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第51話 世界を壊す魔法、そして海老男の誕生

 その日―――。

 世界は新たな時代へと突入しようとしていた。


 国際未来技術フォーラムの大ホール。  

 世界中のメディアが集まり、会場は熱気に包まれていた。


 壇上に立つのは、一人の男。  

 ヴィクター・H・オズワルド。


 世界最大のバイオテクノロジー企業「ヘリオス・グループ」のCEOにして、「人類の未来を作る男」と称されるカリスマ。

 彼の背後のスクリーンには、金色に輝く微細な粒子の映像が映し出されていた。

 それが渦を巻き、時に生き物のように流動し、次々と形を変えていく。

 画面の中央に、白い文字が浮かび上がる。


 『H-01:ヘリオス・ナノマシン』


 ヴィクターは壇上でゆっくりと観衆を見渡した。


「皆さん……我々は今、歴史の分岐点に立っています」


 低く響く声が、会場全体に静寂をもたらす。


「人類は、火を手にし、農耕を始め、文明を築きました。石を削り、槍を作り、狩りを覚え、集落を作りました。やがて、青銅を鍛え、鉄を打ち、大地を耕し、国を築くことで、歴史を紡いできました。

産業革命により蒸気機関を発明し、世界は加速度的に発展しました。電気を生み出し、内燃機関を動かし、空を飛び、遂に月へ降り立つことにも成功しました。

コンピューターを発明し、インターネットで知識を共有し、AIを生み出すことで、人類は「知性の進化」を加速させました」


朗々と淀みなくスピーチを続けるその様は名俳優のように観る人を惹きつけている。


「そして今、ついに――」


 一度言葉を切り、力を込めて呟く。


「人類は、『魔法』を手にする時が来たのです」


 彼はゆっくりと手をかざす。


 すると、彼の指先に、突如として小さな火の玉が灯った。


 それはまるで命を宿したように、静かに宙を漂い始める。  

 炎は観衆の頭上をゆっくりと滑空し、誰にも触れることなく、空中を漂い続ける。

 会場全体が、一瞬の静寂に包まれた。

 その沈黙を破るように、誰かの息を呑む音が響く。


「……これは、トリックではありません」


 ヴィクターの声は落ち着いていた。


「そんなことをすれば、私はここにいる皆さんに石を投げられてしまう」


 彼の軽いユーモアに、観客の一部から笑い声が漏れる。

 しかし、それでも誰一人として目を離さなかった。

 ――これは何なのか?

 彼が、どんな手品を使ったのか?

 答えは、すぐに示される。

 ヴィクターは静かに右手を握り、開く。

 すると、炎はまるで意志を持ったかのように、彼の手のひらへと戻っていく。

 そして――次の瞬間、消えた。


「これは……科学です」


 スクリーンが切り替わる。

 映し出されたのは、DNAの螺旋構造に、光り輝く粒子の渦が巻き付く映像。  

 それはまるで、人間の進化そのものを象徴するように、力強く回転していた。


「このナノマシン、『H-01』 は、人類史上最大の発明です」


 力強い言葉が響く。


「皆さんの体内にこれを注入するだけで、魔法が使えるようになります。 火を生み、水を操り、風を呼び、大地を動かす……それは、神々が持つ力だと信じられてきました」


 会場の誰もが、食い入るようにスクリーンを見つめていた。


「しかし、今からは違います。これは、"あなた" が手にできる力なのです」


 観衆の間から、ざわめきが広がる。


「もう、特別な才能は必要ありません。生まれながらの差など、過去の話です」


 ヴィクターは腕を広げ、まるで新たな世界の扉を開くかのように、静かに天を仰ぐ。


「人類は、ついに "誰もが超越者になれる時代" を迎えたのです!」


 スクリーンの映像が切り替わる。

 そこに映し出されたのは――魔法を操る人々の姿。

 サラリーマンがオフィスで浮遊しながら仕事をする光景。  

 農民が魔法で作物を成長させるシーン。  

 救急隊員が負傷者を治療する様子。

 映画やアニメでしか見たことのない光景が、現実のものとなった。


「すべての人に力を、すべての人に魔法を」


 画面に釘付けになっていた人々の意識をヴィクターの声が引き戻す。


「さて、わが社ではこのナノマシンを『H-01』と呼んでいますが、もう一つの名称を用意しています。皆さんには是非こう呼んでいただきたい。MANA(Multi-purpose Autonomous Nano-Assembler)と。さあ、新たな人類の未来を迎えよう!」


 観客席から、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。  

 しかし、彼は言わなかった。


 このナノマシンが、遺伝子組み換え技術と組み合わせることで、支配者層の完全なコントロール下に置かれることを。


 そして、彼自身も知らなかった。

 この技術が、最終的に世界を滅ぼすことを。

 

――人類が“神の力”に手を伸ばしたその時、静かに、確実に、別の歯車も動き出していた。


 とある小さな研究施設で、ひとりの青年が絶叫していた。


「なんで俺がロブスターなんだよおおおおおおお!!」


 海老沢修一、二十歳。

 暇を持て余して応募した遺伝子強化モニターで、まさかの甲殻類の遺伝子を組み込まれてしまった男だ。


 白衣の研究者は、どこまでも無表情に言い放つ。


「おめでとうございます。あなたはロブスターの遺伝子適応に成功しました」


「おめでたくねぇよ!!」


 机を叩きながら叫ぶ修一。


「おまかせ欄にチェックを入れたあなたが悪いのです」

「普通さぁ! 犬とか猫とか選ぶだろ! なんでロブスターなんだよ!!」


 研究者は平然と言い放った。


「誰も選びませんから、データ収集にはうってつけです」

「うわあああああああ!!」


 天を仰いで絶叫する修一。





ーーーそして数ヶ月後。


 ヴウゥゥゥゥゥ……


 机の上で震えるスマホを指先で拾い上げ、通話を繋ぐ。


「もしもし。どうしました?」


『……始まったっぽい』


 くぐもった声。雑音越しに、かすかな息苦しさが混じる。


「症状を教えてください」


『背中が熱い。皮膚の下で何かがうごめいてる感じ。……さっき、ミシって音がした』


 研究者は即座に判断した。


「脱皮ですね」


『やっぱりな。……で、これ、どのくらいで終わる?』


 以前のような荒々しさはなかった。  落ち着いたトーン。それが逆に不気味でもあり――少しだけ、懐かしさすら感じた。


「個体差はありますが、数日から一週間程度でしょう。無理に剥がそうとせず、できるだけ安静に」


『ああ、わかった』


 一拍。


『……ありがとう』


 静かな感謝の言葉に、研究者の手が止まる。


「……随分と落ち着いていますね。あの爆発事故の後、姿を見なかったので安心しましたよ」


 返ってきたのは、短い――でも妙に重たい一言だった。


『……色々あった。だから、多少のことじゃ驚かないさ』


 その言葉には、変わった男の“重み”があった。


 以前の修一なら、絶叫混じりで喚き散らしていたはずだ。

 

 だが今の彼は、違った。


 通話の向こうで、修一がふっと息を吐く音が聞こえる。


『……たぶん、また世話になる。近いうちにな』


 それだけを残して、通話は切れた。


 短く、重たく、意味深な沈黙が残された。


 研究者はしばらくスマホを見つめたあと、肩をすくめてぽつりと呟いた。


「………興味深いですね」


 表紙には、無機質なゴシック体でこう記されている。


 【汎用型異種知性創造計画 ELF/DWAF/MAGOK/MAUG】


 かつて彼が所属していた研究機関、「カオス・バイオニクス」のロゴがラベルの隅に微かに残っている。

 その上から、太陽を模した金のエンブレム――HELIOS GROUPの印が重ねられていた。


 あの合併以降、すべてが変わった。

 理想も、倫理も、研究の方向性さえも。


「魔法を作ったら、今度はファンタジーの住人を自分たちで再現しようってわけですか……」


 ファイルを開きながら、研究者は鼻先で笑った。


「神様気取りにも程がある」


 皮肉と諦念が滲んだその呟きは、機械音だけが反響する部屋に虚しく消えた。


 ELF(Enhanced Life-form with Fusion mana)

 高い魔素親和性と長寿命、精神感応を兼ね備えた感覚特化型。いわゆるエルフ。

 ナノマシンによる神経拡張と視床下部調整により、極めて精密な魔法制御能力を持つ。


 DWAF(Dense Worker-type Armored Frame)

 肉体強化型労働種。ドワーフと呼ばれる種族の祖となる。

 骨密度・筋出力を高め、極限環境での作業と戦闘にも適応可能。特に加工精度に優れる。


 MAGOK(Magical Genome Overclocked Kind)

 戦術的知能と感情制御を備えた「魔族」系設計。

 社会形成が可能な集団行動型で、魔力発生能力に優れ、リーダー資質を持つ個体が多い。


 MAUG(Magical Autonomous Unleashed Generator)

 純戦闘用に特化した“魔物”系列。破壊衝動をプログラムされた高出力型ナノマシン制御個体。

 自己修復、自己増殖性を有し、制御が極めて困難であった。


「“神話の再現”だなんて、言葉にすれば聞こえはいいが……要するに、都合のいい手駒を作りたかっただけだ」


 指先がファイルをなぞる。


 人々の空想で生み出された種族は今や、現実に顕現し、異種族として共存し。争い、時には人間を超える知性をもつことになるだろう。


 だが、それらはどれも――人の手で創られた、科学の産物に過ぎない。


「こんな世界になって、後悔しなければいいんですが………」


 虚空に語りかけるような声だった。


 それでも研究者の表情は変わらない。


 まるで、全てを諦めた者のように。


「人類は、創ることをやめられないんです。たとえ、それがどんな地獄に繋がっていようとも――」





 数日間、地獄のような苦痛と不快感に苛まれた。


 皮膚の奥がかゆみとも痛みともつかぬ感覚に満たされ、筋肉は引き攣り、骨がきしむ音すら聞こえる気がした。


 高熱に浮かされながら、彼はただ布団の上で呻き続けていた。


 そして――その瞬間は、唐突に訪れた。


 パキッ……ミシ……ッ


 身体のどこかが裂ける音。


 それは確かに、自分の内側から響いていた。


「っ……ぐあ……!」


 背中を中心に、皮膚が縦に割れた。


 赤黒く滲む体液。粘つく液体が身体を包み、視界が歪む。


 意識を保てなくなるほどの激痛と呼吸困難。


 皮膚だけではない。内臓も、器官も、骨格さえ――彼の身体は、一度“死”を通り越した。


 何度か気絶しかけながら、彼は、文字通り這いずって、自らの殻を脱ぎ捨てた。


 苦痛と戦いながら、一切の支援もなく、誰の手も借りず、ただひとり。


 まるで人間という生物の境界線を超える儀式のようだった。


 丸一日がかりで、ようやく吐き出したのは、自らの胃から喉を通ってきた――


 透明で、しかし確かに“内臓の抜け殻”だった。


 床には、自分の皮膚、組織、臓器の残骸が横たわっていた。


 抜け落ちた自分の一部。


 それは、美しさも、神秘も、何ひとつない、ただの“脱ぎ捨てられた命のカタチ”だった。


 震える指先で、自分の新しい肌に触れる。

 柔らかく、しなやかで、どこか異質。


 彼は、かすれた声で呟いた。


「……俺、本当に海老男になったんだな……」


 その瞬間。


 背筋を伝うのは、生き延びた安堵ではなかった。


 言葉では説明できない“断絶”が、内側に生まれていた。


 肌に触れる空気は異物に変わり、音は自分を取り囲む別世界の雑音になった。

 もはや、人間という言葉が、自分を指しているとは思えなかった。


 彼は、生きていた。

 だが――それは、人としての延長線ではなかった。


 この日、彼の人生は終わりを告げ、もうひとつの“存在”として歩み始めた。

 それが、やがて伝説となる《海老男》の、最初の一歩だった。


「また会えるよな………」


 ここにはいない誰かに言葉を投げかける。


「それまで、俺は死なない」


 思い出すのは紅い髪、青い瞳の少女


「待ってるぞ。リリア」


 その呟きは確かな意志を持って静かに響いた。




 同じ頃。

 世界では、ナノマシンによって生まれた“進化”の果実が、静かに芽吹き始めていた。


 人工的に設計された種族――エルフ、ドワーフ、魔族、そして魔物。

 神話に語られる存在が、現実として地に足をつけて生きはじめる。


 科学と魔法の境界が曖昧になり、

 幻想と現実が交わる時代が、ゆっくりと世界を包み込んでいく。


 それは、祝福の鐘か。

 それとも、滅びの予兆か。


 ――誰もまだ、答えを知らない。


 ただ一つ確かなのは。


 この日から、世界は、

 ゆっくりと、静かに、破滅へと歩み始めたのだ。


 

【50エピソード記念キャンペーン開催中!】


ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます!


今回、連載50エピソード達成を記念して、

「ブクマ+5」または「新規感想3件」を目標に、

読者参加型キャンペーンを実施しています!


目標を達成した際には、

特別版【リリア妄想ノート・ロングバージョン】を番外編として公開予定!


もしこの物語を応援していただけたら、

ブクマや感想で力を貸していただけると、とても嬉しいです!


リリアたちの物語は、ここからさらに加速していきます!


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【あとがき】


 ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


 ついに第三章に突入しました。今回は「魔法の誕生」と「ロブ=修一が海老男になる瞬間」という、世界観の根幹を語る超重要エピソードでした。


 ……いやあ、書いてて思いましたけど、「脱皮」ってえげつないですね。人間じゃない何かに変わっていく感覚って、ホラーにも神話にもなり得る素材なんだと、改めて実感しました。執筆中、ずっと自分の背中がかゆかったです……(笑)


 そして今回は、物語の表と裏――ヴィクターと修一ロブの視点を並べることで、「技術の栄光と破滅」「神になろうとする人間の傲慢さ」を浮き彫りにしてみました。


 でもこれは、まだ“始まり”にすぎません。


 この先、エルフや魔族、魔物たちが「どんな歴史を歩み、なぜリリアたちの時代に伝説として残ったのか」――その全貌が、これから描かれていきます。


 次回、「世界が静かに崩れていく様」をお楽しみに!


 感想・ブクマいただけると励みになります!

 どうか応援よろしくお願いします!


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