第44話 海老男と呼ばれた男、ロブスウェル・イングラッド 〜ギルド創設者がわたしの師匠でした〜
ギルドの喧騒もようやく落ち着きを見せ始めた頃、裏庭の小さなベンチに三人の少女が腰掛けていた。
夜風はほんのりと涼しく、祝宴の熱気で火照った肌を心地よく撫でていく。
「……それにしても、ロブさんってほんとに不思議な人ですよね」
そう口火を切ったのはリリアだった。木のカップを両手で包みながら、ぼんやりと夜空を見上げる。
「不思議どころじゃありませんわよ、リリアさん」
セラフィナは勢いよくローブの袖を翻し、やや前のめりに乗り出してくる。
「魔族の放ったあの魔法を、無力化するなんて……しかも、あの時使っていた呪文、恐らく古代魔法文明時代に滅びた言語ですわよ!」
「え? 古代魔法文明って……おとぎ話の? あれって二千年前に滅びたって伝説じゃ……?」
「あれはおとぎ話ではありません。確かに二千年前にこの世界に存在した高次元の魔法を誇っていた文明なのです。魔導公会でも解読・研究がされていますが全貌は明らかになっていません。それを知っているお師匠様は魔導公会の常識の外にいる人ですわ!」
「……え、えええ……ロブさん、ますますわからない」
リリアが困惑するその横で、銀髪の少女――フィリアは腕を組み、無言で星空を睨んでいた。
「……あの人、私のママと古い付き合いだけど……。ママが幼い頃に初めて会った時から、今と変わらない姿だったって聞いたことがあるわ」
「えええ!?エルフのセレニアさんが子どもの頃って……」
リリアが思わずセラフィナを見る。
「失礼ですけど、セレニア様はおいくつなんですの……?」
セラフィナは少し胸を張って、さらりと口にした。
「325歳よ」
「「!!!」」
二人が同時に固まる。
「お師匠様って……エルフの血が流れてるんですの?」
セラフィナがゆっくりと首をかしげながら問いかけた。何百年も変わらぬ姿という謎に、種族的な秘密があるのではと疑うのは自然なことだった。
だが、それに答えたのはフィリアだった。
腕を組んだまま、星空を見上げたまま、彼女ははっきりと告げる。
「それはないわ」
その声音は、断言に近いものだった。
「私たちエルフは、同胞の匂いはすぐにわかる。他の種族の魔力の質も敏感に感じ取れる。あの男からは――人間の匂いしかしないわ」
「そうですの……ますます謎なんですけれど……」
セラフィナはため息をつき、手元の湯気の立つカップを見つめた。疑問を解決するつもりが、かえって混乱を深める結果になった。
「人間がどうやったら、三百年も生きられるんですの……?」
リリアがカップを両手で包みながら顔を上げる。
彼女の視線の先には、少し離れた場所で他の冒険者たちと軽く会話を交わすロブの姿があった。
「魔法で若返りとか……できないんですか?」
思わず口にした素朴な疑問に、セラフィナはすぐに首を横に振る。
「理論上、魔力で肉体を一時的に若返らせる術式は存在しますわ。でも、それはあくまで外見や細胞の一部を修復するだけ。寿命そのものを延ばすには至りませんの」
そう言いながら、彼女は真剣な眼差しで言葉を続けた。
「不老不死の研究は古代から存在していましたけれど、どれも完成には至らず、危険な禁術として扱われてきました。魔導公会でも、その実現は“ほぼ不可能”と見なされているのが現状ですわ」
「……じゃあ、ロブさんは……」
リリアの目がゆっくりと細くなる。セラフィナの説明は理にかなっていた。だが、それでもなお、“目の前の現実”と食い違っている。
フィリアは無言のまま、星空を見つめていたが、その瞳には微かに揺らぎが生まれていた。
三人の間に、ひやりとした風が流れる。
答えに近づこうとすればするほど、ロブという存在が、いよいよ“ただの人間”では済まされないものへと変貌していく気がして――
その時、カツカツと足音がこちらに近づいてきた。
「……お嬢様方。こんな夜更けに、ずいぶんと楽しそうですね」
声の主は、ギルドの職員ミーナだった。白の制服に黒エプロン、手には湯気の立つカップを三つ乗せた木のトレー。
「皆様、温かいお茶をどうぞ。少し冷えてまいりましたので」
「ミーナさん……ありがとうございます」
リリアが受け取りながらお礼を言うと、セラフィナとフィリアにも手渡された。
「ふふ、お話の内容……もしかして、ロブさんのことですか?」
ミーナは三人の少女の前で優しく微笑みながら、ぽつりと口を開いた。
「ロブさんて……ミステリアスなんですよね。私の母も、ギルドの職員だったんですけど――新人の頃から、海老男の名前は、一部の人の間では有名だったとか」
「ミーナさんのお母様の新人の頃から……ですの?」
セラフィナがもう慣れたという表情で首を振る。
「……もう、驚きませんわ。300年以上前から変わらない方ですもの」
ミーナは「ふふ」と、少しだけ得意げに笑って見せた。
すると、リリアが興味を抑えきれず身を乗り出す。
「えっと……ロブさんって、具体的に、どう有名だったんですか?」
ミーナは待ってましたとばかりに語り始める。
「そうですね……。私自身、ずっと気になっていたので、昔の記録を調べてみたことがあるんです。ギルドの名簿とか、設立当初の書類とか」
「名簿……?」
リリアが目をぱちぱちと瞬かせると、ミーナはゆっくりと頷く。
「……ロブさんの名前は、ギルドの創設当時から、ずっと記録にあるんです」
「創設当時って……」
セラフィナがそっと口元に手を添え、思考を巡らせる。
「確か、冒険者ギルドが創立されたのは、アルトリア王国の建国と同じ年……」
そこでリリアが小さく声をあげる。
「アルトリアは建国200年……ですよね?」
「そうよ」
フィリアが素っ気なく答えた。
「フィリアさんの話のあとだと、200年くらいじゃ驚かなくなってきましたわ」
リリアが思わず頷く。
しかし、ミーナは、そんな三人を見て、にやりと意味深に笑った。
「ふふ……確かに。けれど、ロブさんの名前がある場所は、ちょっと“特殊”なんですよ」
「特殊?」
セラフィナが小さく首を傾げ、三人が揃ってミーナを見つめる。
ミーナは、満を持したようにゆっくりと告げた。
「冒険者ギルド創立に携わった“創設メンバー”の中に――“ロブスウェル・イングラッド”という名前があるんです」
「――――――っ!?」
湯気の立つお茶の香りが、まるで止まった時間をよそにふわりと立ち昇る。
リリアは言葉を失う。
「ええと、ロブスウェル様? それがお師匠様の本名ですの?」
セラフィナが眉をひそめながらリリアに尋ねる。
リリアは少し困ったような顔をして、頷くでもなく首をかしげた。
「本名……じゃないらしいんですけど。使ってはいるみたい。貴族に授けられた名前なんだって。私のギルド登録の保証人になる時、その名前でサインしてたから、間違いないはず」
「貴族に授かった名前……それが事実なら、同姓同名の可能性は低いですわね。となると、お師匠様はギルドの創設者の一人……?」
セラフィナは顎に指を添え、思案顔で天井を仰ぐ。
「でも……どこまで関わってたかまでは分からないわ。名前だけ貸して、実際は何もしてないかもしれないし」
フィリアが小さく鼻を鳴らした。
その表情には、あきらかな敵意と不信が混じっていた。
(ロブさんとなにか……あったのかな?)
リリアは内心で首をかしげるが、問いただすには少し空気が重すぎた。
するとその時、横にいたミーナが眼鏡をクイッと押し上げ、声を潜めるように言った。
「そういうと思いまして……ロブさんが名前だけじゃない証拠があるんですよ」
自信満々の笑みを浮かべながら、ミーナはくるりと踵を返すと、三人を振り返って手招きする。
連れてこられたのは、ギルドの受付カウンターだった。すでに業務は終了しており、誰もいない。ミーナは職員専用の出入口から中へと入り、数分後に一冊の古びた冊子を手に戻ってきた。
「こちら、皆さんに配布した“冒険者ギルド教則本”の初版……その原本です。裏表紙に、制作者の名前が記されているんです」
リリアたちは思わず身を乗り出す。ミーナがそっと表紙をめくり、見せたその最後のページには――
『編纂責任者:ロブスウェル・イングラッド』
と、明記されていた。
「ろ、ロブさんがギルドの規約を……作ったの?」
リリアは目をまるくして呟く。
「あの方……そんなことまでしてらっしゃるんですの……?」
セラフィナの口からは、驚愕と脱力の混じった声が漏れる。
フィリアは……もう黙ったまま、何も言えない様子だった。
ミーナはそんな三人に満足げに頷きながら、胸を張る。
「おわかりいただけました? ロブさんの偉大さが。ロブさんがいなかったら、今のアルトリア王国の冒険者ギルドは存在しません。少なくとも、これほど高い実績と信頼を誇る組織にはならなかったでしょう」
その時、ミーナの胸が、誇らしげな仕草と共にふるりと揺れる。制服のボタンが一瞬きしんだ気がした。
リリアは思わず自分の胸に手を添え、ミーナの方をちらりと見比べる。
……何も言えなかった。
「――あの、少し、よろしいかしら?」
ミーナはにこやかに頷く。
「ええ、どうぞ。セラフィナさん」
深く一息をついたセラフィナは、言葉を慎重に選ぶように静かに続けた。
「アルトリア王国の冒険者ギルドは、初代アルトリア王が、かつての“冒険者”だった頃の経験をもとに設立したと聞いていますわ。建国直後の混乱期、治安の乱れや魔獣の出現が相次ぎ、王政だけでは手が回らなかった。そこで――王が信頼する仲間たちが中心となって、自主的な防衛と秩序の維持を目的とした組織を立ち上げたのです」
そこで一度、言葉を切って、彼女はリリアの方を見た。
「つまり、ギルドの創立は“国家事業”というより、国家の骨格を支える“自治基盤”として整備されたと言っても過言ではありませんわ。そして、その設立に“ロブスウェル・イングラッド”の名があるなら……お師匠様は……」
セラフィナの声は震えていた。
「この国を……作った一人……?」
ぽつりとリリアが続けたその言葉は、まるで現実味がなかった。
――ロブはすごい人だ。
それは、出会った時から感じていたことだった。誰よりも強くて、何でも知っていて、そして何より優しい。
けれどそれは、“すごい冒険者”の範疇でしかなかった。
しかし今、目の前に突きつけられているのは、その遥か上の――“歴史に名を刻む人物”としてのロブの姿だった。
頭が、ぐらりと揺れるような感覚。
「……そんなの、聞いてない……です……」
リリアは思わず頭を抱えそうになりながら、半ば本気でパニックに陥っていた。
すぐ隣では、セラフィナも難しい顔をしたまま固まっている。
ミーナはそんなふたりの様子を見て、少し申し訳なさそうに笑った。
「すみません、急に話しすぎましたね。でも……知っておいても損はないかと思いまして」
その言葉の優しさが、リリアの頭にほんの少し冷静さを取り戻させた。
――ロブさんって、いったい何者なの?
その問いは、もはや心の中だけに留めておくには、大きすぎるものになりつつあった。
カップの中で冷めていくお茶の香りを感じながら、リリアは小さく息を吐いた。
ふと、視線を感じる。
「……ん?」
振り返った先にいたのは――銀髪をたなびかせ、静かな足取りで近づいてくるセレニア。そのすぐ後ろには、黒いマントを揺らしながら歩くロブの姿。
少女たちの小さな疑問と興奮は、やがて一つの事実と向き合うことになる。
そしてそれは、世界の真実を揺るがす、ほんの始まりに過ぎなかった。
【リリアの妄想ノート】
ロブさんって、ほんとに何者なんですか……。
魔族の魔法を無効化して、古代語の呪文を使って、三百年前と姿が変わらなくて、ギルドの創設者の名前に載ってて――
いやいやいやいや。
情報が多すぎて脳が処理落ちしますっ!
セレイナさんの「三百二十五歳よ」にもびっくりしましたけど、それ以上にミーナさんが自然に「ロブさんは当たり前に昔からいましたよ」みたいな感じで話してるのが怖いんですけど!?
そんなレジェンド感、さらっと出さないでください!
わたしの中のロブさんは、もっとこう……軽い感じで時々ド天然で、でもすごく頼りになる人なんです。
それが、ギルドの基盤を作ったとか、国の成り立ちに関わってるとか、無理です、想像が追いつきません。
というか、そういうこと、本人からもっと早く言ってくださいロブさん!
【あとがき】
本当はこのエピソード、「第43.5話」として軽めに女子トークを挟む予定だったんですが……
気づけばガッツリ「ギルド設立の秘密」や「ロブさんの過去」に迫る回になってました。
というわけで、急遽通常ナンバリングに昇格し、第44話として投稿いたしました!
ロブさんの正体に少しずつ迫っていく過程は、今後の展開に大きく関わっていきます。
でも、真面目な話の中にも、ちょっとクスッとできる空気は忘れずにやっていきたいなと思ってます。
これからもロブとリリアたちの旅路を、ぜひ一緒に見守っていただけたら嬉しいです!
感想・ブクマ、大大大歓迎です!!
ポチッと応援、よろしくお願いいたします!
【次回予告】
静まる祝宴、語られる過去。
フィリアの前に立つ母・セレイナの決意が、少女の運命を変えていく――?
次回、「弟子、増える予感?」
海老男の教え子枠、まだ空きあります。
お楽しみに!




