第49話 カイの追憶〜転生したらハードモードだった件〜
その少年はの名は崎谷海人と言う。
どこにでもいる普通の高校生だった。
……いや、正確に言えば、「地味で、存在感がない」高校生だった。
人と話すのが苦手で、特に女子と目が合うとすぐ顔が真っ赤になってしまう。
クラスでは誰とも深く関わらず、昼休みも一人で弁当を食べて、静かに本を読んで過ごしていた。
陰キャ。
コミュ障。
対女赤面症。
それらすべてが、彼を言い表すのにふさわしかった。
――けれど、本人はそれでよかったのだ。
誰ともぶつからず、波風を立てず、静かに日々をやり過ごす。
それが、海人なりの生き方だった。
その日も、変わらぬ平凡な放課後だった。
曇り空の下、イヤホンで音楽を聴きながら、海人はぼんやりと歩いていた。
交差点の信号が青に変わる。
何も考えず、足を踏み出した――その瞬間。
耳をつんざくクラクション。
気づいた時にはもう遅かった。
トラックが、眼前に迫っていた。
避ける暇もなかった。
世界は真っ白に弾け、痛みも、恐怖も、何も感じないまま、海人の意識は闇へと沈んでいった。
――そして。
目を開けたとき、海人は、赤ん坊の姿になっていた。
温かな腕に抱かれ、柔らかな毛布に包まれ、知らない言葉が耳に届く。
だが、不思議と不安はなかった。
父と母。
この世界で新たに彼を迎えてくれた、優しい両親だった。
言葉も動きもままならない中、赤ん坊となった彼は――カイという名を与えられた。
カイは、ゆっくりと世界を理解していった。
そして、気づいた。
この世界には――魔法が存在するということに。
街角で見た、小さな火の玉。
市場で見た、水を操る術。
かつて画面越しに憧れた"魔法"が、目の前にあった。
幼い心は震えた。
使ってみたい。
この手で、光を、炎を――!
隠れて、真似をした。
小さな両手を突き出し、必死にイメージを膨らませる。
すると――
ぱちん、と音を立てて、手のひらから小さな火花が弾けた。
カイは目を見開いた。
できた。
確かに、自分の力で魔法を起こせた。
何度も何度も繰り返し、小さな火花や、かすかな風を生み出すことに成功した。
自分でも驚くほど、魔素の流れが自然に感じられた。
まるで、手足を動かすのと同じくらい当たり前の感覚だった。
カイは、夢中になった。
何度も手を動かし、小さな魔法を生み出し、
自由に操れる喜びに、胸を高鳴らせた。
――だが。
その時だった。
唐突に、身体の内側から、異様な熱がこみ上げた。
息が詰まり、心臓が激しく脈打つ。
視界がぐにゃりと歪んだ。
「カイ!? 大丈夫!?」
母の悲鳴が、すぐそばから響いた。
家の中にいた母が、異変に気づいて飛び出してきたのだ。
駆け寄るなり、カイの小さな身体をしっかりと抱きかかえる。
その腕は震えていた。
母は必死にカイの顔を覗き込み、何度も何度も名前を呼んだ。
けれどカイは、うまく声も出せず、苦しそうにあえぐばかりだった。
世界は歪み続けていた。
家に呼び寄せられた魔導師は、厳しい表情でカイの胸に手を当て、魔素の流れを探った。
そして、深々と眉をひそめた。
「……間違いない。これは、オーバーマナ・シンドロームだ」
告げられた言葉に、母が顔を青ざめさせた。
父も一歩前に踏み出し、声を荒げる。
「治す方法はないのか!? 何とかできるんだろう!?」
必死な叫びだった。
だが、魔導師は申し訳なさそうに首を振った。
「私の手には負えん。……これは、生まれつき魔力量が常軌を逸している体質だ。制御できなければ、いずれ魔素が暴走し、命を落とす」
冷たくも残酷な現実が、そこにあった。
父は食い下がる。
「じゃあ……じゃあ、魔導公会だ! 魔導公会に頼めば、何とか……!」
しかし、魔導師はため息をつき、重い声で告げた。
「……魔導公会に救いを求めるには、有力者の紹介か、莫大な寄付金が必要だ。平民の家に、それだけの金があるとは思えん」
さらに、追い打ちをかけるように続ける。
「あるいは――カイを"公会に売る"しかない」
部屋に、沈黙が落ちた。
売る。
それは、もう家族でも何でもない。
国家の所有物となり、過酷な訓練と管理の中で生きる道だ。
母が、震える声で言った。
「そんな……そんなこと、できるわけがない……!」
父も、きつく拳を握りしめた。
「俺たちは、あいつを手放さない……!」
カイは、震える両手で毛布を握りしめた。
何も言えなかった。
けれど――心の中では、固く決意していた。
誰にも頼らず、
誰にも支配されず、
自分の力で、生き延びる。
この命は、誰にも渡さない。
それから、カイは動き始めた。
町の魔法使い――老齢の、街角の教養魔法教師に弟子入りした。
簡単な基礎魔法、
魔素の巡らせ方、
詠唱の基礎。
できることは、全部学んだ。
だが――
すぐに気づいてしまった。
カイの魔素の流れは、街の教師の教える水準を、とうに超えていた。
師が教えられる限界に、あっという間に到達してしまったのだ。
カイは、さらに独学を重ねた。
本を読み、
誰にも見つからぬよう裏路地で、
小さな魔法を繰り返した。
目の前の小石を動かし、
水たまりを凍らせ、風を巻き起こす。
だが、そんな研鑽を積んでいる間も魔素の暴走は、刻一刻とカイを追い詰めていった。
体内に溜まり続ける魔素の圧力。
それを抑えるためには、定期的に"魔力の放出"が必要だった。
魔力の放出は多ければ多いほど身体へのダメージが軽減される。
そのためには隠れて魔法の鍛錬をするだけでは間に合わない。
カイは選んだ。
大量の実戦で大量の魔力を放出することを。
人通りの少ない裏路地、廃墟となった倉庫、周囲の森。
人気のない場所を巡り、密かに魔物を狩る日々を。
夜の森の奥で、
スライムを。
牙を剥く小型魔獣を。
時には、狼型の魔獣すらも。
カイはたった一人、戦い続けた。
魔素を巡らせ、魔法を練り、魔物を打ち倒し――
ただ、生きるために。
そして、無詠唱魔法も自然と身についていった。
戦いの中で、呪文を唱える余裕などなかった。
思考よりも速く、魔素を巡らせ、即座に放つ。
それが彼にとっては、呼吸と同じくらい自然な行為になっていた。
闇の中、誰にも知られずに力を育み、
命を繋ぎ続けた少年――カイ。
そして――十五歳の誕生日を迎え、ギルドに登録できる年齢になった。
冒険者になれば、得られるものがある。
魔導公会に属していなくても、
討伐任務や探索任務をこなすことで、
報酬として手に入る魔道具や魔法薬。
中には、魔素の流れを整える秘薬や、
暴走を防ぐ護符のようなアイテムも存在すると聞いた。
金さえ稼げば、手に入る。
誰かにすがる必要もない。
コネも、家柄も、関係ない。
だからカイは、冒険者になることを選んだ。
魔導公会の庇護を受けず、
誰にも売られず、
自分の力で生き抜くために。
――すべては、生きるために。
旅立ちの朝。
カイは、小さな鞄を背負い、家の前に立った。
両親が、静かに見送っていた。
母は、何度も何度もカイの荷物を確かめ、
最後には、そっと彼の髪を撫でた。
「体を冷やしちゃだめよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て……」
言葉は途中で震え、もう続かなかった。
父は、無言でカイの肩を強く叩いた。
それは、何よりも雄弁なエールだった。
カイは、唇を噛んだ。
言葉にしたら、きっと泣いてしまう。
だから、ただ、深く一礼した。
頭を下げ、拳を握り締めて。
そのまま、振り返らずに歩き出す。
ふと、背後で母のか細い声が聞こえた。
「……生きて、カイ……」
カイは振り向かなかった。
けれど、頬を伝うものを、止めることはできなかった。
剣を背負い、魔法を胸に、
少年は、静かに小さな故郷を後にした。
目指すは、王都。
冒険者たちが集う、巨大な都市。
運命の出会いも、
過酷な戦いも、
そのすべてが、まだ彼の知らない未来に待っていた。
故郷を後にしたカイは、
幾つもの街道を渡り、小さな宿場町を抜け、ついに――
王都へたどり着いた。
高く聳える城壁。
巨大な門の向こうに広がる、石造りの街並み。
行き交う人々の数も、聞こえてくる喧噪も、故郷とは比べものにならない。
カイは、圧倒されそうになりながらも、拳を握った。
(……俺は、ここに来るために、頑張ってきたんだ)
目指すは、冒険者ギルド。
王都の中央大通りを歩き、少し裏手に入った広場に、
威風堂々とした石造りの建物が建っていた。
ギルドの扉を、ぎゅっと握った手で押し開ける。
中は賑やかだった。
戦いに身を置く者たち――冒険者たちのざわめき、笑い声、喧嘩の怒声。
だが、カイはひるまなかった。
まっすぐ受付へ歩き、静かに告げる。
「冒険者登録を、お願いします」
受付嬢はカイを見下ろし、にっこりと微笑んだ。
「十五歳ですね。身分証明書はお持ちですか?」
カイは、町で発行してもらった簡易身分証を差し出す。
受付嬢が手早く確認し、頷く。
「登録に問題はありません。これから、ギルドの規約と新人研修についての説明を行いますね」
こうして、正式にカイは、冒険者になった。
数日後。
新人冒険者向けの集団研修の日。
指定された訓練場に向かうと、すでに何人もの同年代の少年少女たちが集まっていた。
緊張と期待が入り混じった空気の中、
カイは人混みの片隅で静かに待った。
その時、ぱたぱたと駆けてくる、小柄な少女の姿が視界に入った。
赤い髪に、澄んだ青い瞳。
リリア――
誇り高そうに胸を張る金髪碧眼のお嬢様――セラフィナ。
その後ろには、物静かな少年エドガー。
誰も寄せ付けない雰囲気を纏ったクールなエルフの弓使いフィリアの姿もあった。
そして臨んだ実地研修。
森の中、カイは静かに列の後方を歩いていた。
周囲の新人たちは緊張しきった顔で先輩冒険者の動きを追い、慎重に進んでいた。
カイだけが、どこか醒めた目でその光景を見つめていた。
(……この程度か)
ゲルドの弓も、ミレーヌの剣も、確かに上手い。
だが、カイは知っている。
命を賭して魔物と戦い続けた己の方が、はるかに過酷な戦場をくぐり抜けてきたことを。
(本気を出せば、俺ひとりで十分だ)
そんな慢心すら抱いていた。
しかし、それは圧倒的な現実の前に、脆くも砕かれた。
ロブ、ゼラン、セレニア。
彼らが戦場に現れた瞬間、空気が変わった。
ただ立っているだけで、場の支配権を握る異質な存在感。
剣を振れば、空間ごと斬り裂き、
弓を放てば、星雨のように敵を射抜き、
魔法を唱えれば、影すら残さず魔物を消し去る。
(これが……本物の“強さ”か)
カイは立ち尽くした。
震えたのは恐怖ではない。
――憧れだった。
(まるでRPGの主人公だ……)
前世で夢中になったゲームやアニメ、漫画。
絶望的な状況でも、仲間を守り、道を切り拓く英雄たち。
子供の頃、画面の向こうに憧れた姿が、今、現実に目の前にある。
目を逸らしたくなるほどの力の差。
けれど、目を逸らすことなんて――できなかった。
(俺も、ああなりたい)
心の奥底から、強く、熱く、願った。
その時だった。
ロブが、カイにまっすぐ視線を向け、静かに言った。
「カイ。――お前、魔素の巡りが不安定だな」
「……え?」
「《オーバーマナ・シンドローム》。魔力過剰適応障害だ」
カイは一瞬、動けなかった。
周囲の誰もが気づかない違和感を、たった一言で見抜かれた。
ロブは続ける。
「お前は魔素の巡りが異常だ。無理に高出力の魔法を使えば、いずれ身体が壊れるぞ」
鋭い指摘に、カイの心臓が跳ねた。
「なんで、それを……」
かすれた声で問う。
答えは簡単だった。
「気配でわかる。お前の魔素はずっと不安定だった。さっきの魔法を見て確信したよ」
ロブの声は淡々としていた。
責めるでも、哀れむでもない。
ただ、事実だけを告げていた。
自分ではどうにもならない膨大な魔力。
誰にも教わらず、必死に独学で制御してきた。
けれど、それはただ綱渡りを続けていただけだったのだ。
「俺の下で、魔素の制御を学べ。命を削って強くなっても、自滅するだけだ。誰も守れねぇ」
その言葉に、カイの胸の奥にあった最後のプライドが、すうっと溶けていくのを感じた。
目指したい。
あの背中を。
あの強さを。
――でも、今のままじゃ届かない。
だから。
カイは、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします、師匠」
静かな決意だった。
ロブは小さく笑い、頷いた。
「歓迎するよ、カイ。期待してる」
森を渡る風が、静かに彼らの間を通り抜けた。
カイ・アークライト――
転生した少年が新たな弟子として、本当の強さを求める道を、歩み始めたのだった。
そして、今、ロブは静かにカイに言う
「お前、前世の記憶があるな?」
その予想外の問いかけに、カイは観念して静かに頷くのだった。
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【あとがき】
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回はカイの回想編でした。 正直、軽めにまとめる予定だったのですが、彼の孤独な戦い、生きようともがく姿を書いているうちに、止まらなくなってしまいました。
両親との別れの場面では、自分でも少し胸に来るものがありました。 転生者でありながら、弱さを抱えたままそれでも必死に生きるカイ。 そんな彼がロブたちと出会い、どう成長していくのか、今後もじっくり描いていきたいと思っています。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます!
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