第45.5話 ギルドのお姉さんが、かつて海老男を狙っていた件について
ギルドホールの喧騒から少し離れたカウンター席。酒宴の最中、ふと手が空いたミーナに、リリアがそっと近づいた。
「ねえ、ミーナさん」
「はい? どうかしましたか?」
「さっき、ロブさんのこと“調べた”って言ってましたよね? ギルドの職員さんって、冒険者のことをそこまで深掘りするものなんですか?」
リリアの問いに、ミーナは一瞬で動きを止めた。
「……あ」
ミーナの頬が、ほんのり赤くなる。
「……ええ。言いましたね、そんなこと」
ミーナは軽く息をついて、少しだけ恥ずかしそうに頬を指で掻いた。
リリアにはそれが恋する乙女の顔に見えてしまった。
「えっ、じゃあ……ロブさんのこと、調べたのって……まさか……」
観念したように言う。
「はい。実は……その……昔、ロブさんのことが……好きだったんです」
「えええええええっ!?」
リリアが、ぎょっとした顔で声を張り上げた。
「そ、それって!いわゆるガチのやつじゃないですか!?ロブさんとミーナさんって、そんな関係だったんですか!?え!?え!? 初恋!?初恋ですかっ!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいリリアさん!そんな……“関係”とか言われるような間柄じゃありませんよ!?」
だが、リリアの妄想はもう止まらない。
(そういうことだったのかあああああああああああっ!!!)
──それはギルド裏手の資料室。深夜、灯りが一つだけ灯る静かな空間。
「……ロブさん。最近、ずっと無理されてるんじゃないですか?」
「いや……別に……」
「嘘。見てればわかります。わたしには、隠せませんよ……」
ぴと、と背後から密着するミーナ。
ロブの背中に当たる二つの柔らかい何か。
(やめてぇぇぇぇぇッ!ロブさん絶対巨乳好きだもん!お姉ちゃんとお母さんの胸見てデレデレしてたもん!!)
さらに妄想は続く。
──ミーナの髪がさらりと揺れ、ロブの耳元で囁く。
「……もし、頼ってくれるなら……ずっとそばにいますから……」
ロブの腕に豊かな双丘が当てられる。
(ひいいいいぃぃぃっ!!! 大人の余裕とおっぱいの重みで攻められてるぅぅぅぅ!! ロブさんの理性がぁぁぁ!!)
ぶるぶる震えるリリア。
隣のミーナは赤面しながら必死に否定していた。
「ち、ちがいますからね!? 本当に、ただちょっと憧れてただけで――っ!」
リリアは自分の胸元をそっと見下ろし、そっと拳を握った。
(私だって、あのお母さんの血を受け継いでるんだもん。いつかは大きくなってーーー)
「リリアさんっ!話聞いてますか!?」
「は!私はなにをっ!」
「目が明後日の方角見てて怖かったです」
「す、すみません。つい想像しちゃって」
「………何をですか?」
「お、思ってません!その巨乳でロブさんにあんなことやこんなことしてたなんて想像してません!」
「やめてくださいよおおおおおお!」
ヒート・アップする二人。
周囲の人間が迷惑そうに見ているのにも気付かず、二人ははあはあと肩で息をする。
息を整え、落ち着くとリリアが改めて口を開く。
「でも、好きだったって……いつ頃から?」
「それがですね……配属されて、ロブさんの戦績データを初めて見たときなんですよ」
「……データで恋に落ちるの!?」
「おかしいですか?最初は“かっこいい人だな~”くらいだったんです。でも、記録を読み込むうちに、どんどん気になっていって……」
ミーナは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「任務成功率100%、怪我人ゼロ。護衛依頼では“全員無傷”を徹底、討伐依頼では一撃で終わらせてる記録ばかりで……もう、伝説じゃないですか。しかも、誰にでも礼儀正しくて、後進の育成にも熱心で。……なんか、あれです。ギルド職員から見たら、“理想の冒険者”すぎて」
「うわあ……わかる気がしてきた。ていうかそんな実績があるんですね。ロブさん、滅多にギルドに顔出さないって言ってたのに」
「そのたまに顔を出したときの成果が凄いんですよ。今回だって紅竜団の幹部を倒し、村の人的被害ゼロって凄すぎるでしょう」
「確かに………」
リリアもしみじみと頷く。
「気づけば、会議室の黒板の隅に“ロブさん”って名前を書きそうになったこともあって……」
「ミーナさん、それ、重症ですよ!?」
「今だから言えますけど、ギルド内で“海老男ファンクラブ”っていうのもありました」
「ファンクラブ!?でも海老男!?」
「わたしもこっそりそのグループにいました。……でも、直接話しかけるなんて無理で、ずっと遠くから眺めるだけで満足してました」
そう語るミーナの顔は、まるで学生時代の恋バナを思い出すような、どこか甘酸っぱい笑みだった。
「はぁ……なんか、すっごく青春ですね」
「でしょ?」
ふっと笑うミーナに、リリアはちょっと羨ましそうに頷いた。
けれど――ミーナはふいに表情を引き締め、静かに続けた。
「でも、ある時ふと思ったんです。ロブさんって……普通の人じゃないなって」
「……どういう、意味ですか?」
リリアが首を傾げると、ミーナは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「ギルド創設期の記録、王国建国時代の冒険譚、各地の文献……ロブ、ロブスウェル・イングラッド、海老男………。アルトリア王国200年の歴史の中だけで、色んなところで彼の名前が出てくるんです」
「えっ、そんなに……」
「それなのに、ギルドでは知る人ぞ知る程度の人。金龍(S級)や白狼(A級)の影に隠れた裏の英雄……」
ミーナは、まるで秘密を打ち明けるように声を潜めた。
「知れば知るほど、“ロブさん”がどんな存在か分からなくなっていきました。記録の中ではロブさんの名前だけが記されていて、彼が何をなしたのか触れられていないんです」
リリアは息を呑む。
それは、今のロブを思い浮かべても、なんとなく納得できる話だった。
彼は自分の手柄をギルドや他の冒険者に譲ることが多かった。
昔からそうだったのなら、文献には英雄の同行者程度の扱いで書かれていたのだろう。
「最初は、もっと普通の冒険者だと思ってたんです。でも、違った。“人”じゃなくて“伝説”だった。それも正体不明の謎の男。そう気づいたとき、ようやく目が覚めました」
「……だから、諦めたんですね」
リリアの呟きに、ミーナはそっと頷いた。
「はい。伝説に恋しても、報われませんから」
彼女は穏やかに笑った。その笑顔は、少しだけ切なくて、でもすっきりしていて。
「それに、ロブさんの周りには、もう特別な絆で結ばれた人たちがいました。ゼラン様も、セレニア様も。あの人たちの間に、わたしみたいな普通の職員が割り込める隙なんて、最初からなかったんです」
「セレニアさんと……ロブさん……」
リリアは思わず考え込む。
確かに、二人の間には、他人には踏み込めないような、長い歴史を感じる空気がある。
「……ミーナさん、すごいです」
「え?」
「ちゃんと好きになって、ちゃんと調べて、ちゃんと諦めて……。それって、簡単にできることじゃないと思います」
リリアのまっすぐな言葉に、ミーナはぽかんとしたあと、照れたように笑った。
「ありがとうございます。でも、わたしなんて、まだまだですよ。今でも、ちょっとだけ……憧れてますから」
ミーナはそう言って、リリアに優しく微笑んだ。
「それより――リリアさんは?」
「え?」
「リリアさんは、ロブさんのことを……どう思ってるんですか?」
突然の問いかけに、リリアは思わず足を止めた。
頬がかぁっと熱くなる。
「ど、どうって……」
言葉に詰まりながらも、リリアは脳裏に浮かぶロブの姿を思い出す。
誰よりも強くて、誰よりも優しくて―― でも、どこか、誰よりも遠い人。
「……わかりません。だけど、ロブさんのこと……すごく、大切だなって思ってます」
ようやく絞り出したその答えに、ミーナはふわりと微笑んだ。
「そうですか」
それだけを告げて、ミーナはそれ以上何も言わなかった。
「……リリア」
不意に背後から聞こえた低い声に、リリアが肩を跳ねさせる。
振り向けば、ロブが立っていた。彼はリリアの顔を見るなり、首を軽くかしげる。
「そろそろ帰るぞ。時間だ」
「は、はいっ!」
リリアが慌てて返事をすると、その隣でミーナが微笑んだ。
「……ふふ。がんばってくださいね」
小さな声で、リリアの耳元に囁く。声は柔らかく、どこか応援するような温かさがあった。
リリアは思わず赤面し、こくりと頷いた。
ロブが不思議そうに眉を寄せる。
「……どうした?」
「なんでもないです!」
リリアはぷいと顔をそむけて、照れ隠しに笑った。
そして、こっそりとミーナに振り返り、小さく“ありがとう”と口を動かす。
ミーナもまた、同士のような微笑みでそれに応えた。
こうして、喧騒と灯りに包まれたギルドホールの夜が、また一つ過ぎていった。
【リリアの妄想ノート】
ロブさんとミーナさんが資料室で……ロブさんの背中に……ミーナさんのやわやわが……ッ!
やめてッ!ロブさんはそんな理性弱くない……でも理性って、物理で殴られたら負けるって聞いたことある……!
資料室で密着、耳元で囁く、ちょっとしっとりした空気……ダメだよロブさん!そこは「君はいい人だ」って断って、部屋を出なきゃダメだよぉぉぉ!!
でも……でも……私より先に、ミーナさんがロブさんの隣にいたんだよね……。
…………ちょっとだけ、悔しい。
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、ギルドのお姉さんことミーナさんにスポットライトを当ててみました。
普段は優しくて仕事も完璧な彼女ですが、実はロブさんへのかつての恋心が……!?という裏話回です。
リリアの暴走妄想も絶好調で、だいぶカオスでしたね。
でも彼女なりに「恋ってなに?」を真剣に考え始めた一歩かもしれません。
次回は、いよいよ“テルメリア村”への出発!前に
波乱の予感が止まりません!
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