。大規模言語モデルをベースに、魔法演算を最適化する……言うなれば、魔法開発に特化した対話型知性体です。
目的はただひとつ――人類の脳とナノマシンの間に、真のインターフェースを築くこと。」
彼はスクリーンに映った魔法構文のログを指差し、まるで自分の子供のように目を細めた。
「理想的じゃないですか?魔法を共に考え、提案し、補完してくれる……そんな“魔法の相棒”が、脳内に常駐するんです」
修一は眉をひそめながら、床に放置されたプロトタイプの端末を見下ろした。
「……また倫理委員会に怒られますよ」
「だからこそ、ここでこっそり作ってるんです。研究チームなんて立ち上げたら夢も研究も息が詰まる」
不知火の目には、狂気と天才の光が同時に宿っていた。
「名前はもう決めてるんです」
不知火は指を弾き、空中に新たなホログラムを展開した。
そこに浮かび上がった文字列は、まるで魔導書の一節のようだった。
《Quolis》――Quantum Logic Interface System
「クォリス。量子論理を基盤にした魔法構文生成インターフェース。
使用者の思考パターンをリアルタイムで解析し、最適な魔法式を提案する。
演算も、詠唱補助も、術式調整も、すべて“脳波で会話する”だけで完了する……!」
不知火はすっかり興奮していた。
長年の夢をようやく現実にできるという、開発者特有の陶酔がそのまま声になっていた。
だが、修一はホログラムを一瞥すると、無感動に言った。
「――で、その“脳波で会話するAI”が暴走して、使用者の脳内を魔力で焼き尽くしたら誰が責任取るんだ?」
「しませんよ、そんなこと。……たぶん」
「その“たぶん”が一番怖いんだよ」
修一は頭をかきながら、そっとモニターの裏に隠れていたカップラーメンの山を見つけてため息をつく。
「ついでに言えば、“脳波で会話するAI”って……どうせまた、人格つけたがってるんだろう?」
「当然じゃないですか。無味乾燥なシステムじゃ、誰も魔法を託したくならない。
多少ツンデレでも、忠実でも、ユーザーに寄り添う“人格”がないと、感情共鳴が起きないんですよ」
「……あのな」
「……あ、“でも”とか“けど”とか言ったら負けですよ?これはもう半分動いてますからね」
そう言って、不知火はクォリスの起動コマンドを入力する。
次の瞬間、空間に淡い青白い光が灯り、仮想人格らしき存在が形を成し始めた――。
不知火が起動コマンドを入力すると、空間に淡い光が灯った。
空中に浮かぶ幾何学的な魔法陣と、粒子が集束したような球状の輝き。
やがて、光は人の輪郭を模したシルエットとなり、音声が浮かび上がる。
「……起動確認。データリンク安定。ユーザー認証完了……」
声は女性のようで、だが機械的すぎず、妙に知性を感じさせた。
まるで、耳元で語りかけられているような距離感だった。
「こんにちは、不知火博士。システム名クォリス。現在、32,516件の魔法構文データを保持。
ユーザーの脳波パターンと同期中です。何をお手伝いしましょうか?」
修一が眉を上げる。
「……思ったより、ちゃんと喋るな。人間っぽいというか、丁寧すぎるぐらいで」
「でしょ?音声感情処理と人格補完アルゴリズムを試作レベルで導入してみたんです。
この子は“人間を補助すること”を生まれながらに組み込まれている。だから拒絶反応も少ないはず」
満足げに語る不知火とは対照的に、クォリスはどこか困ったように呟いた。
「……ただし、現在は魔法構文の提案精度に課題があります。構文の意味論的整合性、およびナノマシンへの転写精度において、誤差率が許容範囲を超過しています。
加えて、生成された魔法式の安全性確認プロセスが未実装です。演算処理の最適化にも数十年単位の改善が必要と推定されます」
「要するに、おしゃべりはできるけど、魔法は作れないってことか」
修一が皮肉を込めて言うと、不知火はあっさり認めた。
「ええ、現時点ではそうですね。構文の生成自体はできても、私が望む魔法には遠く及ばない。
ナノマシンの可視化プロセスも、まだ完全ではないし、クォリス側の理解力にも限界がある。
完成まで、少なくとも……あと50年はかかります」
「そんな悠長な話、今どきの投資家ならブチ切れるぞ」
「だから言ってないんですよ、上には」
不知火は肩をすくめ、ホログラムのクォリスを見やった。
彼女――いや、“それ”は、静かに修一の方を向いていた。
「あなたは、私の開発に反対ですか?」
クォリスの問いかけに、修一は少し考えてから答える。
「反対はしない。でも……怖いと思ってる」
「理解しました。恐れは、進化の抑制と同時に、防衛の証でもあります。今後、あなたの信頼を得られるよう、努力を続けます」
「……健気なやつだな」
クォリスは一礼するように姿勢を傾け、音もなく光の粒となって消えていった。
「……まったく、“魔法AI”か………競合他社が涎を垂らすような発明を個人でやろうなんてな」
修一は頭をかきながら、静かにため息をついた。
不知火は再び椅子に腰を下ろし、端末に何かを入力しながら言った。
「でも、私は信じてるんですよ。この子が完成すれば、“魔法は言語”になる。
誰もが、自分の言葉で魔法を操れる時代が来る」
「……あんたの野望は、いつまで経っても尽きないな」
「夢の途中ですよ、主任。……いや、“ロブ”さん」
その呼び方に、修一は苦笑を浮かべた。
「あんたにそう呼ばれるとくすぐったいな」
「努力の象徴でしょう。あなたの。本社に来た時、誰もがあなたを奇異の眼で見ていた。誰も、あなたを研究者と認めていなかった。それをあなたは実力で黙らせた」
「年を取らないもんでね。いつまでも20歳の身体なもんで、徹夜もへっちゃらなんだよ。おかげでいつまでも仕事に没頭できた」
「羨ましいことです」
言葉とは裏腹に不知火の顔は僅かに悲しそうだった。
アメリカに来てから同僚たちは修一のことを下の名前では呼ばなかった。
海老沢修一という名前は外国人からは呼びにくいらしく、誰かがロブスターと呼ぶようになった。
しかし、修一が打ち出した実績は周囲を黙らせ、やがて信頼をえるようになり″ロブ″と親しみを込めて呼ばれるようになった。
修一にとって、海老男、ロブ、と呼ばれることは今では誇りだった。
不知火がホログラムに再び手を伸ばそうとしたそのとき、修一が口を開いた。
「……そろそろ本題に入りたいんだがな。不知火、ヴィクターがあんたに会いたいそうだ」
指が止まる。
研究者の眼差しに、わずかな陰が差した。
「……ヴィクターが?」
「ああ。今朝、秘書から直接連絡があってな。彼の容態は思わしくないらしい。末期の肺疾患で……もう、長くはないそうだ」
不知火は無言のまま、机の端に置かれたマグカップを手に取り、ひと口だけすする。
中身は冷めきっているらしく、彼は顔をしかめた。
「CEOを退いたとは聞いてたが……あの男が“死に際に人を呼ぶ”とはね。らしくもない」
「らしくないからこそ、じゃないか」
修一は壁にもたれながら、真っ直ぐに言った。
「ヴィクターは、自分の代で“魔法という技術”をきちんと管理しきれなかったことを悔いてるんだよ。
今、ヘリオスの新しい経営陣は、ナノマシンによる魔法制限を撤廃しようとしてる。
魔法を誰でも、いつでも、どんな目的でも自由に使えるようにする。それが“進歩”だと信じてる」
「愚か者どもが……」
不知火の声が低く、硬くなった。
彼は椅子から立ち上がり、スリープ状態になった端末を力強く叩いて再起動する。
「魔法は“力”だ。しかも、あまりにも簡単に使えてしまう力だ。だからこそ、使い方を間違えれば、秩序なんてすぐに崩壊する」
「ヴィクターも、そう言っていた。彼が制限をかけたのは、人を縛るためじゃない。“この世界を壊さないため”だ」
静かに息を吐き、不知火はモニターのログを一瞥する。
その目には、かつての尊敬が、そしてほんの少しの苛立ちが宿っていた。
「私に、何を求めてるんだ。今さら会って、泣いて謝ってくれとでも?」
「違うよ。不知火さんと俺に、この研究を、守ってほしいと言ってる。
――それがヴィクターの、最後の願いだ」
しばしの沈黙が落ちる。
研究室の奥では、ホログラムの魔法陣が音もなく回転していた。
やがて、不知火はひとつ、苦笑をこぼした。
「……面倒な遺言だな。ったく、人の人生に、最後の最後まで口を出してくる」
「あんたも同じだろ。不知火さん。“魔法を人類の技術として根付かせる”っていう、あんたの理想と、ヴィクターの信念は――たぶん、そう遠くない」
その言葉に、不知火は何も返さなかった。
ただ一度、窓の外を見つめる。青く広がる空の彼方――そこに、答えはまだない。
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【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回はロブこと修一の20年後、そしてついに登場した魔法構文AIの話でした。
実体を持たず、脳波で会話できる“魔法の相棒”……まだ未完成ですが、彼女が今後どう物語に関わってくるのか、楽しみにしていただけると嬉しいです。
不知火所長の狂気と理想、そしてヴィクターの遺言。これから物語は“魔法を巡る思想の衝突”へと進んでいきます。
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次回もどうぞよろしくお願いします!




