第38話 雷の少年、その名はカイ・アークライト
一同が再び歩き始めたのは、処理を終え、空気がわずかに落ち着いた後のことだった。
だが、その雰囲気を断ち切るように、カストールの声が響く。
「――気を抜くな。ここから先は、さらに危険な領域だ」
その一言に、新人たちはぴりりと背筋を伸ばした。
緑深い森の中、木々は一段と密になり、陽光が届きにくくなっている。
空気も湿り気を帯び、じわじわと肌に張り付くような重さがあった。
「さっきの狼より強いのが出てくるんですか……?」
誰かが小声で呟く。
カストールは振り返らずに答えた。
「当たり前だ。俺たちが引率してるからといって、安全だと思うな。魔物はランクを選ばない。お前たちが新人だろうが子供だろうが、やつらにとってはただの獲物だ」
その厳しい言葉に、誰も反論できなかった。
むしろ、新人たちの目に走ったのは――恐れと、ほんの少しの覚悟。
「……でも、やるしかないですよね」
リリアが小さくつぶやいたその声は、仲間たちに届いたかどうかはわからない。
けれど、その拳はしっかりと握られていた。
その横でセラフィナが静かに歩を進め、目を伏せて囁く。
「魔素の濃度が……少し変わってきておりますわね。森が、ざわめいている……」
言葉通り、森の空気にはどこか不穏なざわめきが混じっていた。
まるで、何かが――待っているかのように。
森の奥へと進むにつれ、空気はさらに重く、湿り気を増していった。
頭上の木々は鬱蒼と茂り、昼間であるはずなのに、足元の影が濃くなる。
「……?」
リリアが足を止めた瞬間だった。
――バサバサッ!
頭上の枝から、数羽の鳥が驚いたように飛び立った。
続いて、茂みの中から何かが走り去る気配。
それはウサギのような小動物で、後ろを振り返ることなく全力で森の奥へと逃げていった。
「……獣たちが、逃げてる?」
カストールが眉をひそめる。
その異変はすぐに他の者たちも感じ取った。
「空気が……変ですわ。何かが近づいてきております」
セラフィナが小声で告げたとき、
フィリアがぴたりと足を止めた。
「――魔素の濃度が、急激に……高まってる」
その言葉に、誰もが思わず周囲を見回す。
視界の隅で、木の葉がざわめく。
風は吹いていないのに、どこかざわついていた。まるで――何かが森そのものを揺らしているように。
「くっ……!」
「全員、後ろに下がれ! これは――訓練用の魔物じゃない!」
鋭く響いた声に、森の空気が一変する。
叫んだのは、水色の髪を持つ少年だった。
いつも控えめに列の後ろを歩いていたその彼が、今は真っ先に仲間の前に立ち、警告を叫んでいる。
(この人……!)
リリアは心の中で呟く。
彼には正体不明の何かを感じていた。
控えめで、でもどこか只者ではない雰囲気を持っていた彼――その異質さが、今は確信に変わりつつあった。
「ダリオ、ミレーヌ、ゲルド! 前衛と後衛を固めろ! 新人たちは中央に集めて、円を組むように守れ!」
カストールが鋭く命じる。
その眼差しには冗談や余裕など微塵もなく、現役の冒険者としての本気の緊張が滲んでいた。
「新人ども、聞け! ここからは実地研修じゃねぇ、実戦だ! 絶対に勝手な行動はするな!俺たちが指示するまで、その場を動くな!」
その声に、新人たちは顔を強張らせながらもうなずいた。
誰もが“何か”の接近を肌で感じていた。
森の奥から、ぬめるような音が近づいてくる。
――ズズズ……ズズ……ッ。
そして、枝をなぎ倒しながら迫る異様な気配。
リリアも、セラフィナも、エドガーも、フィリアも、言葉なく視線を交わしながら身構える。
突如、森の奥から“それ”は現れた。
最初に聞こえたのは、ズルズル……ズズッ……と地面を這う湿った音。
そして次に、空気を裂くような低い振動音が、背筋を這い上がる。
「な、なんだあれは……!」
誰かが声を上げた。
木々をなぎ倒して姿を現したのは、異様な巨獣だった。
全身が蔓と苔に覆われ、中心には巨大な花弁のような器官が蠢いている。
そこから生えた無数の蔓状の触手が、意思を持つかのようにうねり、空気を切り裂いていた。
「くっ……まさかここに……《蔓触獣〈マンドラ・グロス〉》だと!?」
ゲルドが蒼白になりながら後退る。
それは本来、瘴気の濃い湿地帯や廃墟にしか出現しないはずの魔物――
蔓で獲物を絡め取り、魔素を吸い尽くす凶悪な存在だった。
「Dランク組、前衛を固めろ! 魔法職と新人は後方で防御に回れ!」
カストールの怒号が森に響く。
「ミレーヌ、ギルドに伝信を飛ばせ! このクラスの魔物が出るなんて想定外だ、応援を要請する!」
「了解!」
ミレーヌはすぐさま腰のポーチから伝信玉を取り出し、魔力を注いで詠唱を始める。
カストールは新人たちの方に顔を向け、再び叫んだ。
「新人は固まって動くな! 絶対に勝手に動くなよ!」
緊張が一気に張り詰める。
リリアは、心臓の音が耳の奥で鳴り響くのを感じながら、無意識に視線を向けた。
水色の髪の少年――あの少年が一歩、前に出ていた。
その横顔は静かで、どこか覚悟を湛えていた。
次の瞬間、ズバァンという破裂音とともに、一本の蔓が突風のように飛来した。
「ミレーヌさん、下がって!」
リリアの叫びよりも早く、蔓は鞭のようにしなり、ミレーヌの腰を絡め取った。
「くっ、ちょっと……!?」
レイピアを振るう間もなく、彼女の身体が浮き上がり、宙に引きずられる。
同時に、逃げ遅れた新人の少年にも、別の蔓が襲いかかる。
「う、うわあああっ!」
新人の悲鳴が響いた。
カストールが飛び出そうとした、その時だった。
「雷針」
低く、静かな声が空気を裂いた。
水色の髪の少年が指を弾く。
次の瞬間、紫の稲光が一直線に駆け抜け、ミレーヌを締め上げていた触手を焼き切った。
「きゃっ!」
解放されたミレーヌが地面に転がり、すぐに起き上がる。
「……サンキュ、助かったわ!」
しかし、少年は何も応えず、すでに別の蔓へと意識を向けていた。
続けざまに詠唱が走る。
「雷鎖」
稲妻の鎖が唸りを上げ、もう一本の触手に巻きついた。
絡め取られていた新人の少年の体が引き戻され、蔓が焼き切れると同時に、少年は地面に向けて落下する。
「うわっ……!」
それを見たダリオが駆け寄り、少年を抱き止める。
「無事か!?――お前、今の……」
ダリオが驚愕と感謝をにじませた声で、水色の髪の少年に問いかけた。
少年は少しだけ顔を向けて、簡潔に名乗る。
「……カイ。カイ・アークライト」
その名を口にした時、静かだった彼の瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿った。
リリアは、稲妻のように走った魔法の残滓を見つめながら、はっと息を呑んだ。
(詠唱……してなかった)
その姿が、彼女の脳裏に焼きついている人物と重なる。
――ロブ。
無駄のない動きと、迷いのない力の行使。
カイの放った魔法には、どこかあの師匠と同じ空気があった。
その時、セラフィナがカイを見つめながら、小さく目を見開いた。
「詠唱を……省略なさったのですか……?」
驚きと尊敬の入り混じった声が、彼女の唇からこぼれる。
カイは返事をしない。
ただ、魔物の動きを静かに見据えたまま、次の一手に備えていた。
【リリアの妄想ノート】
ヤバい!
いや、ほんとにヤバいって!
魔物が強すぎて、これ研修じゃなくてほぼ実戦だよ!?
で、そこに現れたのが――
水色の髪の少年。雷の魔法。無詠唱。カッコいい。静かに名乗る『カイ・アークライト』
えっ、なにその名前。強キャラオーラ全開じゃん。
しかも! 触手に捕まった仲間を助けるって、どこの騎士様ですか!?
(わたしも巻きつかれればよかっ――ゲフンゲフン!)
あと、ロブさんをちょっと思い出しちゃった……。 あの落ち着いた魔法の使い方、ロブさんがいつもやってるやつだ。
もしかして……ロブさんと関係ある人?
それとも、わたしが知らないだけで、この世界には“強い人”がいっぱい……?
……負けてられないよ、わたしも。
ぜったい、あの人たちに追いついてみせるんだから!
【あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回はついに――“あの少年”カイくんが動きましたね。
雷属性ってだけでも強キャラ感あるのに、無詠唱とか、完全にチート枠じゃないですか。
しかも本人めっちゃクールで寡黙。
これはセラフィナさんもリリアもザワつきますわ……(作者もザワついてます)。
触手魔物に新人たちが大ピンチ!からの、バチバチ稲妻での救出劇、
リリアも思わず「ロブさん……?」って重ねちゃうほどのかっこよさでした。
次回もさらにド派手に、そして熱く!進んでいきますのでお楽しみに!
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