第43話 海老男、酒宴で謎を残す
夕暮れの陽が、王都の城壁を紅く染めていた。
丘の上から王都を見下ろす男――紅竜四爪の一人、槍使いガルドは、肩に槍を担ぎながら、静かに奥歯を噛みしめていた。
「……ここまで来て、中止とはな。頭領は何を考えている」
風が吹くたびに、彼の黒髪がふわりと揺れる。
セイラン村に進軍するはずだった彼の隊は、急遽進路を変えて王都を包囲。
しかし、いざ攻め入る段になって、突如として“中止命令”が下されたのだ。
その命令を伝えに現れたのが――
「風に八つ当たりしても仕方ないわよ、ガルド」
その声と共に、背後から香のような甘い匂いが漂った。
振り向かずとも分かる。
腰まで流れる薄紫の髪、妖艶な肢体を包む黒のドレス。肩の露出を惜しげもなく晒し、赤いルビーの首飾りが揺れていた。
彼女こそ――紅竜四爪の一人、深淵の魔女ラグリマ。
「………お前が“伝令”とは、皮肉だな」
「頭領の命令よ。私たち四爪は従う義務がある。あなたもわかってるでしょ?」
ラグリマは艶然と微笑む。その笑顔の奥にあるものが、ガルドには読めなかった。
「ふん……。ギルドへの陽動は失敗。王都の警備は盤石のまま。あの村も潰せていない。紅竜団がここまでコケにされることがかつてあったか?それで何故黙っていられる。頭領は何を考えている?」
「あんたの矜持はどうでもいい。私達はただ頭領の命に従うだけ」
ラグリマは意味深にそう言いながら、視線を王都へと移す。
「頭領はまるで、何かを待っているように見える……。そんな時はいつも面白い狩りが楽しめた。ねえ、ガルド。きっと近いうちに最高に楽しいことが起こるわよ」
「……望むところだ」
ガルドは冷たい目で王都を見下ろす。
「誰であろうと……俺は、正面から叩き潰すだけだ」
その言葉に、ラグリマはくすりと笑い、小さく呟いた。
「正直者ね。そういうところ、嫌いじゃないわ」
二人の足元に、風が巻き起こる。
槍使いと魔女――二人の紅竜四爪が並び立ち、まだ見ぬ敵と、先の戦いの火蓋を静かに見下ろしていた。
やがて、沈む陽が王都の影を濃くする。
不穏な気配が、夜と共に――静かに広がっていった。
「乾杯!!」
ギルドの大広間に冒険者たちの歓声が響き渡り、無数のジョッキが高く掲げられた。
新人研修中に現れた強力な魔族とマンドラ・グロスを退け、王都の防衛に成功した。
それだけでも快挙なのに、マンドラ・グロスという貴重な素材を山ほど手に入れたことで、冒険者たちのテンションは天井知らずだった。
「さあ食えー!飲めー!全部ギルド持ちだーッ!!」
ギルドマスターのゼランが壇上で叫ぶと、冒険者たちは歓声をあげて肉や酒にむしゃぶりつく。
ギルドホールの中は笑いと煙と熱気に満ち、祝いの夜は始まったばかりだった。
そんな中、喧噪から少し離れたテーブルで、リリアは隣のロブに向き直る。
「……あの、ロブさん」
肉を口に運ぼうとしていたロブが、ちらりと彼女を見る。
「改めて、今日は、本当にありがとうございました」
リリアの声は静かだが、はっきりとしたものだった。
「魔石を渡してくださらなかったら、私は……あの魔法を使えなかったし、みんなを助けられなかったと思います。それにその後のことだって………」
ロブは何も言わずに咀嚼を終えると、骨を皿に置いて、淡々と応じた。
「別に礼を言われることじゃない。お前が最善の魔法を選んで、使っただけだ」
リリアは目を瞬かせる。そして、少しだけ頬を緩めた。
「とはいえ、まさか影焰業火を使うとは予想外だった」
「あの時はあれが一番だと思ったんです。成功してほっとしました」
リリアが笑ったその瞬間――
「リリアさん、謙遜することではないですわよ!」
セラフィナが声を上げ、勢いよく席に滑り込んできた。豪奢なドレスの袖をひらひらさせ、熱のこもった瞳でリリアを見つめる。
「あなたがいなかったら、わたくしたち全員、マンドラ・グロスの餌になっていたかもしれませんわ!命の恩人といっても過言ではありませんのよ!」
「え、いや、あの、そんな……」
恐縮しきりなリリアに構うことなく、セラフィナは椅子を引き寄せてロブの隣に座ると、まるでインタビューを始めるかのように身を乗り出した。
「で、影焰業火の術式ですが!詠唱の順序はあれで固定ですの?魔素の展開はやはりスパイラル式?それともドーム展開式でしたか?あの炎の変移は……!」
「あ、あの……」
セラフィナの勢いに押され、リリアはおずおずと手を上げる。
「私、ただ……強い魔法をイメージして、あの呪文を唱えただけで……」
「……え?」
セラフィナが一瞬言葉を止め、目を瞬いた。
「ただイメージして……唱えただけ?」
「はい……それだけ、です」
「普通はできませんのよ!? そんなイメージで高位魔法が使えるなら、誰も苦労しませんわよ!!」
バンッとテーブルを叩いたセラフィナに、周囲の冒険者たちが一斉にこちらを見たが、彼女はお構いなしだった。
ロブが少し口元をゆるめて言葉を挟む。
「呪文の詠唱も完璧だった。あの手の魔法は呪文を一言でも間違えたら暴発か不発で終わる。よく覚えたな」
リリアはぽかんとロブを見つめた後、少し首をかしげた。
「え?……普通は一回で覚えるものじゃないんですか?」
セラフィナとロブが、無言で顔を見合わせる。
「……天才って、いるものなのですわね……」
セラフィナが呆然と呟いた。
ロブも肩をすくめて苦笑する。
「理不尽だよな……」
その一言に、思わずリリアも「えぇ……?」ときょとんとした顔をするのだった。
セラフィナはリリアの言葉にひとしきり呆れた後、ぴたりとロブに向き直る。
「ですがロブ様……あなたは、あの影焰業火を――詠唱なしで発動されていましたわよね?」
その問いに、リリアも「ああ」と頷く。ロブがあの魔法を指を鳴らすだけで使っているのを見るのは二度目だが、流石にそれが普通のことではないと分かっている――。
ロブは肉を頬張ったまま、面倒くさそうに応じた。
「無詠唱だよ。あのくらいなら、別に口に出す必要はない」
「あのくらいって………あれほど高度な術式を、詠唱もせずに――まるで魔素が自律的に展開していたような……!わたくしにも、同じようにできるようになる可能性はありますの?」
セラフィナは真剣な眼差しでロブを見つめる。
ロブは一度だけ軽く頷く。
「できる。鍛えればな」
その瞬間、セラフィナの表情がぱっと輝き、勢いよく立ち上がる。
「ロブ様……いえ――お師匠様と呼ばせてくださいまし!!」
手を胸に当てて、まるで貴族の叙任式のように一礼するセラフィナ。そのあまりの熱量に、リリアは吹き出した。
「ふふ……セラフィナさん、気持ちの切り替えが早すぎます!」
「だって、わたくし、無詠唱魔法が使えるようになりたいのですもの!」
リリアが笑う隣で、ロブはというと、またしても平然と肉をかじっていたが、「好きに呼べ」とだけ一言返し、やれやれといった顔で肩をすくめた。
にぎやかな酒宴の中央付近、エドガーは腕まくりをして、腕相撲のテーブルに向かい合っていた。
「さあ来い、ダリオ先輩!」
「なめるなよ、新人がぁぁああっ……ぬああああああッ!!?」
ダリオの絶叫とともに、テーブルに叩きつけられる腕。
その様子に周囲の冒険者たちからどっと笑いと歓声が起こった。
「エドガー二連勝!次、ゲルド、行け!」
「お、おう……」
ゴツいゲルドが出てくるも、結果は変わらなかった。エドガーの筋力と瞬発力に、ベテランたちも唸る。
そして次に現れたのは、ギルドのベテラン冒険者、カストール。
「ふむ、ならば俺も一つ。ちょっとだけ本気を出すぞ?」
「望むところです!」
静かに手を組み合わせた瞬間、ギルドホールの一角が異様な熱気に包まれる。
お互いの力が拮抗し、ギリギリと軋む木製のテーブル。
「うおおおおおっ!」
「ぬぬぬぬぬぬっ……!」
どちらが勝ってもおかしくない真剣勝負に、周囲から「いけー!新人!」「押せー!」「カストールさん負けるなー!」と熱い声援が飛ぶ。
一方その頃――
「すごかったね、カイくんの魔法!」
「ねえねえ、どこで覚えたの? 無詠唱って、本当にできるの?」
「お姉さんたちにもっと色々教えて~?」
カイは囲まれるように女の子の冒険者たちに話しかけられていた。
「え、いや、その……ま、魔力量が多くて……あはは……」
タジタジになりながらも、彼の頬はうっすら赤い。
特に目の前の少女が前屈みになって話しかけてくると、カイの視線は思わず胸元に吸い寄せられる。
(……け、けしからん……いや、これは事故だ……いや、これはその、なんというか……)
目を逸らそうとして、でもチラッとだけ見てしまう。
「カイくん、顔赤いよ~?」
「い、いや、これは、その………」
たじたじのカイに、周囲の女子たちはくすくすと笑い出す。
宴もたけなわな頃、ギルドホールの一角に、凛とした気配が差し込んだ。
肩までの銀髪をなびかせ、優雅に歩くのは金龍、セレニア。彼女の横には、やや不機嫌そうに眉をひそめた少女が一人。
少女は母に似た銀髪を腰まで伸ばし、目元はキリリとつり上がっている。年の頃はリリアたちと同じくらいだろう。
だがその表情には、年齢に似合わぬ落ち着きと――やや過剰な警戒心があった。
「ロブ、紹介しておくわ。私の娘――フィリアよ」
ロブは骨付き肉をかじる手を止めると、視線を上げる。
フィリアはぴしりと直立し、一礼する。
「……初めまして、海老男さん。母からお話は伺っています」
「ああ、正確には君が子供の頃に会ってるんだが、覚えてないか。君の親父さんとセレニアとパーティーを組んでたこともあるんだ」
ロブはそう言って微笑んだが、次の瞬間、フィリアがじっと彼を睨むように見据える。言葉こそないが、その眼差しは敵意を帯びていた。
そして、そっぽを向くと、くるりと踵を返して歩き出す。
「ちょっ、フィリアさん!?あ、待ってくださいっ」
リリアが慌てて声をかける。セラフィナもすぐに駆け寄った。
「わたくし達、先ほど戦場をご一緒しましたわよね!ぜひお話をお伺いしたく――」
「……べつに。勝手にどうぞ」
素っ気なくそう返しながらも、フィリアの歩調は止まる。
ほんの少しだけ、リリアたちを気にしているようにも見える。
セレニアはその様子を遠巻きに見ながら、ふっとため息をついた。
「……困った子ね。まるで、昔の私みたい」
そして、リリア・セラフィナ・フィリアの三人の背を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「あの子達、あそこの腕相撲してる坊やも、あの水色の髪の子も………少し幼いけど、瓜二つね」
視線の先には、歓声を浴びながらカストールと渡り合うエドガー、そして女子に囲まれて困り顔のカイの姿。
ロブは肉を噛みしめながら、一言だけ返す。
「ああ……」
セレニアの目が鋭くなる。
「生まれ変わり………?一体どういうことなのか、説明してくれる?」
ロブは目を伏せ、酒を一口含んでから、ゆっくりと口を開く。
「……時が来たら話すさ。お前と、ゼラン、ウィル、それと……あと一人、と一匹にはな」
「一匹?ああ、あいつね」
セレニアの目が細められる。昔を懐かしむように。
「あなたの秘密主義は相変わらずね。でも、待っててあげるわ。昔のよしみでね」
「感謝する」
礼を述べると盃に目を落とし、ロブはそれ以上何も言わなかった。
その瞳にはなにか大きな運命を受け入れようとしている覚悟が滲んでいるようにセレニアには見えていた。
「いいわ。それに私からもお礼を言わせてもらうわ」
「なんの礼だ?」
ロブが首を傾げるとセレニアが優しげに目を細める。
「あの人のお墓に毎年花を供えてくれてるでしょう?いつかちゃんとありがとうって伝えないとって思ってたのよ」
「ああ、それか」
ロブは口元を緩め、思い出したように呟く。
「リリアと会ったのもあいつの墓参りの後だったんだ。もしかしたらあいつが導いてくれたのかもな」
「………そうかも知れないわね。お節介な人だったから」
昔を懐かしむ二人に温かな、それでいて少し寂しげな空気が漂う。
少しの沈黙の後、セレニアが静かに口を開く。
「ロブ、あなたに頼みがあるんだけど、聞いてくれる?」
魅力的な唇から紡がれる彼女の″頼み″に、ロブは眉をひそめた。
【リリアの妄想ノート】
ロブさん、やっぱりすごい人だった……!
というか、セラフィナさん!? 急にお師匠様って呼び始めたと思ったら、ロブさんも「いいよ」って軽く受け入れてるし、えっ、私も呼んでいいんですか!?
カイくんはなんか女子に囲まれてキャーキャーされてて……でも目線が完全に胸元に……って、こら! 後で説教です!
エドガーくんは腕相撲で無双してるし、みんなすごくて……私だけ普通に見えるのが逆に不安になってきました。
↑ロブ・セラフィナ「は?」
でも、セレニアさんの娘さん――フィリアさん。あの子、すっごく気になります。 ロブさんに敵意向けるような目……でも、私たち四人を見て、セレニアさんが「瓜二つ」って……何か意味があるんですよね。うう、気になることだらけです!
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
第43話では、前話までの激しい戦闘から一転して、祝宴と日常のひとときを描きつつ、新たなキャラと伏線を詰め込みました。
紅竜団の四爪、ガルドとラグリマの登場によって、敵側も一筋縄ではいかないことが見えてきました。
一方で、リリアたちの前にもセレニアの娘・フィリアが現れ、4人の弟子たちに「何かしらの共通点」が示唆され始めています。果たしてそれが何を意味するのか……今後の展開にぜひご注目ください!
次回、第44話もどうぞお楽しみに!
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