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第36話 実地研修始まります!

 午後の日差しが、森の入り口を柔らかく照らしていた。

 風が木々を揺らし、ざわざわと葉音を響かせる。


 リリアは緊張とわくわくが入り混じる胸を押さえながら、集合場所である広場に立っていた。


 定刻になった。

 屈強な体躯に革鎧をまとい、片手には大ぶりの斧を軽々と担いだ冒険者が一歩前に出る。


「実地研修を始めるぞ」


 そう言った冒険者の男は短く刈られた栗色の髪と、精悍な顔つきが印象的だった。


 険しい表情に隠れた柔らかな親しみを滲ませながら、集まった新人たちを見渡す。


「俺は研修担当のカストール。階級は蒼鷹そうよう、Cランクだ」


 カストールはゆっくりと視線を巡らせる。

 その眼差しには、厳しさと責任感、そしてわずかな期待が宿っていた。


「今日の新人たちの案内役を務めるのが、こいつらだ」


 カストールの背後に並んでいた三人の冒険者が一歩前に出る。


「ダリオ。紅熊べにぐま、Dランクです」

 

 背の高い青年が胸を張って名乗る。鋭い目つきに短剣を複数腰に下げた姿は、いかにも機敏そうだ。


「ミレーヌ。同じくDランク。よろしくね」

 

 長い栗色の髪を三つ編みにした女性がにこやかに微笑む。

 その腰には細身のレイピアが提げられ、軽やかな身のこなしが印象的だった。


「ゲルド。Dランク。弓兵アーチャーだ」


 最後に低く太い声で名乗ったのは、たくましい体格の男だった。


 背中には大弓を背負い、落ち着き払った雰囲気を漂わせている。


「俺を含めたこの四人が今日の指導役だ。危険な状況になったら、すぐに俺たちが介入する。まずは魔物が棲む森まで歩いて移動するぞ」


 カストールがそう言って、森の方角を指し示す。


「実地研修の目的はふたつだ。一つは依頼地への移動の基本を覚えること。もう一つは、魔物を実際に見て危険を学ぶことだ」


 集まった新人たちが一斉に頷く。リリアもごくりと喉を鳴らした。


「危険を感じたら無理せず声を上げろ。命を守るのが第一だ。わかったな?」

「はい!」


 一斉に声が上がり、カストールが満足げに頷く。


「よし、出発だ!」


 列が組まれ、森へと向かって歩き出す。


 リリアは歩きながら、改めて周囲の新人冒険者たちを見渡した。


 人数は十五名。年齢も種族も、職種も実にさまざまだ。

 人間族が中心とはいえ、獣人らしき耳を持つ青年や、小柄なドワーフの職人風の男もいる。

 その中でもひときわ目を引くのは、やはりセラフィナだった。


 白地に金刺繍を施したローブが陽光に映え、気品に満ちた立ち姿は、まるで舞踏会の主役のような存在感を放っている。


 そしてもう一人。


 群れの中で静かに歩む、エルフの娘だ。


 流れるような銀髪と尖った耳、透き通るような薄青の瞳が神のもたらした造形のように整えられている。


 その姿はどこか物語の登場人物のようで、近寄りがたい雰囲気すら漂わせていた。


(セラフィナさんと、あのエルフの方……やっぱり目を引くなぁ)


 リリアは内心でそう思いながら、歩調をセラフィナに合わせた。


「セラフィナさん、朝の座学、お疲れ様でした!」


 声をかけると、セラフィナはふふっと柔らかく微笑んだ。


「あなたもよく頑張っていましたわ。質問も的確でしたし」


 優雅な口調ながら、どこか親しみのこもった声だった。

 すでにリリアは、セラフィナと肩肘張らずに話せるようになっていた。


(セラフィナさん、気品があるのに……不思議と話しやすいな)


 歩きながらの会話は、緊張していたリリアの心を次第にほぐしていく。


「セラフィナさんは……どうして冒険者になろうと思ったんですか?」


 ふと、リリアは気になって問いかける。


 セラフィナは視線をまっすぐ前に向けたまま、わずかに間を置いて答える。


「その前に、あなたの理由をお聞きしても?」

「え? わたしの?」

「ええ。お互いに語り合いましょう。そうすれば、より強い絆が生まれますわ」


 セラフィナの瞳が、エメラルドグリーンにきらりと光る。


 どこまでも気高く、それでいて温かな眼差しだった。


 リリアは一瞬ためらったが、すぐに頷く。


「わたしは……」


 森から吹き抜ける風が、リリアの赤い髪を揺らす。


「村を守れる力がほしいんです。弱いままじゃ、また大切な人たちを失ってしまうから」


 その声は震えてはいなかった。

 まっすぐで、確かな覚悟が宿っていた。


「だから、冒険者になって強くなりたい。わたしの手で、大切な人たちを守れるくらいに」


 セラフィナは微笑みながら、優しく頷いた。


「素敵ですわね。あなたのその志は、きっと力になりますわ」


 エメラルドの瞳が、どこまでもまっすぐにリリアを見つめる。


「では、次はわたくしの番ですわね……と言いたいところですが、その前に」


 セラフィナはふと、いたずらっぽい微笑みを浮かべた。


「リリア様はおいくつでいらっしゃるのかしら。わたくしと同じ年くらいかとお見受けしますが。あ、失礼。わたくしは十五歳ですわ」


 セラフィナが穏やかな微笑みを浮かべながら問いかける。  


 ギルドの規定では十五歳未満は単独で登録できないことを、朝の座学で学んだばかりだ。


 新人たちの中でも年若く見えるリリアのことが気になったのだろう。


「わたしは十四歳です」


 リリアが少し照れくさそうに答えると、セラフィナは納得したように頷きつつ、さらに問いかけた。


「十四歳。それでは身元引受人の冒険者がいらっしゃるのですね?」

「はい。ロブさん……わたしの師匠が保証人になってくれました」


 リリアは胸を張って答える。


 師匠の存在を語るその声には、自然と誇らしさが滲んでいた。


「まあ、お師匠様がいらっしゃるのですね? では、今後はその方とクエストをこなしていくのかしら」


 セラフィナは興味深そうに問いかける。  リリアは小さく首をかしげながら答えた。


「そうなると思います。でもどうなんでしょう……師匠はわたしの登録が終わったら、すぐに王都を出るって言ってましたけど」

「あら。それはなぜ?」

「なんか、冒険者ギルドにあまり顔を出さない人らしくて」


 苦笑しながらリリアが答えると、セラフィナはふっと唇に指を添える。


「………その方、本当に大丈夫なんですの?」


 その問いは半ば冗談交じりながらも、ほんの少しだけ本気の色を帯びていた。


 リリアは思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、懸命に首を振る。


「だ、大丈夫です!ちょっと変わった人ですけど……でもすごく頼りになるんです!」


 言葉にこめたのは、偽りのない信頼と尊敬だった。


 セラフィナはそんなリリアを見て、ふっと微笑みを深める。


「ふふっ。それなら安心ですわ。大切なお師匠様なのですものね」


 冗談めかした口調の中に、優しい温かみが滲んでいる。


 ふたりの距離が、ほんの少しだけ縮まった気がした。


 森の静かなざわめきが、ふたたびふたりの会話を包み込む。


「では、次はわたくしの番ですわね」


 セラフィナはふわりと笑みを浮かべると、歩みを緩めずに静かに語り始めた。

 その横顔は優美でありながら、どこか芯の強さを感じさせる。


「わたくしは、幼い頃から貴族社会で暮らしてまいりましたの。家はそれなりに名のある研究者の家系でしてね。父も母も、魔導学の権威と称えられております」


 その声には誇りと、ほんのわずかな哀しみが滲んでいた。


「けれど、研究室にこもって学びを深めるだけでは、この世界の真実は見えてきませんわ。どんなに理論を積み重ねても、外の世界を知らなければ、机上の空論で終わってしまう」


 セラフィナの視線が遠くの森の奥へと向けられる。

 その瞳は、どこか決意に満ちていた。


「だからわたくしは、家の反対を押し切って外に出ましたの。冒険者として各地を巡り、魔法の本質をこの目で確かめたい。それがわたくしの望みですわ」


 エメラルドグリーンの瞳が、まっすぐにリリアを見据える。


「魔法とは何か。なぜ人は魔法を扱えるのか。その根源に触れることで、人の未来をより良いものにできるかもしれないと、そう信じておりますの」


 リリアはセラフィナの言葉に耳を傾けながら、その気高さと情熱に胸を打たれていた。


「すごい……!」


 思わずこぼれたリリアの声に、セラフィナはふふっと微笑んだ。


「わたくしの夢など、大層に聞こえるかもしれませんけれど」

「そんなことないです! とても素敵な夢だと思います!」


 リリアは即座に否定する。

 自分とは違うけれど、強くてまっすぐな想いを持つセラフィナに、心から尊敬の念を抱いた。


「ありがとうございますわ、リリアさん」


 セラフィナがほほ笑みを深める。

 その笑顔に、リリアの胸がじんわりと温かくなった。


(セラフィナさんとなら、きっと仲良くなれる気がする)


 そう思った瞬間だった。

 先頭を歩いていたカストールが立ち止まり、手を上げる。


「ここから先は、魔物の縄張りだ。気を引き締めろよ」


 緊張が一気に走る。

 リリアも気を引き締め、セラフィナと並んで森の奥を見つめた。


 これから始まる本格的な実地研修に、胸が高鳴るのを感じながら。







【リリアの妄想ノート】


 セラフィナさん、綺麗なだけじゃなくて強い女性って感じで素敵。

 わたしより一個年上なだけなのに、もっとお姉さんに見える。

 うう………わたしももっと大人にならなくちゃ。


 それに、セラフィナさんって気品があるのに親しみやすくて、おまけに家族の反対を押し切って冒険者に? わたしだったら、怖くてできないかも……。


 あと、ついにロブさんのことも話してしまったけど、セラフィナさんの反応がちょっと面白かったかも。

 「その方、本当に大丈夫なんですの?」って、うふふ。

 大丈夫ですとも! わたしの自慢の師匠ですから!


 次は魔物の縄張り。初めての本物の戦い。

 怖いけど、頑張らなきゃ。ロブさんにも、セラフィナさんにも笑われないように!


【あとがき】


 第三十六話、お読みいただきありがとうございます。


 今回は、いよいよ実地研修のスタート回でした。

 日常から冒険へと、物語のギアがひとつ上がった場面です。

 リリアとセラフィナの距離も少し縮まりましたね。ふたりのやり取りは書いていてとても楽しいです。


 今回は師匠であるロブ(海老男)の存在も、間接的に登場させました。

 直接の出番はなくとも、リリアの心の中にはいつでも師匠の教えが息づいています。


 次回はついに魔物との遭遇。新人たちが初めての恐怖に直面し、どんな成長を見せるのか。

 どうぞお楽しみに!


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