第34話 海老男、王都で糸を引く(前編)
朝の光が街路を照らし、王都レガリアの商業区が活気づきはじめる頃。
ロブはひときわ重厚な門構えの建物の前に立っていた。
ディアル商会本店。
黒と銀を基調とした石造りの外壁は威厳があり、二階建ての堂々たる構えが王都でも有数の大商会であることを物語っている。
入り口には控えめな装飾が施され、従業員たちがきびきびと出入りしていた。
派手さこそないが、磨き上げられた重厚な扉と端正な看板の文字が、静かに格の高さを示している。
ロブはゆっくりと扉を押し開けた。
内装は外観に劣らず格式があり、床には深い青の絨毯が敷かれている。
壁には控えめな紋章入りの装飾が並び、照明は魔導灯で柔らかな光を放っていた。
従業員たちは静かに頭を下げ、ロブに気づいても無駄に騒ぐ者はいない。
さすがはウィルが育てた商会だと、ロブは内心で感心する。
受付で名を告げると、すぐに案内された。
通されたのは一階奥の待合室だった。
部屋には落ち着いた色合いのソファと低いテーブル。壁際には数冊の商会の記録書と、珍しい鉱石のサンプルが飾られている。
窓から差し込む陽光が、石の表面をきらりと照らした。
ロブは腰を下ろし、隣に置いた革のケースに視線を落とす。
中にはセイラン村で採取した魔石が納められていた。
(この石の価値を、あいつなら正しく見極めるだろう)
窓の外では商人たちが慌ただしく荷馬車を行き来させている。
人々の声や車輪の音が遠くから聞こえる中、扉の向こうで軽やかな足音がした。
すぐにドアがノックされ、ロブが顔を上げる。
「失礼します。お待たせいたしました」
入ってきたのは、ダークブラウンの長髪を後ろで束ねた男。
眼鏡をかけ、漆黒のスーツに身を包み、黒い手袋を嵌めたその姿は、王都でもひときわ異彩を放つ。
「お久しぶりです、ロブさん」
ウィルだった。確か今年で40歳を迎えるはずだが、その理知的な風貌はとても若々しい。
鋭い眼差しがわずかに和らぎ、口元に薄い笑みが浮かぶ。
ロブもまた、わずかに口角を上げた。
「すまんな。アポ無しできて。門前払いされなくてホッとしたよ」
「まさか。大恩あるあなたを門前払いなど。いつでも歓迎しますよ」
ウィルは静かに答える。
怜悧な印象が少し和らいだ。
いつもは利益第一で動く商人だが、このときばかりは古い友への情を隠さず態度に表していた。
ロブとウィルの付き合いは、もう二十年にもなる。
若き日のウィルは商売の基礎も知らない青年だったが、ロブから商売の心得や人脈の築き方を学び、今や王都でも屈指の商会を率いるまでに成長していた。
彼の成功は、決して偶然ではなかった。
ロブをはじめとする交友の中で、互いに利を追いながらも、年月を重ねるごとに信頼を深め合い、積み上げてきた成果だった。
「今日はどういったご用件で?滅多に王都に顔を出さないあなたがわざわざ足を運んでくださったのですから、大事な用事なのでしょう?」
ウィルが目を細めながら言う。
「話が早くて助かるよ」
ロブは小さく笑みを深め、傍らの革のケースに視線を落とした。
「頼みがある。セイラン村で回収した魔石だ。お前の目で見てもらいたい」
「魔石を……これはまた、興味深いですね」
ウィルはソファの向かいに腰を下ろしながら、軽く指先を組んだ。
その表情には、好奇心と共に商人としての鋭い光が宿っている。
ロブは革のケースの留め具を外すと、内側の緩衝材に守られた数個の魔石が姿を現した。
ひとつは深い蒼の魔石。透き通るような青色は澄みきった湖を思わせ、清らかな輝きを放っている。
隣には漆黒の魔石があった。闇をそのまま閉じ込めたかのような黒の光沢が重みを感じさせる。
さらにその隣には鮮やかな紅の魔石。まるで燃え盛る焔を封じ込めたような鮮烈な輝きが目を引いた。
どれもがそれぞれの色彩を際立たせ、異なる性質を持つようにも見える。
ウィルは無言でひとつずつ丁寧に手に取り、慎重に観察する。
いずれも王都では滅多に流通しない希少な質であり、しかもそれが複数種類、揃っていることに内心で驚きを覚えた。
「……色ごとに、魔力の波長が微妙に異なるのですね。まるで別々の鉱脈から採れたかのようだ」
ウィルの声は静かだったが、その瞳の奥には鋭い光が宿っていた。
「どこで手に入れたのですか?」
「セイラン村だ」
ロブが答えると、ウィルはゆるやかに首をかしげた。
「セイラン村……。申し訳ありませんが、存じ上げませんね」
「知らなくて当然だ。アルトリア王国の地図にも載らない寒村だ。だが先日、そのセイラン村が紅竜団に襲われた」
ウィルの眉がわずかに動く。
「紅竜団……あの悪名高い」
「ああ。だが奇妙なことがある。魔石の採掘が始まったばかりの村を、やつらはまるでその情報を事前に掴んでいたかのように襲撃している」
「……成る程」
ウィルが低く呟く。
「地図にも載らないような小さな村で魔石が採れるなど、よほど内部の情報がなければ知り得ない。魔導公会から情報が漏れた可能性が高い、と」
「ご明察だ」
ロブが我が意を得たりと笑みを作る。
「魔石流通を監督する公会は、採掘情報を一手に握っている。そこから情報が流れたと考えれば、筋は通る」
ロブは魔石に視線を落としながら、静かに続ける。
「お前も感じたはずだ。この魔石の質は並じゃない。しかも色ごとに異なる性質を持つ。奴らはその価値を理解した上で、村を狙った可能性が高い」
「ふむ」
「そして、紅竜団は魔族と繋がっている」
「………まさか」
ウィルが呟き、魔石をもう一度じっと見つめる。
その眼差しには、商人としての冷静な観察と、何かを察した鋭さが宿っていた。
「魔石を紅竜団を通して意図的に魔族に横流しし、彼らの戦力を増強しようと?根拠はありますか?」
ウィルが問いながらも、手のひらで魔石を転がす仕草を止めない。
目は静かに魔石を見つめているが、その声の奥には確かな緊張が滲んでいた。
「紅竜団のエリザという魔導士に聞いた話だが、奴らに魔族の魔法や毒を与えた人物がいる。そいつはもうすぐ世界の構造が変わると言っていたらしい」
ロブの声は落ち着いていたが、僅かに低くなっていた。
机の上の魔石が陽光を受け、色ごとの輝きを放つ。その煌めきが、まるでこれから語られる事態の深刻さを暗示しているかのようだった。
「世界の構造が変わる?まさか戦争を仕掛けると?」
ウィルの眉がわずかに動く。
長年、王都で数々の思惑と策謀を見てきた彼でも、戦争という言葉には重みを感じざるを得なかった。
「恐らくな。黒龍団の残党が集まって出来た寄せ集めの盗賊団が、今や三千人もの規模に膨れ上がった。そいつらが人間には使えない高度な魔法や魔道具を使って各地で暴れ回ればどうなる?」
ロブの言葉に、ウィルは視線を落とし、深く思案するように唇を引き結んだ。
そして、静かに答える。
「アルトリア国内は彼らにかき回されるでしょうね。ギルドも王国騎士団も総出で殲滅にかかる。しかし、未知の魔法や魔道具で歯向かわれれば、被害は甚大でしょう」
魔石をそっとケースに戻しながら、ウィルはわずかに息を吐いた。
胸の内で冷たい予感が広がっていく。
「そうやって人間同士で争って国力が低下したところを魔族の大攻勢で一気に侵略。それが魔族の描いた青写真だろう」
ロブの声には、確信が込められていた。
まるですでにその未来が現実となっているかのような重みがあった。
「…………その手助けを魔導公会がするメリットはありますか?」
ウィルが静かに疑問を呈する。
その眉間には深い皺が寄る。
公会とは取引があるだけに、その疑念は決して軽いものではなかった。
「ウィル。お前も商人ならわかるだろ。この世で一番儲かるビジネスが何か」
ロブが淡々と問いかける。
その目は鋭く、獲物を射抜くようにまっすぐウィルを見据えていた。
「………戦争、ですか」
ウィルの答えは、わずかな間を置いて返された。
それは商人としての本能が告げる答えだった。
「戦争が起これば、真っ先に求められるのは武器と兵糧だ。この時代、最も強力な武器は魔法にほかならない。魔法を独占する魔導公会は、人間領と魔族領の双方に魔道具や魔石を売り捌き、さらには魔法使いや魔導士を派遣しては、その対価を貪る。戦争とはいつの時代も、一部の者が利をむさぼるために仕組まれるものだ。」
ロブの言葉が落ちると同時に、部屋の空気がひときわ重く沈んだ。
陽光に照らされる魔石たちが、まるでその静けさの中で、これから起こる嵐を予告するかのように淡く光を放っていた。
【あとがき】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回は「海老男、王都で糸を引く(前編)」として、ロブとウィルの再会を描きました。
長年の付き合いがある二人だからこその信頼と駆け引きが交差するやり取り、楽しんでいただけたでしょうか。
物語はますます裏側が動き出しています。
次回も引き続きロブとウィルのやり取りが続きますが、そこでついにロブがウィルのもとを訪れた本当の理由が明らかになります。
静かな会話の中に隠された駆け引きを、ぜひお楽しみください。
また、これからキャラクターも少しずつ増えていきますので、登場人物紹介や設定資料集の第二弾も考えています。
「このキャラをもっと知りたい!」「設定を詳しく読みたい!」というご要望がありましたら、ぜひ感想欄で教えてくださいね。
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引き続き「海老男」をよろしくお願いします!




