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第32話 海老男は朝から抜け目ない

 朝の光が『霧夜亭』の窓から差し込んでいた。  鳥たちのさえずりが心地よく耳をくすぐる。

 ふわりとシーツを押しのけ、リリアは小さく欠伸をした。


「ふぁ……もう朝?」


 旅の疲れはまだ残っているけれど、冒険者として初めて迎える朝だと思えば、自然と目が覚めた。


 顔を洗い、身支度を整えたリリアは、軽やかな足取りで宿の外へと出た。


 朝霧がわずかに立ち込める石畳の通り。

 その片隅で、リリアはふと目を奪われる。


 剣の軌跡が、朝日に煌めいていた。

 冷えた朝の空気を裂くように、ロブの剣がうなりを上げる。


 太陽がまだ昇りきらぬ薄明の中、黙々と素振りを繰り返すその姿は、一切の隙がなく、研ぎ澄まされた獣の牙のようだった。


「……ロブさん!」


 声をかけると、ロブは手を止め、剣を肩に担ぎながら振り返る。

 いつものように涼しげな顔で、しかしどこか嬉しそうに口元を緩めた。


「早いな。もう起きたか」


「はいっ。……あの、今日はいよいよ新人研修なので!」


 汗をぬぐうロブを見ながら、リリアは感心したように声を上げる。


「気合い十分だな」


 朝露に濡れた草の上を踏みしめ、リリアはそっと近づいた。

 真剣なまなざしで鍛錬を続けるロブの姿に、胸の奥がふつふつと熱くなるのを感じる。


「いつもこんな朝早くから鍛錬してるんですね」


 声をかけると、ロブは汗をぬぐいながら、どこか照れくさそうに肩をすくめた。


「まあな。長年の習慣ってやつだ」


 朝陽が差し込み、ロブの額の汗がきらりと光る。


「だから、あんなに強いんですね」


 尊敬と憧れの入り混じった視線で見つめるリリアに、ロブは軽く笑いながら剣を肩に担ぐ。


「そういうこと。海老男は一日にしてならずってな」


 さらりと言ってのけるロブに、リリアは一瞬きょとんとした後、ぷっと吹き出した。


「ちょっと、それかっこよくないです」


 肩を震わせながら笑うリリア。その屈託のない笑顔につられるように、ロブもふっと口元を緩めた。


「はは、まあ、そう言うなよ」


 陽光がふたりの間に柔らかな影を落とし、静かな朝の空気がふんわりと包み込む。

 早朝のひとときは、ほんのわずかだが、どこか心温まるものだった。


 ロブは微笑みつつ、腰の小袋から何かを取り出した。


「リリア。これを持っていけ」


 差し出されたのは、小さな赤褐色の魔石だった。

 光に透かすと、淡く輝く魔力の粒子が内包されているのがわかる。


「これは……魔石、ですか?」

「その通りだ。魔力が不足している者でも、込められた魔力で一度だけ魔法を発動できる魔石だ」

「えっ……! そんな貴重なもの、わたしが持っていていいんですか?」

「お守りだよ。だが、気をつけろ。一度使えば砕けてしまう。使いどころを間違えるなよ」


 真剣な眼差しで釘を刺され、リリアは魔石を両手で大切に受け取る。


「……はいっ。必ず役立てます!」


 ロブは軽く頷くと、視線を街の奥へ向けた。


「すまんが俺はこれから用がある。ギルドへは一人で行ってくれるか?」

「え……一緒に行かないんですか?」

「ああ、セイランの魔石を知り合いの商人に引き取ってもらいたくてな。その交渉に行く」

「前に言ってたやつですね。それは…………大事ですね………」


 わがままを言える雰囲気ではなくなり言葉が尻すぼみになるのを見てロブが小さく笑う。


「もとより、指導役の冒険者以外は同行できないからな。それに自分の足で踏み出す最初の一歩だ。見守るだけじゃつまらないからな」


 冗談めかしたその言葉に、リリアは思わず微笑んだ。


「はいっ、わかりました!」


 元気よく返事をしたものの、腹の虫がグゥと控えめに鳴る。


「その前に、腹ごしらえしていけよ。空腹じゃ気合いも入らないからな」


 ロブが苦笑しながら促し、リリアは恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「は、はいっ……!」


 宿の食堂で簡素ながらも温かな朝食をとる。焼きたてのパンと、香ばしいスープの湯気が気持ちをほぐしてくれる。口にするたび、少しずつ緊張が解け、胸の内に静かな決意が芽生えていった。


 食事を終えたリリアは、背筋を伸ばして椅子を立つ。


 部屋に戻ると昨日買ったばかりの装備を着込む。


 小柄な自分の体に合わせて選んだ革のチュニックとショートブーツ。

 腰に佩いた初心者用の軽剣の重みが、背筋を自然と正してくれる。


 最後に肩まで伸びた赤い髪を後ろで束ねる。


 鏡で隅々まで見回し、おかしな所が無いことを確認する。


「よしっ!」


 気合いを込めて小さく拳を握ると、部屋を出てロブに軽く会釈する。


「その髪型、似合ってるぞ」

「そ、そうですか?えへへ………」


 束ねた髪は邪魔にならないようにという配慮からだが、ロブとお揃いのようで少し嬉しい。


 それをロブは無自覚に褒めるのだから罪深い。


「では、行ってきます」

「おう、しっかりな」


 ロブの微笑みに送り出され、宿を後にした。


 朝の澄んだ空気のなか、一歩一歩踏みしめる足取りに、冒険者としての第一歩を踏み出す自覚が宿っていた。






 冒険者ギルドの前に立つと、リリアは緊張に喉を鳴らした。


 けれどロブから託された魔石を握りしめると、不思議と胸に熱が宿る。


「よし……!」


 小さく気合を入れて扉を押し開ける。


 広々としたギルドのロビーには、すでに十数人の若者たちが集まっていた。

 年齢も性別もさまざまだが、皆どこか浮き足立った様子で談笑している。


「ふぅ……がんばらなきゃ」


 小さく呟いてから顔を上げる。

 だが慣れない雰囲気に気後れし、自然と視線が宙を泳ぐ。

 キョロキョロと周囲を見回していると――


 不意に肩がぶつかり、リリアの体がぐらりとよろけた。

 見上げれば、いかにも粗暴そうな若い男が睨みつけている。


「どこ見て歩いてんだ、ボケッ!」

「す、すみません……!」


 慌てて頭を下げるが、男はそれで収まる様子はない。


「謝りゃ済むと思ってんのか? これで怪我でもしてたらどうすんだよ!」


 男の声が広がる。

 リリアの頬が強張るその時――


「下品な物言いですわね。その程度で騒ぐなんて、情けないにもほどがありますわ」


 清らかでありながら、鋭く張り詰めた声が響いた。


 振り向けば、そこには堂々たる佇まいの少女がいた。

 豊かな金髪をサイドテールに結い、高級そうな白地の研究者ローブには金刺繍が美しく施されている。

 エメラルドグリーンの瞳が鋭く輝き、リリアと男の間にすっと割って入る。


「あなたのような下卑た態度が、冒険者全体の品位を下げているのですわよ?」

「なんだとコラ……ガキが偉そうに……!」


 男が憤然と拳を振り上げる。

 だが、その拳が振り下ろされるより早く、たくましい腕が手首を掴み制止する。


 鋭い声が飛んだ。


「やめろ。見苦しいぞ」


 そこには銀灰色の髪の少年が立っていた。


 黒革のジャケッカーフをひるがえし、その瞳は鋼のような落ち着きを湛えている。


「セラフィナ、大丈夫か?」

「エドガー様、感謝いたしますわ」


 セラフィナと呼ばれた少女はふわりと微笑むと、リリアの前に立ちふさがるように一歩進み出る。


「礼には及びません。ギルドの中で暴れるなど愚の骨頂だ」


 エドガーは淡々と言い放ち、男の手を解放する。

 男は舌打ちをしながらも、ぶつぶつと不満を漏らしつつ後ずさる。


「チッ………生意気なガキどもが。お前ら新人だろ? 粋がってると痛い目見るぜ」

「あら、ご忠告痛み入りますわ。ですが、その言葉、そっくりそのままお返しして差し上げましてよ」


 セラフィナは涼しげに微笑みながらも、エメラルドグリーンの瞳に冷ややかな光を宿す。

 その堂々たる態度に男は一瞬ひるむが、なおも捨て台詞を吐き捨てて背を向ける。


「ふん……覚えてろよ」


 そう吐き捨てると、男は背中を丸めるようにしてその場を離れていった。

 騒がしさが遠ざかるとともに、場の空気がわずかに和らぐ。


 リリアはほっと胸をなでおろし、セラフィナとエドガーに向き直る。


「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました!」


 深々と頭を下げるリリアに、セラフィナはふわりと微笑み返す。


「お気になさらずに。困ったときはお互い様ですわ」


 品のある所作で軽く手を振ると、続けざまにリリアに視線を向けた。


「ところで、お名前を伺ってもよろしいかしら?」

「えっと……リリア・エルメアといいます!」


 リリアが緊張しながら名乗ると、セラフィナは嬉しそうに頷く。


「リリアさん、ですわね。私はセラフィナ=ルクスリエル。見ての通りの魔導学者ですわ」


 続いて、隣に控えていたエドガーが、にこやかにリリアへと挨拶する。


「エドガー・ヴァレンタインだ。よろしくな、リリア。ま、あんなのはどこにでもいるさ。ちょっと先輩だからって威張りたいだけだろう。とはいえ、お嬢様の毒舌は相変わらずで冷や冷やするぜ」


 エドガーが茶目っ気たっぷりに肩をすくめると、セラフィナはふふんと鼻を鳴らした。


「事実を述べただけですわ」


 その言葉に、リリアはくすりと笑う。緊張がわずかにほぐれたように感じた。


 ――その時だった。


 ふと、リリアは胸の奥が妙にざわつくのを感じ、自然と顔を上げる。

 視線の先には、群れの端に立つひとりの少年がいた。

 白い軽鎧に身を包み、どこか地味で控えめな佇まい。周囲に溶け込むように静かに立っているのに、なぜか目が離せない。


 リリアと目が合うと少年はすっと顔を背け、人の群れの中に入ってしまう。


 少年自身は目立つつもりなど毛頭ない様子で、周囲からもほとんど注目されていない。

 だが、リリアだけは奇妙な違和感を覚えていた。


 胸の内でじんわりと広がるような重み。それはまるで、空気の一部が濃密に凝縮されているかのような感覚だった。


 (……なんだろう、この感じ。うまく言えないけど……)


 言葉にできないまま、リリアはその感覚に小さく眉をひそめる。

 まるで何か巨大な力がそこに存在しているような――そんな気配だけが、ひたひたと胸に迫ってくる。


 気のせいだと自分に言い聞かせるように首を振ったそのとき、セラフィナが朗らかに声をかけた。


「ふふっ。今日の新人研修、気が抜けませんわよ。さあ、リリアさん。ご一緒に頑張りましょう」


 セラフィナの柔らかな笑みに、リリアははっと我に返り、力強く頷いた。


「はいっ!」




 

【リリアの妄想ノート】


 今日はわたしの冒険者としての第一歩でしたっ!


 朝からロブさんが剣の素振りをしていて、すごくかっこよかったです……!

 しかも、お守りにって魔石までくれたんです。魔力がなくても一度だけ魔法が使えるなんて、すごすぎますよね。これは絶対大事にしなくちゃ……!


 ギルドではまさかのトラブルに巻き込まれちゃったけど、助けてくれたのは金髪のきれいなお嬢様(セラフィナさん!)と、クールな剣士の人(エドガーさん!)でした。

 それに……あの男の人。名前はわからないけど、なんだか気になってしまって。わたしだけが気づいたみたいで、胸がざわざわしちゃって……うう、なんだろうこれ!


 研修、不安もあるけど、ぜったいに頑張りますっ!


【あとがき】


 ご覧いただきありがとうございました!


 今回はロブからお守りの魔石を託されたリリアが、冒険者としての第一歩を踏み出すまでを描きました。

 セラフィナとエドガーも登場し、新しい仲間たちとの出会いが始まります。


 次回はいよいよ新人研修へ! リリアの奮闘にご期待ください。


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