第40話 断罪の魔法、救いの焔
その声に、空気が凍りついた。
誰のものとも知れぬ一言に、まるで全員の身体が弾かれたように動きを止める。振り返った先にいたのは――闇の中を滑るように現れた、一人の男だった。
倒れたマンドラ・グロスの背後から、ぬるりと現れたその男は、白い仮面をつけ、漆黒のローブをまとっていた。背は高く、顔は一切見えない。だが、まとわりつく空気がまるで違っていた。
人間とは異なる。理性も感情も、まるで通じない種類の存在。
「まさか……魔族!?」
カストールが目を見開き、無意識に後退る。その声には、勇敢な戦士らしからぬ震えが混じっていた。
男は、何の感情も感じていないような低い声で呟いた。
「契約は果たす。――蘇れ、眷属よ」
その指が、音もなく弾かれる。次の瞬間――
すでに動きを止め、魔核を砕かれて絶命したはずのマンドラ・グロスが、ぐずりと音を立てて動いた。
「なっ……!」
誰かの悲鳴がこぼれる。見開いた花弁の奥、砕けていたはずの魔核が、黒い闇の膜に包まれ、ゆっくりと再構築されていく。
生命の復活――そう言い切るには異質だった。生物としての再生というより、死体に無理やり魔力を流し込み、強制的に稼働させたような、そんな禍々しさがあった。
「こいつ、魔物を……!まるで道具みたいに……!」
ミレーヌが思わず呟く。口調は怒りを含んでいたが、それ以上に浮かぶのは畏怖だった。
だが、男はそれで終わらなかった。
地面に手を翳し、今度は低い声で呪文を唱え始める。
「這い出でよ、土より生まれし醜き僕――土魔召喚」
土が震える。土塊が蠢く。
それは数体の巨大なゴーレムとなって姿を現した。
泥と岩をまとい、顔には目にあたる部分だけが赤く禍々しく光っている。重い足取りで地を踏みしめながら、まっすぐこちらへと歩き始めた。
「やばい、やばいぞ……!」
ダリオが剣を構えるが、声が震えていた。
「もう一回やれっての……?」
ミレーヌは肩で息をしながら、それでも前に出ようと踏みとどまっていた。
ゴーレムの影が伸びる。新人たちは叫びながら後退し、誰かが転ぶ音が聞こえた。セラフィナが必死に杖を構えようとするが、その先に灯った魔力の光は弱々しく、儚く消えた。
「もう、魔力が……!」
セラフィナの声に、リリアの胸が苦しくなる。
ゲルドとフィリアの矢も、土の装甲に刺さっては砕け、ただ音を立てて無力に落ちた。
そして――
「きゃあっ!?」
セラフィナが悲鳴を上げる。マンドラ・グロスの触手が彼女の腰を絡め取っていた。
「うぐっ……!」
エドガーも巻き取られる。次々に、仲間たちが触手と土の腕に捕らえられ、動きを封じられていく。
カイは最後まで抵抗していたが、膝をつき、ついに力尽きたかのように縛られてしまう。
「みんな……!」
リリアは目の前で仲間たちが一人、また一人と囚われていく光景を、ただ見ていることしかできなかった。
あの日、家族を失った時の記憶が胸を締めつける。
その時と同じ、力がない自分。無力な自分。家族の無惨な死体をただ見つめることしか出来なかった、助けられなかった後悔が、再び迫ってくる。
―――もう、私は!
リリアの手が、無意識に胸元の小袋へ伸びた。
中に入っているのは、小さな赤い魔石。ロブから託された、あの石だ。
手に取った瞬間、熱が体内を駆け抜ける。
ずしりと重く、しかし温かい力が胸の内からこみ上げてくる。
(魔力が湧いてくる……今なら!)
魔石が砕ける。
魔力が全身に行き渡るのが分かる。体が震えた。恐れではない、力の波に押し上げられる高揚だった。
リリアは一歩、前へ出た。
―――でも……普通の魔法じゃ、みんなも傷つけちゃう……!
焦りが胸を締めつける。
その瞬間、ある魔法の輪郭が、頭の中に浮かんできた。
―――あれなら……!
囚われた仲間たちが、すぐそこにいる。――だからこそ、選ぶべき魔法がある。
自分にできるのか?本当に?
迷いが脳裏をよぎったその瞬間――
――できるできないじゃない。やるんだ。
ロブの声が、耳の奥で響いた。
その言葉に、リリアの胸が震えた。
「ロブさん……わたし、やります!」
魔法陣が浮かび上がる。赤く、黒く、複雑な紋が地に描かれ、空気が震え始めた。
セラフィナが目を見開く。
「魔素の流れが……これは、見たことがありませんわ!」
リリアの唇が動く。
詠唱が、始まった。
『……我が名に応じ、影の深淵より目覚めよ……』
風が止まり、森が静止する。
その気配に、セラフィナが震えながら首を向けた。
『燃えよ、焼けよ、逃さず喰らえ……!』
「……!?この術式……!」
セラフィナが目を見開く。
「これは……魔導公会の呪文構成じゃありませんわ……!」
隣で、カストールが叫ぶ。
「おい……本気か!? この魔素の圧……新人の領域じゃねぇぞ!」
『影に沈みし、古き焔よ……名を持たぬ深淵の牙よ……!』
空気が黒く染まり、地面が唸りを上げた。
誰もが、リリアを見つめていた。
『我が声に応じて、すべてを断罪せよ――!』
リリアの足元から、黒と赤の魔素が噴き上がる。
『影焔業火!!』
世界が――燃えた。
音もなく、黒い奔流が地表を這い、空を裂き、マンドラ・グロスの巨大な身体と、それを囲んでいた複数のゴーレムたちを一瞬で呑み込んでいく。
触手が、腕が、躯体が、次々に崩れ、黒煙とともに塵と化す。
破壊ではない。断罪。まるでこの世に存在してはならないものを“消し去る”かのような、絶対の力。
――そして、黒い焔は徐々に収縮し、消え去った。
囚われていた仲間たちはすでに解き放たれていた。
セラフィナは地に膝をつきながら呆然と、呟く。
「信じられませんわ………わたくしたちは無傷なのに、敵だけが……」
地面に広がっていた魔力の痕跡すら、すでに霧のように消え去っていた。あれほどの魔法が放たれたにも関わらず、周囲の木々や大地には、一切の損傷がない。
ただ、崩れたゴーレムたちと、燃え尽きたマンドラ・グロスの灰だけが、それが現実だったことを物語っていた。
「……なに、今の……」
フィリアが震える声で呟く。冷静な彼女ですら、驚きを隠せなかった。
エドガーは、言葉を失ったままリリアを見つめていた。
そして、リリア。
魔石の力を使い果たした彼女の身体からは、さっきまで吹き荒れていた魔力が抜け、ぐらりと膝をついた。
その場に崩れ落ちる。
「リリアさん!」
セラフィナが慌てて駆け寄ろうとする。だがその時――
煙の向こうから、カツ……カツ……と足音が響いた。
残響の中から現れたのは、あの男。
白い仮面。漆黒のローブ。そして、揺るぎのない冷気のような存在感。
あの魔族の男だった。
彼は炎の痕跡の中を、ゆっくりと歩み寄ってくる。
体に傷はない。だが、肩口のローブが焼け、仮面の左側にうっすらとひびが入っていた。
男はリリアの姿を見つめ、しばし黙っていたが――やがて、低く、呟いた。
「なぜ貴様が……その魔法を?」
その声は、怒りでも、恐怖でもない。
困惑。
まるで、「その魔法を使うはずの人間ではない」者が、目の前に現れたことへの戸惑いだった。
リリアはうつ伏せになったまま、かろうじて顔を上げ、男を睨んだ。返す言葉はない。ただ、気力だけでその視線をぶつけていた。
男は数歩近づき、ふと足を止めた。
空気が――変わった。
「――そこまでだ」
その声は、穏やかでありながら、怒りをはらんでいた。
視線を向けると、森の奥から三つの影が現れる。
一人目は、黒いマントを揺らして歩く若き男――ロブだった。
その隣を歩くのは、屈強な体格をした茶髪の男。鎧を着込んだ重厚な戦士――ゼラン。
そしてもう一人。
緑の瞳に銀髪をたなびかせた、気品ある女性。黒と緑を基調にした軽装鎧。胸元に刻まれたエメラルドの紋章、しなやかに揺れるロングコート。
その耳は長く尖り、エルフであることを物語っている。
その美貌はフィリアによく似ていた。
「……ママ……?」
フィリアの声が、静かに漏れた。
リリアは、その姿を見て、堪えていた涙をこぼした。
そして、小さく、小さく――
「……ロブさん……」
その声は、限界寸前の魂が絞り出した、助けを求める祈りのようでもあった。
ロブはそんなリリアに近づき、そっと微笑んだ。
「……よく頑張ったな、リリア」
その言葉が、リリアの胸に優しく降り注いだ。
【リリアの妄想ノート】
――今回は、やりました。ついに、やってやりました。
シャドウフレア、発動成功です!
……まあ、一回限りの魔石ブーストでしたけど。でも、でもね?
みんなを救ったのは事実なんですよ!?
エドガーさんも、セラフィナさんも、カイくんも、みんな無事で……(ぐすっ)
……にしても、なんか皆の目が怖かったんですけど!?
セラフィナさんに「魔導公会の術式ではありませんわ!」って言われたときは心臓止まるかと思ったし、
カストールさんなんて「おいおいおいおい」って感じで目ん玉まるくしてたし!
でもロブさんが「よく頑張ったな」って言ってくれたから、すべてチャラです。うん。そういうことにしておきます。
ただし!
魔力の反動、想像以上につらかったです。膝から砕け落ちました。
「かっこよく決めたあとその場にドーンと倒れる系ヒロイン」になってしまいました……。
次は……自分の力であの魔法を放てるようになりたいな。
あの魔石に頼らず、いつか本当にロブさんに胸を張って見せられるように!
がんばれ、未来のわたし!
P.S.
エルフの美女(フィリアさんのお母さん?)が現れたとき、ちょっと泣きそうになりました。
かっこよすぎて。ああいう女性に、わたしもなりたいです……。
【あとがき】
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
今回のお話、いかがでしたでしょうか?
シャドウフレアを放つリリア、そしてロブたちの登場と、盛りだくさんの回になりました。
自分としてもすごく気合い入れて書いたシーンなので、少しでも伝わっていたら嬉しいです。
リリアの「覚悟」と「一歩」を描けたのが、今回の一番の満足ポイントでした。
彼女の成長、まだまだ続きます!
ここまで読んで「面白いな」と思っていただけたら、感想・ブクマしていただけると泣いて喜びます!
次回もがんばって書きますので、どうぞよろしくお願いします!




